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太田述正コラム#5068(2011.10.22)
<中野雅至『天下りの研究』を読む(その1)>(2012.2.5公開)
1 始めに
TAさんが貸与してくれた、中野雅至『天下りの研究--その実態とメカニズムの解明』(明石書店2009年9月)を読み、適宜私のコメントを付したいと思います。
なお、中野は、1964年奈良県生まれ、同志社大学文学部英文学科卒、ミシガン大学公共政策修士。新潟大学大学院現代社会文化研究科(博士後期課程)修了(経済学博士)、大和郡山市役所勤務の後、旧労働省入省(国家公務員I種試験行政職)、新潟県、厚生労働省を経て、公募により兵庫県立大学大学院応用情報科学研究科准教授(現職)、という経歴です。(奥付)
中野は、これまで太田コラムに何度も登場している(コラム#2243、2406、2414、2581、2965、2975、2982、5010.5012、5015、5027)ところです。
2 天下り
「・・・「天下り」・・・<を>専門的に分析した先行研究は管見の及ぶ限り皆無である。・・・
他方で、学術研究からジャーナリズムに視点を移すと天下りを扱ったものは無数にあるが、それらの多くは政官業癒着・官製談合・財政赤字や無駄遣いなどを扱う中で天下りに触れており、天下りそのものを主題にしたものは少ない。・・・」(23〜24頁)
→もう一つ特徴的なのは、天下り、とりわけ、中央官庁の天下りにかかわった人々(送り出した人、受け入れた人、天下った人)が、事柄の性格上、天下りについて黙して語らない状況が続いていることです。
本来、こういう人々が天下りについて最も土地勘があり、天下りについて論じるのがふさわしいのですが、そうでないために、天下り研究が遅れているわけです。
著者は中央官庁勤務経験はあっても天下りにかかわったことはなさそうですが、このような研究対象を「発見」したことは、著者の目の付け所の良さを示すものです。(太田)
「『風土記』の中でも、神の「天降り」と神の「国造り」にこだわる『出雲国風土記』では、「大国魂命、天降りましし時、此処に当りて御膳食なしたまひき」(意宇郡飯梨郷)、「波多都美命の点降りましし処なり」(飯石郡波多郷)というように、神がある国に下ることによって場所の意味が決定される二元的世界観が見られるという・・・。天下る者が神である以上、それは当然のこととも言えるが、天下る者は天下り先の地名にまで大きな影響を及ぼすのである。
このような「天降り」の語源から考えると、本来、天下りする者には相当の実力があり、天下る先の様相を大きく変えるような存在でなければいけないが、現実には、これとまったく違ったことが起こっている。元来、神と比べること自体がおかしいのかもしれないが、語源と現実の行動がまったく逆であるために、否定的なニュアンスと皮肉を込めて、天降り(天下り)という言葉を使うようになったとは考えられないだろうか。」(36〜37頁)
→ここは笑ってしまいました。(太田)
「天下りを定義<する>と、「下の者の意向や都合を考えない、組織が介在した、上からの一方的な押しつけ<たる再就職>」ということになるだろう。・・・
本書では、・・・「公務員」という場合は国家公務員・地方公務員のすべてを指す。・・・「官僚」「キャリア」については現在の国家公務員I種試験合格者の国家公務員を指し、・・・「高級官僚」「幹部公務員」という用語については、国家公務員試験の種類や職種ではなく、退職時の最終的なポストに着目して、課長・企画官相当職以上で退職した者を指して用いることにする。・・・
本書は、官の天下りを扱うことを主な目的としたものである。・・・<そして、>地方公共団体や非営利法人の場合には(日銀などを除いて)天下りが見られる組織は一部で、その対象も一部の役職経験者にすぎないことを示した後、・・・国家公務員を主な対象として考察を進めていくこととしたい。」(31〜33頁)
→日本の場合、中央銀行である日銀の幹部職員は、中央官庁の高級官僚と全く同じ意識を共有しており、日銀では、天下りも中央官庁と全く同様に行われています。事実、中央官庁との間でたすき掛け天下りさえ行われているのです。(太田)
(続く)
<中野雅至『天下りの研究』を読む(その1)>(2012.2.5公開)
1 始めに
TAさんが貸与してくれた、中野雅至『天下りの研究--その実態とメカニズムの解明』(明石書店2009年9月)を読み、適宜私のコメントを付したいと思います。
なお、中野は、1964年奈良県生まれ、同志社大学文学部英文学科卒、ミシガン大学公共政策修士。新潟大学大学院現代社会文化研究科(博士後期課程)修了(経済学博士)、大和郡山市役所勤務の後、旧労働省入省(国家公務員I種試験行政職)、新潟県、厚生労働省を経て、公募により兵庫県立大学大学院応用情報科学研究科准教授(現職)、という経歴です。(奥付)
中野は、これまで太田コラムに何度も登場している(コラム#2243、2406、2414、2581、2965、2975、2982、5010.5012、5015、5027)ところです。
2 天下り
「・・・「天下り」・・・<を>専門的に分析した先行研究は管見の及ぶ限り皆無である。・・・
他方で、学術研究からジャーナリズムに視点を移すと天下りを扱ったものは無数にあるが、それらの多くは政官業癒着・官製談合・財政赤字や無駄遣いなどを扱う中で天下りに触れており、天下りそのものを主題にしたものは少ない。・・・」(23〜24頁)
→もう一つ特徴的なのは、天下り、とりわけ、中央官庁の天下りにかかわった人々(送り出した人、受け入れた人、天下った人)が、事柄の性格上、天下りについて黙して語らない状況が続いていることです。
本来、こういう人々が天下りについて最も土地勘があり、天下りについて論じるのがふさわしいのですが、そうでないために、天下り研究が遅れているわけです。
著者は中央官庁勤務経験はあっても天下りにかかわったことはなさそうですが、このような研究対象を「発見」したことは、著者の目の付け所の良さを示すものです。(太田)
「『風土記』の中でも、神の「天降り」と神の「国造り」にこだわる『出雲国風土記』では、「大国魂命、天降りましし時、此処に当りて御膳食なしたまひき」(意宇郡飯梨郷)、「波多都美命の点降りましし処なり」(飯石郡波多郷)というように、神がある国に下ることによって場所の意味が決定される二元的世界観が見られるという・・・。天下る者が神である以上、それは当然のこととも言えるが、天下る者は天下り先の地名にまで大きな影響を及ぼすのである。
このような「天降り」の語源から考えると、本来、天下りする者には相当の実力があり、天下る先の様相を大きく変えるような存在でなければいけないが、現実には、これとまったく違ったことが起こっている。元来、神と比べること自体がおかしいのかもしれないが、語源と現実の行動がまったく逆であるために、否定的なニュアンスと皮肉を込めて、天降り(天下り)という言葉を使うようになったとは考えられないだろうか。」(36〜37頁)
→ここは笑ってしまいました。(太田)
「天下りを定義<する>と、「下の者の意向や都合を考えない、組織が介在した、上からの一方的な押しつけ<たる再就職>」ということになるだろう。・・・
本書では、・・・「公務員」という場合は国家公務員・地方公務員のすべてを指す。・・・「官僚」「キャリア」については現在の国家公務員I種試験合格者の国家公務員を指し、・・・「高級官僚」「幹部公務員」という用語については、国家公務員試験の種類や職種ではなく、退職時の最終的なポストに着目して、課長・企画官相当職以上で退職した者を指して用いることにする。・・・
本書は、官の天下りを扱うことを主な目的としたものである。・・・<そして、>地方公共団体や非営利法人の場合には(日銀などを除いて)天下りが見られる組織は一部で、その対象も一部の役職経験者にすぎないことを示した後、・・・国家公務員を主な対象として考察を進めていくこととしたい。」(31〜33頁)
→日本の場合、中央銀行である日銀の幹部職員は、中央官庁の高級官僚と全く同じ意識を共有しており、日銀では、天下りも中央官庁と全く同様に行われています。事実、中央官庁との間でたすき掛け天下りさえ行われているのです。(太田)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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