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太田述正コラム#5088(2011.11.1)
<中野雅至『天下りの研究』を読む(その10)>(2012.2.17公開)
「天下りの弊害<については、>・・・第一に、<営利法人へのものを中心に>天下りが政官業癒着の接着点となるケースが出現するなど、さまざまな意味で社会全体に弊害をもたらしたことである。・・・
第二に、毎年数千人規模で天下りを受け入れるために、不要と思われるような非営利法人をスクラップできなかったり、新たな非営利邦人を創設するなどの結果、非営利法人が肥大化し、財政赤字の要因の一部を作り出していることである。しかも、非営利法人への天下りは際限のないコントロール不能のものとなっており、泥沼化している。
天下りが際限のない泥沼のようなものになっている要因としては3つ考えられる。
第一に、天下りを斡旋しているのは各省だけでなく、特殊法人等を基点にしたものもあり、国家公務員だけでなく特殊法人等の役職員も巻き込んだものになっていることである。そのため、特殊法人等の役職員も天下り規制の対象に加えるべきだという議論は根強い。
第二に、天下りは1回で終わることはなく、複数回にわたる「わたり」が多くなっており、それを可能にするために特殊法人が関連会社を作ったり、小規模な公益法人に予算が流れるなど無数の小規模組織ができあがっていることである。
第三に、各省によるコントロールの不十分さである。これについては2つの見方が可能である。1つは、退職したOBと現役人事を一体として行っており、玉突き人事のようなものも含めて各省がコントロールしているという見方がある一方で、OB人事についてはOB会のような組織、有力政治家と有力OBから形成されるインフォーマルな意思決定機関の存在が指摘されているし、OB同士の個人的つながりで再就職先が決まっていくなど、各省のコントロールが効いていないという見方もできる。どちらの見方が正しいかについては、非営利法人を中心にここまで天下り先が多様化して拡大している一方で、景気動向や社会情勢に応じて大きく変化する人事院による天下り承認件数との比較などから考えて、斡旋主体である各省はマスコミや世論の反応に応じて1回目の天下りはコントロールしている可能性が高いと考えられる一方で、2回目以降のわたりについては、局長や事務次官クラスなど一定クラス以上の幹部を除いては、主体的にコントロールしているとは考えにくい。仮に、各省はあくまでOB人事と現役人事を一体として処理してコントロールしているとすれば、「コントロール」と呼びうるに値するかどうかを議論しなければいけなくなる。実際、これだけ「わたり」などが批判されているにもかかわらず、各省はOBの再々就職にうまく対応できておらず、杜撰さが目立っている。」(514〜516頁)
→第三に、については、中野の完全な認識不足であると考えます。
防衛省職員総数は、一般職の国家公務員総数とほとんど同じである
http://www.gyoukaku.go.jp/senmon/dai1/sankou6.pdf (5年前の数字)
上、防衛省は、任期制隊員・・曹に昇任しなければ若年で再就職しなければならない・・も抱えていることから、同省が毎年再就職させなければならない職員の人数は一般職を上回っていますが、この就職斡旋業務は、自衛官に関しては、非営利法人たる財団法人自衛隊援護協会が一手にやっていることになっているところ、現実には、(違法なのですが、)陸海空自衛隊の各組織・機関がそれぞれ受け持つ形で、それぞれの人事部門のみならず組織の総力をあげて、しかもそれぞれが有力OBを活用しつつ、再就職斡旋業務を行っています。(そんなことができるのは、本来業務をやらなくて済んでいるからだろう、などと揶揄してはいけません。)
しかも、防衛省においては、ほとんど所管の非営利法人がないにもかかわらず、再就職をほぼ100%実現してきました。
同様のことが、多数の所管非営利法人を抱えるところの、防衛省以外の各省では、より容易に行われているに違いないのです。
これは高度な分権システムですが、これぞまさしく日本型経済体制(下述)下の「業務」のやり方なのであり、中枢の業務全体に対する「コントロール」は、それなりに働いているのです。(太田)
「戦後<日本においては、>・・・非営利法人部門が「第二政府」のような存在となった・・・。
このような「第二政府」状態を作り出したのは天下りだけではない。第一に、戦前・戦後を問わず、日本は三権の中でも行政府中心の国であることを大前提として、行政は各省割拠主義により内閣の一元的コントロールが効いていないこともあって、各省を拠点とした第二政府作りの基礎ができあがったと考えられる。
第二に、・・・各省による直接的な介入に対する警戒感や、・・・各省設置法が法律事項であることから・・・省庁再編を頻繁に行うことで行政需要に対応するということが難しいため、非営利法人に多くを依存せざるを得なかったことである。第三に、総定員法によって行政機関の人数を増やせないため、特殊法人などの非営利法人を隠れ蓑にしたことである。第四に、・・・一般会計予算よりも巨大な特別会計予算制度が存在し、財務省によるコントロールが効かないため、非営利法人に潤沢な財源を供給できたことである。第五に、特定の特殊法人等へは天下りだけでなく、現役国家公務員の出向も法的に認められていたことから、人的つながりが強化されたことである。
総括すれば、経済への介入などの側面から考えると「大きな政府」であるにもかかわらず、「小さな政府」をフィクションとして維持するために、多数の非営利法人を作り出したことが天下りを促進するとともに、天下りが促進されることで巨大な非営利法人セクターがさらに巨大化するという相乗効果を持つことになり、結果としてOECDの中で最も公務員数が少ないにもかかわらず、国民は表面的なイメージやマスコミの宣伝があるとはいえ、小さな政府を実感できないようになっていると思われる。」(516〜517頁)
→明治憲法施行時から戦前をとらえれば、明治期には天皇に権力が集中していたものが、大正期以降、英国型の議会主権(ないしEmperor in Parliament)へ移行し、戦後は、結果として、英国に先んじる形で、議会(内閣を下位機構として持つ)と司法の二権分立制へと更に移行した、というのが私の考えであり、戦前戦後を通じて日本を行政府中心の国とする中野の認識は間違いです。
(中野は、そもそも、「行政府中心」とはいかなる意味かを記すべきでした。)
それ以下の記述については、形式的分析としてはその通りですが、私は、実質的には、日本型経済体制(コラム#40、43、44。「「日本型」経済体制論−政府介入と自由競争の新しいバランス−」(筑摩書房「産業社会と日本人」(1980年6月)に収録))が1930年代以降に形成されたことが決定的な要因なのであり、やわらかい組織(注2)である官僚機構と同じくやわらかい組織である各企業等の間に、半官半民のやわらかい組織たるエージェントが存在することが、この体制の円滑な運用に資するものであったからこそ、非営利法人セクターが生誕し、育って行ったと考えています。
(注2)非営利法人は、官僚機構と営利法人の間に設置される中間組織(エージェント)・・「企業組織とは、経営目的を達成するために、みんなが力を合わせて協力することである<のに対し、>市場取引とは価格を参考にして、売り手と買い手が取引をする社会的な仕組みのことで<あるところ、>この二組を合わせたのが中間組織であ<り、>中間組織を活用することによって、取引相手との安定とした関係を保つことが出来る」
semi.uhe.ac.jp/~okamoto/rejime/makelon9.doc ・・であるところ、私の造語である「やわらかい組織」とは、同じく私の造語であるところの「固い組織」(コラム#3879)の対語であって、組織の内部が中間組織(エージェント)の重層構造的に構成されているものを指す(「「日本型」経済体制論」参照)。
ところが、日本型経済体制が、日本の「開国」とそれに引き続いての全球化によって弱体化/崩壊化過程に入ってからは、官僚機構も営利法人も(それぞれ「固い組織」化・・ガバナンスの確立・・を図るとともに、)非営利法人セクターの整理縮小、官僚機構の拡張がなされてしかるべきであったというのに、官僚機構の拡張がなされず、そのために、しかも、天下りの受け皿を確保するためもあって、非営利法人セクターが病理的に肥大化してしまったまま推移してきた、と私は考えているのです。(太田)
(続く)
<中野雅至『天下りの研究』を読む(その10)>(2012.2.17公開)
「天下りの弊害<については、>・・・第一に、<営利法人へのものを中心に>天下りが政官業癒着の接着点となるケースが出現するなど、さまざまな意味で社会全体に弊害をもたらしたことである。・・・
第二に、毎年数千人規模で天下りを受け入れるために、不要と思われるような非営利法人をスクラップできなかったり、新たな非営利邦人を創設するなどの結果、非営利法人が肥大化し、財政赤字の要因の一部を作り出していることである。しかも、非営利法人への天下りは際限のないコントロール不能のものとなっており、泥沼化している。
天下りが際限のない泥沼のようなものになっている要因としては3つ考えられる。
第一に、天下りを斡旋しているのは各省だけでなく、特殊法人等を基点にしたものもあり、国家公務員だけでなく特殊法人等の役職員も巻き込んだものになっていることである。そのため、特殊法人等の役職員も天下り規制の対象に加えるべきだという議論は根強い。
第二に、天下りは1回で終わることはなく、複数回にわたる「わたり」が多くなっており、それを可能にするために特殊法人が関連会社を作ったり、小規模な公益法人に予算が流れるなど無数の小規模組織ができあがっていることである。
第三に、各省によるコントロールの不十分さである。これについては2つの見方が可能である。1つは、退職したOBと現役人事を一体として行っており、玉突き人事のようなものも含めて各省がコントロールしているという見方がある一方で、OB人事についてはOB会のような組織、有力政治家と有力OBから形成されるインフォーマルな意思決定機関の存在が指摘されているし、OB同士の個人的つながりで再就職先が決まっていくなど、各省のコントロールが効いていないという見方もできる。どちらの見方が正しいかについては、非営利法人を中心にここまで天下り先が多様化して拡大している一方で、景気動向や社会情勢に応じて大きく変化する人事院による天下り承認件数との比較などから考えて、斡旋主体である各省はマスコミや世論の反応に応じて1回目の天下りはコントロールしている可能性が高いと考えられる一方で、2回目以降のわたりについては、局長や事務次官クラスなど一定クラス以上の幹部を除いては、主体的にコントロールしているとは考えにくい。仮に、各省はあくまでOB人事と現役人事を一体として処理してコントロールしているとすれば、「コントロール」と呼びうるに値するかどうかを議論しなければいけなくなる。実際、これだけ「わたり」などが批判されているにもかかわらず、各省はOBの再々就職にうまく対応できておらず、杜撰さが目立っている。」(514〜516頁)
→第三に、については、中野の完全な認識不足であると考えます。
防衛省職員総数は、一般職の国家公務員総数とほとんど同じである
http://www.gyoukaku.go.jp/senmon/dai1/sankou6.pdf (5年前の数字)
上、防衛省は、任期制隊員・・曹に昇任しなければ若年で再就職しなければならない・・も抱えていることから、同省が毎年再就職させなければならない職員の人数は一般職を上回っていますが、この就職斡旋業務は、自衛官に関しては、非営利法人たる財団法人自衛隊援護協会が一手にやっていることになっているところ、現実には、(違法なのですが、)陸海空自衛隊の各組織・機関がそれぞれ受け持つ形で、それぞれの人事部門のみならず組織の総力をあげて、しかもそれぞれが有力OBを活用しつつ、再就職斡旋業務を行っています。(そんなことができるのは、本来業務をやらなくて済んでいるからだろう、などと揶揄してはいけません。)
しかも、防衛省においては、ほとんど所管の非営利法人がないにもかかわらず、再就職をほぼ100%実現してきました。
同様のことが、多数の所管非営利法人を抱えるところの、防衛省以外の各省では、より容易に行われているに違いないのです。
これは高度な分権システムですが、これぞまさしく日本型経済体制(下述)下の「業務」のやり方なのであり、中枢の業務全体に対する「コントロール」は、それなりに働いているのです。(太田)
「戦後<日本においては、>・・・非営利法人部門が「第二政府」のような存在となった・・・。
このような「第二政府」状態を作り出したのは天下りだけではない。第一に、戦前・戦後を問わず、日本は三権の中でも行政府中心の国であることを大前提として、行政は各省割拠主義により内閣の一元的コントロールが効いていないこともあって、各省を拠点とした第二政府作りの基礎ができあがったと考えられる。
第二に、・・・各省による直接的な介入に対する警戒感や、・・・各省設置法が法律事項であることから・・・省庁再編を頻繁に行うことで行政需要に対応するということが難しいため、非営利法人に多くを依存せざるを得なかったことである。第三に、総定員法によって行政機関の人数を増やせないため、特殊法人などの非営利法人を隠れ蓑にしたことである。第四に、・・・一般会計予算よりも巨大な特別会計予算制度が存在し、財務省によるコントロールが効かないため、非営利法人に潤沢な財源を供給できたことである。第五に、特定の特殊法人等へは天下りだけでなく、現役国家公務員の出向も法的に認められていたことから、人的つながりが強化されたことである。
総括すれば、経済への介入などの側面から考えると「大きな政府」であるにもかかわらず、「小さな政府」をフィクションとして維持するために、多数の非営利法人を作り出したことが天下りを促進するとともに、天下りが促進されることで巨大な非営利法人セクターがさらに巨大化するという相乗効果を持つことになり、結果としてOECDの中で最も公務員数が少ないにもかかわらず、国民は表面的なイメージやマスコミの宣伝があるとはいえ、小さな政府を実感できないようになっていると思われる。」(516〜517頁)
→明治憲法施行時から戦前をとらえれば、明治期には天皇に権力が集中していたものが、大正期以降、英国型の議会主権(ないしEmperor in Parliament)へ移行し、戦後は、結果として、英国に先んじる形で、議会(内閣を下位機構として持つ)と司法の二権分立制へと更に移行した、というのが私の考えであり、戦前戦後を通じて日本を行政府中心の国とする中野の認識は間違いです。
(中野は、そもそも、「行政府中心」とはいかなる意味かを記すべきでした。)
それ以下の記述については、形式的分析としてはその通りですが、私は、実質的には、日本型経済体制(コラム#40、43、44。「「日本型」経済体制論−政府介入と自由競争の新しいバランス−」(筑摩書房「産業社会と日本人」(1980年6月)に収録))が1930年代以降に形成されたことが決定的な要因なのであり、やわらかい組織(注2)である官僚機構と同じくやわらかい組織である各企業等の間に、半官半民のやわらかい組織たるエージェントが存在することが、この体制の円滑な運用に資するものであったからこそ、非営利法人セクターが生誕し、育って行ったと考えています。
(注2)非営利法人は、官僚機構と営利法人の間に設置される中間組織(エージェント)・・「企業組織とは、経営目的を達成するために、みんなが力を合わせて協力することである<のに対し、>市場取引とは価格を参考にして、売り手と買い手が取引をする社会的な仕組みのことで<あるところ、>この二組を合わせたのが中間組織であ<り、>中間組織を活用することによって、取引相手との安定とした関係を保つことが出来る」
semi.uhe.ac.jp/~okamoto/rejime/makelon9.doc ・・であるところ、私の造語である「やわらかい組織」とは、同じく私の造語であるところの「固い組織」(コラム#3879)の対語であって、組織の内部が中間組織(エージェント)の重層構造的に構成されているものを指す(「「日本型」経済体制論」参照)。
ところが、日本型経済体制が、日本の「開国」とそれに引き続いての全球化によって弱体化/崩壊化過程に入ってからは、官僚機構も営利法人も(それぞれ「固い組織」化・・ガバナンスの確立・・を図るとともに、)非営利法人セクターの整理縮小、官僚機構の拡張がなされてしかるべきであったというのに、官僚機構の拡張がなされず、そのために、しかも、天下りの受け皿を確保するためもあって、非営利法人セクターが病理的に肥大化してしまったまま推移してきた、と私は考えているのです。(太田)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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