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太田述正コラム#4764(2011.5.23)
<『東京に暮す』を読む(その1)>(2011.8.13公開)
1 始めに
オフ会の翌日から2日連続でヤボ用に巻き込まれ、相当疲れたこともあり、予定を変えて、しばらくの間、軽く、TAさん提供の、キャサリン・サンソム『東京に暮す 1928〜1936』岩波文庫(Katharine Sansom 'Living in Tokyo')から、私の印象に残った箇所をご紹介し、コメントを付すというシリーズを立ち上げることにしました。
私は、実は、この本を翻訳した大久保美春・・1987年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。比較文学比較文化専攻
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E2%80%95%E5%BB%BA%E7%AF%89%E3%81%AF%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8D%A7%E3%81%92%E7%89%A9-%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A9%95%E4%BC%9D%E9%81%B8-%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D-%E7%BE%8E%E6%98%A5/dp/4623052524
・・による巻末の解説(1994年8月)から読み始めたのですが、以下のくだりで、思わず失笑してしまいました。
「夫人が日本にやってきた1928年から離日する39年の間の日本の政治・経済・社会情勢は変化する一方であった。27年の金融恐慌ののち29年にはアメリカに発した世界恐慌の影響で日本の不景気は一層深刻化し、300万人もの失業者が町にあふれた。農村でもコメや繭の値段が下がって生活が苦しくなり、娘の身売りも増えた。31年には満州の侵略が始めり、33年、日本は国際連盟を脱退した。32年には五・一五事件、36年には二・二六事件がおき、軍部の力が強まっていった。
ところが本書にはそういった暗い政治・経済・社会情勢への言及はほとんどない。本書に描かれた日本の庶民は穏やかでおおらかで幸せであり、陽気で明るい。日本の社会が灰色からますます暗くなっていく中、夫人の描く日本は・・・華やかな社会であ<り、>・・・夢のある社会である。」(263〜264)
太田コラムの読者にとっては常識だと思いますが、大久保の戦前の日本を暗黒視する紋切り型の見方とサンソム夫人のそれとは180度異なっているのであって、夫人が言うところの、戦前の日本は、「庶民<が>穏やかでおおらかで幸せであり、陽気で明る<く、>・・・華やか<で>・・・夢のある社会であ」ったという見方の方が正しいのです。
いずれにせよ、大久保は、自分の抱く戦前日本観の方が正しいと思っていたのなら、生活費稼ぎのために翻訳だけするのならともかく、そんな駄本の解説を書くことをそもそも引き受けるべきではありませんでしたし、夫人の戦前日本観の方が正しいと思っていたのなら、それと矛盾するような自分の戦前日本観を解説の中で披露するのは(昔風の表現で言えば、)精神分裂症であると言われても致し方ありますまい。
2 引用とコメント
戦前の日本じゃ時間が今よりゆっくり流れていたんだなあと気づかせてくれる記述等も面白いのですが、戦前も今も変わらぬ、私の言うところの人間主義(その系として日本型政治経済体制がある)に直接間接関わる記述を中心にご紹介することにしましょう。
「日本の魅力の一つは使用人です。私たちがどんな困難にぶつかろうが、どんな悩みが持ち上がろうが、いつも使用人が傍にいて、何とか役に立ちたいと願い、家族の一員であることに喜びを感じてくれます。いつでも主人を慰め元気づけてくれます。」(15)
「日本には古くから人に尽くすという優れた伝統がある・・・。」(25)
「女性<は>母のようにやさしく献身的で<す。>」(45)
→まさに人間主義ここにありって感じですね。(太田)
「なんといっても日本人の最大の特徴は自然と交わり、自然を芸術的に味わうことです。・・・<家が質素であることもあり、>自然の状態に敏感であることが美を感じる心と密接に結びついています。・・・
農民の仕事はとても大変なのに彼らは自然と格闘しているようには見えません。彼らは、むしろ、成長しては滅びることを繰り返して永遠に再生し続ける自然界の一員であり、そしてまた、この循環のあらゆる過程を美しいものとして味わうことができる優れた感受性を持っている人たちなのです。」(43)
→自然も日本人は擬人化し、この擬人化された自然と人間主義的につきあう毎日を送るわけです。(太田)
「仕事と遊びとを一緒にしてしまうという日本人の才能」(50)
「日本では買うつもりもないのに商品をよく眺めて手で触ったりすることが平気で行なわれますが、本屋も例外ではありません。」(57)
→人間主義社会たる日本においては、組織における人間関係も市場における売り手と買い手の間の関係も、単なる機能的な関係ではなく、全人的な関係であることから、こういうことになる、ということです。
(続く)
<『東京に暮す』を読む(その1)>(2011.8.13公開)
1 始めに
オフ会の翌日から2日連続でヤボ用に巻き込まれ、相当疲れたこともあり、予定を変えて、しばらくの間、軽く、TAさん提供の、キャサリン・サンソム『東京に暮す 1928〜1936』岩波文庫(Katharine Sansom 'Living in Tokyo')から、私の印象に残った箇所をご紹介し、コメントを付すというシリーズを立ち上げることにしました。
私は、実は、この本を翻訳した大久保美春・・1987年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。比較文学比較文化専攻
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E2%80%95%E5%BB%BA%E7%AF%89%E3%81%AF%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8D%A7%E3%81%92%E7%89%A9-%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A9%95%E4%BC%9D%E9%81%B8-%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D-%E7%BE%8E%E6%98%A5/dp/4623052524
・・による巻末の解説(1994年8月)から読み始めたのですが、以下のくだりで、思わず失笑してしまいました。
「夫人が日本にやってきた1928年から離日する39年の間の日本の政治・経済・社会情勢は変化する一方であった。27年の金融恐慌ののち29年にはアメリカに発した世界恐慌の影響で日本の不景気は一層深刻化し、300万人もの失業者が町にあふれた。農村でもコメや繭の値段が下がって生活が苦しくなり、娘の身売りも増えた。31年には満州の侵略が始めり、33年、日本は国際連盟を脱退した。32年には五・一五事件、36年には二・二六事件がおき、軍部の力が強まっていった。
ところが本書にはそういった暗い政治・経済・社会情勢への言及はほとんどない。本書に描かれた日本の庶民は穏やかでおおらかで幸せであり、陽気で明るい。日本の社会が灰色からますます暗くなっていく中、夫人の描く日本は・・・華やかな社会であ<り、>・・・夢のある社会である。」(263〜264)
太田コラムの読者にとっては常識だと思いますが、大久保の戦前の日本を暗黒視する紋切り型の見方とサンソム夫人のそれとは180度異なっているのであって、夫人が言うところの、戦前の日本は、「庶民<が>穏やかでおおらかで幸せであり、陽気で明る<く、>・・・華やか<で>・・・夢のある社会であ」ったという見方の方が正しいのです。
いずれにせよ、大久保は、自分の抱く戦前日本観の方が正しいと思っていたのなら、生活費稼ぎのために翻訳だけするのならともかく、そんな駄本の解説を書くことをそもそも引き受けるべきではありませんでしたし、夫人の戦前日本観の方が正しいと思っていたのなら、それと矛盾するような自分の戦前日本観を解説の中で披露するのは(昔風の表現で言えば、)精神分裂症であると言われても致し方ありますまい。
2 引用とコメント
戦前の日本じゃ時間が今よりゆっくり流れていたんだなあと気づかせてくれる記述等も面白いのですが、戦前も今も変わらぬ、私の言うところの人間主義(その系として日本型政治経済体制がある)に直接間接関わる記述を中心にご紹介することにしましょう。
「日本の魅力の一つは使用人です。私たちがどんな困難にぶつかろうが、どんな悩みが持ち上がろうが、いつも使用人が傍にいて、何とか役に立ちたいと願い、家族の一員であることに喜びを感じてくれます。いつでも主人を慰め元気づけてくれます。」(15)
「日本には古くから人に尽くすという優れた伝統がある・・・。」(25)
「女性<は>母のようにやさしく献身的で<す。>」(45)
→まさに人間主義ここにありって感じですね。(太田)
「なんといっても日本人の最大の特徴は自然と交わり、自然を芸術的に味わうことです。・・・<家が質素であることもあり、>自然の状態に敏感であることが美を感じる心と密接に結びついています。・・・
農民の仕事はとても大変なのに彼らは自然と格闘しているようには見えません。彼らは、むしろ、成長しては滅びることを繰り返して永遠に再生し続ける自然界の一員であり、そしてまた、この循環のあらゆる過程を美しいものとして味わうことができる優れた感受性を持っている人たちなのです。」(43)
→自然も日本人は擬人化し、この擬人化された自然と人間主義的につきあう毎日を送るわけです。(太田)
「仕事と遊びとを一緒にしてしまうという日本人の才能」(50)
「日本では買うつもりもないのに商品をよく眺めて手で触ったりすることが平気で行なわれますが、本屋も例外ではありません。」(57)
→人間主義社会たる日本においては、組織における人間関係も市場における売り手と買い手の間の関係も、単なる機能的な関係ではなく、全人的な関係であることから、こういうことになる、ということです。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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