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太田述正コラム#4760(2011.5.21)
<2011.5.21オフ会次第>(2011.8.11公開)
1 始めに
案ずるより産むがごとし。
蓋をあけてみれば、1次会は11人(私を除く。以下同じ)、2次会は10人、3次会は8人の出席者がありました。
また、1次会と2次会に、(同じ)2人の新人の読者お2人が出席しました。
2 オフ会での質疑応答から(ほんの一部。順不同)
Q:伊藤博文は漸進的立憲主義者であり、文明を朝鮮にも普及させようとしたところの、「知の政治家」ならぬ「練達の政治家」だと私は思うが、太田さんの伊藤評価は?
A:文明の周辺地域への普及は、対露安全保障と車の両輪をなしており、当時の日本の指導層のコンセンサスだった。だから、当然、伊藤もそうだったというだけのことだと思う。
コラム#4758で、サンクト・ペテルブルグ在の英国の外交官が時の英外相宛て公信で、日本が(私の言うところの)人間主義的対外政策を推進していると記していることを紹介したが、恐らくサンクト・ペテルブルグ在の日本の外交官あたりから聞いた話だろう。
つまり、当時の日本の政治家であれ外交官であれ、別段プロパガンダ目的でそう言わされていたということではなく、彼らが共通に信じていたことをごく自然に口に出していたのだと想像している。
なお、せっかく瀧井一博『伊藤博文 知の政治家』(中公新書 2010年)・・2010年度サントリー学芸賞受賞・・をご提供いただいたので、読んだ上で、機会があれば、改めて私の伊藤論を展開したいと思う。
Q:日本は戦時中も民主主義であったという話は、太田さんの主張中、一番違和感がある。
A:戦時中、地方の裁判所が憲法違反判決に近いようなものを出せたこと、議会(就中衆議院)を通さなければ予算も法律も成立しなかったこと。予算や法律には軍関係のものも含まれていたこと、現実に軍部に議会が大きな影響力を行使していたこと、等は民主主義が機能していたとしか形容の仕方がない。
なお、何度も言っていることだが、有事に人権が制限されるのは当たり前だ。
オサマ・ビンラディンが仮に米国籍を持っていたとしても、米国は彼を殺害しただろう。
いわんや、人権の制限なんて目じゃない、と思わなくっちゃ。
Q:しかし、戦前・戦中の日本の場合、統帥権を行政府は持っていなかった。
A:作戦統制権を、憲法上、というか慣行上、行政府は持っていなかったわけだが、基本にあたる予算案や法律案の策定権を持っていたのだから、議会とあいまって十分民主主義が機能していたと言えよう。
Q:防衛庁(省)はひどいひどいと太田さんは言うが、外務省の方がはるかにひどい。
また、旧文部省もひどかった・・そのため、日本の大学、とりわけ旧国立大学の荒廃はすさまじい・・し、旧厚生省もそうだ。旧労働省は最もひどかった。
裁判官は社会を知らず、いやむしろそれをよしとしていて、非常識な人が多いし、弁護士は組織人ではないので、社会人としてのトレーニングを全く受けていないだけでなく、勉強もあまりしていない人が多く、使い物にならない人が多数を占める。
A:確かに、防衛庁(省)のひどさは、役所自体のひどさというよりは、それを取り巻く日本の防衛をめぐる環境がひどいことの必然的反映である、という面がある。
裁判官については、名誉棄損訴訟の時につくづく、おっしゃるようなことを感じた。
しかし、家裁の裁判官はもっとダメなのではないか。
ただ、裁判官には腐敗している人がほとんどいないようであることだけは救いだが・・。
弁護士についてだが、競争原理が働いていないのではないか。
極めて間口が広く、かつ顧客の人生を左右することも少なくない仕事をやっているのだから、間口が相対的に狭く、その代わり人命そのものを扱っている医者にならって、専門に本来分かれていてしかるべきだ。
かろうじて、裁判に原則関わらない弁護士・・企業同士の契約書作成等に携わる・・と裁判に関わる弁護士といった区分けはあるが・・。
だから、手続き面では我々は彼らに逆立ちしてもかなわないけれど、実体面では、ちょっと勉強したら、彼らより詳しくなれてしまえそうな感じだ。
また、法学部の学生時代に身につけたはずの法に関する基本的常識を失念してしまっている弁護士も少なくない。
弁護士は社会人としてのトレーニングを全く受けていないという指摘についてもその通りだが、だからこそ、弁護士の側での努力が求められる。
役人の場合は、その全員が顧客相手のサービス業に従事していると言えるかどうかは微妙だが、弁護士は文字通り全員がそうだ。
しかし、その自覚がないどころか、顧客に対してぞんざい言葉を使ったり上から目線だったりの弁護士が少なくないのには驚く。
もっとひどいケースだが、目の前で長々と私用の電話に出て、時間が足らなくなり、結局、私が別の日にもう一度弁護士の事務所に足を運ばなければならなくなったり、裁判所の期日をすっぽかしたり、期日に直接私が渡した書面を紛失してしまい、FAXでもう一度送ってくれと電話で泣きついてきたり、といったことがあった。
こんなことを行政官庁の役人がしでかしたらそれだけでアウチなのにね。
Q:公認会計士は腐敗しきっていると税理士の友人が言っていた。
これは、しばしば言われるように、両者が犬猿の仲であるからではなく、心底そうだと言うのだ。
A:おっしゃる通りであり、私自身、段々それが分かってきた。
コラム#1072で、今にして思えば、ある意味典型的な会計士・・クライアントたる企業と癒着しているとしか思えない会計士・・との不幸な出会いについて書いたことがある。
ちなみに、その会計士が粉飾決算に関与したとして逮捕されたと記したところ、彼、最高裁まで争った結果、昨年判決が確定し、執行猶予つきの懲役刑を食らった、ということをつい最近インターネット上で知った。
その彼が、日本の検察や裁判所をけちょんけちょんにけなしているらしい。
このところ、検察・裁判所批判がはやっているが、大方は、ダメで腐敗した者がダメだけの司法をけなしている、という滑稽な図式だ。
Q:日本の場合、企業人は相対的にマシだが、東電の連中はダメだ。
ほとんどの仕事を関連会社にぶんなげ、ただふんぞり返っている、というイメージだ。A:・・・。
<2011.5.21オフ会次第>(2011.8.11公開)
1 始めに
案ずるより産むがごとし。
蓋をあけてみれば、1次会は11人(私を除く。以下同じ)、2次会は10人、3次会は8人の出席者がありました。
また、1次会と2次会に、(同じ)2人の新人の読者お2人が出席しました。
2 オフ会での質疑応答から(ほんの一部。順不同)
Q:伊藤博文は漸進的立憲主義者であり、文明を朝鮮にも普及させようとしたところの、「知の政治家」ならぬ「練達の政治家」だと私は思うが、太田さんの伊藤評価は?
A:文明の周辺地域への普及は、対露安全保障と車の両輪をなしており、当時の日本の指導層のコンセンサスだった。だから、当然、伊藤もそうだったというだけのことだと思う。
コラム#4758で、サンクト・ペテルブルグ在の英国の外交官が時の英外相宛て公信で、日本が(私の言うところの)人間主義的対外政策を推進していると記していることを紹介したが、恐らくサンクト・ペテルブルグ在の日本の外交官あたりから聞いた話だろう。
つまり、当時の日本の政治家であれ外交官であれ、別段プロパガンダ目的でそう言わされていたということではなく、彼らが共通に信じていたことをごく自然に口に出していたのだと想像している。
なお、せっかく瀧井一博『伊藤博文 知の政治家』(中公新書 2010年)・・2010年度サントリー学芸賞受賞・・をご提供いただいたので、読んだ上で、機会があれば、改めて私の伊藤論を展開したいと思う。
Q:日本は戦時中も民主主義であったという話は、太田さんの主張中、一番違和感がある。
A:戦時中、地方の裁判所が憲法違反判決に近いようなものを出せたこと、議会(就中衆議院)を通さなければ予算も法律も成立しなかったこと。予算や法律には軍関係のものも含まれていたこと、現実に軍部に議会が大きな影響力を行使していたこと、等は民主主義が機能していたとしか形容の仕方がない。
なお、何度も言っていることだが、有事に人権が制限されるのは当たり前だ。
オサマ・ビンラディンが仮に米国籍を持っていたとしても、米国は彼を殺害しただろう。
いわんや、人権の制限なんて目じゃない、と思わなくっちゃ。
Q:しかし、戦前・戦中の日本の場合、統帥権を行政府は持っていなかった。
A:作戦統制権を、憲法上、というか慣行上、行政府は持っていなかったわけだが、基本にあたる予算案や法律案の策定権を持っていたのだから、議会とあいまって十分民主主義が機能していたと言えよう。
Q:防衛庁(省)はひどいひどいと太田さんは言うが、外務省の方がはるかにひどい。
また、旧文部省もひどかった・・そのため、日本の大学、とりわけ旧国立大学の荒廃はすさまじい・・し、旧厚生省もそうだ。旧労働省は最もひどかった。
裁判官は社会を知らず、いやむしろそれをよしとしていて、非常識な人が多いし、弁護士は組織人ではないので、社会人としてのトレーニングを全く受けていないだけでなく、勉強もあまりしていない人が多く、使い物にならない人が多数を占める。
A:確かに、防衛庁(省)のひどさは、役所自体のひどさというよりは、それを取り巻く日本の防衛をめぐる環境がひどいことの必然的反映である、という面がある。
裁判官については、名誉棄損訴訟の時につくづく、おっしゃるようなことを感じた。
しかし、家裁の裁判官はもっとダメなのではないか。
ただ、裁判官には腐敗している人がほとんどいないようであることだけは救いだが・・。
弁護士についてだが、競争原理が働いていないのではないか。
極めて間口が広く、かつ顧客の人生を左右することも少なくない仕事をやっているのだから、間口が相対的に狭く、その代わり人命そのものを扱っている医者にならって、専門に本来分かれていてしかるべきだ。
かろうじて、裁判に原則関わらない弁護士・・企業同士の契約書作成等に携わる・・と裁判に関わる弁護士といった区分けはあるが・・。
だから、手続き面では我々は彼らに逆立ちしてもかなわないけれど、実体面では、ちょっと勉強したら、彼らより詳しくなれてしまえそうな感じだ。
また、法学部の学生時代に身につけたはずの法に関する基本的常識を失念してしまっている弁護士も少なくない。
弁護士は社会人としてのトレーニングを全く受けていないという指摘についてもその通りだが、だからこそ、弁護士の側での努力が求められる。
役人の場合は、その全員が顧客相手のサービス業に従事していると言えるかどうかは微妙だが、弁護士は文字通り全員がそうだ。
しかし、その自覚がないどころか、顧客に対してぞんざい言葉を使ったり上から目線だったりの弁護士が少なくないのには驚く。
もっとひどいケースだが、目の前で長々と私用の電話に出て、時間が足らなくなり、結局、私が別の日にもう一度弁護士の事務所に足を運ばなければならなくなったり、裁判所の期日をすっぽかしたり、期日に直接私が渡した書面を紛失してしまい、FAXでもう一度送ってくれと電話で泣きついてきたり、といったことがあった。
こんなことを行政官庁の役人がしでかしたらそれだけでアウチなのにね。
Q:公認会計士は腐敗しきっていると税理士の友人が言っていた。
これは、しばしば言われるように、両者が犬猿の仲であるからではなく、心底そうだと言うのだ。
A:おっしゃる通りであり、私自身、段々それが分かってきた。
コラム#1072で、今にして思えば、ある意味典型的な会計士・・クライアントたる企業と癒着しているとしか思えない会計士・・との不幸な出会いについて書いたことがある。
ちなみに、その会計士が粉飾決算に関与したとして逮捕されたと記したところ、彼、最高裁まで争った結果、昨年判決が確定し、執行猶予つきの懲役刑を食らった、ということをつい最近インターネット上で知った。
その彼が、日本の検察や裁判所をけちょんけちょんにけなしているらしい。
このところ、検察・裁判所批判がはやっているが、大方は、ダメで腐敗した者がダメだけの司法をけなしている、という滑稽な図式だ。
Q:日本の場合、企業人は相対的にマシだが、東電の連中はダメだ。
ほとんどの仕事を関連会社にぶんなげ、ただふんぞり返っている、というイメージだ。A:・・・。
太田述正ブログは移転しました 。
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