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太田述正コラム#6056(2013.2.28)
<映画評論36:レ・ミゼラブル(その1)>(2013.6.15公開)

1 始めに

 私が、1988年、留学していたイギリスで、旧知のラインハルト・ドリフテ(Reinhard Drifte)(コラム#1710)・・当時、オックスフォード大学のフェローをしていた・・と会った時にミュージカルの話題も出て、ロンドンでどのミュージカルナンバーを観劇したらよいか彼に聞いたところ、彼が強く推した中に『レ・ミゼラブル』が入っていたのですが、結果的には、当時、日本で最も良く知られていたところの、『キャッツ』と『オペラ座の怪人』だけを観劇し、『レ・ミゼラブル』は観劇せず、現在に至っていたのです。
 (この三作とも、キャメロン・マッキントッシュ制作ですからスゴイですねえ。
 このマッキントッシュ、『レ・ミゼラブル』の映画版の制作陣の一員にも加わっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5 )
 どうしてそうしたかと言うと、私は子供の時、子供向けに書かれた『ああ無情』(少年小女世界名作全集)を読んでおり、筋を知っている話じゃ面白くないと思ったからです。
 今回、ご案内のような事情で緊急に映画を見なければならなくなった(?)時に、たまたまその映画版が行きつけのシネコンで上演されており、しかも、その映画がアカデミー賞で話題になったばかりだった・・助演女優賞を含む3部門で受賞・・こともあって、ようやく、事実上ですが、このミュージカルを鑑賞する運びになった、というわけです。
 (実際に見てみると、筋は、主人公のジャンバルジャンがミリエル司教の銀の食器を盗んで警察に捕まった時に同司教にかばってもらい、回心する、という場面とコゼットという少女が準主人公として登場したということ以外は全く忘れていました。
 もっとも、少年小女世界名作全集版がどの程度ヴィクトル・ユーゴーの原作に忠実だったのか、幼少年時代の本は全て処分してしまっているので、分かりませんが・・。)

2 評論

 (1)序

 私が、イギリス人がフランスを含む欧州を野蛮の地として軽蔑していることに気付いたのは、上記のイギリス留学中ですが、この映画・・ミュージカルを基本的にそのまま映画に置き換えたもの・・を見るにあたっての私の興味は、イギリス人が、欧州の野蛮さを冷やかしつつ、いかにアングロサクソンの人々にとって感動的な話に仕立て上げているのか、という点にありました。
 つまり、フランス人たるユーゴーが書いた原作を、イギリス人が、枝葉を端折っただけのミュージカルにし、更にミュージカル映画にしているはずがない、という目でこの映画を見たわけです。
 しかし、原作は長大
A:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB
であることもあって、原作とこの映画を突き合わせるつもりも時間もありません。
 何か手がかりはないかと、主要紙に載った書評をいくつも読んでみたのですが、この点に関することを含め、収穫は余りありませんでした。(ごくわずかの収穫については、後ほど紹介させてもらいます。)
 そこで、以下、私の推測を交え、話を進めて行きたいと思います。

 (2)原作と映画の推測上の懸隔

 原作とミュージカルとの関係は、以下のとおりです。

 「1980年、アラン・ブーブリル(作詞)、クロード=ミシェル・シェーンベルク(作曲)らによって当作品の前身となるミュージカル“Les Miserables”が制作され、パリで上演された。・・・1980年パリ公演の舞台は、『レ・ミゼラブル』をよく知るフランス人に向けて創られたミュージカルであった。そのため、ストーリーのうちでも重要な箇所、例えば主人公ジャン・バルジャンがモントルイユ・シュール・メールの市長になる以前の銀の燭台のくだり、などが省略されることがあった。しかし『ほとんどのイギリス人にとっては題名(Les Miserables)を正しく発音するのもおぼつかない』(マッキントッシュ)という状況にあって、ロンドン版では『レ・ミゼラブル』という物語そのものを伝えることに重きが置かれ、1980年パリ公演の改訂版としての『レ・ミゼラブル』を創り上げていくこととなる。オリジナル版を制作したアラン・ブーブリル、クロード・ミッシェル・シェーンベルク、さらには作詞家ハーバート・クレッツマーもクリエイティブ・スタッフに加わり、1985年10月28日、バービカン・センターにおいてロンドン版『レ・ミゼラブル』が幕を開けた。」
B:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB_(%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB)

 この日本語ウィキペディアの記述が正しければ、イギリスでは、少なくとも日本人いとっては「大傑作」たるユーゴーの原作(A)(の英語訳)が殆んど読まれていなかったということになりそうですが、これだけでも、イギリス人の欧州蔑視度の大きさが推し量れます。
 当然のことながら、そのイギリス版のミュージカルが、原作の忠実な要約であったはずがありません。
 フランス語歌詞の翻訳などゼロで、「<クレッツマーによる英語>歌詞の3分の1は意訳、3分の1は翻案(adaptation)、3分の1は新しくつくられた」というのです。
C:http://en.wikipedia.org/wiki/Les_Mis%C3%A9rables_(musical)
 ちなみに、クレッツマーは1925年に南アフリカで生まれたユダヤ人で、イギリスで活躍してきた人物です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Herbert_Kretzmer 

イギリス版のミュージカルと映画との懸隔もありそうです。 
 この映画の脚本・・その主要部分は歌詞・・は、イギリス版のミュージカルの歌詞を担当したブーブリル、シェーンベルク(作曲に加えて歌詞にも関与したということ)、そしてクレッツマーに、更にウィリアム・ニコルソンが加わっているからです。
D:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB_(2012%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
 (ちなみに、ニコルソンは、1948年生まれのケンブリッジ大卒という人物です。
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Nicholson_(writer) )
 実際、「この映画は、元の舞台ミュージカルにおけるすべての歌を使っているが、二つだけ例外があり、「I Saw Him Once」と「Dog Eats Dog」<だ>。しかし、多くの歌の一部ないし相当部分がカットされている」のです。他方、「新しい歌である「Suddenly」が付け加えられ」ました。
E:http://en.wikipedia.org/wiki/Les_Mis%C3%A9rables_(2012_film)
 そして、何と言っても、監督がトム・ホッパーです。
 彼は、13歳の時から自作映画作りを行った早熟な天才であり、その後オックスフォード大を卒業し、2010年の映画『英国王のスピーチ』(コラム#5555以下)で、既にアカデミー賞4部門で受賞している、という人物なのです
http://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Hooper_(director) (≪≫内)
から、当然、イギリス人的観点からこの映画を監督したに相違ないのです。

(続く)

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