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太田述正コラム#4657(2011.3.31)
<再びガンディーについて(その1)>(2011.6.21公開)
1 始めに
マハトマ・ガンディー(本名:Mohandas Karamchand Gandhi。1869〜1948年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Mohandas_Karamchand_Gandhi
についての本がまた出ました。
ジョセフ・レリヴェルドによる 'Great Soul: Mahatma Gandhi And His Struggle With India' です。
インド国内でこの本をめぐって論争が起きており、また、現在進行形のアラブ革命にあたって、非暴力が叫ばれ、しばしばガンディーへの言及がなされていることもあり、この際、改めてガンジーについて考えてみるのも一興かと思った次第です。
A:http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703529004576160371482469358.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
(3月26日アクセス)
B:http://www.nytimes.com/2011/03/27/books/review/book-review-great-soul-mahatma-gandhi-and-his-struggle-with-india-by-joseph-lelyveld.html?hpw=&pagewanted=print
(3月27日アクセス)
C:http://www.taipeitimes.com/News/world/archives/2011/03/30/2003499487
(3月30日アクセス)
D:http://www.nytimes.com/2011/03/30/books/in-great-soul-joseph-lelyveld-re-examines-gandhi.html?hpw=&pagewanted=print
(3月30日アクセス)
E:http://www.guardian.co.uk/world/2011/mar/30/gujarat-bans-gandhi-book-gay-claims
(3月31日アクセス)
F:http://www.csmonitor.com/Books/Book-Reviews/2011/0330/Great-Soul-Mahatma-Gandhi-and-His-Struggle-With-India
(3月31日アクセス)
G:http://www.csmonitor.com/Books/chapter-and-verse/2011/0330/Gandhi-biography-discussing-his-sexuality-is-banned-in-some-Indian-states
(3月31日アクセス)
H:http://www.nytimes.com/2011/04/01/books/gandhi-biography-by-joseph-lelyveld-roils-india.html?hpw
(4月1日アクセス)
ところで、レリヴェルト(Joseph Lelyveld。1937年〜)は、NYタイムスの記者として南アフリカとインドの特派員等を経て、同紙の編集主幹(executive editor)を1997年から2004年まで務めた、ピューリッツァー賞受賞者です。
ガンディーが、たまたま同じ順序で、両地域に住んだことから、ガンディーに強い関心を抱いたことがきっかけで、レリヴェルトはこの本を書いたのです。(F)
2 マハトマ・ガンディー
(1)ホモ論争
「ガンディーは、・・・東プロイセン出身で南アフリカに住んでいたユダヤ系建築家でボディビル家のヘルマン・カレンバッハ(Hermann Kallenbach)(F、A)・・・と、ヨハネスブルグ・・・のカレンバッハの家(D)・・・で、1914年に彼がインドに戻るまでの1907年から約2年間、・・・妻を置き去りにして(A)・・・生活を共にした。」(C)
「カレンバッハは、ガンディーに土地1,100エーカーを贈与し、それは1910年に彼等の共同トルストイ農場になった。」(D)
「・・・「あなたの(唯一の)写真が私の寝室の暖炉の上に置いてある」と彼はカレンバッハに書いた。「この暖炉は寝台の足下にある」と。
何らかの理由で、彼に、綿布とワセリンはカレンバッハを「常に思い起こさせた」が、レリヴェルドは、それらについては、ガンディーが自ら使用した浣腸剤と関係があるのかもしれないけれど、その他の、より寛大ならざる説明が可能なのかも知れない、と思いを巡らす。
ガンディーは、カレンバッハに、「いかにあなたが私の肉体を完全に手に入れしまったか。これは徹底的な隷属だ」と書き送っている。
ガンディーは、自分自身に「上の家(Upper House)」、カレンバッハに「下の家(Lower House)」という渾名をつけ、下の家に対し、「いかなる女性をも邪心を抱いて見つめない」ことを約束させている。
その上で、この二人は、「更なる愛、そして更に更なる愛…この世にいまだ存在したことがないような愛」を誓った。
彼等は、ガンディーが1914年にインドに戻った時に別れた。戦争中はドイツ国籍者はインドを訪れることが許されなかったからだ。しかし、ガンディーは、彼を取り戻す夢を諦めることは決してなかった。1933年に、ガンディーは、「あなたは常に私の心の中で眼前にいる」と書き送っている。
結婚した収容者すら禁欲を誓わなければならないところの、アシュラム<(=ヒンズー教徒のための信者向けの宿泊施設の場所
http://ejje.weblio.jp/content/ashram
)>において、後に、ガンディーは、「私は男女間の性交ほど醜いものを想像することができない」と言った<というのに、彼はかつてホモ行為に耽ったわけだ。>」(A)
「英国のデイリー・メール紙は、見出しに「ガンディーは「妻を置き去りにして男性の愛人と生活を共にした」と新しい本は主張する」と掲げ、同じくディリー・テレグラフ紙は、書評で、ガンディーは「南アフリカの黒人達に対して人種差別観念を抱いていた」と記した。
これに対し、レリヴェルドは、・・・<自分のこの著書が、>諸新聞によって著しくねじ曲げられている、と語った。」(C)
ところが、これらの書評が出るや、インドで、レリヴェルドに対して囂々たる非難の声がわき上がったのです。
(続く)
<再びガンディーについて(その1)>(2011.6.21公開)
1 始めに
マハトマ・ガンディー(本名:Mohandas Karamchand Gandhi。1869〜1948年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Mohandas_Karamchand_Gandhi
についての本がまた出ました。
ジョセフ・レリヴェルドによる 'Great Soul: Mahatma Gandhi And His Struggle With India' です。
インド国内でこの本をめぐって論争が起きており、また、現在進行形のアラブ革命にあたって、非暴力が叫ばれ、しばしばガンディーへの言及がなされていることもあり、この際、改めてガンジーについて考えてみるのも一興かと思った次第です。
A:http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703529004576160371482469358.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
(3月26日アクセス)
B:http://www.nytimes.com/2011/03/27/books/review/book-review-great-soul-mahatma-gandhi-and-his-struggle-with-india-by-joseph-lelyveld.html?hpw=&pagewanted=print
(3月27日アクセス)
C:http://www.taipeitimes.com/News/world/archives/2011/03/30/2003499487
(3月30日アクセス)
D:http://www.nytimes.com/2011/03/30/books/in-great-soul-joseph-lelyveld-re-examines-gandhi.html?hpw=&pagewanted=print
(3月30日アクセス)
E:http://www.guardian.co.uk/world/2011/mar/30/gujarat-bans-gandhi-book-gay-claims
(3月31日アクセス)
F:http://www.csmonitor.com/Books/Book-Reviews/2011/0330/Great-Soul-Mahatma-Gandhi-and-His-Struggle-With-India
(3月31日アクセス)
G:http://www.csmonitor.com/Books/chapter-and-verse/2011/0330/Gandhi-biography-discussing-his-sexuality-is-banned-in-some-Indian-states
(3月31日アクセス)
H:http://www.nytimes.com/2011/04/01/books/gandhi-biography-by-joseph-lelyveld-roils-india.html?hpw
(4月1日アクセス)
ところで、レリヴェルト(Joseph Lelyveld。1937年〜)は、NYタイムスの記者として南アフリカとインドの特派員等を経て、同紙の編集主幹(executive editor)を1997年から2004年まで務めた、ピューリッツァー賞受賞者です。
ガンディーが、たまたま同じ順序で、両地域に住んだことから、ガンディーに強い関心を抱いたことがきっかけで、レリヴェルトはこの本を書いたのです。(F)
2 マハトマ・ガンディー
(1)ホモ論争
「ガンディーは、・・・東プロイセン出身で南アフリカに住んでいたユダヤ系建築家でボディビル家のヘルマン・カレンバッハ(Hermann Kallenbach)(F、A)・・・と、ヨハネスブルグ・・・のカレンバッハの家(D)・・・で、1914年に彼がインドに戻るまでの1907年から約2年間、・・・妻を置き去りにして(A)・・・生活を共にした。」(C)
「カレンバッハは、ガンディーに土地1,100エーカーを贈与し、それは1910年に彼等の共同トルストイ農場になった。」(D)
「・・・「あなたの(唯一の)写真が私の寝室の暖炉の上に置いてある」と彼はカレンバッハに書いた。「この暖炉は寝台の足下にある」と。
何らかの理由で、彼に、綿布とワセリンはカレンバッハを「常に思い起こさせた」が、レリヴェルドは、それらについては、ガンディーが自ら使用した浣腸剤と関係があるのかもしれないけれど、その他の、より寛大ならざる説明が可能なのかも知れない、と思いを巡らす。
ガンディーは、カレンバッハに、「いかにあなたが私の肉体を完全に手に入れしまったか。これは徹底的な隷属だ」と書き送っている。
ガンディーは、自分自身に「上の家(Upper House)」、カレンバッハに「下の家(Lower House)」という渾名をつけ、下の家に対し、「いかなる女性をも邪心を抱いて見つめない」ことを約束させている。
その上で、この二人は、「更なる愛、そして更に更なる愛…この世にいまだ存在したことがないような愛」を誓った。
彼等は、ガンディーが1914年にインドに戻った時に別れた。戦争中はドイツ国籍者はインドを訪れることが許されなかったからだ。しかし、ガンディーは、彼を取り戻す夢を諦めることは決してなかった。1933年に、ガンディーは、「あなたは常に私の心の中で眼前にいる」と書き送っている。
結婚した収容者すら禁欲を誓わなければならないところの、アシュラム<(=ヒンズー教徒のための信者向けの宿泊施設の場所
http://ejje.weblio.jp/content/ashram
)>において、後に、ガンディーは、「私は男女間の性交ほど醜いものを想像することができない」と言った<というのに、彼はかつてホモ行為に耽ったわけだ。>」(A)
「英国のデイリー・メール紙は、見出しに「ガンディーは「妻を置き去りにして男性の愛人と生活を共にした」と新しい本は主張する」と掲げ、同じくディリー・テレグラフ紙は、書評で、ガンディーは「南アフリカの黒人達に対して人種差別観念を抱いていた」と記した。
これに対し、レリヴェルドは、・・・<自分のこの著書が、>諸新聞によって著しくねじ曲げられている、と語った。」(C)
ところが、これらの書評が出るや、インドで、レリヴェルドに対して囂々たる非難の声がわき上がったのです。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
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