太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#5590(2012.7.10)
<クラシック音楽徒然草--歌劇(その6)>(2012.10.25公開)

 (2)トゥーランドット

 NYタイムスのコラム引用の最中ですが、ここからは、便宜上、『トゥーランドット』の項にさせていただきました。

 ・・・19世紀中頃までは、欧州での支那音楽の知識と転写(transcription)の主要典拠はフランス人イエズス会宣教師達の書いた物だった。
 しかし、フランス人イエズス会員の誰も、「十八摸(The 18 Touches)」に摸し(=触れ=touch)ようとはしなかった。
 <例のオルゴール収録の>10の旋律のうちの一つであったところの、この淫らな(racy)旋律は、成功したスイスの時計会社一族たるボヴェ(Bovet)家の一員で第二次アヘン戦争の時の<支那駐在>フランス副領事で、ヴァイオリニストで出版された弦楽四重奏曲の作曲家であった、フレデリック・ボヴェ(Frederic Bovet)によって1845年に欧州に持ち込まれた。
 彼らの輸出ビジネスを、機械仕掛けの音楽も含ませることによって拡大しようとして、ボヴェ<の会社>は、支那の歌謡を対象にしたオルゴールを販売することを決めた。
 ボヴェの支那のメロディのささやかなコレクションの中から選ばれたメロディは、支那向けの輸出のための数多くのシリンダー式オルゴールに収録された。
 ロンドンに本店を構え、支那の広東とマカオに支店を置き、ジュラ(Jura)渓谷の代々受け継がれてきた家を生産拠点とした多国籍企業を率いていたところの、いわゆる支那のボヴェ家の人々は、明確なる全球化の初期の船長達だった。
 しかし、ボヴェの支那歌謡コレクションの全球的インパクトについては今まで気付かれることがなかった。
 ボヴェのコレクションで最も目を惹きつけたのは、既に欧州で「モ・リ・フア(Mo Li Hua=Jasmine Flower<=茉莉花>)
< http://www.youtube.com/watch?v=4mvfE9NVdHU 歌唱
  http://www.youtube.com/watch?v=9M4gca_uLB4&feature=related 器楽合奏>
として知られていたものだった。
 しかし、オルゴールの旋律表に記されたこのメロディの題名は、いつも「シンファ(Sinfa=Fresh Flowers)であり、これらのオルゴールのうちの1つないしそれ以上に聴き入った時にプッチーニが目にした題名はこれなのだ。
 このメロディは、『トゥーランドット』の中でステージ外のサクソフォン群の伴奏で少年たちの合唱団が歌う形でまず登場する。
 この支那旋律を奏でるサクソフォン群の音は、「シンファ」を含む・・・オルゴール群で登場するリード・オルガンの音に極めて似通っている。
 これが、このメロディのプッチーニの典拠がオルゴールであったことを示す様々な手がかりのほんの一つだ。
 「茉莉花/シンファ」を彼の最後の歌劇の中で目を惹きつける形で用いることによって、プッチーニは、それが次の世紀にかけて支那を代表し続けることを確実なものとした。
 支那人作曲家のタン・ドゥン(Tan Dun)<(注11)>は、このメロディをプッチーニによって鼓吹されたセッティングにおいて、英国から支那への香港の主権移譲を寿ぐところの、彼の「1997年交響曲(Symphony 1997)」
< http://www.youtube.com/watch?v=tBUiDnCEfTY それより、ベートーベンの第9の歓喜の歌の旋律を何度も使っていることが気になる。(太田)>
、及び、2008年の北京夏期オリンピックのメダル授与式のための音楽
< http://www.youtube.com/watch?v=ZdFVBxzKy7E Wang Heshengとの共作。「茉莉花」そのものと言ってもよい。(太田)>
の中で用いた。

 (注11)譚盾(1957年〜)。「中国音楽院に学<び、>・・・そこで、武満徹[に師事し、そ]の音楽性に強い影響を受けることとなった。1985年、ニューヨークへ移住してコロンビア大学の博士課程<で学ぶ。>・・・「映画『グリーン・デスティニー』や『HERO』のための映画音楽を作曲し、グラミー賞やアカデミー賞を受賞した」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%9A%E7%9B%BE
http://en.wikipedia.org/wiki/Tan_Dun ([]内)

 それ以前には、「茉莉花」はハリウッドの第二次世界大戦映画群の中で支那的なものを表すものとして用いられ、また、(『トゥーランドット』の中で出てくるところの)『蝶々夫人』的な不愉快な(grim)日本的伝統(heritage)を象徴する支那的モティーフ<(注12)>が敵たる日本を知らせ(signal)、<それぞれが支那と日本の>音楽的ステレオタイプを形作ることとなった。
 これらのオルゴールによって駆動されることとなった(set in motion)ところの、影響とそれが表すもののサイクルは、21世紀に入っても、なお続いている。」

 (注12)確認できなかった。これについても、確認ができた方は、ご教示願いたい。

 順序が逆になりましたが、『トゥーランドット』についての豆知識をどうぞ。

 「フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ(Francois Petis de la Croix)が1710年〜1712年に出版した『千一日物語』(原題Les Mille et un Jours 、『千一夜物語』とは別の作品)の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」に登場する姫の名前であり、また、その物語を基にヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴッツィが1762年に著した戯曲、および、それらに基づいて作曲された音楽作品である。 上記に該当する音楽作品は複数存在するが、・・・これらのうち最も有名な<のが、>ジャコモ・プッチーニのオペラ『トゥーランドット』<である。>・・・
 プッチーニ・・・の1924年の没後遺された未完部分にフランコ・アルファーノの補作を経て、1926年にイタリア・ミラノで初演された・・・
 中華人民共和国においては、オペラ『トゥーランドット』は長い間、西洋諸国による中国蔑視の象徴的作品とされ上演は果たされなかった(もっとも、他の多くのオペラも「ブルジョワ的」というレッテルを貼られていたが)。しかし改革開放政策の進展と共にタブー視は次第に薄れ、1998年9月、本オペラは・・・<初>公演が行われた。・・・
 プッチーニがその土地土地の民謡などを巧みに引用、転用することは「蝶々夫人」でもおなじみだが、今作品でもその引用が行われている。・・・
 第1幕でラマ教の修行僧が歌う少年合唱は中国江蘇省の民謡「茉莉花」。
 ピン、パン、ポンの登場の際に演奏されるのは1912年制定の「清国国歌」。
< http://www.youtube.com/watch?v=cWUuqGhWleQ >
 アルトゥム登場の際の曲は中国の宮廷公儀に使用された音楽。
 第3幕に若干の中国古謡。・・・
 トリノオリンピックの演技で荒川静香が金メダルを獲得したことにより<、日本でこの歌劇で最も有名なアリアである「誰も寝てはならぬ」>の人気が高くな<った。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%83%E3%83%88

 その上で、この歌劇のさわり中のさわりをどうぞ。

誰も寝てはならぬ(Nessun Dorma) luciano pavarotti 
http://www.youtube.com/watch?v=rTFUM4Uh_6Y
 フィナーレで同じ曲が合唱される。
http://www.youtube.com/watch?v=XoTa-b7cUw0

 (3)プッチーニと日本と支那

 『蝶々夫人』の中で描かれた蝶々さん(日本女性)像がどちらかと言えばポジティブなものであったのに対し、『トゥーランドット』の中で描かれたトゥーランドット(支那女性)像がどちらかと言えばネガティブなものであったことは、ごく自然なことであると思いますが、プッチーニが、蝶々夫人の中で支那旋律も用いたことについては、日本文明と支那文明の同一視という、既に欧米にあった誤った見方を定着させ、広めることとなった可能性が高く、残念なことです。
 なお、蝶々夫人の人間像が近代適合的であり、他方、トゥーランドットの人間像が近代非適合的であることと、音楽の近代化に遅れをとった支那の譚盾がいち早く近代化に成功した日本の武満徹に師事することで、その遅れを若干なりとも取り戻せたことと平仄があっているなあ、と一人ほくそ笑んだ次第です。 

(完)

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/