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太田述正コラム#5444(2012.4.26)
<利己主義・利他主義・人間主義(その2)>(2012.8.11公開)
(2)「転向」
「・・・半世紀近くにわたる、ウィルソンのキャリアは、長く実りあるものだった。
しかし、それでよしとは、ウィルソン自身は全く思っていない。
彼は、実際、極めて最近、彼自身が世に出すことを助けたところの血族淘汰論に対する最も顕著なる攻撃の火蓋を切った。
蟻、蜂、人類といった好社会的(eusocial)な種に焦点をあてることによって、ウィルソンは、余り普及しておらず、長らく無視されてきた理論であるところの、集団淘汰論(Group Selection)が、我々<人類>の間と動物王国において見られる協力を、より良く描写できる、という問題提起を行ったのだ。・・・」(G)
「・・・「eu」は、もちろん、「快」とか「善」<とか、「好」とか「真正」
http://ejje.weblio.jp/content/eu
>とかを意味する接頭辞であって、例えば、euphony<=快い音調
http://ejje.weblio.jp/content/euphony
>は、何か素晴らしい響きのある何者かを指している。・・・」(F)
「<ウィルソンの集団淘汰論のミソは、>我々の種としての目覚ましい成功の原動力となった協力(cooperation)と協同(collaboration)性向(tendency)が、(親族のために自分達自身を犠牲に供する個人達の遺伝子群を進化が嘉するところの)血族淘汰論ではなく、(単なる遺伝的親近性(relatedness)によって予言されるかもしれない域を超えて、利他的に仕事を一緒にする集団を嘉するところの進化の性向たる)集団淘汰論でもって説明される点だ。・・・」(C)
「・・・<その結果起こった>論議は、ウィルソンが近代進化生物学の中心的な柱の一つ・・すなわち、自然選択は、より広範な社会諸集団より、固体と血のつながった親族においてはるかに強く働く<という柱>・・に挑戦したという点に由来する。
それに加えて、『地球の社会的征服』は、利他主義の進化は、集団淘汰というより血族淘汰によって駆動されているとのウィルソン氏自身の初期の考えを180度転換させたものだった。
この問題は、進化した不妊性(sterility)というダーウィン的パラドックスを示すところの、蜂や蟻のような社会的昆虫によって知られるところとなったものだ。
最も増殖的であることを好むはずの過程からどうして不妊性などというものが進化できたのだろうか。
血族淘汰理論は、巣に奉仕する不妊の働き蜂達は、自分達の母親達、姉妹達、兄弟達が生殖するのを助けることを通じて自分達の遺伝子を撒き散らすので選ばれている、というものだ。
ところが、今や、ウィルソン氏は、たとえ親族関係になくても、集団構成員の全員が裨益する個体の自己犠牲的行動を好むところの、一つの集団の他の諸集団との競争が駆動力であるとの、集団淘汰という、高度に議論の分かれる観念を推進しているのだ。・・・
・・・中には、ウィルソンが1970年代に個体淘汰の観念を本当に好んだ(cottoned)ことなどなかったことを感じ取っていた人もいたが・・。
<実際、>『社会生物学』の中で、彼は、「集団淘汰の理論はまだ初歩的段階にあるが、最も理解されておらず、かつ、最も我々を不安にさせる(disturbing)社会行動の様々な特色についての洞察を既に提供している」と記しているところだ。・・・
ウィルソン氏は、蜂の巣や蟻の巣にいる全有機体群は何千もの個体群ではなく、単一の「超有機体(superorganism)」である、と考えるべきである、と主張する。
巣の中の他の住人達は、女王蟻の「ロボット的延長」に過ぎず、種の全体としての進化により、一匹の女王蟻が他の女王蟻と競争する形になったのだ。・・・
ウィルソンは、<彼と共同論文を出した(C)ところの、>ハーヴァード大の二人の同僚である、マーティン・ノワク(Martin Nowak)<(注3)>とコリナ・タルニタ(Corina Tarnita)<(注4)>によって、彼の最近のスタンスが支えられている。
(注3)1965年〜。ウィーン大博士。オックスフォード大、プリンストン大を経てハーヴァード大の「生物学と数学」教授。
http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Nowak
(注4)ルーマニア出身。ハーヴァード大卒、同大修士、博士(いずれも数学)。20代後半の美人! 現在、ハーヴァード大・ジュニア・フェロー。
http://www.math.harvard.edu/~corina/index.html
彼らは、親戚であること(血族)ではなく、、固体間の近縁性-異質的相互作用(assortativity—heterogeneous interaction)率を促進するメカニズムが好社会性(eusociality)へと導く、ということを示すモデルを構築した。
要するに、高度社会性(high order sociality)の遺伝子は、血族関係にではなく、血族関係からは独立していることがありうるところの、社会的組織それ自体にリンクしている、というのだ。・・・」(A)
「・・・「『社会生物学』は今でもなお偉大な本だが、彼はその全てを廃棄しつつある」、とシカゴ大学のエコロジーと進化の教授であるジェリー・コイン(Jerry Coyne)<(注5)は述べた。
(注5)1949年〜。ウィリアム&メアリー大卒、修士。ハーヴァード大博士。米国人。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jerry_Coyne
<コインは、2010年に出たウィルソンとノワクとタルニタの共同論文を批判した150名を超える科学者達の一人だ。>・・・
<また、>宗教的な読者達は・・・<今回出たウィルソンの>新しい本の一つの章が、宗教は、法王からダライラマに至る、「神学的ナルシシズムの仕出し屋(purveyor)によって今日なお生かされているところの、古風な「罠(trap)」、と描写していることを快く思わないかもしれない。・・・」(C)
(続く)
<利己主義・利他主義・人間主義(その2)>(2012.8.11公開)
(2)「転向」
「・・・半世紀近くにわたる、ウィルソンのキャリアは、長く実りあるものだった。
しかし、それでよしとは、ウィルソン自身は全く思っていない。
彼は、実際、極めて最近、彼自身が世に出すことを助けたところの血族淘汰論に対する最も顕著なる攻撃の火蓋を切った。
蟻、蜂、人類といった好社会的(eusocial)な種に焦点をあてることによって、ウィルソンは、余り普及しておらず、長らく無視されてきた理論であるところの、集団淘汰論(Group Selection)が、我々<人類>の間と動物王国において見られる協力を、より良く描写できる、という問題提起を行ったのだ。・・・」(G)
「・・・「eu」は、もちろん、「快」とか「善」<とか、「好」とか「真正」
http://ejje.weblio.jp/content/eu
>とかを意味する接頭辞であって、例えば、euphony<=快い音調
http://ejje.weblio.jp/content/euphony
>は、何か素晴らしい響きのある何者かを指している。・・・」(F)
「<ウィルソンの集団淘汰論のミソは、>我々の種としての目覚ましい成功の原動力となった協力(cooperation)と協同(collaboration)性向(tendency)が、(親族のために自分達自身を犠牲に供する個人達の遺伝子群を進化が嘉するところの)血族淘汰論ではなく、(単なる遺伝的親近性(relatedness)によって予言されるかもしれない域を超えて、利他的に仕事を一緒にする集団を嘉するところの進化の性向たる)集団淘汰論でもって説明される点だ。・・・」(C)
「・・・<その結果起こった>論議は、ウィルソンが近代進化生物学の中心的な柱の一つ・・すなわち、自然選択は、より広範な社会諸集団より、固体と血のつながった親族においてはるかに強く働く<という柱>・・に挑戦したという点に由来する。
それに加えて、『地球の社会的征服』は、利他主義の進化は、集団淘汰というより血族淘汰によって駆動されているとのウィルソン氏自身の初期の考えを180度転換させたものだった。
この問題は、進化した不妊性(sterility)というダーウィン的パラドックスを示すところの、蜂や蟻のような社会的昆虫によって知られるところとなったものだ。
最も増殖的であることを好むはずの過程からどうして不妊性などというものが進化できたのだろうか。
血族淘汰理論は、巣に奉仕する不妊の働き蜂達は、自分達の母親達、姉妹達、兄弟達が生殖するのを助けることを通じて自分達の遺伝子を撒き散らすので選ばれている、というものだ。
ところが、今や、ウィルソン氏は、たとえ親族関係になくても、集団構成員の全員が裨益する個体の自己犠牲的行動を好むところの、一つの集団の他の諸集団との競争が駆動力であるとの、集団淘汰という、高度に議論の分かれる観念を推進しているのだ。・・・
・・・中には、ウィルソンが1970年代に個体淘汰の観念を本当に好んだ(cottoned)ことなどなかったことを感じ取っていた人もいたが・・。
<実際、>『社会生物学』の中で、彼は、「集団淘汰の理論はまだ初歩的段階にあるが、最も理解されておらず、かつ、最も我々を不安にさせる(disturbing)社会行動の様々な特色についての洞察を既に提供している」と記しているところだ。・・・
ウィルソン氏は、蜂の巣や蟻の巣にいる全有機体群は何千もの個体群ではなく、単一の「超有機体(superorganism)」である、と考えるべきである、と主張する。
巣の中の他の住人達は、女王蟻の「ロボット的延長」に過ぎず、種の全体としての進化により、一匹の女王蟻が他の女王蟻と競争する形になったのだ。・・・
ウィルソンは、<彼と共同論文を出した(C)ところの、>ハーヴァード大の二人の同僚である、マーティン・ノワク(Martin Nowak)<(注3)>とコリナ・タルニタ(Corina Tarnita)<(注4)>によって、彼の最近のスタンスが支えられている。
(注3)1965年〜。ウィーン大博士。オックスフォード大、プリンストン大を経てハーヴァード大の「生物学と数学」教授。
http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Nowak
(注4)ルーマニア出身。ハーヴァード大卒、同大修士、博士(いずれも数学)。20代後半の美人! 現在、ハーヴァード大・ジュニア・フェロー。
http://www.math.harvard.edu/~corina/index.html
彼らは、親戚であること(血族)ではなく、、固体間の近縁性-異質的相互作用(assortativity—heterogeneous interaction)率を促進するメカニズムが好社会性(eusociality)へと導く、ということを示すモデルを構築した。
要するに、高度社会性(high order sociality)の遺伝子は、血族関係にではなく、血族関係からは独立していることがありうるところの、社会的組織それ自体にリンクしている、というのだ。・・・」(A)
「・・・「『社会生物学』は今でもなお偉大な本だが、彼はその全てを廃棄しつつある」、とシカゴ大学のエコロジーと進化の教授であるジェリー・コイン(Jerry Coyne)<(注5)は述べた。
(注5)1949年〜。ウィリアム&メアリー大卒、修士。ハーヴァード大博士。米国人。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jerry_Coyne
<コインは、2010年に出たウィルソンとノワクとタルニタの共同論文を批判した150名を超える科学者達の一人だ。>・・・
<また、>宗教的な読者達は・・・<今回出たウィルソンの>新しい本の一つの章が、宗教は、法王からダライラマに至る、「神学的ナルシシズムの仕出し屋(purveyor)によって今日なお生かされているところの、古風な「罠(trap)」、と描写していることを快く思わないかもしれない。・・・」(C)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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