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太田述正コラム#5334(2012.3.2)
<大英帝国再論(その14)>(2012.6.17公開)

 (7)香港

 「・・・英国人達は、<香港という>この都市を日常的に運営するための、相対的に清廉で有能な官僚機構を作り上げた。・・・
 「彼らは、細部、儀礼(protocol)、正しい経路(proper channels)、先例、そして、自分達の登録所の整然とした小さい隔離された諸区画の中に自分達の書類を束ねて入れるという官庁的形式主義(red tape)にさえ、多大なる満足を覚えたものだ。」
 しかし、少なくとも<かかる>官僚的手続きの奴隷的遵守は法の支配への敬意を創造し、権力の濫用を防止した。
 この官僚達の上に鎮座したのがロンドンで任命されたところの、官位位階を持った(career-grade)官僚だった。
 これらの「知事(nabob<(注51)>)」達は、しばしば傲慢で、ジャーナリスト等の「役に立たぬ(unhelpful)」批判者達を侮蔑するきらいがあった。

 (注51)ムガール帝国の時期のインドの知事(governor)。
http://ejje.weblio.jp/content/nabob

 とはいえ、彼らは、新聞や他の媒体を通じて伝達されるところの、世論に応えはした。
 その一つの理由は、香港の官僚達は、植民地の管理に問題ありとの批判を気にするところの、民主主義的に選出された政府が英本国にあって、この政府に対して責任を負っていた(accountable)からだ。
 しかし、現地<(=植民地)>の官僚達は、しばしば、当該植民地の利益になる場合にはロンドンの指示に従わなかった。
 このため、苛ついた<本国の>植民地省の小役人達(mandarins)は、時に、この都市のことを「香港共和国」と陰口をたたいたものだ。
 <かくして、>何十年にもわたって、香港は、その母国<たる英国>よりも統治(governance)水準が高いことを自慢してきた。
 ・・・香港の官僚達がかくも傑出すべく動機づけられていた理由は、「まさに、彼らが自分達自身の時代錯誤、異人の政府、<民主主義的に>選出されたわけではない政府、の正統性の怪しさを自覚してたために、彼らは住民達を疎外しないようにあい務めた。すなわち、彼らが神経質たらざるをえなかったことが、彼らをして己の感受性を高めさせた」からだ、というのだ。・・・
 <これに加えて、>「英国の会社で、<香港で>あげた利益を、税金が高くて通貨を規則的に下げ続けた英国に持ち帰るような愚かなことを行うものはなかった」<こともあずかっていた。>
 <また、>英国人たる<香港>官僚達の大部分は、ブライトンのような<英国のリゾート>地で引退後の生活を送ったので、地元のビジネス・エリート達に恩顧を与える誘惑にかられることが少なかった。
 英国政府は、その彼らを、年金とOBE(Officer of the Order of the British Empire=英帝国勲章)でもって報いた。
 <更に言えば、土地は公有の香港において、>土地部(Lands Department)の官僚は、<彼の行った>決定がたとえ最大の不動産開発者<の利益>に反するものであったとしても、彼の子供が香港で勤め先を見つけることができるかどうかを心配する必要がなかった。
 これら全てを返還後の香港と対照させてみよ。
 <香港>政府は、民主主義的なものではない点においては変わりはないが、今では高度に腐敗していて権力乱用的な単一政党国家に対してのみ責任を負っている。
 初代の行政長官(chief executive)の董建華(Tung Chee Hwa)も、そして北京政府ご贔屓の、<今>月このポストに<3代目として>就く唐英年(Henry Tang <Ying-yen>)<(注52)>も、どちらも上海のビジネス・エリートであったところ、1949年の後、香港に移ってきた人々だ。

 (注52)・董建華(1937年〜)。英リヴァプール大卒。行政長官:1996〜2005年。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A3%E5%BB%BA%E8%8F%AF
     ・曽蔭権(Donald Tsang Yam Kuen。1944年〜)。カトリック教徒。大学を出ておらず、香港政府のノンキャリから出発しキャリア官僚試験に合格。漢人系としては初めての財政司司長(財務長官)等を歴任。行政長官:2005〜2012年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E8%94%AD%E6%A8%A9
 「<彼は彼で、>香港に商業的利害を有する実業家所有のジェット機とヨットを使用する招待を受けたことを批判されている。」
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-china-17216874
(3月2日アクセス)
     ・唐英年(1952年〜)。米ミシガン大卒、エール大修士(?)。2002年から香港政府に入り、財務長官等を歴任。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E8%8B%B1%E5%B9%B4

 <また、当然のことながら、香港の>官僚機構は<英国とは切り離された存在となっている。>
 これらの変化から多くの帰結が生じた。
 そのいくつかが土地に関連する。
 土地は全て香港政府からリースされている。
 不動産開発とその値上がりとが、香港の富の最大の源泉であり、政府収入の主要源であり、かつまた、大方の不満の源でもある。
 近年において、土地部は、追加的利益として何10億香港ドルをあげることを不動産開発者達に可能にしたところの、リース契約交渉上の「累次の間違い」をしでかしている。
 <それに、>何人かの高級官僚達が退職して不動産開発者達のために働いている。
 これは、香港が癒着(crony)資本主義化しつつある、との公衆の冷笑主義を引き起こしている。
 よって、唐氏が違法に自分の家<の地下>に2,400平米もの追加的床面積を加えたことに、どうして公衆が動転しているかを説明することは容易だ。
 <唐氏がやったことは、>自分の家への違法な追加分を取り壊せとの2006年の土地部からの命令に従わなかったところの、現在の教育司長・・・と同じだ。
 しかし、唐氏の場合はより悪質だ、と見ることもできる。
 というのも、それは彼が住宅・計画・土地司長である時にやったことだからだ。<(注53)>

 (注53)「彼が昨年9月に、行政長官に立候補するために香港政府の次席ポストである政務司司長(Chief Secretary< for Administration=CS>)を辞任して以来、彼の支持率は下がり続け、彼がひどい非難を受けた月々において最低となった。
 10月には、浮気の噂が飛び交う中で、彼は自分の愛情生活において間違いを仕出かした、と単に認めたものだ。」
http://www.nytimes.com/2012/02/20/world/asia/in-race-to-run-hong-kong-scandal-taints-beijings-choice.html?_r=1&ref=world
(2月20日アクセス)

 この両氏の事例についてだが、論点は区域割と安全の話だけではない。
 違法な追加は政府の収入を奪ういかさまでもあるからだ。
 しかし、唐氏が告発されるとは思えない。
 というのは、彼の上司の間にも部下の間にも、誰も彼に責任を問うことができるほど<彼から>独立している者などいないからだ。
 だから、公衆のために一連のルールがある一方で、ビジネスと政治のエリート達のためには別の一連のルールがある、というのが<香港の>現状であると言ってよい。
 英国の隷下にあった時の香港は、民主主義による保護とロンドンから輸入されたところの、権力を一手に掌握した、しかし神経質な行政官達、という二つの世界の最良のものを保持していた。
 <ところが、>今では、香港は、<中共という>専制主義的体制によって支えられたところの、どんどん腐敗し無責任(feckless)になりつつある地元の統治階級、という二つの世界の最悪のものを保持しているのだ。
 たった一つ救いなのは、メディアが醜聞を暴く自由を有する状態に、今なおあることだが、それがいつまで続くか、首を傾げざるをえない。
 ・・・香港の支那人たる統治者達は、香港が同じであり続けるためには変化を受け容れる以外にない、ということに気付くのが余りにも遅い。
 香港は、もはや、よそ者による統治を喜んで受け容れるような、避難民達の都市ではない。
 まさに、民主主義こそ、英国隷下で享受されていた政治的アカウンタビリティーの複合的形態に匹敵する、唯一のシステムなのだ。・・・」
 (以上、特に断っていない限り、
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970203960804577238873647362332.html
(2月23日アクセス)による。)

(続く)

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