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太田述正コラム#6270(2013.6.15)
<パナイ号事件(その9)>(2013.9.30公開)
--第二次上海事変・米世論・ローズベルト--
「1937年8月30日のニューヨーク・タイムズでは<第二次上海事変の>一連の事件について「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」と上海特派員によって報じた。 またニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙は9月16日に「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89 上掲
→2紙だけでは断定できないものの、米国のメディアは、日本に対して理解を示していたわけです。
さて、引き続き、今度はローズベルトに係る日本語ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88#.E9.9A.94.E9.9B.A2.E6.BC.94.E8.AA.AC
から引用します。
典拠が全記述におおむね付けられている、比較的出来のよい内容だと思います。(太田)
「9月6日にはルーズベルトは「世界の政府間の平和のために<米国>が先頭に立って 大掃除をする準備ができていることを公にする」とヘンリー・モーゲンソー財務長官とハル国務長官に語り、1937年10月5日、世界でおこなわれつつあるとする侵略行為を非難するために「病人」になぞらえて<下掲の>隔離演説(隔離声明、防疫演説)(・・・Quarantine Speech)をシカゴで行った。
「世界の九割の人々の平和と自由、そして安全が、すべての国際的な秩序と法を破壊しよう としている残り一割の人々によって脅かされようとしている。(…)不幸にも世界 に無秩序という疫病が広がっているようである。身体を蝕む疫病が広がりだした場合、共同体は、疫病の流行から共同体の健康を守るために病人を隔離することを認めている」
<この>演説は直接には特定の国家を名指しすることはなかったものの、一般には・・・ドイツやイタリア、日本などの国家実行を非難するルーズベルトの政策理念を表明する演説と考えられている。演説のなかでは、「宣戦の布告も警告も、また正当な理由もなく婦女子をふくむ一般市民が、空中からの爆弾によって仮借なく殺戮されている戦慄すべき状態が現出している。このような好戦的傾向が漸次他国に蔓延するおそれがある。彼ら平和を愛好する国民の共同行動によって隔離されるべきである」とも語られた。なおハルの証言では、<米>国務省が作成した演説原案には「隔離」の部分はなく、演説直前にルーズベルト自身が入れた。・・・
隔離演説はニューヨーク・タイムズやコロンビア大学学長のニコラス・バトラーから賞賛される一方、ウォールストリート・ジャーナルは「外国への手出しをやめろ、<米国>は平和を欲する」という記事を掲載し、またシカゴ・ トリビューンは、ルーズベルトはシカゴを「戦争恐怖の世界的ハリケーンの中心」に変えたと報じ、またハル国務長官もこの「隔離」や「伝染病」というレトリックは無用の反対をもたらしたとして批判した。さらにクリスチャン・センチュリー紙は「もし<米国>が中国のために参戦すれば、その結果はひとりロシアの勝利に終わるであろう」と警告した。挑発的な内容を持つこの隔離演説は<米>国内で非難を受け、演説後、6つの平和主義団体が「ルーズベルトは<米>国民を世界大戦の道に連れて行こうとしている」との声明を出した。<米>労働総同盟は「<米国>の労働者は<欧州>、アジアの戦争に介入することを欲しない」との決議を行った。<米国>を参戦させないための請願に2500万人の署名を求める運動も始まった。
日本でこの隔離演説が報道されると、毎日新聞は「米大統領の諷刺演説に應酬―率直にわが眞意吐露‘戦争’も已むを得ず」「紛争國“隔離”を提唱―米大統領演説」と題した記事で、朝日新聞は「米大統領獅子吼―平和確保に協力せん」と題した記事においてこの演説が日本を指すものとして報道した。また松方幸次郎は日本駐在のユージン・ドゥーマン参事官に対して日本海軍はこれまで慎重論であったが、この隔離演説に対して強烈な反感を抱いていると伝えた。
→当時の米国の世論の状況がよく分かりますね。(日本の世論の状況についても・・。)
だからこそ、私は、いわば米世論に真っ向から反するような隔離演説を行った「ローズベルト政権は、常軌を逸していた」(前出)、と申し上げたわけです。
それにしても、NYタイムスは、いかなる理由で、この隔離演説を称賛したのでしょうか。
第二次上海事件勃発直後の同紙記事(上出)や、下出のような感想を抱いた・・この箇所の典拠のハミルトン・フィッシュの本は持っているが時点をチェックする労を惜しんだ・・同紙記者の存在に照らし、奇異な印象を持ちます。(太田)
駐米ドイツ大使のハンス・ディックホフは、演説の直接的なきっかけは、中国での日本の行動にあり、また大統領を悩ませていた黒人問題から大衆の気を逸らせる意図もあるとドイツ本国へ伝えた。 なおニューヨークタイムズ記者のアーサー・クロックは「隔離声明以来、ルーズベルト大統領は、日本の敵意を煽り、枢軸側へ追いやるために、あらゆる手段を駆使した」としている。・・・
<他方、米国は、《1939年11月のソ連のフィンランド侵攻に対してこそ、航空機エンジニアの引き揚げと航空機生産に必要な物資の禁輸を行い、》【これは、日本に対して同時期(12月)に行ったところの、航空機ガソリン製造設備、製造技術の関する権利の輸出の停止】《と同等以上の措置であった》けれど、[ソ連による、翌1940年6〜8月の]バルト諸国占領<に対しては、>・・・他のほとんどの西側諸国と同様、併合を承認<こそ>しなかったものの、直接的な干渉を行なうことなく<、宥和的な姿勢を示した。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E5%8D%A0%E9%A0%98
http://www.iiipublishing.com/politics/asian_war/source/hull/hull_20.html (《》内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%8C%85%E5%9B%B2%E7%B6%B2 (【】内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6 ([]内)>
→大恐慌からいまだ回復できていなかった米国にあって、前にも申し上げたように、人種主義者のローズベルトが、米国内の黒人問題への取り組みをネグり、そのこともあって、一層有色人種の日本を排斥する一方で、白色人種扱いをした赤露とつるみ、米国内世論をあざむき、大逆罪を犯してまでして、日本を対米英開戦に追い込むことによって、全世界に大災厄をもたらした、ということです。(太田)
中国の国連への提訴と、<米>大統領による隔離演説を経て、同年11月3日から24日にかけて、ブリュッセル会議(九ヶ国条約会議)が開催。日本側は出席を拒否した。<米国>は隔離演説で見せたような挑発的な言明は避け,会議でウェルズ国務次官は「日本を侵略者呼ばわりするのは我々の考えではない。日本を懲罰するのではなく単に意見を交換するだけだ」と述べ、中国を失望させた。
12月12日には、・・・パナイ号事件が起きるが、<米国>はこの事件をもって開戦とはしなかった。西川秀和はその理由を「日本政府が速やかに賠償に応じたことも一因であるが、<米>国民の一般感情が強硬策を求めるまでに沸騰しておらず、 第一次世界大戦後の孤立主義的傾向を完全に払拭するまでに至らなかったことに大きな原因がある」としている。ルーズベルトはパナイ号事件に激怒していたが、隔離演説で予想を上回る反発が世論に起きたため、挑発的な言辞を使用することも報復的な対策をとることもなかった。」
→ここに出て来た西川秀和は、1977年生まれ。南山大学大学院文学研究科修了後、早稲田大学社会科学総合学術院に移り、同院の助手を経て大阪大学外国語学部非常勤講師。学術博士で、研究領域は、歴代アメリカ大統領の演説分析、国際言語文化という人物です。
http://www.policyspace.com/cat/cat_253.php
https://twitter.com/Poeta_Laureatus
こういった新感覚の歴史学者がどんどん出て来るといいですね。(太田)
(続く)
<パナイ号事件(その9)>(2013.9.30公開)
--第二次上海事変・米世論・ローズベルト--
「1937年8月30日のニューヨーク・タイムズでは<第二次上海事変の>一連の事件について「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」と上海特派員によって報じた。 またニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙は9月16日に「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89 上掲
→2紙だけでは断定できないものの、米国のメディアは、日本に対して理解を示していたわけです。
さて、引き続き、今度はローズベルトに係る日本語ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88#.E9.9A.94.E9.9B.A2.E6.BC.94.E8.AA.AC
から引用します。
典拠が全記述におおむね付けられている、比較的出来のよい内容だと思います。(太田)
「9月6日にはルーズベルトは「世界の政府間の平和のために<米国>が先頭に立って 大掃除をする準備ができていることを公にする」とヘンリー・モーゲンソー財務長官とハル国務長官に語り、1937年10月5日、世界でおこなわれつつあるとする侵略行為を非難するために「病人」になぞらえて<下掲の>隔離演説(隔離声明、防疫演説)(・・・Quarantine Speech)をシカゴで行った。
「世界の九割の人々の平和と自由、そして安全が、すべての国際的な秩序と法を破壊しよう としている残り一割の人々によって脅かされようとしている。(…)不幸にも世界 に無秩序という疫病が広がっているようである。身体を蝕む疫病が広がりだした場合、共同体は、疫病の流行から共同体の健康を守るために病人を隔離することを認めている」
<この>演説は直接には特定の国家を名指しすることはなかったものの、一般には・・・ドイツやイタリア、日本などの国家実行を非難するルーズベルトの政策理念を表明する演説と考えられている。演説のなかでは、「宣戦の布告も警告も、また正当な理由もなく婦女子をふくむ一般市民が、空中からの爆弾によって仮借なく殺戮されている戦慄すべき状態が現出している。このような好戦的傾向が漸次他国に蔓延するおそれがある。彼ら平和を愛好する国民の共同行動によって隔離されるべきである」とも語られた。なおハルの証言では、<米>国務省が作成した演説原案には「隔離」の部分はなく、演説直前にルーズベルト自身が入れた。・・・
隔離演説はニューヨーク・タイムズやコロンビア大学学長のニコラス・バトラーから賞賛される一方、ウォールストリート・ジャーナルは「外国への手出しをやめろ、<米国>は平和を欲する」という記事を掲載し、またシカゴ・ トリビューンは、ルーズベルトはシカゴを「戦争恐怖の世界的ハリケーンの中心」に変えたと報じ、またハル国務長官もこの「隔離」や「伝染病」というレトリックは無用の反対をもたらしたとして批判した。さらにクリスチャン・センチュリー紙は「もし<米国>が中国のために参戦すれば、その結果はひとりロシアの勝利に終わるであろう」と警告した。挑発的な内容を持つこの隔離演説は<米>国内で非難を受け、演説後、6つの平和主義団体が「ルーズベルトは<米>国民を世界大戦の道に連れて行こうとしている」との声明を出した。<米>労働総同盟は「<米国>の労働者は<欧州>、アジアの戦争に介入することを欲しない」との決議を行った。<米国>を参戦させないための請願に2500万人の署名を求める運動も始まった。
日本でこの隔離演説が報道されると、毎日新聞は「米大統領の諷刺演説に應酬―率直にわが眞意吐露‘戦争’も已むを得ず」「紛争國“隔離”を提唱―米大統領演説」と題した記事で、朝日新聞は「米大統領獅子吼―平和確保に協力せん」と題した記事においてこの演説が日本を指すものとして報道した。また松方幸次郎は日本駐在のユージン・ドゥーマン参事官に対して日本海軍はこれまで慎重論であったが、この隔離演説に対して強烈な反感を抱いていると伝えた。
→当時の米国の世論の状況がよく分かりますね。(日本の世論の状況についても・・。)
だからこそ、私は、いわば米世論に真っ向から反するような隔離演説を行った「ローズベルト政権は、常軌を逸していた」(前出)、と申し上げたわけです。
それにしても、NYタイムスは、いかなる理由で、この隔離演説を称賛したのでしょうか。
第二次上海事件勃発直後の同紙記事(上出)や、下出のような感想を抱いた・・この箇所の典拠のハミルトン・フィッシュの本は持っているが時点をチェックする労を惜しんだ・・同紙記者の存在に照らし、奇異な印象を持ちます。(太田)
駐米ドイツ大使のハンス・ディックホフは、演説の直接的なきっかけは、中国での日本の行動にあり、また大統領を悩ませていた黒人問題から大衆の気を逸らせる意図もあるとドイツ本国へ伝えた。 なおニューヨークタイムズ記者のアーサー・クロックは「隔離声明以来、ルーズベルト大統領は、日本の敵意を煽り、枢軸側へ追いやるために、あらゆる手段を駆使した」としている。・・・
<他方、米国は、《1939年11月のソ連のフィンランド侵攻に対してこそ、航空機エンジニアの引き揚げと航空機生産に必要な物資の禁輸を行い、》【これは、日本に対して同時期(12月)に行ったところの、航空機ガソリン製造設備、製造技術の関する権利の輸出の停止】《と同等以上の措置であった》けれど、[ソ連による、翌1940年6〜8月の]バルト諸国占領<に対しては、>・・・他のほとんどの西側諸国と同様、併合を承認<こそ>しなかったものの、直接的な干渉を行なうことなく<、宥和的な姿勢を示した。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E5%8D%A0%E9%A0%98
http://www.iiipublishing.com/politics/asian_war/source/hull/hull_20.html (《》内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%8C%85%E5%9B%B2%E7%B6%B2 (【】内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6 ([]内)>
→大恐慌からいまだ回復できていなかった米国にあって、前にも申し上げたように、人種主義者のローズベルトが、米国内の黒人問題への取り組みをネグり、そのこともあって、一層有色人種の日本を排斥する一方で、白色人種扱いをした赤露とつるみ、米国内世論をあざむき、大逆罪を犯してまでして、日本を対米英開戦に追い込むことによって、全世界に大災厄をもたらした、ということです。(太田)
中国の国連への提訴と、<米>大統領による隔離演説を経て、同年11月3日から24日にかけて、ブリュッセル会議(九ヶ国条約会議)が開催。日本側は出席を拒否した。<米国>は隔離演説で見せたような挑発的な言明は避け,会議でウェルズ国務次官は「日本を侵略者呼ばわりするのは我々の考えではない。日本を懲罰するのではなく単に意見を交換するだけだ」と述べ、中国を失望させた。
12月12日には、・・・パナイ号事件が起きるが、<米国>はこの事件をもって開戦とはしなかった。西川秀和はその理由を「日本政府が速やかに賠償に応じたことも一因であるが、<米>国民の一般感情が強硬策を求めるまでに沸騰しておらず、 第一次世界大戦後の孤立主義的傾向を完全に払拭するまでに至らなかったことに大きな原因がある」としている。ルーズベルトはパナイ号事件に激怒していたが、隔離演説で予想を上回る反発が世論に起きたため、挑発的な言辞を使用することも報復的な対策をとることもなかった。」
→ここに出て来た西川秀和は、1977年生まれ。南山大学大学院文学研究科修了後、早稲田大学社会科学総合学術院に移り、同院の助手を経て大阪大学外国語学部非常勤講師。学術博士で、研究領域は、歴代アメリカ大統領の演説分析、国際言語文化という人物です。
http://www.policyspace.com/cat/cat_253.php
https://twitter.com/Poeta_Laureatus
こういった新感覚の歴史学者がどんどん出て来るといいですね。(太田)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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