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太田述正コラム#4661(2011.4.2)
<再びガンディーについて(その3)>(2011.6.23公開)
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<追補>
本日、新たに出た二篇の記事で補足しておきましょう。
「ガンディーのひ孫のトゥシャール・ガンディー(Tushar Gandhi)は、本を発禁にすることには反対であるとし、「マハトマが性的にフツーだろうがゲイだろうが両刀遣いだろうが」知ったことではない、と述べた。
「いずれにしたって、彼がインド解放を指導した人物であることは変わらない」と。
作家のナミタ・ゴクハレ(Namita Gokhale)は、発禁には悲しくなったと述べた。
「観念を、あるいは思想を発禁にすることなんて不可能ゆえ、本が発禁になるたびに私は悲しくなる」と彼女は述べた。
「インドにおける観念に係る民主主義的空間の存在は恩沢であり、本を発禁にすることは最も無意味な営みであると思う」と。」
http://www.bbc.co.uk/news/world-south-asia-12930427
(4月2日アクセス)
「<マハラシュトラ州での発禁よりも>いささかもっと驚くべきは、グジャラート州でのこの本を発禁にするとの決定だ。
同州は、ガンディーの出身地であり、彼のアシュラムの地であり、彼の歴史的な塩の行進の地でもあるとともに、伝統的なインドの価値の擁護者をきどってきたところの、ヒンドゥー教のナショナリスト政党たるBJPによって、この10年間統治されてきた所でもある。
しかし、<同州の>ナレンドラ・モディによる首相として10年近くの統治を、ガンディーの徳の時代と見ることは困難だ。
グジャラート州は、現在、二つのことで最も良く知られている。
それは、2002年における身の毛もよだつ反イスラム教徒暴力と、ガンディーの共同体的調和や禁欲主義の理念<に沿っている>とは全くもって言えないところの、爾後の同州のビジネスに優しい企業天国への変身だ。
(その一つの有力な例は次の通りだ。モンブランはガンディーの肖像が彫り込まれた25,000ドルの万年筆をつくったことで申し開きをしなければならなくなったという有名な話があるが、このブランドの製品は、グジャラート州のビジネス・エリートの間でステータス・シンボルとして必需品になっている。だものだから、モンブランは、グジャラート州の最大の都市であるアハメダバードで、大繁盛のブティックを開いている。)
国民会議派は、形の上ではインドの世俗主義の擁護者だが、本件で若干の政治的得点を稼ぐことができた、とインディアン・エクスプレス紙は報じた。
「法務省筋は、ガンディーに対して不敬を示す行動またはしぐさを、国旗ないし憲法に対する攻撃と同等の攻撃とみなすような、1971年国家的名誉侮辱防止法の修正を、同省が示唆するよう求められた」と述べた。
<もっとも、>法務大臣のヴィーラッパ・モイリー(Veerappa Moily)は、ほとんど瞬時にそれを撤回したが・・。・・・
インドは、他の自由民主主義国とは異なった哲学を抱いている。
同国は、表現の自由を支持しているが、個々人が攻撃を行う権利よりも国家的調和の方を、より重視しているのだ。」
http://globalspin.blogs.time.com/2011/04/01/gandhi-lelyveld-and-the-great-indian-tamasha/
(4月2日アクセス)
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(2)ガンディーの人となり
「たゆまぬ自己宣伝家であったガンディーは、重版が確実に出るように、自分の聖人伝的伝記の初版を全部買い切って人々に送った。」(A)
「レリヴェルド氏は、保守的な商人カースト出身で大切に育てられた若きグジャラート人のヒンドゥー教徒たる弁護士が、マハトマ、すなわち、一部政治家で一部聖人であるところの人物・・彼は、政治的独立のためのみならず、インドの村々に立脚した社会的・精神的変貌を希求して古のヒンドゥー禁欲主義を再生させた・・へと変貌したかを詳細に明らかにする。」(D)
「ガンディーは、民族解放運動に、その後積極的に関わった多くのインド人達と同様、変わった観念を抱いている人々を惹き付けたところの、ヒンドゥー教と欧米のスピリテュアリズム(Spiritualism)の混淆物たる神智学(Theosophy)<(注2)>なる信条の辺境的環境(fringe milieu)に引き込まれた。
神知学の会合は、インド人と欧州人が対等の立場で親しく会うことができる数少ない場所の一つだった。
1894年には、ガンディーは、自己宣伝的小冊子シリーズの新聞広告の中で、自分自身を「深遠なるキリスト教同盟とロンドン菜食主義者協会の使い(Agent for the Esoteric Christian Union and the London Vegetarian Society)」と名乗るところまで行った。
そして、神智学徒たる友人を通して、彼はトルストイを発見する。
トルストイの普遍的友愛主義的(brotherhood)と過激な非暴力的信条は、ガンディーに深甚なる影響を与えることになる。」(D)
(注2)「19世紀に<ロシア生まれの米国人の>ブラヴァツキー夫人を中心として<ニューヨークで>設立された神智学協会に端を発する神秘主義、密教、秘教的な思想哲学体系である。全ての宗教、思想、哲学、科学、芸術などの根底にある1つの普遍的な真理を追求することを目指している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6
「神智学は、多くの芸術家たちにインスピレーションを与えたことが知られている。例えば、ロシアの作曲家スクリャービンも傾倒したし、イェイツやカンディンスキーにも影響を与えた。」「ロシア首相をつとめたセルゲイ・ヴィッテ伯爵は<ブラヴァツキー夫人(1831〜91年)の>従兄弟」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A4%AB%E4%BA%BA
(続く)
<再びガンディーについて(その3)>(2011.6.23公開)
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<追補>
本日、新たに出た二篇の記事で補足しておきましょう。
「ガンディーのひ孫のトゥシャール・ガンディー(Tushar Gandhi)は、本を発禁にすることには反対であるとし、「マハトマが性的にフツーだろうがゲイだろうが両刀遣いだろうが」知ったことではない、と述べた。
「いずれにしたって、彼がインド解放を指導した人物であることは変わらない」と。
作家のナミタ・ゴクハレ(Namita Gokhale)は、発禁には悲しくなったと述べた。
「観念を、あるいは思想を発禁にすることなんて不可能ゆえ、本が発禁になるたびに私は悲しくなる」と彼女は述べた。
「インドにおける観念に係る民主主義的空間の存在は恩沢であり、本を発禁にすることは最も無意味な営みであると思う」と。」
http://www.bbc.co.uk/news/world-south-asia-12930427
(4月2日アクセス)
「<マハラシュトラ州での発禁よりも>いささかもっと驚くべきは、グジャラート州でのこの本を発禁にするとの決定だ。
同州は、ガンディーの出身地であり、彼のアシュラムの地であり、彼の歴史的な塩の行進の地でもあるとともに、伝統的なインドの価値の擁護者をきどってきたところの、ヒンドゥー教のナショナリスト政党たるBJPによって、この10年間統治されてきた所でもある。
しかし、<同州の>ナレンドラ・モディによる首相として10年近くの統治を、ガンディーの徳の時代と見ることは困難だ。
グジャラート州は、現在、二つのことで最も良く知られている。
それは、2002年における身の毛もよだつ反イスラム教徒暴力と、ガンディーの共同体的調和や禁欲主義の理念<に沿っている>とは全くもって言えないところの、爾後の同州のビジネスに優しい企業天国への変身だ。
(その一つの有力な例は次の通りだ。モンブランはガンディーの肖像が彫り込まれた25,000ドルの万年筆をつくったことで申し開きをしなければならなくなったという有名な話があるが、このブランドの製品は、グジャラート州のビジネス・エリートの間でステータス・シンボルとして必需品になっている。だものだから、モンブランは、グジャラート州の最大の都市であるアハメダバードで、大繁盛のブティックを開いている。)
国民会議派は、形の上ではインドの世俗主義の擁護者だが、本件で若干の政治的得点を稼ぐことができた、とインディアン・エクスプレス紙は報じた。
「法務省筋は、ガンディーに対して不敬を示す行動またはしぐさを、国旗ないし憲法に対する攻撃と同等の攻撃とみなすような、1971年国家的名誉侮辱防止法の修正を、同省が示唆するよう求められた」と述べた。
<もっとも、>法務大臣のヴィーラッパ・モイリー(Veerappa Moily)は、ほとんど瞬時にそれを撤回したが・・。・・・
インドは、他の自由民主主義国とは異なった哲学を抱いている。
同国は、表現の自由を支持しているが、個々人が攻撃を行う権利よりも国家的調和の方を、より重視しているのだ。」
http://globalspin.blogs.time.com/2011/04/01/gandhi-lelyveld-and-the-great-indian-tamasha/
(4月2日アクセス)
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(2)ガンディーの人となり
「たゆまぬ自己宣伝家であったガンディーは、重版が確実に出るように、自分の聖人伝的伝記の初版を全部買い切って人々に送った。」(A)
「レリヴェルド氏は、保守的な商人カースト出身で大切に育てられた若きグジャラート人のヒンドゥー教徒たる弁護士が、マハトマ、すなわち、一部政治家で一部聖人であるところの人物・・彼は、政治的独立のためのみならず、インドの村々に立脚した社会的・精神的変貌を希求して古のヒンドゥー禁欲主義を再生させた・・へと変貌したかを詳細に明らかにする。」(D)
「ガンディーは、民族解放運動に、その後積極的に関わった多くのインド人達と同様、変わった観念を抱いている人々を惹き付けたところの、ヒンドゥー教と欧米のスピリテュアリズム(Spiritualism)の混淆物たる神智学(Theosophy)<(注2)>なる信条の辺境的環境(fringe milieu)に引き込まれた。
神知学の会合は、インド人と欧州人が対等の立場で親しく会うことができる数少ない場所の一つだった。
1894年には、ガンディーは、自己宣伝的小冊子シリーズの新聞広告の中で、自分自身を「深遠なるキリスト教同盟とロンドン菜食主義者協会の使い(Agent for the Esoteric Christian Union and the London Vegetarian Society)」と名乗るところまで行った。
そして、神智学徒たる友人を通して、彼はトルストイを発見する。
トルストイの普遍的友愛主義的(brotherhood)と過激な非暴力的信条は、ガンディーに深甚なる影響を与えることになる。」(D)
(注2)「19世紀に<ロシア生まれの米国人の>ブラヴァツキー夫人を中心として<ニューヨークで>設立された神智学協会に端を発する神秘主義、密教、秘教的な思想哲学体系である。全ての宗教、思想、哲学、科学、芸術などの根底にある1つの普遍的な真理を追求することを目指している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6
「神智学は、多くの芸術家たちにインスピレーションを与えたことが知られている。例えば、ロシアの作曲家スクリャービンも傾倒したし、イェイツやカンディンスキーにも影響を与えた。」「ロシア首相をつとめたセルゲイ・ヴィッテ伯爵は<ブラヴァツキー夫人(1831〜91年)の>従兄弟」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A4%AB%E4%BA%BA
(続く)
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