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太田述正コラム#4862(2011.7.11)
<米国の戦後における市場原理主義について(その2)>(2011.10.1公開)
「合理的選択哲学の名誉のために記しておくが、この哲学は、明確で独自の(distinct)主張を哲学の三つの主要分野で行った。
存在論的(ontologically)的には、この哲学は現実が一連の不連続の(discrete)選択肢・・互いに最低限か、ほんのちょっとか、或いは、全く重ならないところの、線形の「因果関係の連鎖」の中から人が選ぶことができることが前提であることを強調する。
また、認識論的(epistemologically)には、<この哲学は、>選択が強調されることから、我々の選択が合理的でなければならないとすれば我々は自分達が何を選ぼうとしているかを知っている必要があるため、かかる連鎖を少なくとも初期段階では確実にほぼ近く知りうることが前提となるとする。
かくして、知識は、基礎付け主義的(foundationalistic)<(注6)>で積み上げ的(incremental)なものとなる。
(注6)基礎付け主義:「命題の確実さは、絶対確実な疑い得ない根拠から正当化の連鎖によって派生的に与えられるものであるとみなす」考え方。「古典的基礎づけ主義から、基礎的信念の絶対確実性の要請をとりはらったのが穏健な基礎づけ主義 (modest foudationalism) である。基礎的信念の上に他の信念が積み上げられるという正当化の構造は古典的基礎づけ主義と共通である。しかし、基礎的信念は「それ自体で非常に確からしい」といった程度のものが使われ、推論としても演繹的推論だけでなく、帰納的推論も認めることが多い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E4%BB%98%E3%81%91%E4%B8%BB%E7%BE%A9
しかし、合理的選択哲学の真の重要性は倫理に存する。
合理的選択理論は、経済学の一部門であるので、人々の選好群について<いいとか悪いとか>詮索(question)することはない。
それは、単にそれらを彼らがいかに最大化しようとするかを研究する。
合理的選択哲学は、この倫理的中立性を維持しようとしているように見える・・・。
しかし、そうではないのだ。
私の選好群がどんなものであれ、私が富と権力を持っておればそれらが実現する可能性はより高い。
合理的選択哲学は、かくして、あなたの富と権力を増大させよ、という明確で争い難い道徳的至上命題を普及させることとなる!・・・
<こうして、米国で>ビジネススクールとロースクールが繁盛することにあいなるわけだ・・・。・・・
合理的選択理論は、2008年の経済危機の後でこそ集中攻撃されているけれど、依然として<米国において>経済分析の中心であり続けている。
<他方、>合理的選択哲学は、対照的に、一貫して、ありえないという受け止められ方(implausible)をされてきた。
一つ例をあげれば、ヘーゲル(Hegel)<(コラム#1865、2456、3489、3676、4481、4759)>は、<上述した、合理的選択哲学の存在論、認識論、倫理、の>三つの主張を、1世紀以上も前に、その『哲学的諸科学の百科事典(Encyclopedia of the Philosophical Sciences)』の中で、ことごとく否定している。
この著作の中で、<彼は、>彼の他の書き物の中においてと同様、自然はきれいに因果関係的ではなく、偶然性(randomness)によって貫かれている<としている>。
この混沌(chaos)のせいで、我々は、我々のコミュニティが教えてくれるまで我々がやったことの意義が分からない。
そして、こういうわけで、倫理的生活は、富と権力の追求に存するのではなく、正しい種類のコミュニティに我々自身を統合していくことに存する<、という>のだ。<(注7)>
(注7)この箇所を検証することは私の力に余る。
<合理的選択哲学に対して>批判的な諸見解は、戦後の米国でもすぐに出現した。
1953年にW・V・Q・クワイン(Quine)<(注8)>は、合理的選択認識論の諸欠陥を露わにした。
(注8)Willard Van Orman Quine。1908〜2000年。米国の哲学者にして分析学派の論理学者。彼の合理的選択理論批判は、このウィキペディアには出てこなかった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Willard_Van_Orman_Quine
そのちょっと後に、ジョン・ロールズ(John Rawls)<(コラム#1699、3624、3997)(注9)>は、<合理的選択倫理>のいかさまの(sham)倫理的中立性を俎上に載せ、選択の際の合理性には道徳的諸制約(constraints)が含まれる、と主張した。
(注9)1921〜2002年。ロールズの哲学と、それへのマイケル・サンデル(Michael J. Sandel)の批判について、コラム#3624を参照のこと。なお、サンデルは、ロールズの哲学をリバタリアニズム(≒合理的選択哲学)よりほんのちょっとマシなだけであると切り捨てている。
本筋からズレるが、ここでは、日本語ウィキペディアから、以下を引用しておく。
「<ロールズは、>1943年に<プリンストン大学を>・・・卒業後、アメリカ陸軍に入隊。第二次世界大戦中は歩兵としてニュ−ギニア、フィリピンを転戦、降伏後の日本を占領軍の一員として訪れて、広島の原爆投下の惨状を目の当たりにする。この経験から士官への昇任を辞退し、1946年に兵卒として陸軍を除隊する。・・・
第二次世界大戦中にイギリスによるドイツ空爆をその現実的必要性から擁護した。なお日本への原爆投下については、その不要性から米国政府を批判した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA
<また、>合理的選択存在論のきれいな因果関係は、常に量子物理学と不協和音を奏でている(at odds with)が、それは、人間の活動による因果関係的効果は極めて複雑なものであり、従前考えられていたよりも予測するのが困難であることをレイチェル・カーソン(Rachel Carson)<(注10)>の1962年の本、『沈黙の春(The Silent Spring)』が露わにしたところの、環境的危機によって、一層の混乱に陥っ<て現在に至っ>ている。・・・」
(注10)1907〜1964年。米国の生物学者。『沈黙の春』はDDTの禁止の引き金となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3
(以上、特に断っていない限り、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のジョン・マッカンバー(John McCumber)教授による下掲コラムによる。↓)
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2011/06/19/the-failure-of-rational-choice/?hp
(6月20日アクセス)
ずっと以前(コラム#1211で)、米国のスタンフォード大学(ビジネススクール及び政治学科)に留学(1974〜76年)した当時、「経済学<は>、米国の社会科学全体に共通する人間観・社会観、より端的に言えば、イデオロギー、を提示してい<まし>た・・・。そのイデオロギーとは、裸の個人主義であり、個人が一人一人異なる効用関数とリスク選好度をひっさげて、自分の欲望の充足のために相互に取引(transaction)を行い、かかる無数の取引の結果として予定調和的な市場・・社会・・が成立する、というものであり、これは人間が社会的存在であることを無視した異常なイデオロギーである、というのが私の感想でした」と記したところですが、どうして米国がそうなったかの一つの説明として、以上を受け止めてください。
1970年代中頃に、このような印象を抱いた私としては、マッカンバーの言う、「合理的選択哲学は、対照的に、一貫して、ありえないという受け止められ方・・・をされてきた」には同意できません。
戦後の米国において、合理的選択論が米国の経済学において中心的位置を譲ったことがないとすれば、合理的選択論を一般化したところの合理的選択哲学は、米国において、以下でご説明するように、リバタリアニズムという衣を纏うことによって、1970年代から、米国人・・少なくともその大衆・・のものの考え方の中心的位置を占めて現在に至っている、と私は考えているからです。
(続く)
<米国の戦後における市場原理主義について(その2)>(2011.10.1公開)
「合理的選択哲学の名誉のために記しておくが、この哲学は、明確で独自の(distinct)主張を哲学の三つの主要分野で行った。
存在論的(ontologically)的には、この哲学は現実が一連の不連続の(discrete)選択肢・・互いに最低限か、ほんのちょっとか、或いは、全く重ならないところの、線形の「因果関係の連鎖」の中から人が選ぶことができることが前提であることを強調する。
また、認識論的(epistemologically)には、<この哲学は、>選択が強調されることから、我々の選択が合理的でなければならないとすれば我々は自分達が何を選ぼうとしているかを知っている必要があるため、かかる連鎖を少なくとも初期段階では確実にほぼ近く知りうることが前提となるとする。
かくして、知識は、基礎付け主義的(foundationalistic)<(注6)>で積み上げ的(incremental)なものとなる。
(注6)基礎付け主義:「命題の確実さは、絶対確実な疑い得ない根拠から正当化の連鎖によって派生的に与えられるものであるとみなす」考え方。「古典的基礎づけ主義から、基礎的信念の絶対確実性の要請をとりはらったのが穏健な基礎づけ主義 (modest foudationalism) である。基礎的信念の上に他の信念が積み上げられるという正当化の構造は古典的基礎づけ主義と共通である。しかし、基礎的信念は「それ自体で非常に確からしい」といった程度のものが使われ、推論としても演繹的推論だけでなく、帰納的推論も認めることが多い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E4%BB%98%E3%81%91%E4%B8%BB%E7%BE%A9
しかし、合理的選択哲学の真の重要性は倫理に存する。
合理的選択理論は、経済学の一部門であるので、人々の選好群について<いいとか悪いとか>詮索(question)することはない。
それは、単にそれらを彼らがいかに最大化しようとするかを研究する。
合理的選択哲学は、この倫理的中立性を維持しようとしているように見える・・・。
しかし、そうではないのだ。
私の選好群がどんなものであれ、私が富と権力を持っておればそれらが実現する可能性はより高い。
合理的選択哲学は、かくして、あなたの富と権力を増大させよ、という明確で争い難い道徳的至上命題を普及させることとなる!・・・
<こうして、米国で>ビジネススクールとロースクールが繁盛することにあいなるわけだ・・・。・・・
合理的選択理論は、2008年の経済危機の後でこそ集中攻撃されているけれど、依然として<米国において>経済分析の中心であり続けている。
<他方、>合理的選択哲学は、対照的に、一貫して、ありえないという受け止められ方(implausible)をされてきた。
一つ例をあげれば、ヘーゲル(Hegel)<(コラム#1865、2456、3489、3676、4481、4759)>は、<上述した、合理的選択哲学の存在論、認識論、倫理、の>三つの主張を、1世紀以上も前に、その『哲学的諸科学の百科事典(Encyclopedia of the Philosophical Sciences)』の中で、ことごとく否定している。
この著作の中で、<彼は、>彼の他の書き物の中においてと同様、自然はきれいに因果関係的ではなく、偶然性(randomness)によって貫かれている<としている>。
この混沌(chaos)のせいで、我々は、我々のコミュニティが教えてくれるまで我々がやったことの意義が分からない。
そして、こういうわけで、倫理的生活は、富と権力の追求に存するのではなく、正しい種類のコミュニティに我々自身を統合していくことに存する<、という>のだ。<(注7)>
(注7)この箇所を検証することは私の力に余る。
<合理的選択哲学に対して>批判的な諸見解は、戦後の米国でもすぐに出現した。
1953年にW・V・Q・クワイン(Quine)<(注8)>は、合理的選択認識論の諸欠陥を露わにした。
(注8)Willard Van Orman Quine。1908〜2000年。米国の哲学者にして分析学派の論理学者。彼の合理的選択理論批判は、このウィキペディアには出てこなかった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Willard_Van_Orman_Quine
そのちょっと後に、ジョン・ロールズ(John Rawls)<(コラム#1699、3624、3997)(注9)>は、<合理的選択倫理>のいかさまの(sham)倫理的中立性を俎上に載せ、選択の際の合理性には道徳的諸制約(constraints)が含まれる、と主張した。
(注9)1921〜2002年。ロールズの哲学と、それへのマイケル・サンデル(Michael J. Sandel)の批判について、コラム#3624を参照のこと。なお、サンデルは、ロールズの哲学をリバタリアニズム(≒合理的選択哲学)よりほんのちょっとマシなだけであると切り捨てている。
本筋からズレるが、ここでは、日本語ウィキペディアから、以下を引用しておく。
「<ロールズは、>1943年に<プリンストン大学を>・・・卒業後、アメリカ陸軍に入隊。第二次世界大戦中は歩兵としてニュ−ギニア、フィリピンを転戦、降伏後の日本を占領軍の一員として訪れて、広島の原爆投下の惨状を目の当たりにする。この経験から士官への昇任を辞退し、1946年に兵卒として陸軍を除隊する。・・・
第二次世界大戦中にイギリスによるドイツ空爆をその現実的必要性から擁護した。なお日本への原爆投下については、その不要性から米国政府を批判した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA
<また、>合理的選択存在論のきれいな因果関係は、常に量子物理学と不協和音を奏でている(at odds with)が、それは、人間の活動による因果関係的効果は極めて複雑なものであり、従前考えられていたよりも予測するのが困難であることをレイチェル・カーソン(Rachel Carson)<(注10)>の1962年の本、『沈黙の春(The Silent Spring)』が露わにしたところの、環境的危機によって、一層の混乱に陥っ<て現在に至っ>ている。・・・」
(注10)1907〜1964年。米国の生物学者。『沈黙の春』はDDTの禁止の引き金となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3
(以上、特に断っていない限り、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のジョン・マッカンバー(John McCumber)教授による下掲コラムによる。↓)
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2011/06/19/the-failure-of-rational-choice/?hp
(6月20日アクセス)
ずっと以前(コラム#1211で)、米国のスタンフォード大学(ビジネススクール及び政治学科)に留学(1974〜76年)した当時、「経済学<は>、米国の社会科学全体に共通する人間観・社会観、より端的に言えば、イデオロギー、を提示してい<まし>た・・・。そのイデオロギーとは、裸の個人主義であり、個人が一人一人異なる効用関数とリスク選好度をひっさげて、自分の欲望の充足のために相互に取引(transaction)を行い、かかる無数の取引の結果として予定調和的な市場・・社会・・が成立する、というものであり、これは人間が社会的存在であることを無視した異常なイデオロギーである、というのが私の感想でした」と記したところですが、どうして米国がそうなったかの一つの説明として、以上を受け止めてください。
1970年代中頃に、このような印象を抱いた私としては、マッカンバーの言う、「合理的選択哲学は、対照的に、一貫して、ありえないという受け止められ方・・・をされてきた」には同意できません。
戦後の米国において、合理的選択論が米国の経済学において中心的位置を譲ったことがないとすれば、合理的選択論を一般化したところの合理的選択哲学は、米国において、以下でご説明するように、リバタリアニズムという衣を纏うことによって、1970年代から、米国人・・少なくともその大衆・・のものの考え方の中心的位置を占めて現在に至っている、と私は考えているからです。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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