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太田述正コラム#5613(2012.7.22)
<皆さんとディスカッション(続x1610)>

<コラム#5611の訂正>(ブログは訂正済)
二重狂騒曲<(2か所)>→二重協奏曲

・メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲イ短調第1楽章→「第1楽章」をトル
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<jdhZjPjP0>(「たった一人の反乱」より)

≫ダメ認定政治家:前原、安倍、福田、ブッシュ(ジュニア)≪(コラム#5611。太田)

 岡田克也は・・・ダメグループっぽいな
 谷垣や石破の評価ってどんなもんなんだろ?

<太田>

 おお、岡田をさんざんくさしてきたのに、あげるの忘れた。
 谷垣は論評に値しない。
 石破は政党の党首にすらなったことがないんで、そもそも「著名」政治家にあたらない。

<BbQ5+RV+0>(「たった一人の反乱」より)

 それと太田さんは隠れ原発推進派。
 さすが元官僚。

<jdhZjPjP0>(同上)

 官僚云々はあんま関係なくね?
 原発反対してる人達って廃止してやっていけると本気で思ってるんだろうか?

</KPXwmAW0>(同上)

 その「原発反対してる人達」がどういう主張の人達を指すのかによるな。
 即時全廃は無理って判明したけど、そのことと、段階的に減らせばやっていけるのかどうかとはまた別問題だからな。

<TA>

≫しかし、自民党の「安全保障基本法案」の次のくだりには私は猛烈に反対です。それが属国意識の母斑を色濃く残している・・「我が国と密接な関係にある他国」=米国・・こともさることながら、個別的自衛権行使しかしないのがエゴだとすれば、集団的自衛権にこのようなしばりをかけることもまた、エゴであり、人間主義に違背するからです。≪(コラム#5601。太田)

 集団的自衛権とエゴイズムがどう関係するのかについて、もう少し分かりやすい説明を考える必要があるのではないでしょうか。『防衛庁再生宣言』(74頁)やコラムでも何度も説明されていますが、もう少し分かりやすい説明が可能なようにも思います。↓

 1.国家・個人には生存権がある
 2.他者への武力行使(強盗・殺人等)は悪である
 3.ただし、自身の生存権を守るための武力行使(個別的自衛権の行使)は例外として認められる
 4.あなたに生存権があるように、あなた以外の国家・個人にも生存権がある
 5.だったら、他人の生存権を守るための武力行使(集団的自衛権の行使)を、それ以外の武力行使の例外として認めるの当然では?
 6.そもそも「個別的」とか「集団的」とかいう言い回しって、話をややこしくするだけで意味がないんじゃない?

 これが分かりやすいかはともかく、生存権から話を始めて、武力行使が基本的に悪であること、その例外として自衛権の行使が認められていること、自身に認められている権利(生存権)は同様に他人にも認められるべきこと。こういった説明を付け加えれば、冗長にはなりますが、より分かりやすくなるのではないでしょうか。
 また、そもそも憲法に「集団的自衛権」などという言葉はないのですから、これに代わる別の言葉、たとえば「他人を守る権利」といった言葉で言い換えて話をしたほうが分かりやすいのではないでしょうか。

 以上、私が何でこんな話をしたかというと、集団的自衛権の話は、日米同盟の強化(「独立」)を目的とした出発点よりも、太田さんのように、理想主義(人道主義)的な目標を掲げた議論を(も)出発点にすべきと思うからです。↓

 「大量虐殺、大規模な飢餓、レイプ、民族浄化がどこかで再び起きるのは時間の問題であり、その場合にわれわれは一体どうすればよいのか。世界各地で起きる人道的悲劇に国際コミュニティーが本気で対処するつもりなら、まず相手地域への介入という問題を「介入する権利」としてではなく、人道的悲劇に苦しむ人々を「保護する責任」としてとらえ直す必要がある。政府が民衆を保護する責任を果たさない、あるいは果たせない場合には、相手国の主権は制限されるとみなす認識が広がりつつある。主権国家が国内での人道的悲劇を解決する意思と能力を持っていない場合は、国際コミュニティーが人道的悲劇への対応責任を負うべき段階にきており、必要とされているのはそのための原則である。」
http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/201103/Evans.htm

<太田>

 難産が続いている、私の、日本の戦前史に係る次著の編纂作業ですが、先般、XXXXさんが3代目の責任者を引き受けてくれたようで、気長に彼の作業の進捗を見守りたいと思っています。
 私は、自身を売り出すことよりは、知の最前線を切り開くこと・・その多くは、知の最前線を切り開いているところの、主として英米における諸活動を紹介すること・・に徹するとともに、この私の営為を受けて、太田コラムをテーマ別に読者諸氏がまとめる、というサイクルを確立したい、という(いささか虫がいい)考えでいます。
 例えば、集団的自衛権の話についても、時事的にそれを取り上げることで、私自身の売り出しを図ることよりは、集団的自衛権に係る私の考え方の前提にあるところの、人間主義について、次々著として読者の誰かが過去コラムを材料に編纂してくれることを期待しているのです。
 マジ、どなたか手を挙げませんか?
 次々次著のテーマとしては、アングロサクソン論(欧州論を含めるかどうかは考えどころ)あたりがいいかもしれません。
 これについてもどなたかいかが?

<Z>

 ・・・太田さんにはもっと時事問題でコラムを書いてほしいと思っています。・・・
 太田コラム<にも>正直ハズレのコラムシリーズはあります・・・
 「情報源を広げる時間的余裕がない・・・。」(コラム#5577。太田)とのことですが、・・・フォーリン・アフェアーズ<はお奨めです。>

<太田>

 「皆さんとディスカッション」や「過去・現在・未来」において、私は、十分時事問題を取り上げている、と考えています。
 問題は、引用されている英文記事について、その翻訳が行われていないことです。
 そうである以上、「十分時事問題を取り上げて」などいない、と反論されればその通りですが・・。
 しかし、翻訳までやっていては、非公開・・「後日公開」と書くべきかな・・コラムが書けなくなります。
 それは、「知の最前線を切り開くこと・・その多くは、知の最前線を切り開いているところの、主として英米における諸活動を紹介すること」ができなくなることを意味します。

 次に、ハズレの非公開コラム(シリーズ)だと感じられたら、その都度、具体的に批判的コメントを寄せていただくようお願いします。

 また、「フォーリン・アフェアーズ」についてですが、掲載された記事の一部(原文)がネット上に公開されています
http://www.foreignaffairs.com/
が、公開されるものが少なすぎるのと、更新がたまにしか行われないため、最近では全くアクセスしなくなっています。
 また、そもそも同誌掲載記事が時事的記事と学術論文のどっちともつかずのものが多いことが私の性に合わない、ということもあります。
 そこに行くと、私が毎日アクセスしているスレート、フォーリンポリシー、ニューズウィーク、タイムの各誌の記事は、やや詳しい時事的記事といった趣の記事が中心であり、また、これら雑誌の外交・安全保障問題に係るコラム執筆者はフォーリン・アフェアーズは読んでいる人ばかりであろうことから、フォーリン・アフェアーズ掲載記事を反映した記事を書いていると想像され、あえて元記事を読むまでもない、という考慮も働いています。
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<太田>

 本日も、これから所用があるので、記事の紹介については、昨日の取り残し分も含め、明日回しにさせていただきます。

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