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太田述正コラム#4797(2011.6.9)
<皆さんとディスカッション(続x1229)>

<太田>(ツイッターより)

 お隣の韓国の新人歌手発掘番組で最底辺から這い上がった奇跡の新ヒーローが誕生した。
http://bit.ly/j4rWsd 
 英語字幕しか出ないけど、後半の歌の部分だけでも聴いてみたらいかが? 
 スーザン・ボイルよりスゴイ話が隣国の日本で全くニュースにならないのはなぜだ。

シベリア出兵当時、シベリアで戦っていた自由民主主義陣営が、現在では千島、樺太南半分、北朝鮮、支那、ベトナム等を失った状態で、(モンゴルを飛び地としつつ)非自由民主主義陣営と対峙しているってわけだ。
 当時の日本人はほぼすべてを見通していた。
 英国はまあまともだった。
 米国は大アホだった。

<KY>

≫東大であれば、かりに入試の数学がダメでも英語や国語で得点を稼げば総合点で合格となることはあるでしょう。(それは別に今にはじまったことで はありません)
 その種の『受験技術』への依存はわたしはあまり評価しません。
 受験コミック「ドラゴン桜」等の影響でその類の技術に長けた学生達は最近増えつつあるのですが、しかし彼らの存在は率直に言えば大学/大学院教 育の質の低下を招くと思います。≪(コラム#4795。通りすがりの準教授)

 それでは工科系の一員として一言。私はいわゆる私立進学校に行った事はありませんし、理系も古文を教わり、文系も物理の基本を教わる都立高校出身で、日本の出身大学は数学の配点が高い所でした。
 理学部物理学科とか、そういう純粋科学の話は知りませんが、例えば工学部を卒業して、それから企業に行って、それで別にミサイルでも自動車でも化学プラントでも何でも良いんですが、さて何かを設計しようかという時に、高校の数学と科学が欠落していたら話にならないでしょう。
 薬学に数学が要るかは知りませんが、高校数学の要らない化学ってのは無いと思います。
 数学の点数が低くても理工系に行けてしまうというのは、そもそも制度設計として駄目なのではないでしょうか。
 もっとも、理科を齧っただけの役人を生産するのが東京大学の存在意義だというなら、それは別です。
 高校時代に数学と物理に没頭していなかったら、私が現に英国企業で色々と風変わりな物を作っている事も無かったでしょう。

 参考までに、英国の大学入試(A-Level)の日本語の試験です:
http://www.edexcel.com/migrationdocuments/GCE%20New%20GCE/Japanese-new-style-GCE-Unit-2-example.pdf

 最近随分と水準が下がったと言われますが、日本の入学試験の英語とか、英文学科の初学年と比べてどうでしょうか?

≫理系のステータス(≒理系のイイところ)は、卒業大学よりも誰(指導教官)の元でどのような専門業績(海外論文誌への投稿etc)を残せたか、 でしょう。
 大学受験程度の知識では理系も文系も大差無い、と思います。
 論文とか研究業績は、上で述べた様な科学者や工学者としての基本が出来た上での話だと思います。それと、研究業績の話は理系も文系も本来は同じではないでしょうか。
 『〜(米国では)少なくとも勉強熱心な大学を卒業して官民の主要な地位についていたり、ジャーナリストとして活躍するような人間は、高校から大 学にかけて数学とサイエンスはかなり真剣に勉強させられます。
 ですから、基本的に日本で言う「文系人間」的な発想法、つまり微積分なり統計学なり 周期表といった「ツール」を無視した議論が世論に影響力を与えるということは、極めて限定的です〜≪(同上)

 哲学科を卒業した英国人の学友がいます。
 郊外の大邸宅に住む金持ち一家で、週末に御邪魔すると、まあ色々と教養人が集まっているんですね。
 学者、陸軍士官、裁判官、事業家といった人々ですが、日本で言う所の「文系」が多く、私以外の全員が「パブリック・スクール」出身です。
 そこで自家製の肉やら野菜やら(裏に数エーカーの農場がある)で作った典型的なイギリス料理を食い、自家製のエールを飲みながら、「経済学ってのは、ありゃ科学って言えるのかね?」なんて雑談になる。
 ところが、この集団に「理系」で「ガイジン」の私が混ざっても、普通に会話が成立するんですね。
 日本で文系の人と話した時に感ずる、何とも言えない隔靴掻痒感が全然無いのですが、結局それは幅広い教養(数学や自然科学を含めて)があり、理路整然と論点を整理する訓練を受けていて、さらに自分の分野における基本的なモノの考え方を(専門分野が全く異なる人間にも要点を説明できる程にしっかりと)彼らが理解して身につけているからだと、私は考えています。

 余談ですが、この完全自家製英国料理が実は滅法旨い。
 材料が良いから、フランス料理みたいな面妖で複雑な工作は要らないのでしょう。

 それと対極の話なんですが、日本に数年ぶりに一時帰国した時の事です。
 なんとなくテレビを見ていると、評論家と称する正体不明の連中が勝手気侭な事を言っていましたが、この連中の発言内容が、「〜という気がしますね」とかいう話なんですね。
 「お前の『気』なんか知るかよ」と思ったのですが、根拠も論理も無い「言論」とやらが世間に蔓延している。
 実家から稀に送られて来る、いわゆる文芸誌なんて代物にも、大学教授とか政治家とか御大層な肩書きの面々が投稿していますが、根拠不明なのはどれも同じですね。

≫太田さんが良く指摘されるところの日本戦前史に対する左右論壇の誤解や、日本における戦史研究の貧困さも、大学の西洋史学科などを卒業した人文 系「知識」人の硬直化した思考と価値観の結果ではないでしょうか。≪(同上)

 要するに、日本の大学を卒業したインテリゲンツィヤの水準が実は一般的にその程度でしかないという話だと、自戒を込めて思います。

<φφεε>(「たった一人の反乱」より)

 <φΕφΕクン(コラム#4795)、>「たかじんのそこまで言って委員会」の中で太田さんの言うことを理解出来るのは
宮崎哲弥だけじゃない?そもそも、慣れないTV出演でぺらぺらしゃべれる人はそんなに
多くはないと思うぞ。それに高慢ちきな三宅に真面目に反論したところで、まともな
反応があったとは思えない。
 <φφΕΕクン、φΕφΕクン(どちらもコラム#4795)、>「馬鹿は相手にしたくない」気持ちはよく理解出来るぞ。
 太田さんに質問する人は「馬鹿」だろうが「偉い人」だろうが、基本は匿名なのだからな。
 まれに実名で質問する人もいるのだろうが、基本的にどこの誰だかは分からない。
 この点で議論は対等にすべきだが、選択権は太田さんにあるというのが常識ではないか?
 そもそも匿名であったり、顔が見えない時点で相手(太田さん)に対し、卑怯であると
いう自覚を持たないとだめだと思うがな。

<φεφε>(同上)

 <そう>だね。
 (2008.12.30)皆さんとディスカッション(続x352)
http://blog.ohtan.net/archives/51312855.html
でChase氏が以下のように言ってるけど、
 「太田述正氏のブログが活況を呈しているようだ。
 あれほど細かい読者へのレスポンスはどんな著名人のブログでもない。
 取り上げられている諸氏は、著名人に相手してもらえることが堪えられないであろう。
 私も時々取り上げていただいているが、その都度、やはり舞い上がってしまうほどだ。
 中年の私でさえこれなので、 もっと若い世代には著名人弄りはやめられないだろう。
 私なんか文章のやり取りなので平静を装っているが、口頭で相対していたら何の太刀打ちもできないだろう。
 自嘲しているわけではないが、一般人なんてそんなもんだ。自我の肥大だけは厳に戒めたい。」
 自分もそう思う。
 自重どころか、それ(匿名でも相手してくれてるの)を逆手に取って卑怯なやり方をするような人間にだけはなりたくない。

 あ、でもそのChase氏の言に対して太田さん、すぐにこう言ってるんだね。

 「これを読んで傷ついた(これまで何度か投稿された)読者の方がおられますが、私等への誹謗中傷を目的とすることが明白な投稿でない限り、いかなる投稿も、ご本人と私と他の読者のためになるのであって、「自我の肥大」であろうが何であろうが大歓迎です。
 このことは、米国のビジネススクールの、学生の教師との質疑と学生同士のディスカッションを中心とする授業や、政治学科のセミナーに出て大いに学ぶところのあった私として、強調しておきたいと思います。」

 それでも<最初に述べたところ>の自分の考えは変わらないけど。

<φεεφ>(同上)

 過大評価しすぎじゃね?

<εφεφ>(同上)

≫菅降ろしに原発の影・・・ちょっと管降しが不自然な印象だったんだがこういう事か。≪(コラム#4795。εΦεΦ)

 原発利権屋が<菅首相に>必死に抵抗するわけだw↓

 「その為の大きなステップとなるのが、「自然エネルギーによって発電した電気を固定価格で買い取る」という制度です。
 これが出来れば、新人議員の時に私がぶつかった法の壁は、突破できます。
そこで、固定価格買い取り制度の法案を、閣議決定にまで漕ぎ着けました。今年の3月11日のことです。
しかし、その当日に、大震災は起こりました。
 このために少し遅くなってしまいましたが、この法案は、今の国会に出しています。
 この法案を成立させ、早期に採算が取れる水準に価格を設定すれば、風力や太陽光発電は、爆発的に拡大するはずです。」<(菅直人)>
http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/06/20110606-2.html

<εεφφ>(同上)

 ちょっと認識が甘くないか?
 風力や太陽光発電は、爆発的に拡大するとは思えない。あのドイツでさえ、電力は原発大国のフランスから買っているんだぞ。
 なぜだかマスコミはそのことを強調することはないが・・・。(典拠省略)

<εφεφ>(同上)

 この話のミソは規制緩和(電力自由化)じゃないかな?
http://mytown.asahi.com/areanews/tokyo/TKY201106030551.html

 陸続きはお互いに融通しやすそうだからいいよね(確かにドイツは参考にならんと思う)。
http://rwecom.online-report.eu/factbook/en/marketdata/electricity/grid/germanyimportandexportofelectricity.html

<太田>

 何だ、逆じゃないの。
 ドイツがフランスに電力を売ってんだ。

<εφεφ>(「たった一人の反乱」より)

 ああ、<菅首相は奥さんに>完全に尻に敷かれとる。こりゃ、彼女が今の日本を動かしてるんだなwww。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110609ddm013010005000c.html

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。といっても本日は一つだけです。

 フランシス・フクヤマの新著(コラム#4688、4696、4743、4775)に係る、彼との対談が出ていた。↓

 Michael Skafidas: It is surprising that your book is not Eurocentric. You bring China to the foreground as the first society to develop state institutions. As you claim, “Many of the elements of what we now understand to be a modern state appeared far earlier in history than did the Industrial Revolution and the modern capitalist economy; these elements were already in place in China in the Third Century BC.”・・・
 <↑秩序+法治主義を最初に確立したのは、漢文明の東周なんかじゃなくって、それよりもはるか昔、メソポタミア文明の、既に分かってるものとして、ラガシュ(Lagash)都市国家のウルカギナ(Urukagina)王がその治世中(紀元前2380〜2360年頃)に制定した法典だろう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Urukagina >
 Your mentor, the late Samuel Huntington, once told me that “the West has a lot of things to learn from other civilizations, and it’s a fact that the leaders of nations such as China and Japan always try to transfuse some of their own elements to the West. The West can only benefit from such an exchange.”
 Yet the West has always resisted this exchange・・・
 <↑支那や日本の歴史からも学べなんてハンティントンも少しはまともなこと言ってるんだね。フクヤマは日本を無視してる点で、ハンティントンよりもオツルか。>
Francis Fukuyama;・・・the Chinese were always very good at high-quality bureaucratic government in a way that Western societies haven’t been. ・・・
 <↑フクヤマが科挙の導入に注目してるのはいいことだ。>
 ・・・the evolution of institutions is often the result of contingent, accidental circumstances. In a way, the rule of law is the result of the Catholic Church’s quest for independence in the 11th century. The rise of democracy is due to the survival of feudal institutions in England. Parliamentary government emerged from the need to balance the power of new and old forces.・・・
 <↑(西側世界における中世以降の(?))>法治主義(Legalism)ということであれば、その起源が11世紀のカトリック教会にあるというのは一つの見方ではあるが、法の支配(Rule of Law)の起源ということであれば、それはイギリスのコモンローに求めるべきだろう。また、マグナカルタは(法の支配と裏腹の関係にあるが、)自由主義の起源であって民主主義の起源とは言えまい。更に、議会制の起源をフランスの三部会的なものに求めるのもおかしいのであって、ゲルマン文化直系のイギリスの議会・・議会主権・・に求めるべきであり、これこそ近代民主主義の起源でもあると考えるべきだろう。フクヤマは思いつきでしゃべっているとしか思えないなあ。>
http://www.csmonitor.com/Commentary/Global-Viewpoint/2011/0608/Francis-Fukuyama-Democracy-still-rules.-But-will-US-catch-up-in-a-changing-world
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太田述正コラム#4798(2011.6.9)
<映画評論22:300(その3)>

→非公開

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