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太田述正コラム#5762(2012.10.4)
<映画評論35:アルゴ(その1)>(2013.1.19公開)
1 始めに
日経電子版無登録料読者として招待券(2人分)があたったので、映画『アルゴ(Argo)』
http://wwws.warnerbros.co.jp/argo/
の試写会
http://pr.nikkei.com/campaign/cine_argo.html
に行ってきました。
オフ会幹事団から同行者を募り、手を挙げた一人のTTさんと一緒の鑑賞になりました。
大入り満員で、トークショーの間は立ち見客が大勢いましたが、ショー終了後、日経関係者席や取材陣席が空いて、そこにおおむね全員が座れました。
最初に、池上彰
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E4%B8%8A%E5%BD%B0
のトークショーがありました。
日経新聞のワシントン特派員経験のある編集委員と日経系のテレビ東京で報道番組を持っている池上とを組み合わせた形です。
TTさんの話では、試写会の時のトークショーは映画が終わってから行われることもあるというのですが、確かに、映画の前じゃタネ明かしするわけにもいかず、やりにくそうでしたね。
ただし、2人が事前に打ち合わせをきちんと行ったのでしょうが、なかなか中身のある聞かせるトークショーでした。
2 アルゴ
最初に申し上げておくと、『アルゴ』は、「事実は小説より奇なり」は稀であって、「小説(脚色)は事実より奇なり」のケースがむしろ普通であることを我々に教えてくれる映画である、と言えそうです。
さて、「『アルゴ』(Argo)は、1979年のイランアメリカ大使館人質事件を題材とした、ベン・アフレック<(Ben Affleck)>監督・主演による2012年のアメリカ合衆国の映画で」す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B4_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
アフレックは、「1972年<生まれで>・・・オクシデンタル大学とバーモント大学に通い、中東情勢を専攻<した>・・・<米>国の俳優、脚本家、映画監督、映画プロデューサーであ<り、>・・・友人のマット・デイモンと共同で脚本を書いた『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』でアカデミー賞とゴールデングローブ賞を受賞した」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF
という人物です。
この映画の脚本家が拠ったところの、ジョシュア・バーマン(Joshuah Bearman)による2007年のコラムである「How the CIA Used a Fake Sci-Fi Flick to Rescue Americans from Tehran」(wired誌掲載)
http://www.wired.com/magazine/2007/04/feat_cia/all/
でもって史実を押さえつつ、映画ではその史実をどう脚色していたかを括弧内で注記していくことで、冒頭、私が申し上げたことがどういうことか、分かっていただこうと思います。
1979年1月にイラン革命が勃発し、パーレヴィ国王がエジプトへ亡命し、その後癌の治療のために米国に入国した。
革命の指導者、ホメイニらが敵視する米国が、「元国王を受け入れたことにイスラム法学校の学生らが反発し、11月4日にテヘランにあるアメリカ大使館を占拠し、アメリカ人外交官や警備のために駐留していた海兵隊員とその家族の計52人を人質に、元国王のイラン政府への身柄引き渡しを要求した」という、イラン米国大使館人質事件が起こる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E9%A4%A8%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この日、学生等は大使公邸と大使館本館を占拠したが、構内にある離れは放置していた。
(映画では大使公邸は省略。)
そこには、領事部の米国人12名と何十人かのイラン人の雇員が息を潜めていた。
米国人らは、6ブロック先の英国大使館を目指して脱出することにした。
この頃、大雨になっていた。
(映画では雨を降らせていない。)
北を目指した集団は捕まってしまい、大使館に連れ戻された。
(映画では省略。)
西を目指した集団は英国大使館近くまで到達したが、デモ隊に遭遇した。
デモ隊の一員の女性が近くまでやってきて、このまま進むなと言って隊列に戻った。
そこで、彼らは、集団の中の一人のマンションに駆け込んだ。
(映画では省略)
(続く)
<映画評論35:アルゴ(その1)>(2013.1.19公開)
1 始めに
日経電子版無登録料読者として招待券(2人分)があたったので、映画『アルゴ(Argo)』
http://wwws.warnerbros.co.jp/argo/
の試写会
http://pr.nikkei.com/campaign/cine_argo.html
に行ってきました。
オフ会幹事団から同行者を募り、手を挙げた一人のTTさんと一緒の鑑賞になりました。
大入り満員で、トークショーの間は立ち見客が大勢いましたが、ショー終了後、日経関係者席や取材陣席が空いて、そこにおおむね全員が座れました。
最初に、池上彰
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E4%B8%8A%E5%BD%B0
のトークショーがありました。
日経新聞のワシントン特派員経験のある編集委員と日経系のテレビ東京で報道番組を持っている池上とを組み合わせた形です。
TTさんの話では、試写会の時のトークショーは映画が終わってから行われることもあるというのですが、確かに、映画の前じゃタネ明かしするわけにもいかず、やりにくそうでしたね。
ただし、2人が事前に打ち合わせをきちんと行ったのでしょうが、なかなか中身のある聞かせるトークショーでした。
2 アルゴ
最初に申し上げておくと、『アルゴ』は、「事実は小説より奇なり」は稀であって、「小説(脚色)は事実より奇なり」のケースがむしろ普通であることを我々に教えてくれる映画である、と言えそうです。
さて、「『アルゴ』(Argo)は、1979年のイランアメリカ大使館人質事件を題材とした、ベン・アフレック<(Ben Affleck)>監督・主演による2012年のアメリカ合衆国の映画で」す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B4_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
アフレックは、「1972年<生まれで>・・・オクシデンタル大学とバーモント大学に通い、中東情勢を専攻<した>・・・<米>国の俳優、脚本家、映画監督、映画プロデューサーであ<り、>・・・友人のマット・デイモンと共同で脚本を書いた『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』でアカデミー賞とゴールデングローブ賞を受賞した」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF
という人物です。
この映画の脚本家が拠ったところの、ジョシュア・バーマン(Joshuah Bearman)による2007年のコラムである「How the CIA Used a Fake Sci-Fi Flick to Rescue Americans from Tehran」(wired誌掲載)
http://www.wired.com/magazine/2007/04/feat_cia/all/
でもって史実を押さえつつ、映画ではその史実をどう脚色していたかを括弧内で注記していくことで、冒頭、私が申し上げたことがどういうことか、分かっていただこうと思います。
1979年1月にイラン革命が勃発し、パーレヴィ国王がエジプトへ亡命し、その後癌の治療のために米国に入国した。
革命の指導者、ホメイニらが敵視する米国が、「元国王を受け入れたことにイスラム法学校の学生らが反発し、11月4日にテヘランにあるアメリカ大使館を占拠し、アメリカ人外交官や警備のために駐留していた海兵隊員とその家族の計52人を人質に、元国王のイラン政府への身柄引き渡しを要求した」という、イラン米国大使館人質事件が起こる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E9%A4%A8%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この日、学生等は大使公邸と大使館本館を占拠したが、構内にある離れは放置していた。
(映画では大使公邸は省略。)
そこには、領事部の米国人12名と何十人かのイラン人の雇員が息を潜めていた。
米国人らは、6ブロック先の英国大使館を目指して脱出することにした。
この頃、大雨になっていた。
(映画では雨を降らせていない。)
北を目指した集団は捕まってしまい、大使館に連れ戻された。
(映画では省略。)
西を目指した集団は英国大使館近くまで到達したが、デモ隊に遭遇した。
デモ隊の一員の女性が近くまでやってきて、このまま進むなと言って隊列に戻った。
そこで、彼らは、集団の中の一人のマンションに駆け込んだ。
(映画では省略)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
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