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太田述正コラム#5114(2011.11.14)
<映画評論29:王妃の紋章(その3)>(2012.3.1公開)

5 評価

 (1)原作

 『雷雨』の内容は、遡れば約三十年前、直接には三年前から周家に起こっている衝突の帰結である。劇が直接描いているのは、ある夏の日の午前から翌日の深夜午前二時までという二十四時間に満たない時間だが、その背後には三十年に及ぶ時間の堆積がある。三十年間の人間関係を二十四時間以内に合理的に緊密に圧縮することによって、『雷雨』には強い緊迫感が生まれ、観客に知的刺激をもたらす」(D)という批評は恐らく的確であると思われます。
 他方、「『雷雨』は、イブセンの『幽霊(Ghosts)』と、敬意を払われる家父長が、実はその召使いを妊娠させたり、(自分達が異母兄妹であることを知らない)ところの彼の2人の子供の間のロマンスだったり、以上のことが劇のクライマックスで露呈したり、といった要素を共有している。
 より一般的に言えば、この戯曲は、古典的悲劇、とりわけ、ソフォクレスによるエディプス連鎖(Oedipus cycle)等の戯曲を踏まえている(relates to)」(C)という批評も恐らくそのとおりなのでしょう。
 要するに、『雷雨』は欧米の代表的戯曲、とりわけイブセンの『幽霊』の設定を20世紀前半の支那に置き換えた、翻訳に毛が生えた程度のものであるところ、オリジナルの筋がしっかりしているので、映画『王妃の紋章』からも推し量れるところの『雷雨』の筋もそれなりにしっかりしている、ということだと思うのです。

 (2)映画

 「ワイヤーアクションとCGを使った中国映画は、チャウ・シンチー<(注4)>以外はビタ一文期待していな<かった>」日本人がこの映画を鑑賞し、その感想を書い記しています。

 (注4)周星馳(1962年〜)。香港の俳優、映画監督。「日本では映画『少林サッカー』で一躍その名を知られるようになった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%98%9F%E9%A6%B3

 「にもかかわらず、なんでこれを観てしまったのかというと、私の学士論文は唐代文化で、主に女性の服飾を取り上げていたのだ。・・・
 <だけど、新聞等に載った紹介文は間違っていて、実際は後唐の話だった。私は>五代<十国>なんて知らんがな。
 <しかし、>半世紀しか続かなかったから独自の服飾文化というのは特になくて、唐末から宋初への移行期といったとこだろな、と見当を付ける。
 作中の衣装も確かにそんな感じで、もちろんアレンジしてあるんだが、そのアレンジも悪くない。
 さすがアカデミー賞<の衣装デザイン賞(A)>にノミネートされた<(注5)>だけはある。
 ・・・衣装だけでなく髪型も、ああ、あれが元になってるデザインだな、と判別できるものが多い。
 化粧はもちろん現代風なのだが、それでも眉の形はそれなりに当時を参照している。

 (注5)受賞はならなかった(A)。また、衣装デザイン賞以外の賞にはノミネートすらなされなかった(B)。
 なお、絢爛豪華な衣装をまとったこの映画の主演者達の写真を参照。↓
http://blog-imgs-18.fc2.com/y/a/m/yama34649/ouhinomonnshou.jpg

 あのチャン・イーモウがアン・リー<(注6)>がチェン・カイコー<(注7)>が、なぜワイヤーアクション映画になった途端、荒唐無稽とすら言えない単なる支離滅裂なものを撮ってしまうのであろうか。
 今回はワイヤーもCGも比較的少なかったんだが、支離滅裂度はむしろ増していた。
 「陰惨な状況」というものだけをとにかく詰め込んだ結果、それらの状況同士の辻褄が合っていないのである。
 どのキャラクターも行動・性格ともに一貫性が皆無で、役者たちはよく演技ができるものだと感心する。」
http://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_a5ad.html

 (注6)李安(1954年〜)。台湾の映画監督。「『ウェディング・バンケット』と『いつか晴れた日に』でベルリン映画祭金熊賞を、『グリーン・デスティニー』でアカデミー外国語映画賞を受賞。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC
 (注7)陳凱歌(1952年〜)。中共出身で米国籍の映画監督。「紅衛兵世代であり、文革時には父親が「反革命分子」とされ、その父親を裏切って糾弾する。その後、地方に「下放」されていた。・・・『さらば、わが愛/覇王別姫』はカンヌ国際映画祭でパルム・ドール受賞。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%BC

 さて、私自身の感想は、「状況同士の辻褄が合っていない」の正反対であったことを、冒頭で記したところです。
 ただし、「状況」について、大きな疑問が一つ残りました。
 それは、コン・リー演ずる「女B」(王妃)は、一人で「主」(皇帝)に反旗を翻そうとしていたところ、王妃は、一体いかなる人物または国が率いる兵力を用いようとしているかが明かされないまま、この兵力が王妃の意向を受けたかのように動くことです。
 王妃の実子たる男子2人のうちの兄の方の「男子2」は自分で兵力を確保できる立場にあり、彼は母親たる王妃に協力する決意を固め、自分が確保した兵力を率いて父親たる皇帝に反旗を翻すのですが、既に、彼が決意を固める前から王妃の意向を受けたかのように動く兵力が存在するので頭を傾げてしまうのです。
 これは、チャン・イーモウがあえて状況にスキをつくって、この兵力の正体について、観客に考えることを強いている、と見ざるをえません。

 第一の鍵は、チャンが原作を映画では約1,000年遡らせたことです。
 そのおかげで、資本家だのブルジョワだのは雲散霧消し、この物語は、(もともとかかる要素があったところの、)権力が引き起こす腐敗と悲劇の物語へと純化されたと言うべきでしょう。

 第二の鍵は、チャンと原作者たる曹禺の人生が重なり合う側面があることです。
 チャン・イーモウは、「西安生まれ。文化大革命で下放され、農民として3年間、工場労働者として7年間働いた。その後、年齢制限に抵触していたが北京電影学院撮影学科に入学を許され、1982年に卒業」
G:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%8A%B8%E8%AC%80
するという、曹禺同様、中共権力に翻弄される経験をしていますが、チェン・カイコーのように米国籍をとることなく、あえて中共国籍のまま中共にとどまっている点も、(亡命する機会もあったに違いない)曹禺の生き方をチャンは踏襲しています。
 つまり、曹禺同様、チャンも中共を内部から変革しようとしてる、と見ることができるわけです。

 第三の鍵は、季節をあえて重陽に設定し、原題も菊にちなんだものにしたこの映画は、菊を、画面一杯に敷き詰めたりして視覚的にも極めて重視するものになっていることです。
 特に、菊は、王妃に加担する兵力に属す兵士を、皇帝側の兵士と見分けるために、王妃自身が何千個と刺繍でつくるところの認識票の紋様として用いられるのです。
 菊とくれば、そしてコン・リーとくればなおさらですが、チャンの代表作の一つである『秋菊の物語』のことを誰でも思い出すはずです。
 この映画は、「1992年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を、また主演の鞏俐(コン・リー)が同映画祭で主演女優賞をそれぞれ受賞している。・・・身重の秋菊<(コン・リー)>の夫・慶來が村長との些細なトラブルから股間を蹴られ怪我をした。決して謝らない村長の態度に怒った秋菊は郡の役場に訴える。李巡査は村長が賠償金を払う和解案を示すが、村長は金は支払うものの謝らず反省の態度を見せない。納得できない秋菊は県の役所に訴えるが審理の結果は変わらない。さらに市の役所へと向かう秋菊。彼女はただ村長に謝ってほしいだけなのだが、ことはどんどん大きなことになっていく……。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%8F%8A%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E
という権力批判をテーマとした内容であり、そのことは、原題である『秋菊打官司』を見ればよりはっきりしています。
 もちろん、権力とは、中共権力そのものを含意しているわけです。

 第四の鍵は、「八重菊を図案化した菊紋である十六八重表菊は、日本の天皇と皇室を表す紋章であ<り、>俗に菊の御紋とも呼ばれる」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E8%8A%B1%E7%B4%8B%E7%AB%A0
ことであり、かつ、チャンは、「俳優の高倉健を敬愛していることでも有名である。<チャン>の青年時代、映画といえばソビエト連邦をはじめとする共産圏のプロパガンダ映画ばかりで、日本人といえば弱く、卑怯な民族と描かれていたが、高倉健主演の映画を見てイメージが、がらりと変わったという。<日中合作映画>『単騎、千里を走る。』<(2006年)>も彼が熱心に高倉に出演するよう口説いた結果、高倉の主演が実現した」(G)ことからも分かるように、知日家、いや親日家であることです。

 以上から、私は、この映画においては、菊は日本を意味していると考えます。
 私に言わせれば、この映画で、菊の紋様の認識票をつけた兵力は結局敗れてしまうところ、それは、日本の日支戦争/太平洋戦争における敗北の隠喩なのです。
 そして、この映画において、チャンは、天津にあって、当時の日本の青年達と同期したような、いわば欧米かぶれの青年時代を送った曹禺が、原作を上梓した時点以降、自由民主主義の親日政権ではなく、まずファシズムの中国国民党政権、次いで共産主義の中国共産党政権を選んだことに対し遺憾の意を暗に表するとともに、原作上梓から約70年が経過したこの映画公開時点において、既に中国共産党がファシスト政党へと変貌していることも踏まえ、支那の人々に、今度こそ、ファシズムや共産主義ではなく、日本が象徴しているところの、自由民主主義を実現するように暗に呼びかけた、と私は考えるのです。 

6 蛇足

 改めてですが、『王妃の紋章』は、「1992年の『秋菊の物語』と1997年の『あの子を探して』では、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞<(一等賞)>に2度輝<き、>・・・2006年には高倉健主演の日中合作映画『単騎、千里を走る。』を監督し・・・2008年、北京オリンピック開会式・閉会式、北京パラリンピック開会式の演出を務めた」(G)チャン・イーモウ(1951年〜)が監督を務め、「<かつて>プライベートでも・・・恋人であった」(G)鞏俐(コン・リー。1965年〜)(注8)が周潤發(チョウ・ユンファ。1955年〜)と共に主演(A)した映画です。

 (注8)「瀋陽市出身<で>・・・北京・中央戯劇学院演劇学科在学中、チャン・イーモウに見出され、1987年、<同監督の>『紅いコーリャン』[(ベルリン国際映画祭金熊賞<(2等賞)>受賞)(G)]で女優デビューする。・・・1992年には、『秋菊の物語』でヴェネツィア国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞。・・・1996年、シンガポール人の実業家・・・と結婚。2008年にはシンガポール国籍を取得。・・・2005年、『SAYURI』でハリウッド映画に進出。2006年には『王妃の紋章』で10年ぶりにチャン・イーモウの映画に出演した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC

 私は、コン・リーは初見でしたが、彼女の、妖艶さの中に深い憂いと悲しみをたたえた演技に大いに感銘を受けました。
 彼女が『SAYURI』の主人公に選ばれた女優であることは前から知っていましたが、支那人に芸者が演じられるのかとかねがね疑問に思っていたところ、彼女の力量には納得しました。(とはいえ、SAYURIのような映画には彼女はミスキャストであった、という考えに変わりはありません。)
 他方、チョウ・ユンファの方は、香港生まれの超有名俳優
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A1
のようですが、その演技、あまり感心しませんでした。 

 私の指摘も頭の片隅に入れつつ、機会があったらこの映画をご覧になることをお勧めします。

(完)

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