太田述正ブログは移転しました 。
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太田述正コラム#4737(2011.5.10)
<皆さんとディスカッション(続x1199)>
<太田>(ツイッターより)
同じ恋愛大好き人間でも、チャーチルの母親は色情狂でバルドーの元夫はプレイボーイってんじゃ、ボクも女性に偏見を持ってるっていわれてもしゃーないかもね。
だけどまー哲学者のヒュームですら女性蔑視のきらいがあったんだからねえ。
ハメリンがどっかで、左手だけのためのピアノ曲は数多いのに右手だけのためのピアノ曲はほとんどないが、これは左手の方が主旋律と伴奏を同時に奏でやすいからだと言っていた。右手は男性、左手は女性といったところかな。
<ΠΠΕΕ>(「たった一人の反乱」より)
こないだたかじんNOマネーで青山繁晴が、湾岸戦争時に日本から中東へ出された1兆6千億の殆どが中東へ渡らずアメリカで消えてると言ってたがマジか。
その手筈を整えてン百億のバックマージンを得た政治家は今も現役だそうだが。
<ΠΕΠΕ>(同上)
小沢幹事長(当時)の武勇伝っす。
クウェートは戦後、参戦国などに対して感謝決議を出したが、日本はその対象に入らなかった。
もっとも、当初の援助額である90億ドル(当時の日本円で約1兆2,000億円)の内、クウェートに入ったのは僅か6億3千万円に過ぎず、大部分(1兆790億円)がアメリカの手に渡ったことも要因となる。
また、クルド人難民支援等説明のあった5億ドル(当時の日本円で約700億円)の追加援助(目減り補填分)の内、695億5000万円がアメリカの手に渡った(いずれも1993年〔平成5〕4月19日参議院決算委員会、外務省北米局長・佐藤行雄の答弁より)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BE%E5%B2%B8%E6%88%A6%E4%BA%89
石原知事は「(小沢氏は)自民党を牛耳っていた金丸信元副総裁らを背景に自民党幹事長を務めたが、アメリカに言われて、造らなくていい公共工事をやって、湾岸戦争の時は、一瞬にして戦費支出を決めた。
自民党で一番いい思いをしたのは、あのグループ(旧経世会)じゃないの」と指摘。
http://www.asyura2.com/0601/senkyo20/msg/967.html
≫相変わらず、米外交官の無能さは治ってないね。メイとかズムワルト見てるとつくづくそう思う。≪(コラム#4733。太田)
これって、ケビン・メア?
<太田>
あっ! さよでやんす。
<ΠΕΕΠ>(「たった一人の反乱」より)
ソ連脅威論と言えば中川八洋が思い浮かぶ人も中には居そうだけど、彼、太田さんとは大昔に袂をわかってたんだな。
いや、Wikipediaみて太田さんと相容れるようで、根本的に相容れない人物だって思った訳だけれども。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E5%85%AB%E6%B4%8B
ちなみに、中川氏も独自の戦前史観を打ち出してるようだ。
最近の太田コラム読んでると、トンデモすぎて・・・・・・だけど。
http://www.geocities.jp/yu77799/Comintern/nakagawa1.html
一見してトンデモだとわかるはずたがら、あえて引用はしない。
<ΕΠΕΠ>(同上)
なんで中川氏がそんな戦前史観を打ち出したか・・・。
やっぱ当時の関係者に思い込みの激しい勘違い野郎がいて、中川氏に「ここだけの秘密の話だけど」と打ち明ける。
中川氏、それを事実と思い込み、それに合わせて歴史を解釈しようとする。
こんな流れではないかな。
本人が信念持ってるから、何も知らない人は信用しちゃうわな。
<太田>
音楽のたとえで言うと、彼、主旋律を作り出すのが得手じゃないところの、伴奏付け、オーケストレーション、ないし編曲の天才なんだな。
<ΕΕΠΠ>(「たった一人の反乱」より)
太田さんのいう人間主義って、英語ではなんていうのか、知ってる人いる?
個人主義の方はindividualismだけど・・・。
<太田>
こりゃいい問題提起だ。
和辻やマクマレー(コラム#113、114)にぜひ聞いてみたいところだけど、直訳なら、inter-human-ismだろうな。
もっといいネーミング募集!
それでは、記事の紹介です。
まず、ビンラディン死亡関係から。
オバマ大統領が、パキスタン治安部隊と対峙することになった場合に備えて、襲撃部隊の規模を大きくさせたってさ。↓
President Obama insisted that the assault force hunting down Osama bin Laden last week be large enough to fight its way out of Pakistan if confronted by hostile local police officers and troops, senior administration and military officials said Monday.
<なお、ビンラディン死亡の場合と生きて捕獲された場合とそれぞれに対処する2つのチームも用意されていた。↓>
In revealing additional details about planning for the mission, senior officials also said that two teams of specialists were on standby: One to bury Bin Laden if he was killed, and a second composed of lawyers, interrogators and translators in case he was captured alive. That team was set to meet aboard a Navy ship, mostly likely the aircraft carrier Carl Vinson in the North Arabian Sea. ・・・
About 10 days before the raid, Mr. Obama reviewed the plans and pressed his commanders as to whether they were bringing along enough forces to fight their way out if the Pakistanis arrived on the scene and attempted to interfere with the operation.
That resulted in the decision to send two more helicopters carrying additional troops. These followed the two lead Black Hawk helicopters that carried the actual assault team. While there was no confrontation with the Pakistanis, one of those backup helicopters was ultimately brought in to the scene of the raid when a Black Hawk was damaged while making a hard landing・・・
http://www.nytimes.com/2011/05/10/world/asia/10intel.html?_r=1&hp=&pagewanted=print
ムシャラフ大統領時代に、パキスタン領内で米国が単独でビンラディン等捕獲・殺害作戦を実施することを認める密約が米パ両政府間に成立してたっていうんだな。
念のいったことに、作戦終了後、パ政府が米を非難することまで「取決め」られていた。
にもかかわらず、オバマはパ政府を全く信用していなかったってわけだ。↓
The US and Pakistan struck a secret deal almost a decade ago permitting a US operation against Osama bin Laden on Pakistani soil similar to last week's raid that killed the al-Qaida leader, the Guardian has learned.
The deal was struck between the military leader General Pervez Musharraf and President George Bush after Bin Laden escaped US forces in the mountains of Tora Bora in late 2001, according to serving and retired Pakistani and US officials.
Under its terms, Pakistan would allow US forces to conduct a unilateral raid inside Pakistan in search of Bin Laden, his deputy, Ayman al-Zawahiri, and the al-Qaida No3. Afterwards, both sides agreed, Pakistan would vociferously protest the incursion.・・・
<これは、CIAによるドローンを使ったタリバン等殲滅作戦に係る米パ政府間の密約と類似のものだってわけ。↓>
The agreement is consistent with Pakistan's unspoken policy towards CIA drone strikes in the tribal belt, which was revealed by the WikiLeaks US embassy cables last November. In August 2008, Gilani reportedly told a US official: "I don't care if they do it, as long as they get the right people. We'll protest in the National Assembly and then ignore it."・・・
http://www.guardian.co.uk/world/2011/may/09/osama-bin-laden-us-pakistan-deal
次にアラブ革命関係だ。
リビアで反体制派が、東部でも西部でも進撃を進捗させた。↓
Rebel fighters made significant gains Monday against forces loyal to Col. Muammar el-Qaddafi in both the western and eastern areas of the country, in the first faint signs that NATO airstrikes may be starting to strain the government forces. ・・・
http://www.nytimes.com/2011/05/10/world/africa/10libya.html?hp=&pagewanted=print
あのダメな米国の外交官達から我が外交官達がかくもボロクソに言われるとはさなけないったらありゃしない。
だけど、本件に関しちゃ、もともと北方領土問題を作り出したのは米国じゃないかい。チト言い過ぎだぞ。↓
「米外交当局が、自民党政権末期の北方領土問題への取り組みを、「指導力に欠けている」などと、非常に厳しく評価していた・・・
06年末に石油・天然ガス開発プロジェクト「サハリン2」をめぐってロシア側が三井物産、三菱商事などから権益の過半数の譲渡を受ける妥協案がまとまったが、07年1月の公電は「日本外務省は、この結果が北方領土交渉を促進すると信じている」と指摘し、「驚くべきことだ」とした。同年2月には、在モスクワ米大使館発の公電が、前月に始まった外務次官級の「日ロ戦略対話」について、「ロシア側は領土問題解決のためのチャンネルとは見ていない」のに「日本側は領土問題が『隠れたテーマ』になると主張している」と報告していた。
09年4月の公電は、日本の外務官僚が、「メドベージェフ大統領にはやる気がある。交渉が進まないのは、部下が大統領に適切な情報を上げていないからだ」と信じていると指摘した上で、「おそらく、ナイーブ(世間知らず)な評価だ」との見方を示している。
こうした分析の背景には、米側がロシア側から得ていた情報があったようだ。「ロシア指導部は北方領土について、第2次大戦でヒトラーを支持した結果日本が払った代償で、対独戦でロシアが失った数百万の命の補償の一部だと考えている」とし、譲歩は望めないとの見通しを繰り返し伝えている。」
http://www.asahi.com/international/update/0510/TKY201105090656.html
ペルーで恵子候補が上り調子!↓
・・・On Sunday, leading pollster Ipsos Apoyo showed center-right Congresswoman Keiko Fujimori with 41% support, compared with 39% for left-leaning nationalist Ollanta Humala. Pollster Datum showed Mr. Humala with 40% compared with 39.1% for Ms. Fujimori.
"Basically it is tie. The trend for Keiko is positive, while there is a certain stalling out for Humala," ・・・
<ペルーじゃ投票は義務なのね。ホンジャ、世論調査通りの結果になるはずだな。↓>
Voting is mandatory in Peru.・・・
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704681904576313094292147916.html?mod=WSJ_World_LEFTSecondNews
オバマが自分のアイデンティティーを黒人たることに求めた原因は、母親との不幸な関係にあったってことがようやく分かったよ。
彼を文字通り捨てた黒人の父親と違って、白人の母親は彼を13歳まで育ててくれたというのにね。↓
<13歳の時に、母親は、ハワイの実家にオバマを預けてインドネシアに戻った。↓>
・・・When Barry, as he was then known, was 13, his mother let him decide whether to return with her to Indonesia, where she planned to continue her anthropological field work, or remain in Hawaii with her parents. He chose to stay, and his mother moved back to Indonesia without him, also separating him from his younger half-sister, Maya. ・・・
<そのお返しに(?)、母親がハワイで癌で死にかけていた時、オバマは見舞おうとしなかった。↓>
・・・when Obama was living in Chicago and his mother was dying of ovarian cancer in a Honolulu hospital. Preoccupied with legal work and his newly published book, and having seen her a few months before when she was en route to a specialist at Sloan-Kettering Hospital in New York, he did not go to her bedside—a decision he later described as his biggest mistake. It is hard not to see a symmetry in these two episodes of abandonment, and perhaps even a kind of reciprocity. ・・・
<母親は、オバマがそのアイデンティティーを黒人とした時、自分から離れようとしている、とさびしい思いをした。↓>
・・・she did feel some sense of estrangement when her son decided to identify as black. "It would be too strong to say that she felt rejection," he tells Scott. But she did feel "that he was distancing himself from her."・・・
http://www.slate.com/id/2293519/pagenum/all/#p2
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太田述正コラム#4738(2011.5.10)
<戦間期の日英経済関係史(その3)>
→非公開
<皆さんとディスカッション(続x1199)>
<太田>(ツイッターより)
同じ恋愛大好き人間でも、チャーチルの母親は色情狂でバルドーの元夫はプレイボーイってんじゃ、ボクも女性に偏見を持ってるっていわれてもしゃーないかもね。
だけどまー哲学者のヒュームですら女性蔑視のきらいがあったんだからねえ。
ハメリンがどっかで、左手だけのためのピアノ曲は数多いのに右手だけのためのピアノ曲はほとんどないが、これは左手の方が主旋律と伴奏を同時に奏でやすいからだと言っていた。右手は男性、左手は女性といったところかな。
<ΠΠΕΕ>(「たった一人の反乱」より)
こないだたかじんNOマネーで青山繁晴が、湾岸戦争時に日本から中東へ出された1兆6千億の殆どが中東へ渡らずアメリカで消えてると言ってたがマジか。
その手筈を整えてン百億のバックマージンを得た政治家は今も現役だそうだが。
<ΠΕΠΕ>(同上)
小沢幹事長(当時)の武勇伝っす。
クウェートは戦後、参戦国などに対して感謝決議を出したが、日本はその対象に入らなかった。
もっとも、当初の援助額である90億ドル(当時の日本円で約1兆2,000億円)の内、クウェートに入ったのは僅か6億3千万円に過ぎず、大部分(1兆790億円)がアメリカの手に渡ったことも要因となる。
また、クルド人難民支援等説明のあった5億ドル(当時の日本円で約700億円)の追加援助(目減り補填分)の内、695億5000万円がアメリカの手に渡った(いずれも1993年〔平成5〕4月19日参議院決算委員会、外務省北米局長・佐藤行雄の答弁より)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BE%E5%B2%B8%E6%88%A6%E4%BA%89
石原知事は「(小沢氏は)自民党を牛耳っていた金丸信元副総裁らを背景に自民党幹事長を務めたが、アメリカに言われて、造らなくていい公共工事をやって、湾岸戦争の時は、一瞬にして戦費支出を決めた。
自民党で一番いい思いをしたのは、あのグループ(旧経世会)じゃないの」と指摘。
http://www.asyura2.com/0601/senkyo20/msg/967.html
≫相変わらず、米外交官の無能さは治ってないね。メイとかズムワルト見てるとつくづくそう思う。≪(コラム#4733。太田)
これって、ケビン・メア?
<太田>
あっ! さよでやんす。
<ΠΕΕΠ>(「たった一人の反乱」より)
ソ連脅威論と言えば中川八洋が思い浮かぶ人も中には居そうだけど、彼、太田さんとは大昔に袂をわかってたんだな。
いや、Wikipediaみて太田さんと相容れるようで、根本的に相容れない人物だって思った訳だけれども。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E5%85%AB%E6%B4%8B
ちなみに、中川氏も独自の戦前史観を打ち出してるようだ。
最近の太田コラム読んでると、トンデモすぎて・・・・・・だけど。
http://www.geocities.jp/yu77799/Comintern/nakagawa1.html
一見してトンデモだとわかるはずたがら、あえて引用はしない。
<ΕΠΕΠ>(同上)
なんで中川氏がそんな戦前史観を打ち出したか・・・。
やっぱ当時の関係者に思い込みの激しい勘違い野郎がいて、中川氏に「ここだけの秘密の話だけど」と打ち明ける。
中川氏、それを事実と思い込み、それに合わせて歴史を解釈しようとする。
こんな流れではないかな。
本人が信念持ってるから、何も知らない人は信用しちゃうわな。
<太田>
音楽のたとえで言うと、彼、主旋律を作り出すのが得手じゃないところの、伴奏付け、オーケストレーション、ないし編曲の天才なんだな。
<ΕΕΠΠ>(「たった一人の反乱」より)
太田さんのいう人間主義って、英語ではなんていうのか、知ってる人いる?
個人主義の方はindividualismだけど・・・。
<太田>
こりゃいい問題提起だ。
和辻やマクマレー(コラム#113、114)にぜひ聞いてみたいところだけど、直訳なら、inter-human-ismだろうな。
もっといいネーミング募集!
それでは、記事の紹介です。
まず、ビンラディン死亡関係から。
オバマ大統領が、パキスタン治安部隊と対峙することになった場合に備えて、襲撃部隊の規模を大きくさせたってさ。↓
President Obama insisted that the assault force hunting down Osama bin Laden last week be large enough to fight its way out of Pakistan if confronted by hostile local police officers and troops, senior administration and military officials said Monday.
<なお、ビンラディン死亡の場合と生きて捕獲された場合とそれぞれに対処する2つのチームも用意されていた。↓>
In revealing additional details about planning for the mission, senior officials also said that two teams of specialists were on standby: One to bury Bin Laden if he was killed, and a second composed of lawyers, interrogators and translators in case he was captured alive. That team was set to meet aboard a Navy ship, mostly likely the aircraft carrier Carl Vinson in the North Arabian Sea. ・・・
About 10 days before the raid, Mr. Obama reviewed the plans and pressed his commanders as to whether they were bringing along enough forces to fight their way out if the Pakistanis arrived on the scene and attempted to interfere with the operation.
That resulted in the decision to send two more helicopters carrying additional troops. These followed the two lead Black Hawk helicopters that carried the actual assault team. While there was no confrontation with the Pakistanis, one of those backup helicopters was ultimately brought in to the scene of the raid when a Black Hawk was damaged while making a hard landing・・・
http://www.nytimes.com/2011/05/10/world/asia/10intel.html?_r=1&hp=&pagewanted=print
ムシャラフ大統領時代に、パキスタン領内で米国が単独でビンラディン等捕獲・殺害作戦を実施することを認める密約が米パ両政府間に成立してたっていうんだな。
念のいったことに、作戦終了後、パ政府が米を非難することまで「取決め」られていた。
にもかかわらず、オバマはパ政府を全く信用していなかったってわけだ。↓
The US and Pakistan struck a secret deal almost a decade ago permitting a US operation against Osama bin Laden on Pakistani soil similar to last week's raid that killed the al-Qaida leader, the Guardian has learned.
The deal was struck between the military leader General Pervez Musharraf and President George Bush after Bin Laden escaped US forces in the mountains of Tora Bora in late 2001, according to serving and retired Pakistani and US officials.
Under its terms, Pakistan would allow US forces to conduct a unilateral raid inside Pakistan in search of Bin Laden, his deputy, Ayman al-Zawahiri, and the al-Qaida No3. Afterwards, both sides agreed, Pakistan would vociferously protest the incursion.・・・
<これは、CIAによるドローンを使ったタリバン等殲滅作戦に係る米パ政府間の密約と類似のものだってわけ。↓>
The agreement is consistent with Pakistan's unspoken policy towards CIA drone strikes in the tribal belt, which was revealed by the WikiLeaks US embassy cables last November. In August 2008, Gilani reportedly told a US official: "I don't care if they do it, as long as they get the right people. We'll protest in the National Assembly and then ignore it."・・・
http://www.guardian.co.uk/world/2011/may/09/osama-bin-laden-us-pakistan-deal
次にアラブ革命関係だ。
リビアで反体制派が、東部でも西部でも進撃を進捗させた。↓
Rebel fighters made significant gains Monday against forces loyal to Col. Muammar el-Qaddafi in both the western and eastern areas of the country, in the first faint signs that NATO airstrikes may be starting to strain the government forces. ・・・
http://www.nytimes.com/2011/05/10/world/africa/10libya.html?hp=&pagewanted=print
あのダメな米国の外交官達から我が外交官達がかくもボロクソに言われるとはさなけないったらありゃしない。
だけど、本件に関しちゃ、もともと北方領土問題を作り出したのは米国じゃないかい。チト言い過ぎだぞ。↓
「米外交当局が、自民党政権末期の北方領土問題への取り組みを、「指導力に欠けている」などと、非常に厳しく評価していた・・・
06年末に石油・天然ガス開発プロジェクト「サハリン2」をめぐってロシア側が三井物産、三菱商事などから権益の過半数の譲渡を受ける妥協案がまとまったが、07年1月の公電は「日本外務省は、この結果が北方領土交渉を促進すると信じている」と指摘し、「驚くべきことだ」とした。同年2月には、在モスクワ米大使館発の公電が、前月に始まった外務次官級の「日ロ戦略対話」について、「ロシア側は領土問題解決のためのチャンネルとは見ていない」のに「日本側は領土問題が『隠れたテーマ』になると主張している」と報告していた。
09年4月の公電は、日本の外務官僚が、「メドベージェフ大統領にはやる気がある。交渉が進まないのは、部下が大統領に適切な情報を上げていないからだ」と信じていると指摘した上で、「おそらく、ナイーブ(世間知らず)な評価だ」との見方を示している。
こうした分析の背景には、米側がロシア側から得ていた情報があったようだ。「ロシア指導部は北方領土について、第2次大戦でヒトラーを支持した結果日本が払った代償で、対独戦でロシアが失った数百万の命の補償の一部だと考えている」とし、譲歩は望めないとの見通しを繰り返し伝えている。」
http://www.asahi.com/international/update/0510/TKY201105090656.html
ペルーで恵子候補が上り調子!↓
・・・On Sunday, leading pollster Ipsos Apoyo showed center-right Congresswoman Keiko Fujimori with 41% support, compared with 39% for left-leaning nationalist Ollanta Humala. Pollster Datum showed Mr. Humala with 40% compared with 39.1% for Ms. Fujimori.
"Basically it is tie. The trend for Keiko is positive, while there is a certain stalling out for Humala," ・・・
<ペルーじゃ投票は義務なのね。ホンジャ、世論調査通りの結果になるはずだな。↓>
Voting is mandatory in Peru.・・・
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704681904576313094292147916.html?mod=WSJ_World_LEFTSecondNews
オバマが自分のアイデンティティーを黒人たることに求めた原因は、母親との不幸な関係にあったってことがようやく分かったよ。
彼を文字通り捨てた黒人の父親と違って、白人の母親は彼を13歳まで育ててくれたというのにね。↓
<13歳の時に、母親は、ハワイの実家にオバマを預けてインドネシアに戻った。↓>
・・・When Barry, as he was then known, was 13, his mother let him decide whether to return with her to Indonesia, where she planned to continue her anthropological field work, or remain in Hawaii with her parents. He chose to stay, and his mother moved back to Indonesia without him, also separating him from his younger half-sister, Maya. ・・・
<そのお返しに(?)、母親がハワイで癌で死にかけていた時、オバマは見舞おうとしなかった。↓>
・・・when Obama was living in Chicago and his mother was dying of ovarian cancer in a Honolulu hospital. Preoccupied with legal work and his newly published book, and having seen her a few months before when she was en route to a specialist at Sloan-Kettering Hospital in New York, he did not go to her bedside—a decision he later described as his biggest mistake. It is hard not to see a symmetry in these two episodes of abandonment, and perhaps even a kind of reciprocity. ・・・
<母親は、オバマがそのアイデンティティーを黒人とした時、自分から離れようとしている、とさびしい思いをした。↓>
・・・she did feel some sense of estrangement when her son decided to identify as black. "It would be too strong to say that she felt rejection," he tells Scott. But she did feel "that he was distancing himself from her."・・・
http://www.slate.com/id/2293519/pagenum/all/#p2
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太田述正コラム#4738(2011.5.10)
<戦間期の日英経済関係史(その3)>
→非公開
太田述正ブログは移転しました 。
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