太田述正コラム#5772(2012.10.9)
<『秘録陸軍中野学校』を読む(その3)>(2013.1.24公開)

 「昭和6年、ヤードリの「米国の機密室(ブラック・チャンバ)」<(注8)>で、米側の暗号盗読の事実が明るみに出たから、海軍は愕然と色を失った。それと同時に、列国にたち遅れた機密機関の新設を考えて、軍令部第4課に別室を設けたのである。この一部が昭和8年、日華関係の悪化にともなって上海に進出し「X機関」となり、昭和12年には、東京・池袋から西へ15キロの武蔵野の一角に白亜の建て物を建設し、大学、高校出身の予備士官を中心に、600の暗号解読員を擁して、終戦までわが<海>軍の耳となって活躍した「日本の気密室」大和田通信隊<(注9)>(埼玉県北足立郡大和田町)となったのである。」(46)

 (注8)「Herbert O. Yardley(ハーバート・O・ヤードレー、1889〜1958<年>)、『The American Black Chamber』、1931年」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E5%8F%B7%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%AE%E6%9B%B8%E7%B1%8D%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
 (注9)「1941年<の>・・・太平洋戦争開戦時<に>・・・開設<された。>・・・敷地内部には高さ6mの黒い木製主柱90本を等間隔に建て、水平方向にワイヤーアンテナ線を張り、支えの支線などもあった。・・・自軍無線のみならず米英の無線も傍受解読していた。・・・米・・・暗号解読作業・・・は軍令部第四部大和田通信隊A班の担当であったが、平文であっても英語を理解できる者が少なかったため、アメリカ系日系2世が選抜され従事していた。・・・1941年・・・12月8日 - 真珠湾攻撃の成功を伝える電信「トラ・トラ・トラ」ワレ奇襲ニ成功セリまた「ポツダム宣言」を受信。 」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%94%B0%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%89%80

→畠山は、このくだりへの導入部で1921年のワシントン軍縮会議の時点で、米国が日本側の外交暗号を破っていた旨記述していますが、保坂は、畠山が同会議と1930年のロンドン軍縮会議とを畠山は混同していると指摘しています(44)。
 事実関係は次のとおりです。
 「ワシントン軍縮会議<の時点で>米国務省情報部、MI-8(俗称:ブラックチェンバー)が日本の外交電報(Jp暗号)を解読。これは簡単なコードブックであった。・・・
 ロンドン軍縮会議では陸海軍および外務省が・・・試作暗号機を使用。但し製作できた暗号機械はわずかに9台(全権2台、海軍側随員2台、全権同予備1台、外務省海軍局各2台)で米仏伊大使館には供用できなかった。したがって、外務大臣と全権間の電報の大部が在米大使宛てに旧式暗号で転電された。・・・旧暗号の解読によって原文が判明したので、新暗号に対して暗号文と原文との対照をする解読が可能になった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E5%BC%8F%E6%9A%97%E5%8F%B7
 (なお、「X機関」については、ネット上で裏付けをとれませんでした。)
 また、これに続く箇所で、1945年春に、陸軍軍人が外務省の伝書使として2人1組で、シベリア鉄道及びその沿線情報入手目的でモスクワの日本大使館に向かう
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/212814/allcmt/
途中、同鉄道内で一人がソ連に殺害されて外交行李を調べられたという事件が起きたと畠山は書いていますし、その後に、1934年に神戸の英国領事館から、帝国陸軍のスパイが暗号書を盗み出したとも畠山は書いていますが、どちらも裏付けがとれなかったので、転載はしていません。
 更に、畠山は、日本のいわゆる紫(パープル)暗号は、米国によって完全には破られることはなかったという趣旨のことを記していますが、これも今となっては誤りのようです。(注10)

 (注10)「米陸軍は日本の機械式暗号に対して虹の色に由来するコードネームを付けていたが、後には宝石に由来するコードネームを採用した。また米海軍が陸軍コードネームを利用する事もある。
1.レッド暗号,Red: 外務省用の暗号機A型(通称:九一式<(紀元二千五百九十一年に制式化されたということ。(以下同じ)(65))>欧文印字機)
2.オレンジ暗号,Orange: 海軍武官用の九一式印字機
3.グリーン暗号,Green: 三式換字機(注意、捕獲した陸軍の一式一号印字機にもGreen machineと命名している)
4.パープル暗号,Purple: 外務省用の暗号機B型(通称:九七式欧文印字機)
5.コーラル暗号,Coral: 海軍武官用の九七式印字機三型
6.ジェイド暗号,Jade: 海軍艦艇用の九七式印字機一・二型
7.サファイア暗号,Sapphire: 米海軍では"Japanese Model 3 cipher machine","JN-73"と呼ばれるもので、三式換字機と同一の可能性がある。
8.オパール暗号, Opal: 日独海軍共同作戦用のエニグマ暗号機・・・
 日本の陸軍と海軍は暗号機を独自に設計開発運用し<たが、>・・・陸海軍で偶然に制式年が重なると同じ名称の暗号機が現れる(とくに“九七式 - ”と呼ばれる暗号機は5型式ある)。・・・外務省は海軍から技術供与を受けてはいた・・・。・・・
 <米国は、>レッド暗号に続いてパープル暗号、コーラル暗号、ジェイド暗号も理論解読に成功。オレンジ暗号も解読する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E5%BC%8F%E6%9A%97%E5%8F%B7

 「日本は、日吉の先の蟹ヶ谷(かにがや)<(注11)>、銚子<(注12)>および<上出の>大和田の三角地点に大アンテナをたて、米国のアーリントン空軍基地から発信する暗号無電を傍受していた。・・・暗号解読までにはいたらなかったが、それでも、<1944>年ごろには、敵の次の攻撃目標がどの地点にあるか、数週間前には窺知できる段階まで進んでいた。そして、B29の基地発進や、終戦直前の8月13日には、原爆を積んだ第3号機が東京方面に向ってとび出したことまで知ることができたのである。(注13)」(70〜71)

 (注11)1930年に通信傍受を主任務とする海軍東京通信隊蟹ヶ谷分遺隊が設置され、6機の鉄塔があった。
http://blogs.yahoo.co.jp/pokochino6324/66703048.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~a-uchi/haibutu/index5d.html
 (注12)畠山の勘違いではないか。銚子無線電報局は、「1944年<から>・・・潜水艦情報と防空警報を、1日3回放送」していたが、逓信省所管であるし、通信傍受は行っていなかったからだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%9A%E5%AD%90%E7%84%A1%E7%B7%9A%E9%9B%BB%E5%A0%B1%E5%B1%80
 関東における帝国海軍の通信施設としては、その他、無線電信所船橋送信所があったが、巨大な鉄塔を擁する送信施設であり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E7%84%A1%E7%B7%9A%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E6%89%80%E8%88%B9%E6%A9%8B%E9%80%81%E4%BF%A1%E6%89%80
「真珠湾攻撃開始の電信「ニイタカヤマノボレ1208(ひとふたまるはち)」を送信した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%94%B0%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%89%80 (前掲)
 なお、通信傍受も任務とする軍事機関として帝国陸軍中央特殊情報部なるものがあったらしい。
http://jh1eaf.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-1926.html
 (注13)「大和田通信所<は、>・・・サイパン島南に位置するテニアン島飛行場のB29爆撃隊の通信を傍受。ハリー・S・トルーマン大統領直属の爆撃部隊である広島原爆投下機エノラゲイと、長崎原爆投下機ボックスカーをテニアン飛行場付近の不審機として認識。原爆投下後、広島上空から打電した暗号通信より、「エノラゲイ」のコールサイン「5V625」とその機体がテニアン島離陸機である事を探知。原子爆弾搭載を認知していたか否かは不明。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%94%B0%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%89%80 (前掲)

→海軍ではなく陸軍(上出の中央特殊情報部)の「成果」である可能性もあります
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2011/08/post-8dd7.html 
が、いずれにせよ、事実のようですね。(太田) 

(続く)