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太田述正コラム#4860(2011.7.10)
<米国の戦後における市場原理主義について(その1)>(2011.9.30公開)

1 始めに代えて

 ノーベル経済学賞を受賞したスティーグリッツ(Joseph E. Stiglitz)(コラム#2854、3541、3996、4327)が次のように記しています。

 「規制解除された資本主義は我々に不況をもたらした。
 それなのに、我々が、依然としてそのチャンピオン達の言に耳を傾けているのはどうしてなのだろうか。
 何年か前、自由と無制限の(unfettered)市場という強力なイデオロギーが世界を滅亡寸前にした。
 1980年代から2007年までのその全盛時においても、米国流の規制解除資本主義は世界で最も富んだ国の最も金持ち達にしか、より大きな物質的福利をもたらさなかった。
 実際のところ、30年間にわたってこのイデオロギーが優勢であった間、大部分の米国人は自分の所得が減少するか停滞した。
 しかも、米国の総生産の成長率は経済的に維持不可能だった。
 米国の国民所得のかくも大きな部分がかくも少数に帰したため、成長は、山のように積み上がる債務によって資金の手当てがなされた消費によってのみ続けることができた<に過ぎなかったからだ>。・・・
 <とはいえ、>10年前、経済ブームの只中において、米国は巨大な黒字をあげ、そのおかげで国家債務は解消されるように見えた。
 ところが、とてもコスト的に引き合わない累次の減税と戦争、大きな景気後退、そして医療費の高騰・・これは、一部、ジョージ・W・ブッシュ政権が、政府のカネさえも使って、製薬会社に価格設定の自由を与えたことによって生じたものだ・・によって、すぐに、巨大な黒字は記録的な平時の赤字へと変わってしまった。・・・」
http://www.slate.com/id/2298580/
(7月8日アクセス)

 私は、以前(コラム#3754で)、「要するに、米国は人種主義的帝国主義的なイギリスだということですね。<→>そのとおりですが、もう一つ、米国がイギリスと異なる点があることを忘れてはなりません。・・・米国人は、市場原理主義的なのです。」と申し上げたところですが、なにゆえに、1980年代から2000年代にかけての30年間において、米国がとりわけ市場原理主義的になったのか、というのが本シリーズのテーマなのです。

2 合理的選択理論(Rational Choice Theory)

 「・・・合理的選択哲学は、汝の富と権力を増やせ!、という明確で争い難い道徳的至上命題を掲げる。
 米国の基本的な語彙の一つの傑出して顕著な構成要素は「個人主義」だ。
 我々の社会は、ユニークな諸権利と諸自由とを個人達に授与し、我々はこれらのことにとても誇りを持っていて、繰り返し、これらを他の諸国にも導入しようと図る。
 しかし、個人主義・・自分の人生をコントロールしようとする欲求・・には多くの変異型がある。
 トックヴィル(Tocqueville)<(コラム#88、503、3714、3721、3959、4089、4107、4367、4481)>は、それを利己的行動と見てそれに疑いを持ったし、エマーソン(Emerson)<(コラム#3683、4034、4040、4161、4334、4412、4334)(注1)>とホイットマン(Whitman)<(注2)>は、それを、人それぞれによるところの、自らのユニークさと自らへの愛の瞬間瞬間における表現である、と見た。

 (注1)Ralph Waldo Emerson。1803〜82年。米国の随筆家・講演家・詩人で超絶主義(Transcendentalist)運動<(コラム#4412、4334)>の指導者で個人主義の旗手。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ralph_Waldo_Emerson
 (注2)Walter "Walt" Whitman 。1819〜92年。米国の随筆家・ジャーナリスト・ヒューマニスト。超絶主義からリアリズム(realism)への移行期を代表する人物の一人。
http://en.wikipedia.org/wiki/Walt_Whitman

 第二次世界大戦後、第三の変異型が米国で勢いを得た。
 それは、個人主義を、人の選好を極大化するような選択を行うことであると定義した。
 これは、選好が特定されないところの「利己的個人主義」とは異なっていた。
 選好は利他的な場合も利己的な場合もありえ<ることとされ>たのだ。
 <また、>それは、諸選択が行われる一般的諸アルゴリズム(=演算法)を持っている点で「表現に富む(expressive)個人主義」とも異なっていた。
 それは、個人主義を合理的なものにしたのだ。
 この個人主義の<新しい>形態は偶然生まれたのではない。
 アレックス・アベラ(Alex Abella)<(注3)>の『理性の兵士達(Soldiers of Reason)』(2008年)とS・M・アマダエ(Amadae)<(注4)>の『資本主義的民主主義の合理化(Rationalizing Capitalist Democracy)』(2003年)は、遡れば、カリフォルニア州サンタモニカ所在の超のつく影響力を有するところのシンクタンクたるランド研究所(RAND Corporation)<(注5)>で、1951年に「合理的選択理論」として生まれたのだ。

 (注3)1950年〜。キューバ生まれの米国の著述家・ジャーナリスト。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alex_Abella
 (注4)オハイオ州立大学政治学助教。女性。
http://polisci.osu.edu/faculty/samadae/index.htm
 (注5)「ランド研究所は1946年にアメリカ陸軍航空軍が、軍の戦略立案と研究を目的とした ランド計画Project RANDとして設立したのが始まりである。設立当初はダグラス・エアクラフトとの契約に基づくもので<あったが、>・・・1948年5月、Project RAND は ダグラス社から分離され、独立NPOとなった。その後、軍事関連の戦略研究から民生分野の公共政策・経済予測や分析、様々なコンサルティングへと分野を拡げたものの、2004年の年報にある様に「ランド研究所の研究の半分に国家安全保障問題が関係している」など未だ軍事戦略の研究機関としての性格を色濃く残している。・・・
 システム分析の・・・多くの解析手法がランドで発明されている。例えば、動的計画法、ゲーム理論、デルファイ法、線形計画法、システム分析、exploratory modeling などである。ランド研究所はウォーゲームを分析手段として開発し使用したことでも知られている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
 経済学賞を中心にノーベル賞を受賞したRAND関係者は、これまでに32人にのぼる。
http://en.wikipedia.org/wiki/RAND_Corporation

 合理的選択理論は、もともとは投票行動に関して形成されたところの、個人的選択を数学的に説明する理論であり、多くの冷戦の戦士達の見解ではマルキシズムは世界中で優勢となっており、それに対する対抗手段(antidote)が切実に必要とされていたことから マルキシズムの集団主義的弁証法に対する逐一的(point-for-point)対抗手段に仕立てあげられた。
 RANDの役職者達は、すぐにこの理論を社会分析のための道具から、我々が言うところの「合理的選択哲学」なる一連の普遍的諸教義へと拡張した。
 政府のゼミナールや団体(fellowships)は、それ以外のいかなる代替物も定義上集団主義的であるという事実に助けられつつ、<この哲学>を米国中の大学へと広めた。・・・
 この作戦全般は恐ろしくうまくいった。
 一旦、諸大学で確立されると、合理的選択哲学は、それぞれの大学の学生を通じて、円滑にビジネスや政府の「現実世界」に(もとより、もう一人の人物であるアイン・ランド(Ayn Rand)<(コラム#3632、3634、3636、3754)>の何冊かの小説とのクロスオーバーによって助けられながら、)普及して行った。・・・」

(続く)

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