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太田述正コラム#4876(2011.7.18)
<イギリス大衆の先の大戦観(続)(その5)>(2011.10.8公開)
ロバーツは、さすがに第一級の軍事史家では少なくともある、と誉めたいのは山々ですが、帝国陸軍が模範としてきたドイツ軍に、恐らくは英軍における歩兵優位意識を投影する形での「分析」を彼が行った部分は眉唾物です。
というのは、帝国陸軍の伝統を大いに継承しているところの陸上自衛隊においては、私自身の経験に照らせば、戦闘職種であるところの、普特機・・普は普通科の略だが歩兵、特は特科の略だが砲兵、機は機甲科の略だが騎兵(戦車兵)を意味する・・の3職種の、通信等のその他の職種に対する優位意識こそ厳然としてあったものの、歩兵の他職種に対する優位意識は存在しなかったからです。
ただ、ヒットラーの実戦経験が、彼の部下たるドイツ軍の将軍達に匹敵するかそれ以上であったことは確かであり、ヒットラーの作戦への口出しにはそれなりに合理的な部分もあったことでしょう。
いずれにせよ、ヒットラー以上に実戦経験が豊富であったチャーチルが作戦に口出しをして失敗を重ねたことを想起すれば、ヒットラーの口出しはもっと有害であった、と言っていいでしょうね。
(3)ドイツの短期決戦戦略
「この本のタイトルである『戦争の嵐(The Storm of War)』には、ドイツの敗北の理由に関するロバーツの中心的論点が隠されている。
嵐という戦争の概念は、ナチの電撃戦(blitzkrieg)・・ドイツ国家の政治的かつ経済的諸問題をすべてを何とか解決でするであろうところの電撃的勝利・・の観念を想起させる(summon up)。
しかし、タイトルでのこの言及は、ドイツがらみではなく英国がらみなのであって、ヒットラーがらみではなくチャーチルがらみなのだ。
チャーチルは、1940年6月4日に英下院において、英国が「戦争の嵐を乗り切る(ride out)」ことができることに全腔の信頼を抱いていると述べた。
稲妻は嵐の終わりではなく始まりの信号だ。
この閃光から逃れることができた者は、その航海において、生き残り、耐え、背中に追い風を受け、勝利する。
ドイツ軍がこの戦争に負けたのは、紛争が長かったためであり、長かった理由の一つはチャーチルが戦闘を放棄するのを拒んだためだが、主にはドイツの主要な戦争の諸目的が達成することが不可能であったからだ。・・・」(h)
(4)米国による原爆開発
「・・・結果的には、我々は、米国による原子兵器の開発の成功によって、ヒットラーが第二次大戦に勝利する可能性などいかなる意味でもほとんどなかったことを知っている。・・・」(e)
(5)連合国による暗号解読
「・・・結局のところ、決定的だったのは、英海軍の回復力(resilience)でもなければ、ドイツの次第に募る戦時生産能力でもなかった。
それは、数学者のアラン・チューリング(Alan Turing)<(注18)>とロンドン近郊のブレッチュレイ・パーク(Bletchley Park)の彼の同僚達が開発した秘密兵器だった。
(注18)1912〜54年。イギリスの数学家・論理学者・暗号解析者・コンピューター科学者。後の現代的コンピューターの生誕に大きく寄与した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alan_Turing
この戦争でナチスが使ったエニグマ暗号を解読するという、その絶対的に枢要な役割はどれだけ大げさに強調してもしきれない。・・・
原爆ではなく、いや、レーダーですらなく、素晴らしい科学者達による、極度の秘密裏に働き続きで行われたところの、この目立たない、暗号解読作業こそがこの戦争を本当に勝利に導いたのだ。・・・」(f)
→諸書評から抜き出したこれらの記述だけでも、この本がいかにドイツ一本やりで、(イタリアはどうでもよいとして、)日本を無視しているかは明らかです。
最後の暗号解読のところは、書評から日本の暗号の米国による解読についてもこの本がとりあげていることは分かるのですが、力点がドイツの暗号の英国による解読に置かれているのは明らかです。
私が何度も指摘しているように、戦後の英国が、先の大戦での日本による「敗北」・・大英帝国の過早な崩壊(、更に言えば、これに加えて赤露による「敗北」)・・から目を逸らし続け、ドイツに対する「勝利」だけを凝視してきた、という病理現象の徴表の典型的な一例がここにあります。(太田)
(6)連合国の総合力
「・・・この戦争の結果についてのヒットラー中心的な説明の問題点は、それが連合国側の努力の性格を貶める(play down)ところにある。
ロバーツがこの本で示唆しているように、多数の人口を擁し、或いはより多くの経済的資源があるからと言って、1942年にはこの連合国の優位がソ連領域の<ドイツによる>征服によって相当掘り崩されたこともあって、それだけで連合国にとって十分であったことは一度もなかった。
<ロバーツが彼の別著の>『主人達と司令官達(Masters and Commanders)』の中で極めて明確に示したように、連合国は、これらの有利な点を効果的な戦闘力に転化する必要があったのだ。
連合国がこれをすべての戦域でどのように行うかは、軍事組織、軍事技術と軍事戦術における重要な諸変化<の実行>、及び枢軸諸国に対する闘争(struggle)に対する国内における熱意の活用(harness)にかかっていた。
ヒットラーがこの戦争を敗北に導いたと言うだけでは十分ではないのだ。
連合国がこの戦争を勝利に導くこともまた必要だったのだ。・・・」(k)
→ここはナンセンスです。
連合国の総合力、すなわち国力には、(人口や天然資源を勘案したところの)経済力だけでなく、組織論の水準、科学技術力、そして最新の組織論や科学技術に裏付けられた軍事戦術の革新力、が含まれるのであり、書評子(や恐らくはロバーツ)が言っていることは、トートロジー以外の何物でもありません。(太田)
4 終わりに
「・・・ロバーツ氏は、この軍事物語を、ダグラス・マッカーサー大将の米艦ミズーリ上での祝祷<(注19)>、「平和が今やこの世界に回復され、神がそれを永久に維持されるよう祈ろう。これで式を終える」で終える。・・・」(c)
(注19)礼拝式の終わりに牧師が会衆のため神の祝福を求める祈り
http://ejje.weblio.jp/content/benediction
この書評子は、米国人の弁護士兼著述家たるジョナサン・ジョーダン(Jonathan W. Jordan)
http://www.jonathanwjordan.com/new_brv_template_007.htm
ですが、ロバーツといい、ジョーダンといい、先の大戦が日本の降伏によって終わったこと、それがソ連軍との交戦が続いていたために1945年の9月2日に行われた(注20)
(注20)ソ連軍は、8月28日〜9月1日に択捉・国後・色丹島を占領し、3日〜5日に歯舞群島を占領した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E3.82.BD.E9.80.A3.E3.81.AE.E5.AF.BE.E6.97.A5.E5.8F.82.E6.88.A6
こと、少なくとも英国に関しては既に対ソ冷戦が始まっていたこと、やがて米国も対ソ冷戦に突入し、1949年には支那を赤露が席巻し、1950年には朝鮮戦争が起こり、東西局地的熱戦が始まったこと、など忘れたかのようなノー天気なことをほざいている、と言わざるをえません。
(完)
<イギリス大衆の先の大戦観(続)(その5)>(2011.10.8公開)
ロバーツは、さすがに第一級の軍事史家では少なくともある、と誉めたいのは山々ですが、帝国陸軍が模範としてきたドイツ軍に、恐らくは英軍における歩兵優位意識を投影する形での「分析」を彼が行った部分は眉唾物です。
というのは、帝国陸軍の伝統を大いに継承しているところの陸上自衛隊においては、私自身の経験に照らせば、戦闘職種であるところの、普特機・・普は普通科の略だが歩兵、特は特科の略だが砲兵、機は機甲科の略だが騎兵(戦車兵)を意味する・・の3職種の、通信等のその他の職種に対する優位意識こそ厳然としてあったものの、歩兵の他職種に対する優位意識は存在しなかったからです。
ただ、ヒットラーの実戦経験が、彼の部下たるドイツ軍の将軍達に匹敵するかそれ以上であったことは確かであり、ヒットラーの作戦への口出しにはそれなりに合理的な部分もあったことでしょう。
いずれにせよ、ヒットラー以上に実戦経験が豊富であったチャーチルが作戦に口出しをして失敗を重ねたことを想起すれば、ヒットラーの口出しはもっと有害であった、と言っていいでしょうね。
(3)ドイツの短期決戦戦略
「この本のタイトルである『戦争の嵐(The Storm of War)』には、ドイツの敗北の理由に関するロバーツの中心的論点が隠されている。
嵐という戦争の概念は、ナチの電撃戦(blitzkrieg)・・ドイツ国家の政治的かつ経済的諸問題をすべてを何とか解決でするであろうところの電撃的勝利・・の観念を想起させる(summon up)。
しかし、タイトルでのこの言及は、ドイツがらみではなく英国がらみなのであって、ヒットラーがらみではなくチャーチルがらみなのだ。
チャーチルは、1940年6月4日に英下院において、英国が「戦争の嵐を乗り切る(ride out)」ことができることに全腔の信頼を抱いていると述べた。
稲妻は嵐の終わりではなく始まりの信号だ。
この閃光から逃れることができた者は、その航海において、生き残り、耐え、背中に追い風を受け、勝利する。
ドイツ軍がこの戦争に負けたのは、紛争が長かったためであり、長かった理由の一つはチャーチルが戦闘を放棄するのを拒んだためだが、主にはドイツの主要な戦争の諸目的が達成することが不可能であったからだ。・・・」(h)
(4)米国による原爆開発
「・・・結果的には、我々は、米国による原子兵器の開発の成功によって、ヒットラーが第二次大戦に勝利する可能性などいかなる意味でもほとんどなかったことを知っている。・・・」(e)
(5)連合国による暗号解読
「・・・結局のところ、決定的だったのは、英海軍の回復力(resilience)でもなければ、ドイツの次第に募る戦時生産能力でもなかった。
それは、数学者のアラン・チューリング(Alan Turing)<(注18)>とロンドン近郊のブレッチュレイ・パーク(Bletchley Park)の彼の同僚達が開発した秘密兵器だった。
(注18)1912〜54年。イギリスの数学家・論理学者・暗号解析者・コンピューター科学者。後の現代的コンピューターの生誕に大きく寄与した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alan_Turing
この戦争でナチスが使ったエニグマ暗号を解読するという、その絶対的に枢要な役割はどれだけ大げさに強調してもしきれない。・・・
原爆ではなく、いや、レーダーですらなく、素晴らしい科学者達による、極度の秘密裏に働き続きで行われたところの、この目立たない、暗号解読作業こそがこの戦争を本当に勝利に導いたのだ。・・・」(f)
→諸書評から抜き出したこれらの記述だけでも、この本がいかにドイツ一本やりで、(イタリアはどうでもよいとして、)日本を無視しているかは明らかです。
最後の暗号解読のところは、書評から日本の暗号の米国による解読についてもこの本がとりあげていることは分かるのですが、力点がドイツの暗号の英国による解読に置かれているのは明らかです。
私が何度も指摘しているように、戦後の英国が、先の大戦での日本による「敗北」・・大英帝国の過早な崩壊(、更に言えば、これに加えて赤露による「敗北」)・・から目を逸らし続け、ドイツに対する「勝利」だけを凝視してきた、という病理現象の徴表の典型的な一例がここにあります。(太田)
(6)連合国の総合力
「・・・この戦争の結果についてのヒットラー中心的な説明の問題点は、それが連合国側の努力の性格を貶める(play down)ところにある。
ロバーツがこの本で示唆しているように、多数の人口を擁し、或いはより多くの経済的資源があるからと言って、1942年にはこの連合国の優位がソ連領域の<ドイツによる>征服によって相当掘り崩されたこともあって、それだけで連合国にとって十分であったことは一度もなかった。
<ロバーツが彼の別著の>『主人達と司令官達(Masters and Commanders)』の中で極めて明確に示したように、連合国は、これらの有利な点を効果的な戦闘力に転化する必要があったのだ。
連合国がこれをすべての戦域でどのように行うかは、軍事組織、軍事技術と軍事戦術における重要な諸変化<の実行>、及び枢軸諸国に対する闘争(struggle)に対する国内における熱意の活用(harness)にかかっていた。
ヒットラーがこの戦争を敗北に導いたと言うだけでは十分ではないのだ。
連合国がこの戦争を勝利に導くこともまた必要だったのだ。・・・」(k)
→ここはナンセンスです。
連合国の総合力、すなわち国力には、(人口や天然資源を勘案したところの)経済力だけでなく、組織論の水準、科学技術力、そして最新の組織論や科学技術に裏付けられた軍事戦術の革新力、が含まれるのであり、書評子(や恐らくはロバーツ)が言っていることは、トートロジー以外の何物でもありません。(太田)
4 終わりに
「・・・ロバーツ氏は、この軍事物語を、ダグラス・マッカーサー大将の米艦ミズーリ上での祝祷<(注19)>、「平和が今やこの世界に回復され、神がそれを永久に維持されるよう祈ろう。これで式を終える」で終える。・・・」(c)
(注19)礼拝式の終わりに牧師が会衆のため神の祝福を求める祈り
http://ejje.weblio.jp/content/benediction
この書評子は、米国人の弁護士兼著述家たるジョナサン・ジョーダン(Jonathan W. Jordan)
http://www.jonathanwjordan.com/new_brv_template_007.htm
ですが、ロバーツといい、ジョーダンといい、先の大戦が日本の降伏によって終わったこと、それがソ連軍との交戦が続いていたために1945年の9月2日に行われた(注20)
(注20)ソ連軍は、8月28日〜9月1日に択捉・国後・色丹島を占領し、3日〜5日に歯舞群島を占領した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E3.82.BD.E9.80.A3.E3.81.AE.E5.AF.BE.E6.97.A5.E5.8F.82.E6.88.A6
こと、少なくとも英国に関しては既に対ソ冷戦が始まっていたこと、やがて米国も対ソ冷戦に突入し、1949年には支那を赤露が席巻し、1950年には朝鮮戦争が起こり、東西局地的熱戦が始まったこと、など忘れたかのようなノー天気なことをほざいている、と言わざるをえません。
(完)
太田述正ブログは移転しました 。
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