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太田述正コラム#4398(2010.11.25)
<映画評論18:黒い罠(その1)>(2010.12.25公開)

1 始めに

 米国映画の『黒い罠(Touch of Evil)』(1958年)の評論をお送りします。

A:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E3%81%84%E7%BD%A0
(11月23日アクセス。以下同じ)
B:http://en.wikipedia.org/wiki/Touch_of_Evil
C:http://www.austinchronicle.com/gyrobase/Calendar/Film?Film=oid%3a142768
D:http://www.bullz-eye.com/mguide/reviews_1958/touch_of_evil.htm

 これは、「オーソン・ウェルズ監督によるフィルム・ノワール<(注1)で、>・・・アメリカとメキシコの国境地帯を舞台に、メキシコ人麻薬捜査官が悪徳警官の不正捜査を追及する」(A)という映画です。

 (注1)「フィルム・ノワール (Film noir) は、虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画を指した総称である。
 狭義には、1940年代前半から1950年代後期にかけて、主にアメリカで製作された犯罪映画を指す。・・・
 一般的な定義では、1941年製作の『マルタの鷹』から、1958年製作の『黒い罠』・・・に至る時期の作品群を指すものとされている・・・
 従来の通念に比してインモラルな作品群が1940年代以降に続出した背景には、第二次世界大戦と冷戦期の不安な世相が在るとされる。また、第二次大戦に兵士として従軍した作家たちが、それまで孤立主義を保っていたアメリカから外に出たことにより、現実的かつ、暴力的な世界情勢に直面したことも重要な要因であろう。・・・
 第二次世界大戦後、このジャンルが大盛況となったことには、様々な要因が挙げられている。大きな背景とされるのは、冷戦と赤狩りに対する社会全体の不安感であろう。・・・
 フィルム・ノワールとされる映画には、ドイツ表現主義にも通じる、影やコントラストを多用した色調やセットで撮影され、行き場のない閉塞感が作品全体を覆っている。夜間のロケーション撮影が多いのも特徴といえる。その全盛期における多くの作品はコストの制約もあってモノクロームで制作され、カラーの事例は少ない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB

 この映画は、「米国では商業的にほとんど成功しなかったが、欧州では、とりわけ、将来の映画制作者のフランソワ・トリュフォー(François Truffaut)のような批評家の間では、評判が良かった」(B)ということのようです。

 申し上げるのが遅れましたが、この映画は、オーソン・ウェルズ(Orson Welles)が監督し、チャールトン・ヘストン(Charlton Heston)が主演し、ジャネット・リー(Janet Leigh)がヒロインを演じたほか、マレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich)も出演していますが、ウェルズ自身が、この映画の最大の悪役を自らつとめており、その怪演で他の出演者を完全に食ってしまっています。

 ところで、「視覚的には非常に優れていると賞賛される『黒い罠』だが、・・・ウェルズの研究者であるロバート・ガリスは、作品のスリラー的要素はさして面白くなく、薄っぺらで陳腐でさえあると述べた。映画監督のピーター・ボグダノヴィッチは、『黒い罠』を5回か6回は観ているが筋はあまり面白くなかったので殆ど覚えてない、と友人であるオーソン・ウェルズに語った。それを聞いたウェルズは唖然としたとされる。」(A)というのが、この映画についての大方の意見のようです。
 しかし、私流のストーリー批評にかかると、筋なんてどうでもいいのであって、この映画に込めた、ウェルズの政治的メッセージこそ、我々は注目すべきだ、ということになるのです。

2 この映画の見所

 1990年代に入ってから発見された、ウェルズ自身による、この映画に関する58頁にわたるメモによれば、彼は、正気と理性がひっくり返り、常軌を逸したもの(outré)とシュール(surreal)なものに乗っ取られ、あらゆるものが意味をなさなくなる、悪夢と夢の中の光景のトラブル・・関節がはずれた移ろいやすいトラブル・・を描こうとした(C)、ということです。

 このような構想の下、「原作ではメキシコ人の妻を持つアメリカ人地方検事補佐が主人公だったが、夫婦の国籍を逆にしたのはウェルズのアイデアである。その他に物語の舞台をカリフォルニア州からアメリカとメキシコの国境地帯にするなど、ウェルズは映画化に当たって様々な設定の変更を行った。」(A)のです。
 もう少し詳しく見て行きましょう。
 この映画では、主人公はアイビー・リーグで教育を受けた法曹資格者でメキシコシティーの麻薬犯罪を捜査する役人で、ヒロインは白人の美人米国人、という設定にされたわけですが、当時の米国では、依然、人種を超えた結婚に対する強いタブーが存在しており(コラム#2531)、妻が白人である場合、それが一層強くタブー視されていた、という状況下では、これは大きな勇気を要することだったのです。
 ちなみに、主役を演じたヘストン自身、市民権運動家であったことから、このような配役ははまり役であったと言えるでしょう。(D)

(続く)

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