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太田述正コラム#5900(2012.12.12)
<日本の対米開戦はスターリンの陰謀?(その2)/私の現在の事情(続x33)>(2013.3.29公開)

 (2)挿話

 「・・・朝鮮人のナショナリストで信頼された情報提供者(informant)であったキルスー・ハーン(Kilsoo Haan)<(注2)>は、<真珠湾>攻撃に至る数週間の間に何度も米国政府に警告を発した。

 (注2)1900〜76年。朝鮮生まれで5歳の時にホノルルにやってきてサトウキビ労働者となり、サンフランシスコに移って救世軍に入り、「大尉」にまでなる。1926年に支那・朝鮮人民連盟(Sino-Korean Peoples' League)に入り、同連盟のハワイにおける代表となり、日本情報に関する米諜報機関への協力者となる。1938〜47年の間、同連盟のワシントン駐在代表を務める。1956年に米国に帰化。
http://www.oac.cdlib.org/findaid/ark:/13030/kt7j49p87r/

 ハーンの諜報は、ホノルルの日本領事館にいた朝鮮人情報提供者達から得たものだった。
 彼らは、12月7日までの数週間、<いや>数か月間における疑わしい資料群と特異な諸活動を報告した。
 領事館員は、空中からの魚雷投下と潜水艦による攻撃のための真珠湾の詳細な深度図群を編纂していた。
 <日本における>朝鮮人の造船所労働者達は日本の新しいミニ攻撃潜水艦を目撃していた。
 また、日本人達は、全ての米国の戦闘艦艇の場所を追跡していた。
 近々の攻撃についての証拠が集まったので、ハーンは、米国務省のマックスウェル・ハミルトン(Maxwell Hamilton)<(注3)>と接触し、新しい情報を全て送った。

 (注3)Maxwell McGaughey Hamilton(1896〜1957年)のことか。プリンストン大、ワシントン・アンド・ジェファーソン大卒。国務省に入り、支那勤務を経て極東部。1937年から43年まで(ホーンベックの後任として)極東部長、次いで44年まで在ソ連大使館公使参事官、1944年に国務長官特別補佐官。1946年に在フィンランド特命全権公使。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3

 <しかし、>ハミルトンは、ハーンの警告を無視した。
 12月3日の夜、ハーンは、ワシントンの下町の中華料理屋のチャイニーズ・ランターン(Chinese Lantern)を訪れた。
 ハーンは、日本人の男がその隣のテーブルの男と売買の話をつけようとしているのを目撃した。
 その男が去った後、ハーンは、その男が日本大使館員であって所有していた4台の車を恐ろしく安い価格で売ろうとしていたことを知った。
 彼は、数日後に日本に帰国する計画だったのだ。
 この車売却の試みは、朝鮮人の工作員達と<米国に>忠誠心のある日系米国人達の助けの下に彼が解いてきたジグソー・パズルの最後のピースだった。
 真珠湾は、その週末に攻撃されるであろうことを彼は悟ったのだ。
 眠れぬ夜を過ごした後、ハーンは米国の役人達への警報努力を倍加した。
 12月5日に、彼は再びハミルトンに宛てて書いた。
 「12月が日本による攻撃の月であり、突然現れる<日本の>艦隊は、恐らくは12月の最初の日曜日にハワイを狙っている、というのが、我々が考察して到達した見解であり、本当にこのことを信じている。貴下が我々の活動[すなわち、朝鮮独立運動(Korean nationalist movement)]についてどう感じておられるかにかかわらず、我々の憂慮とこの情報を、大統領と陸海軍のハワイの司令官達に伝達していただけないものか」と。
 <しかし、>今回もハーンは無視され、次の日曜は、永久に「不名誉と記憶にとどめられる日」として知られるようになったのだ。
 何年も後に、ジャーナリストのエリック・セヴァレイド(Eric Sevareid)<(注4)>は、「一人の若い朝鮮人が私の事務所によく訪ねてきた。彼は、朝鮮にいる反日地下運動と接触していた。真珠湾がクリスマスより前に<攻撃される>と彼は私に伝えたものだ。<しかし、>彼に国務省は誰も耳を貸さなかった。」と回想している。・・・」(F)

 (注4)1912〜92年。ノルウェー系米国人。ミネソタ大卒。従軍記者として、1940年にパリ陥落を報じた後、バトル・オブ・ブリテンを取材。1943年8月には、ビルマで取材中、搭乗した飛行機が日本軍の背後で撃墜され、特別救出部隊によって救出された。FBIは彼をずっと容共的人物としてマークしていた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Eric_Sevareid

 「・・・ダスコ・ポポフ(Dusko Popov)<(注5)>もキルスー・ハーンも真珠湾攻撃<を予見していた。>

 (注5)1912〜81年。英MI5のために働いたユーゴスラヴィア人たる独英二重スパイ。
1941年にドイツの諜報機関(Abwehr)により米国に派遣される。1941年8月12日にFBIに対し、日本による真珠湾攻撃が差し迫っていると通報したが、FBIは、時の長官フーヴァーがポポフを疑っていたこともあり、この情報を握りつぶした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Du%C5%A1an_Popov

→当然、チャーチルはこの情報に接していた、ということになります。
 日本による米国攻撃を待ち望んでいた彼は、この情報に欣喜雀躍したことでしょう。攻撃対象が真珠湾である可能性が高いこともまた知っていたわけですから、日本の対米開戦は、彼にとってはニュースでも何でもなかった、ということになりそうです。(太田)

 後者は、その日にちまで正し<く予見していた。>…。
 <しかし、>ポポフもハーンも、彼らは、米国政府を警告しようとする試みについてのニュースを明るみに出したら罰せられるからな、と脅されたのだ。・・・
 <だから、>ゴードン・プランゲ<が、>真珠湾攻撃についての三つの本<で、ローズベルト政権陰謀説を唱えるに至ったのは不思議なことではない。>・・・」(B)

(続く)
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          --私の現在の事情(続x33)--

 本日、毎年恒例の大学同級生仲間との忘年会に行ってきました。
 もう一つ、留学生仲間の忘年会が予定されています。
それが終われば、今年の行事は全て終わりです。
今年は、引っ越しという大事業を敢行したわけですが、残された課題としては、第一に、年賀状送付は大したことがないけれど、10数年前に導入したシェアウェアの住所録ソフトが数年前からバージョンアップを停止しており、郵便番号簿の更新ができないばかりか、ウィンドウズ8上では動いてくれず、しかもこのソフトをインストールしてあるウィンドウズ7パソコンが不調と来ているので、新しい住所録ソフトを買って、住所録をこのソフトに移さなければならない時期が来ています。
 旧ソフトからCSVファイル出力をしたものをちゃんと新ソフトに移行できればいいのですが・・。
 新ソフトは、1番人気があるらしく、1番高い「筆まめ」というソフトにしようと思っていますが、パソコンを買ったEpsonのポイントを使って、できるだけ安く買おうと目論んでいます。
その後、ポイントが追加されるキャンペーンに2回応募しており、 17日頃には2回目のポイントも加算されますので、その時点で、 運送賃込みで1,000円足らずで購入する予定です。
第二に、練馬のマンションの賃借人がまだ決まらず、年を越すのが必至の状況です。
 このマンションの件については、リフォームでご協力をいただいたHさん一家のご好意で、引き続き相談に乗っていただいています。
第三に、来年2月には今年の分の確定申告を行わなければなりません。
今年もeTaxで納税するつもりですが、引っ越しに絡んで、様々な経費がかかったので、ややこしく、作業が大変です。
幸い、読者の1人に詳しい方がいるので、お知恵を拝借しながら、準備作業を行っているところです。
 (この文章も音声入力ソフトで書いてみました。)

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