太田述正ブログは移転しました 。
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太田述正コラム#5241(2012.1.17)
<皆さんとディスカッション(続x1436)>
<太田>(ツイッターより)
1900年に行われた100年後の予想になぞらえて、今から100年後の予想を募集し、未来学者2人が、その中からめぼしいものを選び、コメントをつけた記事。
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-16536598
核融合技術、言語は英語・スペイン語・北京語のみ、妊娠は全て人工授精、結婚は有期契約に…。
米ゴールデン・グローブ賞の授賞式に参集したスター達のファッション写真がベストとワーストが対の形で76枚並べられている。
ボカア、ファッションよりか女優の容姿の方に関心があるなあ。
犬も一匹登場するよ。
http://www.sfgate.com/cgi-bin/object/article?f=/g/a/2012/01/15/golden_globes_2012.DTL&object=%2Fc%2Fpictures%2F2012%2F01%2F15%2Fba-69th_Golden_G_WRE0106109486.jpg
<ΒΑΒΑΒ>(「たった一人の反乱」より)
個人主義と人間主義はどうやったら両立するもんなの?
個人主義って、自分しかいないでしょう。
自分が幸せになるのに、自分だけよければ充分っていう。
人間主義は、自分以外の人がいないと成立しないでしょう。
人と人との間に、自分の幸せがあるんだから。
まるっきり、お互いに排除しあうような価値観だと思うんだけど、なんでイギリスでは両立するみたいにいうのか、理解できないんだけど・・・。
<ΒΒΑΑΒ>(同上)
まずウィキペディアの「個人主義」を読んでミソ。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9
<ααΒΒΒ>(同上)
個人主義は、自分しかいないってのは、間違いではないが、十分ではないと思うね。
他人だって個人主義なのだから、他人の個人主義も尊重しなければ、自分の個人主義も尊重されないのではないかな。
それに、イギリスの場合、軍事が元々の仕事だったのだから、ここぞというときは協力しあう風土や価値観が成立しやすいのではないか。
なにしろ、戦争は共通の目的のために協力しなければならない最高の行事なのだから。
ヨーロッパも「個人主義」で括られることが多い気がするけど、結局、「にせもの」なのだろうね。だから、独裁者や異端殺しがはやってしまうのだろう。
<ΒΑΒΑΒ>(同上)
人間主義は共同体主義に近いって話だったけど、ウィキペディアの個人主義の項目に、「コミュニティを個人よりも優先する共同体主義とは対立しうる。」って書いてあるよ。
漱石の 『私の個人主義』では、確かに他人の個人主義も尊重するように書かれているけれど、それは漱石の解釈した個人主義であって、ヨーロッパのとは違う可能性が大いにあるのではないかな。
太田さんのコラム#5236<(未公開)>で「個人の神との直接的な関係」という言葉が出てきたし、 ルイ・デュモンの『個人主義論考』でもそうだけれど、個人主義が、まだ誕生して数百年以内のキリスト教の神との関係の中で出現したということが否定されるのは、きいたことがない。
イギリスの個人主義について書いたマクファーレンだって、それに矛盾するようなことは書いていない。
個人-神の関係だけで、個人が幸せになれるというのが、個人主義の元々であるはず。
その後、元々の神との関係のことが抜け落ちて、個人主義だけ残っていっているのであって、そうであれば、個人主義と人間主義とは排除し合う関係になるのでは。
<αΒαΒΒ>(同上)
<慈善団体等が自発的に、或いはまた政府が(太田)>法律で<、>個人主義の遠心力を制御しようとしたので、人間主義”的”って見解だと思う。
「イギリスは、「1563年から1601年にかけて救貧法(Poor Law)が制定され・・・、それとほぼ同じくして、1597年から1601年にかけて慈善法(Charitable Uses Act)も制定され」たという人間主義的な社会(コラム#1577。#54、601、1212も参照)である」 <(コラム#3711)>
http://blog.ohtan.net/archives/51432918.html
「では、この英米両国と日本の慈善に対する考え方はどう違うのでしょうか。
アングロサクソンたる英米両国は裸のエゴとエゴがぶつかりあう個人主義社会であり、私人が通常の仕事をする場においては、恒常的に遠心力が働いています。
ですから、社会を瓦解させないためには求心力を別途与えるものが必要になります。求心力を与えるものの一つが慈善活動であり、慈善は社会存続のための必要不可欠なメカニズムの一つなのです。
それに対し、日本は人間(じんかん=人間関係ネットワーク)社会であり、通常の仕事も慈善も、この人間関係のネットワークの中に最初から組み込まれています。
政府もまた、人間関係のネットワークの(重要な)一環であり、慈善活動も当然のように行っています。
ですから日本では、私人が慈善活動を、通常の仕事と別個にことさら行う、という発想そのものが出てこないのです。」<(コラム#1577)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954256.html
<太田>
まず、以下のような認識を共有して欲しい。
1 イギリスの個人主義と欧州の個人主義
一、個人主義はイギリス由来であり、本来欧州にはなかった。(コラム#88)
二、欧州においては、欧州史とは個人が次第に共同体等から解放されてきた歴史である、という観念がある。(コラム#88、5236(未公開))
三、そして、その淵源をキリスト教に求めることが多く、具体的に、アウグスティヌスに求める考え方が見られる。(5236(未公開))
四、これに対し、イギリスは最初から個人主義だった。(コラム#88)
また、そのこととキリスト教との直接的な関係はないのであって、強いて言えば、キリスト教の異端であるところの、ブリテン諸島由来のペラギウス派の主張と親和性があった。(コラム#461、497、1519、4408、4452、及び同上)
2 ααΒΒΒクンが示唆しているように、イギリスにおける個人主義は自由主義(ないし立憲主義/人権の確保)と裏腹の関係にある。(コラム#90)
これに対して、欧州における個人主義は自由主義とセットでとらえられていない。
3 αΒαΒΒクンの書いてくれたことを参照。
要するに、イギリスは、「救貧法が1563年から1601年にかけて早くも制定された・・・という・・・人間主義的<ないしは>・・・社会民主主義的な国」ということ(コラム#1212)。
その上で、私は以下のように考えている。
欧州における人間主義ないし社会民主主義は、私の仮説では、19世紀以降に、イギリスを模倣して採用したもの。(コラム#5234(未公開))
また、イギリスが人間主義的な国であったのは、裸の個人主義だけでは、思春期の若者、老齢者、ひいては弱者一般の多くが虐げられてしまい(コラム#89参照)、社会全体が機能障害を起こしかねないから、というのが私の仮説。
それでは、その他の記事の紹介です。
監査法人の責任については、まだこれから、ということだろう。↓
「・・・元・現監査役5人について会社に損害を負わせた責任があるとし、損害額を83億円と認定した。・・・実際の損害賠償請求額は支払い能力に応じて減額する方向で調整に入ったもようだ。・・・山田秀雄前監査役は元取締役として既に提訴されており、今回は対象外とした。・・・ オリンパスの監査を担当した監査法人については、いずれも注意義務違反は認められないと結論づけた。2009年3月期まで担当したあずさ監査法人については、必要な監査手続きをしていたとして、職責上「損失分離の仕組みを発見できなかったことはやむを得ない」と判断。現在担当する新日本監査法人が、英ジャイラスの買収に伴うのれん代計上を認めたことも「会計処理上、不当とは言えない」とした。・・・」
監査法人は同社による提訴の対象にはならないが、これとは別に、適切な監査をしていたかどうか金融庁や日本公認会計士協会が調べている。
今回の報告書は、取締役の責任を追及した今月上旬の報告書に続くもの。オリンパスは損失隠しで会社に859億円の損害を与えたとして、旧・現経営陣19人に計36億円の損害賠償を求める訴訟を起こしている。・・・」
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819596E3E4E2E6808DE3E4E2E3E0E2E3E09F9FEAE2E2E2
東独の秘密警察Stasiの長官室の写真が載っている。
東独の共産主義の凄さをひしひしと感じるよ。↓
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-16572962
激しく対立するパキスタンの政府と軍部。しかし、クーデタは起きないとするコラムがこれだ。理由は次の5つ。↓
1. The people won't support a military take over
2. A vibrant Pakistani news media is watching
3. An independent judiciary is watching
4. Pakistan's allies won't support a coup
5. The army has better options than a coup
http://edition.cnn.com/2012/01/16/world/asia/pakistan-army-sayah/index.html?hpt=hp_c1
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太田述正コラム#5242(2012.1.17)
<スチュアート王族の歴史(その1)>
→非公開
<皆さんとディスカッション(続x1436)>
<太田>(ツイッターより)
1900年に行われた100年後の予想になぞらえて、今から100年後の予想を募集し、未来学者2人が、その中からめぼしいものを選び、コメントをつけた記事。
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-16536598
核融合技術、言語は英語・スペイン語・北京語のみ、妊娠は全て人工授精、結婚は有期契約に…。
米ゴールデン・グローブ賞の授賞式に参集したスター達のファッション写真がベストとワーストが対の形で76枚並べられている。
ボカア、ファッションよりか女優の容姿の方に関心があるなあ。
犬も一匹登場するよ。
http://www.sfgate.com/cgi-bin/object/article?f=/g/a/2012/01/15/golden_globes_2012.DTL&object=%2Fc%2Fpictures%2F2012%2F01%2F15%2Fba-69th_Golden_G_WRE0106109486.jpg
<ΒΑΒΑΒ>(「たった一人の反乱」より)
個人主義と人間主義はどうやったら両立するもんなの?
個人主義って、自分しかいないでしょう。
自分が幸せになるのに、自分だけよければ充分っていう。
人間主義は、自分以外の人がいないと成立しないでしょう。
人と人との間に、自分の幸せがあるんだから。
まるっきり、お互いに排除しあうような価値観だと思うんだけど、なんでイギリスでは両立するみたいにいうのか、理解できないんだけど・・・。
<ΒΒΑΑΒ>(同上)
まずウィキペディアの「個人主義」を読んでミソ。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9
<ααΒΒΒ>(同上)
個人主義は、自分しかいないってのは、間違いではないが、十分ではないと思うね。
他人だって個人主義なのだから、他人の個人主義も尊重しなければ、自分の個人主義も尊重されないのではないかな。
それに、イギリスの場合、軍事が元々の仕事だったのだから、ここぞというときは協力しあう風土や価値観が成立しやすいのではないか。
なにしろ、戦争は共通の目的のために協力しなければならない最高の行事なのだから。
ヨーロッパも「個人主義」で括られることが多い気がするけど、結局、「にせもの」なのだろうね。だから、独裁者や異端殺しがはやってしまうのだろう。
<ΒΑΒΑΒ>(同上)
人間主義は共同体主義に近いって話だったけど、ウィキペディアの個人主義の項目に、「コミュニティを個人よりも優先する共同体主義とは対立しうる。」って書いてあるよ。
漱石の 『私の個人主義』では、確かに他人の個人主義も尊重するように書かれているけれど、それは漱石の解釈した個人主義であって、ヨーロッパのとは違う可能性が大いにあるのではないかな。
太田さんのコラム#5236<(未公開)>で「個人の神との直接的な関係」という言葉が出てきたし、 ルイ・デュモンの『個人主義論考』でもそうだけれど、個人主義が、まだ誕生して数百年以内のキリスト教の神との関係の中で出現したということが否定されるのは、きいたことがない。
イギリスの個人主義について書いたマクファーレンだって、それに矛盾するようなことは書いていない。
個人-神の関係だけで、個人が幸せになれるというのが、個人主義の元々であるはず。
その後、元々の神との関係のことが抜け落ちて、個人主義だけ残っていっているのであって、そうであれば、個人主義と人間主義とは排除し合う関係になるのでは。
<αΒαΒΒ>(同上)
<慈善団体等が自発的に、或いはまた政府が(太田)>法律で<、>個人主義の遠心力を制御しようとしたので、人間主義”的”って見解だと思う。
「イギリスは、「1563年から1601年にかけて救貧法(Poor Law)が制定され・・・、それとほぼ同じくして、1597年から1601年にかけて慈善法(Charitable Uses Act)も制定され」たという人間主義的な社会(コラム#1577。#54、601、1212も参照)である」 <(コラム#3711)>
http://blog.ohtan.net/archives/51432918.html
「では、この英米両国と日本の慈善に対する考え方はどう違うのでしょうか。
アングロサクソンたる英米両国は裸のエゴとエゴがぶつかりあう個人主義社会であり、私人が通常の仕事をする場においては、恒常的に遠心力が働いています。
ですから、社会を瓦解させないためには求心力を別途与えるものが必要になります。求心力を与えるものの一つが慈善活動であり、慈善は社会存続のための必要不可欠なメカニズムの一つなのです。
それに対し、日本は人間(じんかん=人間関係ネットワーク)社会であり、通常の仕事も慈善も、この人間関係のネットワークの中に最初から組み込まれています。
政府もまた、人間関係のネットワークの(重要な)一環であり、慈善活動も当然のように行っています。
ですから日本では、私人が慈善活動を、通常の仕事と別個にことさら行う、という発想そのものが出てこないのです。」<(コラム#1577)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954256.html
<太田>
まず、以下のような認識を共有して欲しい。
1 イギリスの個人主義と欧州の個人主義
一、個人主義はイギリス由来であり、本来欧州にはなかった。(コラム#88)
二、欧州においては、欧州史とは個人が次第に共同体等から解放されてきた歴史である、という観念がある。(コラム#88、5236(未公開))
三、そして、その淵源をキリスト教に求めることが多く、具体的に、アウグスティヌスに求める考え方が見られる。(5236(未公開))
四、これに対し、イギリスは最初から個人主義だった。(コラム#88)
また、そのこととキリスト教との直接的な関係はないのであって、強いて言えば、キリスト教の異端であるところの、ブリテン諸島由来のペラギウス派の主張と親和性があった。(コラム#461、497、1519、4408、4452、及び同上)
2 ααΒΒΒクンが示唆しているように、イギリスにおける個人主義は自由主義(ないし立憲主義/人権の確保)と裏腹の関係にある。(コラム#90)
これに対して、欧州における個人主義は自由主義とセットでとらえられていない。
3 αΒαΒΒクンの書いてくれたことを参照。
要するに、イギリスは、「救貧法が1563年から1601年にかけて早くも制定された・・・という・・・人間主義的<ないしは>・・・社会民主主義的な国」ということ(コラム#1212)。
その上で、私は以下のように考えている。
欧州における人間主義ないし社会民主主義は、私の仮説では、19世紀以降に、イギリスを模倣して採用したもの。(コラム#5234(未公開))
また、イギリスが人間主義的な国であったのは、裸の個人主義だけでは、思春期の若者、老齢者、ひいては弱者一般の多くが虐げられてしまい(コラム#89参照)、社会全体が機能障害を起こしかねないから、というのが私の仮説。
それでは、その他の記事の紹介です。
監査法人の責任については、まだこれから、ということだろう。↓
「・・・元・現監査役5人について会社に損害を負わせた責任があるとし、損害額を83億円と認定した。・・・実際の損害賠償請求額は支払い能力に応じて減額する方向で調整に入ったもようだ。・・・山田秀雄前監査役は元取締役として既に提訴されており、今回は対象外とした。・・・ オリンパスの監査を担当した監査法人については、いずれも注意義務違反は認められないと結論づけた。2009年3月期まで担当したあずさ監査法人については、必要な監査手続きをしていたとして、職責上「損失分離の仕組みを発見できなかったことはやむを得ない」と判断。現在担当する新日本監査法人が、英ジャイラスの買収に伴うのれん代計上を認めたことも「会計処理上、不当とは言えない」とした。・・・」
監査法人は同社による提訴の対象にはならないが、これとは別に、適切な監査をしていたかどうか金融庁や日本公認会計士協会が調べている。
今回の報告書は、取締役の責任を追及した今月上旬の報告書に続くもの。オリンパスは損失隠しで会社に859億円の損害を与えたとして、旧・現経営陣19人に計36億円の損害賠償を求める訴訟を起こしている。・・・」
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819596E3E4E2E6808DE3E4E2E3E0E2E3E09F9FEAE2E2E2
東独の秘密警察Stasiの長官室の写真が載っている。
東独の共産主義の凄さをひしひしと感じるよ。↓
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-16572962
激しく対立するパキスタンの政府と軍部。しかし、クーデタは起きないとするコラムがこれだ。理由は次の5つ。↓
1. The people won't support a military take over
2. A vibrant Pakistani news media is watching
3. An independent judiciary is watching
4. Pakistan's allies won't support a coup
5. The army has better options than a coup
http://edition.cnn.com/2012/01/16/world/asia/pakistan-army-sayah/index.html?hpt=hp_c1
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太田述正コラム#5242(2012.1.17)
<スチュアート王族の歴史(その1)>
→非公開
太田述正ブログは移転しました 。
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