太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#6047(2013.2.24)
<皆さんとディスカッション(続x1820)>

<太田>(ツイッターより)

 「韓国も「核武装」の議論を…」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/02/24/2013022400114.html
「トヨタ、相次ぐ「危機」克服で世界販売トップに…」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/02/24/2013022400148.html
 どっちも、人民網的な国民啓発/日本ヨイショ的記事だな。
 朝鮮日報も頑張ってね。

<rkFiAv0x0>(「たった一人の反乱」より)

 <コラム#6043で、韓国が、>アメリカより、中国に近づく<可能性がある>とか<太田サンが言ったけど、それ>はどうなのかな。
 日中でかなり、アメリカ国債を持ってるけど。
 この人の本、面白そう。
 脱「ア」入欧―アメリカは本当に「自由」の国か :広井良典

<mrkRjLLs0>(同上)

≫ 「軍隊による殺人を認め、かつ死刑による殺人も認める」 or 「軍隊による殺人を認めず、かつ死刑による殺人も認めない」 太田さんはどちらを是としてるんだろう? ≪(コラム#6045。D4mq6ygH0)

 そもそも矛盾が在る様には感じないけどな。
 戦場というのは戦う意思を持った上で武装して戦闘してるだろ?
 これは死刑囚を殺すというよりは、武装した犯罪者が暴れているという状態じゃないか?
 死刑囚というのは逮捕されて抵抗する事が出来なくなっているのだから、戦場でいったら捕虜に当たるのではない?
 いくら戦場でも捕虜を殺すのは駄目でしょ。

<UsvsN6AP0>(同上)

 <太田サンのは、>「国家による法秩序維持を目的とするところの」って枕詞を踏まえた上での発言だろ。

<S0j6b9620>(同上)

 <mrkRjLLs0クン、>
 軍人→殺して良い。ただし、捕虜は殺してはダメ。
 容疑者→殺してはダメ。ただし、死刑囚は殺して良い。
 法秩序が真逆になってる。

<太田>

 ハナシはそう簡単じゃないよ。
 対テロ「戦争」は戦争なのか米領域外にわたる警察行動なのか、とりわけ、殺す対象が自国民の場合について、米国で大論争になってる。
 振り返ってみれば、アングロサクソンの本家の対IRA「戦争」の最中の1988年、英国のSAS隊員(軍人)が英領のジブラルタルでもIRAのテロ「容疑者」3人(英国人)を射殺した。(一応裁判になったが、無罪評決が下された。)(コラム#383)
http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Flavius
 つまり、アングロサクソンは、長らく、

 軍人→殺して良い。ただし、捕虜は殺してはダメ。
 容疑者→殺して良い。また、犯人も殺して良い。

であったところ、最近は、後者が、
 容疑者→殺して良い。ただし、犯人は殺してはダメ。
に変わったことになるな。

<GKbjrUv+0>(「たった一人の反乱」より)

 先生がこんな人なら学校行くの超楽しいだろうね
http://www.dailymail.co.uk/femail/article-2281650/Model-Miss-A-level-teacher-Laura-Butler-teaches-psychology-dance-day-models-figured-lingerie-night.html
http://i2.listal.com/image/4101018/600full-laura-butler.jpg
http://4.bp.blogspot.com/_kMWRT1Q0zd8/SddRUruYu4I/AAAAAAAAAGM/QIXRtW7Paaw/s1600-h/laurabutler_face.jpg
http://4.bp.blogspot.com/_kMWRT1Q0zd8/SddRrWElNkI/AAAAAAAAAGU/8SogINSWESQ/s1600-h/curvy-kate-portia-navy-bra.jpg

 日本じゃ保護者から支持されるどころか叩かれまくって辞職に追い込まれるのがオチだろうけど。
 それ以前に教職員の副業が無理か。
 夢も希望もねえな。

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 米軍の実働部隊は撤退してもらう方向に持って行くべきだ。
 そして、将来は、こういう施設も、自衛隊との共同管理にする、更には自衛隊単独管理にすることも考えるべきだろう。↓

 「京都に米軍高性能レーダー配備  北朝鮮ミサイル追尾・・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013022301001902.html

 彼女、単なる韓国人であるというだけで日本との関係が心配されるだけではなく、基本的に問題を抱えているような感じだね。
 母親も父親も殺されたことがトラウマになってんのかもしれないな。
 独身であることはともかくとして、そもそも、尼僧でもないのに、浮いた話すら全く聞こえてこないというのは(彼女が尊敬するとされるエリザベス1世とは大違いであり、)チート心配ではある。
 それが精神的なものから来ていないのなら、asexual(コラム#5243、5323)なのかもしれないが、それならそれで、極少数派ってことになると、韓国民大多数の心情が分からないんじゃないのかなあ。
 韓国初めての女性元首には、ボク的にはぜひとも頑張ってもらいたかったんだけど、全く期待できないかも・・。↓

 「韓国 朴氏支持率最低44% 大統領就任前・・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013022402000101.html

 シリアの反体制派への武器援助が、穏健派に対するものに限って再開されたって。↓

 A surge of rebel advances in Syria is being fueled at least in part by an influx of heavy weaponry in a renewed effort by outside powers to arm moderates in the Free Syrian Army・・・
 <武器援助が昨年夏に初めて行われたが、一番裨益したのが過激派だったことから中止されていた。↓>
 The goal of these renewed deliveries, Arab and rebel officials said, is to reverse the unintended effect of an effort last summer to supply small arms and ammunition to rebel forces in the north, which was halted after it became clear that radical Islamists were emerging as the chief beneficiaries.・・・
 <援助しているのはサウディアラビアであると信じられている。↓>
 ・・・it is widely assumed that they are being provided by Saudi Arabia, with the support of its Arab, U.S. and European allies.・・・
 <中身は、対戦車火器と無反動砲。↓>
 They include M-79 anti-tank weapons and M-60 recoilless rifles dating back to the existence of Yugoslavia in the 1980s that the Syrian government does not possess.・・・
 <それ以上の武器は援助していないのは、反体制派を強くし過ぎず、交渉によってアサド政権を退場させたいから、と考えられている。↓>
 ・・・the real aim of the international effort is to provide the rebels with just enough firepower to pressure Assad into accepting a negotiated settlement but not enough to enable them to overthrow him. ・・・
http://www.washingtonpost.com/world/in-syria-new-influx-of-weapons-to-rebels-tilts-the-battle-against-assad/2013/02/23/a6bf2bc0-7dfb-11e2-9073-e9dda4ac6a66_story.html

 余り知られていないが、17世紀に活躍した「ボヘミアの冬の女王」についてのコラムだ。↓

 ・・・On Valentine's Day 1613, a celebrity wedding took place in the Royal Chapel at Whitehall Palace in London.
 <ジェームス1世の娘のエリザベスは1613年にプファルツ選定伯とイギリスではでばでしく結婚式をあげた。↓>
 The bride was James I's 16-year-old daughter, Princess Elizabeth Stuart. The groom (also 16) was Frederick V, heir to the German Palatinate territories and titular head of the league of Protestant Princes. ・・・
 <1619年から翌年にかけて、一冬だけ、(プロテスタント勢力に推されて)夫はボヘミア国王、彼女は女王に。(冒頭に掲げた彼女のあだ名参照。)↓>
  ・・・in late 1619, Frederick and Elizabeth were crowned King and Queen of Bohemia (today part of the Czech Republic) at the invitation of the Bohemian Confederacy, to prevent a Catholic incumbent ascending the throne - only to be driven from their court in Prague and deprived of all their Palatinate lands the following year by the Hapsburg Emperor Ferdinand.・・・
 <カトリックのハプスブルグ家によって王位を逐われ、かつ、プファルツ選定伯領全てを奪われた彼女は、爾後、夫と共にオランダのハーグで亡命生活を送る。↓>
 The "Winter King and Queen" - so called because their reign had lasted a single winter - sought refuge back in the Netherlands, in The Hague. ・・・
 <30年戦争中に夫は病死するが、彼女は、プロテスタント勢力の中心人物の一人として、隠然たる影響力を欧州中に行使。↓>
 ・・・during the period of the Thirty Years War (1618-1648) Elizabeth was one of the foremost power brokers for the Protestant cause in Europe. ・・・
 <そして、戦争終結に伴うウェストファリア条約で、息子のプファルツ選定伯即位を果たす。↓>
 In the end, she was successful in having her eldest son Charles Louis reinstated as Elector Palatine, and subsequently restored at the Peace of Westphalia in 1648, to his Lower Palatinate lands along the Rhine. ・・・
 <更に、王政復古による甥のチャールズ2世の即位の後にイギリスにもどり、その翌年に死亡。↓>
 Frederick died in 1632, but Elizabeth lived on in the Dutch Republic for a further 30 years, returning to England in 1661, a year before her death and a year after the restoration of her nephew Charles II.・・・
 <死亡後半世紀後に、彼女の娘のソフィア・・ハノーヴァー選定侯と結婚していた・・が、プロテスタントゆえに、英アン女王の後継者に指名される。↓>
 Half a century after her death, when it became clear that Queen Anne would die without heirs, Elizabeth of Bohemia's youngest daughter Sophia (who had married the Elector of Hanover) was designated heir presumptive to the British throne, once again to put paid to a Catholic claimant.
 <結局、ソフィアの息子のゲオルグがジョージ1世として英国王となり、爾後の英国王/女王は、ことごとく、エリザベスの直系の子孫ということになり現在に至っている。↓>
 ・・・Sophia's son George I subsequently became King of Great Britain and Ireland in 1714. All British monarchs ever since are descended from Elizabeth of Bohemia. ・・・
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-21532311
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

太田述正コラム#6048(2013.2.24)
<フォーリン・アフェアーズ抄(その17)>

→非公開

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/