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太田述正コラム#4292(2010.10.3)
<改めてアラブ科学について(その1)>(2011.1.16公開)
1 始めに
かつての黄金時代のアラブ科学をとりあげた本が出ました。
ジム・アル=ハリリ(Jim Al-Khalili)の 'Pathfinders: The Golden Age of Arabic Science' です。
現在のイスラム世界を理解するためにも、またアングロサクソン論とのからみからも、ご紹介するに値すると考えました。
A:http://www.guardian.co.uk/books/2010/sep/26/baghdad-centre-of-scientific-world
(著者による要約。9月26日アクセス)
B:http://news.scotsman.com/entertainment/Book-review-Pathfinders-The-Golden.6539241.jp
(書評(以下同じ)。10月2日アクセス(以下同じ))
C:http://manjitkumar-reviewsarticles.blogspot.com/2010/09/arabic-heights.html
D:http://www.telegraph.co.uk/science/science-news/3323462/Science-Islams-forgotten-geniuses.html
(著者によるコラム)
なお、ハリリは、世俗的イラク人であり、現在、英サレー(Surrey)大学の物理学と科学における公的関与(public engagement in science)の教授をしています。(B、D)
2 アラブ科学
(1)アル=マムーン
「14世紀以降の科学革命のルーツはバグダッドとコルドバにある。
すなわち、ルーツはグレコローマンではなく、グレコローマンアラビック(Graeco-Roman-Arabic)なのだ。・・・」(B)
「・・・バグダッドの最も有名な支配者の一人が786年に生まれた。
彼の名前はアブ・ジャファール・アル=マムーン(Abu Jafar al-Mamun)<(コラム#3126、3132)>で、半分アラブ人で半分ペルシャ人だった。
この謎のカリフは、イスラム世界の支配者達の華やかな行列の中で科学の最大のパトロンとなることを運命付けられており、古典ギリシャ以来、世界で最も印象的な研究と勉学の時代を切り開いた責任ある人物なのだ。・・・」(A)
「・・・話は813年頃から始まる。
その頃、バグダッドのカリフのアル=マムーンが生き生きとした人生変革的な夢を見たとされる。
その夢の中で、彼は、ギリシャの哲学者のアリストテレスに会い、「知識と啓蒙を追求せよ」と言われた。
これは、生涯を通じての、彼の科学と哲学への執念の出発点だった。
アル=マムーンは、アレキサンドリアの栄光の日々以来、比べるものなき、かの有名なる智慧の家(House of Wisdom=Bayt al-Hikma)・・図書館兼翻訳施設兼科学アカデミー・・をつくった。
このカリフは、次いで、数学者のアル=フワーリズミ(al-Khwarizmi)<(コラム#3126、3128)>や哲学者のアル=キンディ(al-Kindi)<(コラム#4220)>といった、アラブ科学の最も偉大な人々を何人かリクルートした。
これらの学者(thinker)の多くは、自身、アラブ人ではなかったけれど、彼等はアラビア語で科学し、本を書いた。
しかし、欧米では、彼等は、アルキンドゥス(Alkindus)、アルハゼン(Alhazen)、アヴェロエス(Averroes)、アヴィケンナ(Avicenna)といったラテン語名で、より知られている。・・・」(D)
「・・・マムーンは、世界中の本を一つ屋根の下に集め、それらをアラビア語に翻訳し、彼の学者達にそれらを研究させることへの欲望において、ほとんど狂信的だった。・・・」(A)
(2)アラブ科学の黄金時代
「・・・8世紀末に始まった「アラブ科学の黄金時代」は500年以上続いた。
「ユダヤ科学」とか「キリスト教科学」などというものはないが、・・・「アラブ科学」とは、アル=ハリリによれば、欧州が暗黒時代を通じてうとうとしていた間、科学その他の共通語であったところのアラビア語によって生産された瞠目すべき業績の総体を意味する。・・・
・・・翻訳運動は200年間にわたって続き、ギリシャ、ペルシャ、そしてインドの智慧の多くがアラビア語に翻訳された。・・・
智慧の家・・・には一説によると、40万冊が収蔵されていたという。
その頃、欧州の最良の諸図書館は、せいぜい数ダースの本しか収蔵していなかった。
711年に、イスラム教徒達はスペインに渡ったが、これは、アンダルシアでほとんど8世紀に及んだイスラム教の影響の始まりとなった。
バグダッドがギリシャ語からアラビア語への翻訳運動の震央であったとすれば、コルドバやトレドのような都市は、偉大なるアラビア語の文献のラテン語への翻訳の中心となった。
これらを研究した最初の学者達の一人が、10世紀のフランス人僧侶のジェルベール・ドーリヤック(Gerbert d’Aurillac<。946?〜1003年。法王:999〜1003年。フランス人最初の法王。欧州に算盤と渾天儀(天球儀の一種)を復活させた
http://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Sylvester_II (太田)
>)だった。
彼は、後にアラビアの学問をピレネー山脈を越えて<欧州に>持ち込んだ最初のキリスト教徒たる学者になった。
後にシルヴェストル(Sylvester)2世となる人物が、イスラム帝国の科学をキリスト教の欧州に紹介したのは適切なことだった。・・・」(C)
(続く)
<改めてアラブ科学について(その1)>(2011.1.16公開)
1 始めに
かつての黄金時代のアラブ科学をとりあげた本が出ました。
ジム・アル=ハリリ(Jim Al-Khalili)の 'Pathfinders: The Golden Age of Arabic Science' です。
現在のイスラム世界を理解するためにも、またアングロサクソン論とのからみからも、ご紹介するに値すると考えました。
A:http://www.guardian.co.uk/books/2010/sep/26/baghdad-centre-of-scientific-world
(著者による要約。9月26日アクセス)
B:http://news.scotsman.com/entertainment/Book-review-Pathfinders-The-Golden.6539241.jp
(書評(以下同じ)。10月2日アクセス(以下同じ))
C:http://manjitkumar-reviewsarticles.blogspot.com/2010/09/arabic-heights.html
D:http://www.telegraph.co.uk/science/science-news/3323462/Science-Islams-forgotten-geniuses.html
(著者によるコラム)
なお、ハリリは、世俗的イラク人であり、現在、英サレー(Surrey)大学の物理学と科学における公的関与(public engagement in science)の教授をしています。(B、D)
2 アラブ科学
(1)アル=マムーン
「14世紀以降の科学革命のルーツはバグダッドとコルドバにある。
すなわち、ルーツはグレコローマンではなく、グレコローマンアラビック(Graeco-Roman-Arabic)なのだ。・・・」(B)
「・・・バグダッドの最も有名な支配者の一人が786年に生まれた。
彼の名前はアブ・ジャファール・アル=マムーン(Abu Jafar al-Mamun)<(コラム#3126、3132)>で、半分アラブ人で半分ペルシャ人だった。
この謎のカリフは、イスラム世界の支配者達の華やかな行列の中で科学の最大のパトロンとなることを運命付けられており、古典ギリシャ以来、世界で最も印象的な研究と勉学の時代を切り開いた責任ある人物なのだ。・・・」(A)
「・・・話は813年頃から始まる。
その頃、バグダッドのカリフのアル=マムーンが生き生きとした人生変革的な夢を見たとされる。
その夢の中で、彼は、ギリシャの哲学者のアリストテレスに会い、「知識と啓蒙を追求せよ」と言われた。
これは、生涯を通じての、彼の科学と哲学への執念の出発点だった。
アル=マムーンは、アレキサンドリアの栄光の日々以来、比べるものなき、かの有名なる智慧の家(House of Wisdom=Bayt al-Hikma)・・図書館兼翻訳施設兼科学アカデミー・・をつくった。
このカリフは、次いで、数学者のアル=フワーリズミ(al-Khwarizmi)<(コラム#3126、3128)>や哲学者のアル=キンディ(al-Kindi)<(コラム#4220)>といった、アラブ科学の最も偉大な人々を何人かリクルートした。
これらの学者(thinker)の多くは、自身、アラブ人ではなかったけれど、彼等はアラビア語で科学し、本を書いた。
しかし、欧米では、彼等は、アルキンドゥス(Alkindus)、アルハゼン(Alhazen)、アヴェロエス(Averroes)、アヴィケンナ(Avicenna)といったラテン語名で、より知られている。・・・」(D)
「・・・マムーンは、世界中の本を一つ屋根の下に集め、それらをアラビア語に翻訳し、彼の学者達にそれらを研究させることへの欲望において、ほとんど狂信的だった。・・・」(A)
(2)アラブ科学の黄金時代
「・・・8世紀末に始まった「アラブ科学の黄金時代」は500年以上続いた。
「ユダヤ科学」とか「キリスト教科学」などというものはないが、・・・「アラブ科学」とは、アル=ハリリによれば、欧州が暗黒時代を通じてうとうとしていた間、科学その他の共通語であったところのアラビア語によって生産された瞠目すべき業績の総体を意味する。・・・
・・・翻訳運動は200年間にわたって続き、ギリシャ、ペルシャ、そしてインドの智慧の多くがアラビア語に翻訳された。・・・
智慧の家・・・には一説によると、40万冊が収蔵されていたという。
その頃、欧州の最良の諸図書館は、せいぜい数ダースの本しか収蔵していなかった。
711年に、イスラム教徒達はスペインに渡ったが、これは、アンダルシアでほとんど8世紀に及んだイスラム教の影響の始まりとなった。
バグダッドがギリシャ語からアラビア語への翻訳運動の震央であったとすれば、コルドバやトレドのような都市は、偉大なるアラビア語の文献のラテン語への翻訳の中心となった。
これらを研究した最初の学者達の一人が、10世紀のフランス人僧侶のジェルベール・ドーリヤック(Gerbert d’Aurillac<。946?〜1003年。法王:999〜1003年。フランス人最初の法王。欧州に算盤と渾天儀(天球儀の一種)を復活させた
http://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Sylvester_II (太田)
>)だった。
彼は、後にアラビアの学問をピレネー山脈を越えて<欧州に>持ち込んだ最初のキリスト教徒たる学者になった。
後にシルヴェストル(Sylvester)2世となる人物が、イスラム帝国の科学をキリスト教の欧州に紹介したのは適切なことだった。・・・」(C)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
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