太田述正コラム#4728(2011.5.5)
<英国人の日本観の変遷(その6)>(2011.7.26公開)

 「1935年5月、・・・サー・フレデリック・ホワイト<(前出)>は
 誰でもいいから、最近上海から戻ってきた人に、いま上海はどんな状況だったか尋ねてみるとよい、するとその人は、日本のおかげで、あらゆる方面において進歩は驚くほどだ、と言うだろう。また、日本には恐れ入る、商工業者や政府がみな一体となって国益を推し進めようとしていて、その成果は努力の賜物だと思う、とも言うはずである。・・・」<という>談話<を行った。>」(241〜242)

→日本型政治経済体制が、海外進出の面でも見事に機能し始めていたこと、それにより、支那各地が裨益していたこと、が分かりますね。(太田)

 「後世になると、二・二六事件が日本で軍部の力を増大させたと、過程を単純化して叙述する傾向があるが、英国放送協会の1936年の放送は、ずっと複雑な見取り図を描いていた。2月の叛乱から2週間も経たないうちに、前大使フランシス・リンドレー<(注9)>は、明敏で繊細な評価を下しつつ分析を行った。リンドレーは暗殺された政治家の人となりを称賛し、日本政治における忠臣蔵の伝統に鋭く着目していたが、「われわれ自身とまったく同様に政治的暗殺を強く非難し、そうした習性は現実には秩序ある政治体制と両立しえないことを認める」日本人の思考のきわめて異なった要素にも注意を向けた。とりわけ興味深いのは、叛乱将校が受けた処遇の寛大さと思われるものに関するリンドレーの説明であった。彼はこれをおもに、「日本人はときに物事が極端に走るのに反対するという事実のため」--言い換えれば、妥協を善しとする志向のためだ、と説明した。こうして彼は、「文明・歴史・宗教といったあらゆる違いにもかかわらず、日本人はこのような点でわが島民と似通っている」と結論した。」(242〜243)

 (注9)Sir Francis Oswald Lindley。1872〜1950年。英国の外交官。駐日大使:1931〜34年。
http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Oswald_Lindley

 「O・M・グリーン<(注10)は、>・・・1937年3月2日<の>談話で、・・・政府武官の熟達さを称賛し、<前年の二・二六事件の>未遂クーデターを1877年の西南戦争に匹敵する出来事--旧き封建制度と近代立憲主義の対立--とみなした。・・・グリーンは暗殺を支持することはなかったが、暗殺犯の誠実さについて論及し、「目的が何であれ、それが利己主義でなかったことは確かであろう」と主張した。」(244〜245)

 (注10)O.M.Green。1937年に、Mutiny in Japan、Balance of Power in the East、War Clouds in the Far East、と題した話をBBCで行った人物である(248)、ということしか分からない。

→私はかつて「二・二六事件について、英国の政治学者のサミュエル・E・ファイナーは・・・The Man on Horseback: The Role of the Military in Politics<, 1962 の中で>、ドイツのカップ一揆(1920年)やフランスの4月反乱事件(1961年)とともに、米国、英国等のアングロサクソン諸国の成熟段階に次ぐ発展段階にリベラル・デモクラシー的政治文化が到達していた国で起こったために挫折したクーデタの例としている。・・・
 筒井清忠は、ファイナーの議論は、政治文化の相対性を認めず、米国や英国を至上とする近代主義的発展段階論の色彩が強すぎるとし、二・二六事件失敗の原因は、特異な天皇型政治文化にあった・・・天皇が神性を帯びていた<から>・・としているが、、・・・そう・・・ではあるまい。」(『防衛庁再生宣言』144〜145、149頁)と記したことがあります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Finer も参照した。)
 一時期を除けば、英国の知日派の識者たちは、一貫して、二・二六事件(や、恐らく五・一五事件)について、日本の後進性とか軍国主義の現れであるといった単純な見方はとっていないと言えるでしょう。
 なお、グリーンがクーデターを起こそうとした軍人たちを「旧き封建制度」の体現者と見たのは誤りであることはご承知のとおりです。(コラム#4515参照)(太田)

 「旅行者のリチャード・パイク<(注11)は、1936年>7〜8月にかけて行われた連続放送において・・・英国と対比しながら、日本が陥っている財政的な逼迫に率直に言及したが、日本のほうがおそらく優っているであろう生活領域を指摘もした。典型的な官吏について、「彼は、清潔で、美しく、快適で、優美な様式と雰囲気のなかで暮らしているが、ヨーロッパにはそうした官吏はいないし、一般的にも、それ以上の暮らしを楽しんでいるような者は、ほんの一握りにすぎない」と評した。」(243)

 (注11)Richard Lionel Pyke。著書にThe Green Edge of Asia(1937)があり、1936年に、Japnese Overture、The Inn、Double Lives、と題した話をBBCで行った人物である(248)ということしか分からない。

→戦間期の日本の政治家(リンドレー)、軍事官僚(グリーン)、蹶起軍人(グリーン)、そして一般官僚(パイク)、つまりは、当時の日本の指導層が()内の英国人によってそれぞれ称賛されていたというのに、(日本の一般の人々の人間主義度こそほとんど変わってはいませんが、)現在の日本の指導層がいかに非人間主義的になり、堕落した無能な存在に堕してしまったかに暗澹たる思いがします。
 また、日本と英国が似通っている点がある(リンドレー)とか、日本の方が英国より優っている点がある(パイク)、と人種主義者ばかりであった当時の米国人が聞いたら目を剥くようなことを素直に口にする当時の英国人、そしてそれに耳を傾けた当時の英国の一般の人々には敬意の念を抱かざるをえません。
 何度も申し上げるようですが、こんな英国と日本をあいまみえさせたチャーチルは、何とまあ罪深い人間であったことでしょうか。(太田) 

(完)

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