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太田述正コラム#6204(2013.5.13)
<米孤立主義とリンドバーグ(その1)>(2013.8.28公開)

1 始めに

 リン・オルソン(Lynne Olson)の『かの怒れる日々--ローズベルト、リンドバーグと第二次世界大戦に係る戦い 1939〜41年(Those Angry Days:Roosevelt, Lindbergh, and America's Fight Over World War II,1939-1941)』のさわりを書評類をもとにご紹介し、私のコメントを付したいと思います。
 ローズベルトがひどい人種主義者(反有色人種・反ユダヤ人)であったことは既に明らかにした(コラム#6156)ところですが、第二次世界大戦 への参戦を巡って、参戦したがっていた彼と鋭く対立し、参戦回避を唱えたところの、孤立主義者のリンドバーグもまた、ひどい人種主義者であったこ とを明らかにするのが本シリーズの最大の目的であるところ、他にも面白い事実が明かされるので乞うご期待です。
 なお、アンケートに答えることによって、この本そのものをネット上で読めるようなので、時間と関心と英語力のある方は、どうぞ。↓
http://1tech4u.info/download-those-angry-days-roosevelt-lindbergh-
and-americas-fight-over-world-war-ii-1939-1941-by-lynne-olson- download-free-ebooks-pdf-and-epub/ 

A:http://www.csmonitor.com/Books/chapter-and-verse/2013/0510/FDR-
vs.-Lindbergh-Lynne-Olson-discusses-America-s-debate-over-WWII?nav=95-csm_category-leadStory
(5月11日アクセス(以下同じ)。書評(以下同じ))
B:http://www.bostonglobe.com/arts/books/2013/03/30/book-review-
those-angry-days-roosevelt-lindbergh-and-america-fight-over-world-war-lynne-olson/bHAzvmVPRlDsaeTPQ1iopL/story.html
C:http://www.washingtonindependentreviewofbooks.com/bookreview
/those-angry-days-roosevelt-lindbergh-and-americas-fight-over-world-war-ii-1          
D:http://www.washingtonpost.com/opinions/the-sleepwalkers-how-
europe-went-to-war-in-1914-by-christopher-clark-and-those-angry-days-roosevelt-lindbergh-and-americas-fight-over-world-war-ii-1939-1941-by-lynne-olson/2013/04/19/03b8f532-96ec-11e2-b68f-dc5c4b47e519_story_1.html
E:http://m.npr.org/news/Books/175288241

 なお、オルソンは、アリゾナ大卒。APに7年間勤め、その間そのモスクワ支局員もやり、その後ボルティモア・サン紙のワシントン支局員(ホワイ トハウス詰を含む)をやり、ワシントンのアメリカン大で5年間助教をやった女性です。
 また、彼女は、これまでご主人との共著2冊を含む5冊の本を出しています。
http://lynneolson.com/lynne-olson/

 リンドバーグを扱うことから、彼についてもここで簡単に触れておきましょう。
 チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh。1902〜74年)は、「スウェーデン移民の息子として・・・デトロイト市で生まれ・・・た。彼の父親・・・は弁護士、その後共和党 の国会議員となり第一次世界大戦への米国の参戦に反対した。母親・・・は化学教師だった。[ウィスコンシン大マディソン校を2年生の時に中退 出。]彼は幼少時から機械への関心を示したが、1922年には機械工学から離れ、<航空機パイロットとしてのキャリアを歩み始める。>・・・ 1927年5月20日5時52分(出発時の現地時刻)、リンドバーグはスピリットオブセントルイス号・・・でニューヨークのルーズベルト飛行場を 飛び立ち、5月21日22時21分(到着時の現地時刻)、パリのル・ブルジェ空港に着陸、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功した。・・・飛行時間 は33時間29分30秒だった。・・・1929年に駐メキシコ<米>大使・・・の次女・・・と結婚した。<彼女>は夫の勧めでパイロットや無線通 信士の技術を身につけ、乗務員として調査飛行に同行することになる。彼女は後年、作家となった。彼らは6人の子供をもうけた。・・・1歳8ヶ月の 彼らの<長男が>1932年3月1日に自宅から誘拐され・・・死んでいるのが見つかった(リンドバーグ愛児誘拐事件)。・・・リンドバーグの大き な業績の1つとして人工心臓の開発がある。リンドバーグには心臓弁膜症を患っている[義]姉がおり、心臓病の治療法を開発したいという思いから生 理学者アレクシス・カレルの研究室を訪れた。2人は意気投合し共同研究を行い、1935年に世界初の人工心臓である「カレル・リンドバーグポン プ」を開発。これは今日の人工心臓の原型となっている。・・・血液を連続的環流させるポンプ装置の発明についてはリンドバーグの工学知識が生かさ れた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Lindbergh ([]内)

 リンドバーグの「仇敵」フランクリン・ローズベルト(1882〜1945年)については、これまで何度も触れているので、簡単にしておきます が、「ニューヨーク州北部のハイドパークで生まれる。彼の父親ジェームズ・<ロ>ーズベルト・・・は、デラウェア・アンド・ハドソン鉄道の副社長であ り裕福な地主であった。
<ロ>ーズベルト家は1650年頃にオランダのハールレムからニューヨーク(当時はニュー・アムステルダム)に移住した・・・ ユダヤ系といわれる。・・・母親サラ・デラノ・・・は、フランス系プロテスタント教徒(ユグノー)であり、デラノ一族は阿片戦争の頃から中国とア ヘンを含む貿易を手広く行って財を為していた。・・・第26代大統領セオドア・<ロ>ーズベルトは従兄・・・に当たる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88
という人物です。

(続く)

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