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太田述正コラム#5742(2012.9.24)
<イギリスにおける7つの革命未満(その1)>(2013.1.9公開)

1 始めに

 久しぶりにイギリス史の話題です。
 フランク・マクリン(Frank McLynn)著 'The Road Not Taken: How Britain Narrowly Missed a Revolution' の内容をいくつかの書評をもとにご紹介し、私のコメントをつけたいと思います。

A:http://www.guardian.co.uk/books/2012/sep/21/road-not-taken-frank-mclynn-review
(9月23日アクセス)
B:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/the-road-not-taken-how-britain-narrowly-missed-a-revolution-by-frank-mclynn-7959829.html
(9月24日アクセス(以下同じ))
C:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/historybookreviews/9378060/The-Road-Not-Taken-by-Frank-McLynn-review.html
D:http://www.express.co.uk/posts/view/329540/Review-The-Road-Not-Taken-How-Britain-Narrowly-Missed-A-Revolution-By-Frank-McLynn
E:http://www.thenorthernecho.co.uk/leisure/entertainment/books/reviews/nonfiction/9793651.Book_Review__The_Road_Not_Taken__How_Britain_Narrowly_Missed_A_Revolution_by_Frank_McLynn/

 なお、マクリン(1941年〜)は、オックスフォード大とロンドン大で教育を受けた、大学の客員教授やフェロー経験のある、英国の著述家、伝記作家、歴史家、ジャーナリストです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_McLynn

2 イギリスにおける7つの革命未満

 (1)序

 「・・・欧州革命が起き、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』が初めて出版された騒がしい年であった1848年に、フランス人作曲家のベルリオーズ(Berlioz)は興奮状態のロンドンに到着した。
 英国にとって最初の大衆的労働者階級運動であったチャーチスト運動は、首都ロンドンの多くの人からすれば、本格的な革命が勃発する寸前のように見え、政府の実力部隊との武装衝突は必至であるかのように見えた。
 しかし、ベルリオーズは、自分の周り人々を見渡し、彼らの抱く恐怖に対し、ガリア的侮蔑を示して相手にしなかった。
 彼は、チャーチスト達は、「イタリア人が交響曲を書けないのと同じくらい、暴動を始めることができない」ことを知っており、肩をすぼめた、というわけだ。・・・」(A)

 「・・・マクリンは、英国が革命に最も近付いた7回を調査する。
 最初のは1381年の農民反乱、次いで1450年のジャック・ケードの反乱、1536年の恩寵の巡礼、1640年代のイギリス内戦、1745〜46年のジェームス党の反乱、1838〜50年のチャーチスト運動、そして最後のが1926年のゼネストだ。・・・」(E)

 「・・・<これらの事例を見れば、>ベルリオーズは少なくとも一部間違っていた<と言わざるをえない>。
 というのは、イギリス人と<(イギリス、スコットランドの両国が合併してからの)>英国人は、全歴史を通じ、要は暴動を革命にどうやったら転化できるかをその大部分の場合において知らなかったために、どうやって暴動を起こすかは完璧によく知っていたけれど革命は起こさなかったのだ。・・・」(A)

 「・・・イギリスでは、近現代において、革命が起きなかった。
 1640年代のイギリス内戦ですら、れっきとした革命というよりは、政治的紛争の暴走のような代物だった。
 しかし、この正常性という異常な歴史の理由がなんであるかは特定することが困難であり、一般に流布している説明のうちのいくつかは明らかに誤っている。
 ジョージ・オーウェルが、例えば、「イギリス人の傑出した特質は、彼らの互いに殺しあわないという習慣にある」と宣言した時、彼が、歴史家としてそう書いたわけではないことは間違いない。
 というのも、イギリスの歴史においては、貴族の反乱から田舎の暴動に至るまで、夥しい致死的暴力行為が間欠的に起こってきているというのが真実だからだ。
 デイヴィッド・ホースプール(David Horspool)(コラム#3954)の『イギリスの反徒(The English Rebel)』は、ノルマン人による征服に対する長期に及んだ抵抗からサッチャー政権時代の人頭税に対する暴動に至る、1000年にわたる反乱的暴力の伝統の跡を追ったものだ、というのがその触れこみだった。
 フランク・マクリンのこの新しい本は、いくつかの点でホースプールの本と似通っている。
 その狙いが、我々の国の歴史の核心にある急進的不満について物語ることにある点においてもそうだ。
 しかし、マクリンによる説明は、イギリス人が、単に特定の政府ではなく、統治システムの総体を転覆する寸前まで行った時における、具体的ないくつかの挿話に焦点をより絞っている。
 これらは、急進的な変化が起こりえた「革命的諸瞬間」なのだ。
 だから、この本の狙いは、どれほどイギリスが真の革命寸前まで行ったのか、にもかかわらず、どうして革命そのものには行きつかなかったのか、を示すところにあるのだ。・・・」(C)

(続く)

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