太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/
太田述正コラム#5331(2012.3.1)
<皆さんとディスカッション(続x1479)>
<太田>(ツイッターより)
デトロイトの廃墟写真集だ。
http://www.bbc.co.uk/news/in-pictures-17095523
平家物語の世界じゃねえ。
ティラノザウルスの噛む力は全動物中一番。象の体重相当とか。
http://www.bbc.co.uk/nature/17159086
その恐竜等の血を吸った巨大な古代蚤がいたんだって。
http://www.guardian.co.uk/science/2012/feb/29/giant-jurassic-fleas-dinosaurs-pterosaurs
<太田>
昨日のディスカッションで、「お金持ちで高学歴、社会的地位も高い「勝ち組」ほど、ルールを守らず反倫理的な振る舞いをする――。・・・」から始まる朝日の記事は、「高学歴」と書いているが、この研究を正しく紹介していない、とも書こうと思ったが、ガーディアンの記事と突き合わせるだけでそう言い切れるか不安だったので、書かなかった。
CSモニターとロサンゼルスタイムスも読んだのではっきり言えるけど、朝日のこの紹介の仕方は間違っているからね。
日本の新聞だけを読んでるといかにアブナイかだな。
ΓΑΑΑΓクン、分かった?
さて、投稿がほぼ皆無で、碌な記事もないとくりゃ、天皇制スレッドを覗いて見なくっちゃ。
おお、太田コラムがらみの議論、同スレッドで浮き上がったカンジで性懲りもなくやっててくれたよ。
そんじゃ、コピペするね。
<Kkx5w81J>(2012.2.24/25)http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1329191799
太田くん。
・・・法治主義には、二つの側面がある。君が示した法の支配というのは、一方における部分的な側面(実質的な意味)。
形式的な意味においては、自由主義的な動態を社会から削ぐ場合も存在する。
だから、「非法治主義度、すなわち自由主義度、が低かった」といった演繹的解釈は必ずしもできない。
→そんな法匪的な議論をしたってしょうがないぜ。
「自由主義的な動態を社会から削」いだ「法治主義」国家の歴史的事例なんてないだろ。
あると言うのなら、(典拠に基づく議論ができる可能性があるところの)19〜20世紀の欧米史から一つでいいから挙げてみな。(太田)
≫キミらが、ボクの自由主義や民主主義の定義に対して反論ができず≪(コラム#5319。太田)
一般的に流布されていない、”ボクの定義”(w)で語られることは良くわかりました。
但し定義というのは、多くの人々におけるコミュニケーションを円滑する為に、文字における記号表現が抱える内容について、明らかにしたものだ。
太田の定義は、過去に政治学辞典や哲学辞典で示したように、大きな違いが認められる以上、”ボクの妄想”と言った方が、むしろニュアンス的には正しいし、以前にも書きましたが、妄想を根拠にしてる以上、反論が出来ないのも当然だと思うのです。
→反論ができないらしいから、大サービスでバカチョン方式で答えてもらうことにしよっか。
キミは法治主義は自由主義の必要条件だと思うかい?
答えがノーなら、キミには議論を行う資格がないのでここでおしまいだ。イエスなら次に行こうか。
戦前の日本や米国は法治主義を標榜する国家だったが、それぞれの国家における多数派から見て好ましからざる少数派の一員たる国民を「無害化」するために国家権力の暗黙の了解の下に多数派の国民がかかる少数派の国民を殺害することは法治主義違反だとキミは思うかい?
こりゃ答えはイエスだろうな。
で、本国において、かつ平時において、好ましからざる集団の構成員でこのような形で殺害されたのは、戦前の日本では共産党員ないしはそのシンパ(と目された者を含む)が大部分であったのに対し、戦前の米国では黒人(白人等との混血を含む)ないしはそのシンパが大部分であったことをキミは認めるかい?
答えがノーだと言うのなら、その具体的典拠を挙げてくれな。
答えがイエスだと言うのなら、「好ましからざる」という判断の合理性、及び殺害された数、殺害の仕方、等からして、日本よりも米国の方がはるかにやったことが悪質だ、とキミは思わないか?
これはイエスとしか言えそうもないと思うが、何ならノーを典拠付きで述べてもいいぜ。
ここまで来れば、後は、この点に関して、日米のどちらが法治主義遵守度において優っていたとキミは思うかい?
これも、すぐ上と似たようなもんだろな。
となると、この点に関しては、(その必要条件に抵触する度合いが米国の方が日本よりも大きいので、)当時の日本の自由主義度は米国に優っていた、ということになりそうだよな。
先を急ぐが、だとすれば、全般的な自由主義度においても、戦前の日本は戦前の米国に優っていた、と言いたいところだが、少なくとも自由主義度において、一概に両国に優劣をつけることは困難だ、ということくらいは言えそうだよな。
イエス、or、ノー?(太田)
それから和辻における人間主義は、人間に対する存在論であって、無である人間が人間的な関係性を契機として、そこから「個人性「と「世間性」といった人間における存在における認識を引き出すことになった。
一方で西洋哲学では、デカルトのような立場は懐疑主義から、主観が先立つ形での客観の図式を描き、アトム化状態の個人において考えることが、人間における存在としての認識の契機としたことで、その後における個人主義という考え方に哲学的な基層を作り上げることになった。
つまり人間主義というのは、個人主義や集団主義といった物に対置できるものじゃないし、個人主義や集団主義の両義性を含むものではない。
含むのは、左記の概念に重なり合う部分があったとしても、飽くまでも異なる概念である「個人性」と「世間性」といったもの。
また人間主義が射程に治めてるのは人間それ自体でありメタ理論的な考え。
和辻が突きつけたのは、西洋哲学における人間の存在論におけるそうした認識に異議を示したものあって、個別的な社会に見られる特性を説明したものじゃない。
よって和辻の考えに従えば非人間(じんかん)主義社会などといった考えは引き出せない。
凡そ、個別的社会では「個人性」や「世間性」におけるバランスの違い認められるといったものだろう。・・・
→和辻の『人間の学としての倫理学』読んだことあるのかねえ。
いずれにせよ、キミ、何を言いたいのか分かんないぞ。
なお、誤解がないように付け加えておくが、ボクの人間主義は、若い頃に読んだ和辻のこの著作に触発されたものではあるけれど、和辻の考えを、縄文文化論や人間科学を踏まえて補強、発展させたものだ。(太田)
社会大衆党のブレーンだったロウ山政道は、1936年11月に示した論文の中で以下のように反議会主義の立場を明確にしてる。
「行政機構の改革は・・議会制度への重大な変革となる。議会はますます諮問機関のごときものとかし、重大なる国家の決定は内閣の決定するところになる。・・」(自由と平等の昭和史から)
つまり、上記本によれば「行政機構と無力化した議会をセット」にした考えが示されていた。
よって社会大衆党が国体の本義を通じて、天皇主権説に理解を示した背景には、上記のように反議会的な手法による統治機構の一元化構想があったため。
翼賛体制につながることなる社会大衆党が描いた立憲独裁といった考えも、軍国主義的な社会体制の変革を目的とした議会の無力化構想の一環でした。・・・
以前にも書いたように、自由主義とは個別的な社会における運動としての動態であり、スナップショット的な静態を意味するのではない。
また基準と呼べるものは、アメリカやイギリス社会がものさしとして認められるのではなく、政治学辞典的・・・に言えば、示される教説における限定的な意味でしかなく、社会全体のあり方に対し必ずしも示す事ができるようなものじゃない。
学説的な枠外からによる、「一定の考慮」というお願いを考慮(w)するなら、飽くまでも自由主義社会を考えるときにおける従属因子に過ぎず、やはり、そうした考えによって自由主義社会だと述べることが出来るような物でもない。
→ここも、何言ってのか分かんないぞ。(太田)
太田くん、
http://blog.ohtan.net/
上記ブログで愚痴ってないで、せめてブログで書いた内容は、他の人も理解できるように、ここにも投稿したらどうだ?
お前が官僚だったと思うと、ほんとうに俺は嘆かわしい。・・・
→2ちゃんで匿名で遠吠えしてずに、ボクの掲示板かブログに、できれば本名で投稿したらどうかね。
そんな勇気ゼロだろがね。(太田)
<1eoF8O7+>(2012.2.26)同上
>行政機構の改革は・・議会制度への重大な変革となる
有事に伴う戦時体制構築の一環。
>政治学辞典的(>43)に言えば、 ・・・社会全体のあり方に対し必ずしも示す事ができるようなものじゃない
なら、第二次大戦時の国家の全ては非自由主義という範疇に一括りされるな。
ソ連からイギリスまで、全て同列に並べられる。
糞も味噌も一緒という奴だ。
おっと、これも自由主義とはあくまで個別的な社会における動態としての運動を比較している時点ですでに誤った考え方かw。
<Kkx5w81J>(同上)
国際”社会”という領域において、共通認識としての自由に対する教説と範囲が示し得るのなら、それをものさしとして、「第二次大戦時の国家の全ては非自由主義という範疇に一括り」するという主張は可能でしょう。
しかし、あなたがそうした前提があって言ってるようにも思いませんが。
ちなみに日本では1939年7月 内務省によって、「自由主義図書 言論」取り締まり強化が発表された(日本の政治と言葉 上)帝国憲法で国民に対し保留されていた言論における自由主義による運動も否定された。
太田や1eoF8O7+クン”が主張することとは違い、昭和〜戦前に掛けて、戦争が激化することによって、日本は自由主義社会から後退していったことへの表れだ。
→「から後退していった」を「から戦時下の自由が制限される社会へと変わっていった」と変えてみりゃいい。要するに、ボクの言ってることと基本的におんなじじゃん。
ところで、「1939年7月」から終戦までの間に、「自由主義図書 言論」が取り締まりを受けた具体的事例があるのなら、一件でもいいから挙げてごらん。
念のためだが、河合栄次郎の出版法違反事件や平賀粛学はそれより前の話
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E6%A0%84%E6%B2%BB%E9%83%8E
だし、どちらも自由主義弾圧とは言えないからね。(太田)
<太田>
それでは、記事の紹介です。
河村は確信的バカだったのかあ。
それにしても、中共当局、どうしてこんなにムキになってるんだろうか。↓
「・・・河村<名古屋市長>は早くから悪名を流している。2006年には日本政府に対し「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を提出した。また、1945年8月の日本の降伏後、南京地方政府が彼の父や日本人捕虜250人を処刑しなかったことを理由に「南京大虐殺はなかった」との考えを公の場で繰り返し述べている。・・・
http://j.people.com.cn/94474/7743909.html
私の批判に耳を貸したのかな? でも、もう遅すぎらい。↓
「・・・米側<は>、グアムに移転する予定だった在沖縄海兵隊第3海兵遠征軍(3MEF)司令部を沖縄県うるま市のキャンプ・コートニーに残留させる方針を日本側に伝えた・・・」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120301/plc12030108090007-n1.htm
パキスタンの司法府はイスラム原理主義/反米主義の巣窟なんだとさ。
恐ろしや恐ろしや。↓
・・・Pakistani courts have also repeatedly failed to convict terrorism suspects, even when the cases against them seemed clear-cut. They overturned both a ban on Jamaat-ud-Dawa -- the public face of the militant group Lashkar-e-Taiba, which was responsible for the 2008 Mumbai terrorist attacks -- and a detention order against its leader, Hafiz Saeed. In a recent case, they acquitted four Pakistani Taliban activists accused of an attack on the Inter-Services Intelligence (ISI) headquarters in Lahore. As many Pakistanis have told them, this kind of verdict not only undermines the entire struggle against terrorism in Pakistan, but also encourages extrajudicial executions by the police and Army. In this case, all four men were promptly detained by the ISI under special anti-terrorism laws. And within a few weeks, all were dead under very suspicious circumstances. ・・・
Several local leaders and supporters of the Lawyers' Movement whom I interviewed between 2007 and 2009 were extremely anti-American even by Pakistani standards, and they admitted that they were motivated to join the movement by outrage not just at the dismissal of the chief justice but also at Musharraf's action in storming the Red Mosque, an Islamist militant headquarters in Islamabad.・・・
http://www.foreignpolicy.com/articles/2012/02/29/above_the_law?page=full
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
太田述正コラム#5332(2012.3.1)
<松尾匡『商人道ノススメ』を読む(その2)>
→非公開
<皆さんとディスカッション(続x1479)>
<太田>(ツイッターより)
デトロイトの廃墟写真集だ。
http://www.bbc.co.uk/news/in-pictures-17095523
平家物語の世界じゃねえ。
ティラノザウルスの噛む力は全動物中一番。象の体重相当とか。
http://www.bbc.co.uk/nature/17159086
その恐竜等の血を吸った巨大な古代蚤がいたんだって。
http://www.guardian.co.uk/science/2012/feb/29/giant-jurassic-fleas-dinosaurs-pterosaurs
<太田>
昨日のディスカッションで、「お金持ちで高学歴、社会的地位も高い「勝ち組」ほど、ルールを守らず反倫理的な振る舞いをする――。・・・」から始まる朝日の記事は、「高学歴」と書いているが、この研究を正しく紹介していない、とも書こうと思ったが、ガーディアンの記事と突き合わせるだけでそう言い切れるか不安だったので、書かなかった。
CSモニターとロサンゼルスタイムスも読んだのではっきり言えるけど、朝日のこの紹介の仕方は間違っているからね。
日本の新聞だけを読んでるといかにアブナイかだな。
ΓΑΑΑΓクン、分かった?
さて、投稿がほぼ皆無で、碌な記事もないとくりゃ、天皇制スレッドを覗いて見なくっちゃ。
おお、太田コラムがらみの議論、同スレッドで浮き上がったカンジで性懲りもなくやっててくれたよ。
そんじゃ、コピペするね。
<Kkx5w81J>(2012.2.24/25)http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1329191799
太田くん。
・・・法治主義には、二つの側面がある。君が示した法の支配というのは、一方における部分的な側面(実質的な意味)。
形式的な意味においては、自由主義的な動態を社会から削ぐ場合も存在する。
だから、「非法治主義度、すなわち自由主義度、が低かった」といった演繹的解釈は必ずしもできない。
→そんな法匪的な議論をしたってしょうがないぜ。
「自由主義的な動態を社会から削」いだ「法治主義」国家の歴史的事例なんてないだろ。
あると言うのなら、(典拠に基づく議論ができる可能性があるところの)19〜20世紀の欧米史から一つでいいから挙げてみな。(太田)
≫キミらが、ボクの自由主義や民主主義の定義に対して反論ができず≪(コラム#5319。太田)
一般的に流布されていない、”ボクの定義”(w)で語られることは良くわかりました。
但し定義というのは、多くの人々におけるコミュニケーションを円滑する為に、文字における記号表現が抱える内容について、明らかにしたものだ。
太田の定義は、過去に政治学辞典や哲学辞典で示したように、大きな違いが認められる以上、”ボクの妄想”と言った方が、むしろニュアンス的には正しいし、以前にも書きましたが、妄想を根拠にしてる以上、反論が出来ないのも当然だと思うのです。
→反論ができないらしいから、大サービスでバカチョン方式で答えてもらうことにしよっか。
キミは法治主義は自由主義の必要条件だと思うかい?
答えがノーなら、キミには議論を行う資格がないのでここでおしまいだ。イエスなら次に行こうか。
戦前の日本や米国は法治主義を標榜する国家だったが、それぞれの国家における多数派から見て好ましからざる少数派の一員たる国民を「無害化」するために国家権力の暗黙の了解の下に多数派の国民がかかる少数派の国民を殺害することは法治主義違反だとキミは思うかい?
こりゃ答えはイエスだろうな。
で、本国において、かつ平時において、好ましからざる集団の構成員でこのような形で殺害されたのは、戦前の日本では共産党員ないしはそのシンパ(と目された者を含む)が大部分であったのに対し、戦前の米国では黒人(白人等との混血を含む)ないしはそのシンパが大部分であったことをキミは認めるかい?
答えがノーだと言うのなら、その具体的典拠を挙げてくれな。
答えがイエスだと言うのなら、「好ましからざる」という判断の合理性、及び殺害された数、殺害の仕方、等からして、日本よりも米国の方がはるかにやったことが悪質だ、とキミは思わないか?
これはイエスとしか言えそうもないと思うが、何ならノーを典拠付きで述べてもいいぜ。
ここまで来れば、後は、この点に関して、日米のどちらが法治主義遵守度において優っていたとキミは思うかい?
これも、すぐ上と似たようなもんだろな。
となると、この点に関しては、(その必要条件に抵触する度合いが米国の方が日本よりも大きいので、)当時の日本の自由主義度は米国に優っていた、ということになりそうだよな。
先を急ぐが、だとすれば、全般的な自由主義度においても、戦前の日本は戦前の米国に優っていた、と言いたいところだが、少なくとも自由主義度において、一概に両国に優劣をつけることは困難だ、ということくらいは言えそうだよな。
イエス、or、ノー?(太田)
それから和辻における人間主義は、人間に対する存在論であって、無である人間が人間的な関係性を契機として、そこから「個人性「と「世間性」といった人間における存在における認識を引き出すことになった。
一方で西洋哲学では、デカルトのような立場は懐疑主義から、主観が先立つ形での客観の図式を描き、アトム化状態の個人において考えることが、人間における存在としての認識の契機としたことで、その後における個人主義という考え方に哲学的な基層を作り上げることになった。
つまり人間主義というのは、個人主義や集団主義といった物に対置できるものじゃないし、個人主義や集団主義の両義性を含むものではない。
含むのは、左記の概念に重なり合う部分があったとしても、飽くまでも異なる概念である「個人性」と「世間性」といったもの。
また人間主義が射程に治めてるのは人間それ自体でありメタ理論的な考え。
和辻が突きつけたのは、西洋哲学における人間の存在論におけるそうした認識に異議を示したものあって、個別的な社会に見られる特性を説明したものじゃない。
よって和辻の考えに従えば非人間(じんかん)主義社会などといった考えは引き出せない。
凡そ、個別的社会では「個人性」や「世間性」におけるバランスの違い認められるといったものだろう。・・・
→和辻の『人間の学としての倫理学』読んだことあるのかねえ。
いずれにせよ、キミ、何を言いたいのか分かんないぞ。
なお、誤解がないように付け加えておくが、ボクの人間主義は、若い頃に読んだ和辻のこの著作に触発されたものではあるけれど、和辻の考えを、縄文文化論や人間科学を踏まえて補強、発展させたものだ。(太田)
社会大衆党のブレーンだったロウ山政道は、1936年11月に示した論文の中で以下のように反議会主義の立場を明確にしてる。
「行政機構の改革は・・議会制度への重大な変革となる。議会はますます諮問機関のごときものとかし、重大なる国家の決定は内閣の決定するところになる。・・」(自由と平等の昭和史から)
つまり、上記本によれば「行政機構と無力化した議会をセット」にした考えが示されていた。
よって社会大衆党が国体の本義を通じて、天皇主権説に理解を示した背景には、上記のように反議会的な手法による統治機構の一元化構想があったため。
翼賛体制につながることなる社会大衆党が描いた立憲独裁といった考えも、軍国主義的な社会体制の変革を目的とした議会の無力化構想の一環でした。・・・
以前にも書いたように、自由主義とは個別的な社会における運動としての動態であり、スナップショット的な静態を意味するのではない。
また基準と呼べるものは、アメリカやイギリス社会がものさしとして認められるのではなく、政治学辞典的・・・に言えば、示される教説における限定的な意味でしかなく、社会全体のあり方に対し必ずしも示す事ができるようなものじゃない。
学説的な枠外からによる、「一定の考慮」というお願いを考慮(w)するなら、飽くまでも自由主義社会を考えるときにおける従属因子に過ぎず、やはり、そうした考えによって自由主義社会だと述べることが出来るような物でもない。
→ここも、何言ってのか分かんないぞ。(太田)
太田くん、
http://blog.ohtan.net/
上記ブログで愚痴ってないで、せめてブログで書いた内容は、他の人も理解できるように、ここにも投稿したらどうだ?
お前が官僚だったと思うと、ほんとうに俺は嘆かわしい。・・・
→2ちゃんで匿名で遠吠えしてずに、ボクの掲示板かブログに、できれば本名で投稿したらどうかね。
そんな勇気ゼロだろがね。(太田)
<1eoF8O7+>(2012.2.26)同上
>行政機構の改革は・・議会制度への重大な変革となる
有事に伴う戦時体制構築の一環。
>政治学辞典的(>43)に言えば、 ・・・社会全体のあり方に対し必ずしも示す事ができるようなものじゃない
なら、第二次大戦時の国家の全ては非自由主義という範疇に一括りされるな。
ソ連からイギリスまで、全て同列に並べられる。
糞も味噌も一緒という奴だ。
おっと、これも自由主義とはあくまで個別的な社会における動態としての運動を比較している時点ですでに誤った考え方かw。
<Kkx5w81J>(同上)
国際”社会”という領域において、共通認識としての自由に対する教説と範囲が示し得るのなら、それをものさしとして、「第二次大戦時の国家の全ては非自由主義という範疇に一括り」するという主張は可能でしょう。
しかし、あなたがそうした前提があって言ってるようにも思いませんが。
ちなみに日本では1939年7月 内務省によって、「自由主義図書 言論」取り締まり強化が発表された(日本の政治と言葉 上)帝国憲法で国民に対し保留されていた言論における自由主義による運動も否定された。
太田や1eoF8O7+クン”が主張することとは違い、昭和〜戦前に掛けて、戦争が激化することによって、日本は自由主義社会から後退していったことへの表れだ。
→「から後退していった」を「から戦時下の自由が制限される社会へと変わっていった」と変えてみりゃいい。要するに、ボクの言ってることと基本的におんなじじゃん。
ところで、「1939年7月」から終戦までの間に、「自由主義図書 言論」が取り締まりを受けた具体的事例があるのなら、一件でもいいから挙げてごらん。
念のためだが、河合栄次郎の出版法違反事件や平賀粛学はそれより前の話
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E6%A0%84%E6%B2%BB%E9%83%8E
だし、どちらも自由主義弾圧とは言えないからね。(太田)
<太田>
それでは、記事の紹介です。
河村は確信的バカだったのかあ。
それにしても、中共当局、どうしてこんなにムキになってるんだろうか。↓
「・・・河村<名古屋市長>は早くから悪名を流している。2006年には日本政府に対し「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を提出した。また、1945年8月の日本の降伏後、南京地方政府が彼の父や日本人捕虜250人を処刑しなかったことを理由に「南京大虐殺はなかった」との考えを公の場で繰り返し述べている。・・・
http://j.people.com.cn/94474/7743909.html
私の批判に耳を貸したのかな? でも、もう遅すぎらい。↓
「・・・米側<は>、グアムに移転する予定だった在沖縄海兵隊第3海兵遠征軍(3MEF)司令部を沖縄県うるま市のキャンプ・コートニーに残留させる方針を日本側に伝えた・・・」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120301/plc12030108090007-n1.htm
パキスタンの司法府はイスラム原理主義/反米主義の巣窟なんだとさ。
恐ろしや恐ろしや。↓
・・・Pakistani courts have also repeatedly failed to convict terrorism suspects, even when the cases against them seemed clear-cut. They overturned both a ban on Jamaat-ud-Dawa -- the public face of the militant group Lashkar-e-Taiba, which was responsible for the 2008 Mumbai terrorist attacks -- and a detention order against its leader, Hafiz Saeed. In a recent case, they acquitted four Pakistani Taliban activists accused of an attack on the Inter-Services Intelligence (ISI) headquarters in Lahore. As many Pakistanis have told them, this kind of verdict not only undermines the entire struggle against terrorism in Pakistan, but also encourages extrajudicial executions by the police and Army. In this case, all four men were promptly detained by the ISI under special anti-terrorism laws. And within a few weeks, all were dead under very suspicious circumstances. ・・・
Several local leaders and supporters of the Lawyers' Movement whom I interviewed between 2007 and 2009 were extremely anti-American even by Pakistani standards, and they admitted that they were motivated to join the movement by outrage not just at the dismissal of the chief justice but also at Musharraf's action in storming the Red Mosque, an Islamist militant headquarters in Islamabad.・・・
http://www.foreignpolicy.com/articles/2012/02/29/above_the_law?page=full
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太田述正コラム#5332(2012.3.1)
<松尾匡『商人道ノススメ』を読む(その2)>
→非公開
太田述正ブログは移転しました 。
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