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太田述正コラム#5996(2013.1.29)
<米国前史(その3)>(2013.5.16公開)
(2)概要
「1600年から1675年・・・は、新世界も旧世界同様に激動の時代だった。
イギリスでは短期間共和国になったし、欧州大陸では宗教諸戦争が諸国を引っ掻き回した。
→日本は江戸幕府の下で平和な時代に入っていたけれど、欧州は、17世紀前半は、イギリス内戦はあるわ、ドイツ30年戦争はあるわ、で文字通り戦国時代たけなわであったわけです。
だから、北米におけるイギリス人等の入植者が野蛮であったのは当然だ、ということになりそうですが、問題は、その野蛮な状態が、少なくともインディアンや黒人奴隷に対しては、(欧州がやや「開化」した)17世紀後半に入っても、更にはそれ以降も続いた点にあります。(太田)
三つの部に分かたれた『野蛮な年月』は、第一部において、アメリカ原住民を描写する。
「彼らは近代の人口統計学的標準に照らせば人口は少なく」、住民達の世界は「感覚が研ぎ澄まされた(sentient)感受性に富んだ諸精神」によって支配されていた。
都市的中心群は存在せず、彼らの生活は定住的というよりも遊牧的だった。
ヴァージニアのポーハタン族(Powhatans)<(注2)>は、北米の東部において、最も複雑な社会群を発展させていた。
(注2)「イギリス最初の植民地バージニアではキャプテン・ジョン・スミスらははじめから武器をもってポーハタン族を威嚇し,トウモロコシの供出を強制し戦争をしかけた。ポカホンタス<(コラム#1759、1763、3748)>とジョン・ロルフの〈結婚の平和〉も,友好というよりは恐怖の均衡であり,1622年のポーハタン族の大蜂起に結果し,以後20年抵抗がやむまで征服戦争がつづいた。」
http://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%BF%E3%83%B3%E6%97%8F
ポカホンタスは、「アメリカ・インディアンのポーハタン族長ポーハタンの娘。<ヴ>ージニア植民地建設の指導者の一人ジョン・スミスがポーハタン族に捕らえられたとき助命したといわれるが,真偽は定かでない。タバコ栽培の改良に成功したロルフJohn Rolfeと結婚し,原住民のキリスト教化と植民事業の成功の宣伝のため1616年ロンドンに送られ、〈アメリカの王女〉として上流社交界で歓迎されたが,17年春帰国を前に病死した。」
http://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%82%AB%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B9?dic=sekaidaihyakka
しかし、<イギリス人等の>定住以前においてさえ、彼らの世界は、毛皮交易によって深甚なる影響を受けており、それによって部族間に争いが起きていた。
後に、彼らは、欧州の商品を極めて愛でるようになっていたところ、欧州人達とうまく折り合いをつけた関係を構築しようと望んだ。
第二部は、欧州人によるアメリカ原住民達の征服を描写する。
それは、ニューイングランドからヴァージニアに至る海岸沿い一帯における、お互い様の暴力的闘争だった。
<欧州人による原住民>の征服は、ヴァージニアにおいては、より困難なものとなった。
その地の気候と不健康な場所群によって早期の定住はすんでのところで壊滅するところだった<からだ>。
他方で、ニューイングランドでは、「乳児と子供の死亡率は25%を超えるものではなく、21歳に達した男性の平均余命はほぼ70歳だった」。
しかし、そのニューイングランドは、今日のアフガニスタンのように、暴力、追放(banishment)、投獄をもたらしたところの、<欧州人相互の>宗教的争い(disagreements)で引き裂かれていた。
第三部では、ベイリンは、これらの定住の相異なった諸要素たる、イギリスのカトリックとプロテスタントだけでなく、フィンランド人、スウェーデン人、オランダ人、が、いかに、次第に増大した交易と農業に依拠した安定的諸コミュニティを打ち立てたかを描写する。
この農業は、メリーランドとヴァージニアにおいては、アフリカ系米国人奴隷達に依拠していた。
「1660年時点には、ヨーク郡(York County)<(注3)>の15%を黒人が占めるに至っていた。」
(注3)地図↓参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_of_Virginia_highlighting_York_County.svg
ヨークタウン(Yorktown)はヨーク郡の中心都市。ここで1781年に行われた戦いにフランス海軍の協力を得て北米英領植民地軍が英軍に勝利したことで、米国の独立が決定的なものとなった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Yorktown,_Virginia
<17世紀初頭に比べれば>1675時点の新世界はより平和的になっていたが、「まだ野蛮であり」、正常な社会を打ち立てるべく闘争していた。」(L)
(続く)
<米国前史(その3)>(2013.5.16公開)
(2)概要
「1600年から1675年・・・は、新世界も旧世界同様に激動の時代だった。
イギリスでは短期間共和国になったし、欧州大陸では宗教諸戦争が諸国を引っ掻き回した。
→日本は江戸幕府の下で平和な時代に入っていたけれど、欧州は、17世紀前半は、イギリス内戦はあるわ、ドイツ30年戦争はあるわ、で文字通り戦国時代たけなわであったわけです。
だから、北米におけるイギリス人等の入植者が野蛮であったのは当然だ、ということになりそうですが、問題は、その野蛮な状態が、少なくともインディアンや黒人奴隷に対しては、(欧州がやや「開化」した)17世紀後半に入っても、更にはそれ以降も続いた点にあります。(太田)
三つの部に分かたれた『野蛮な年月』は、第一部において、アメリカ原住民を描写する。
「彼らは近代の人口統計学的標準に照らせば人口は少なく」、住民達の世界は「感覚が研ぎ澄まされた(sentient)感受性に富んだ諸精神」によって支配されていた。
都市的中心群は存在せず、彼らの生活は定住的というよりも遊牧的だった。
ヴァージニアのポーハタン族(Powhatans)<(注2)>は、北米の東部において、最も複雑な社会群を発展させていた。
(注2)「イギリス最初の植民地バージニアではキャプテン・ジョン・スミスらははじめから武器をもってポーハタン族を威嚇し,トウモロコシの供出を強制し戦争をしかけた。ポカホンタス<(コラム#1759、1763、3748)>とジョン・ロルフの〈結婚の平和〉も,友好というよりは恐怖の均衡であり,1622年のポーハタン族の大蜂起に結果し,以後20年抵抗がやむまで征服戦争がつづいた。」
http://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%BF%E3%83%B3%E6%97%8F
ポカホンタスは、「アメリカ・インディアンのポーハタン族長ポーハタンの娘。<ヴ>ージニア植民地建設の指導者の一人ジョン・スミスがポーハタン族に捕らえられたとき助命したといわれるが,真偽は定かでない。タバコ栽培の改良に成功したロルフJohn Rolfeと結婚し,原住民のキリスト教化と植民事業の成功の宣伝のため1616年ロンドンに送られ、〈アメリカの王女〉として上流社交界で歓迎されたが,17年春帰国を前に病死した。」
http://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%82%AB%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B9?dic=sekaidaihyakka
しかし、<イギリス人等の>定住以前においてさえ、彼らの世界は、毛皮交易によって深甚なる影響を受けており、それによって部族間に争いが起きていた。
後に、彼らは、欧州の商品を極めて愛でるようになっていたところ、欧州人達とうまく折り合いをつけた関係を構築しようと望んだ。
第二部は、欧州人によるアメリカ原住民達の征服を描写する。
それは、ニューイングランドからヴァージニアに至る海岸沿い一帯における、お互い様の暴力的闘争だった。
<欧州人による原住民>の征服は、ヴァージニアにおいては、より困難なものとなった。
その地の気候と不健康な場所群によって早期の定住はすんでのところで壊滅するところだった<からだ>。
他方で、ニューイングランドでは、「乳児と子供の死亡率は25%を超えるものではなく、21歳に達した男性の平均余命はほぼ70歳だった」。
しかし、そのニューイングランドは、今日のアフガニスタンのように、暴力、追放(banishment)、投獄をもたらしたところの、<欧州人相互の>宗教的争い(disagreements)で引き裂かれていた。
第三部では、ベイリンは、これらの定住の相異なった諸要素たる、イギリスのカトリックとプロテスタントだけでなく、フィンランド人、スウェーデン人、オランダ人、が、いかに、次第に増大した交易と農業に依拠した安定的諸コミュニティを打ち立てたかを描写する。
この農業は、メリーランドとヴァージニアにおいては、アフリカ系米国人奴隷達に依拠していた。
「1660年時点には、ヨーク郡(York County)<(注3)>の15%を黒人が占めるに至っていた。」
(注3)地図↓参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_of_Virginia_highlighting_York_County.svg
ヨークタウン(Yorktown)はヨーク郡の中心都市。ここで1781年に行われた戦いにフランス海軍の協力を得て北米英領植民地軍が英軍に勝利したことで、米国の独立が決定的なものとなった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Yorktown,_Virginia
<17世紀初頭に比べれば>1675時点の新世界はより平和的になっていたが、「まだ野蛮であり」、正常な社会を打ち立てるべく闘争していた。」(L)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
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