太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/
太田述正コラム#4012(2010.5.16)
<帝国陸軍の内蒙工作(後書き)>(2010.9.23公開)
1 戦前の日本の東アジア進出は侵略目的ではなく安全保障目的だった
表記のシリーズを読み終えた読者の皆さんは、私が森久男教授を評価していないように思われたかもしれませんが、決してそんなことはありません。
森教授は、「中国の抗日戦争史研究者の多くは、日本陸軍の長期間におよぶ中国侵略の大量の証拠から、その背後に日本軍による中国侵略計画、陸軍軍人の中国侵略思想があったとみなしている。
15年戦争論を信奉する日本の進歩的歴史学者も、こうした問題意識を共有している。」(18頁)
と記した上で、
「陸軍軍人の思想と行動を外部的尺度で「客観的」に評価すれば、・・・彼らがひたすら中国侵略を目的として軍人としての生涯を送った・・・<という>ような意味づけも可能であるが、それでは彼らの思想と行動の軌跡を全面的に理解することはできない。
当然のことを確認するようであるが、陸軍軍人の最大の関心事は、日本の国防体制をいかにして万全なものとするかにあった。」(19頁)
としています。
要するに、教授は、帝国陸軍は、あくまでも、満州や支那本体で安全保障のために必要であると考えられた行動をとった、あるいはとろうとしただけなのであって、結果だけを見て、帝国陸軍が領土拡大的、侵略的意図を持っていたとみなしてはならない、と言っているわけです。
一方、東大の加藤陽子教授(コラム#4007)は、
「日本が獲得した植民地を考えてみると、ほぼすべて安全保障上の利益に合致する場所といえる」
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%82%82%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%80%8C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%80%8D%E3%82%92%E9%81%B8%E3%82%93%E3%81%A0-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E9%99%BD%E5%AD%90/dp/4255004854
と記しています。
彼女は、森教授と基本的に同じ認識を、帝国陸軍ならぬ、戦前の日本そのものについて抱いている、と私は受け止めました。
私は、お二人のこのような認識が、日本、そして英米の人々の共通認識にならなければならないし、それに向けて我々は努力しなければならないと思います。
しかし、それは、極東裁判史観を根本的なところで克服することを意味するのであって、容易なことではありません。
私が本シリーズで典拠として使用した英語ウィキペディアは、いずれも、もっぱら英語と漢語の典拠に拠っており、もっぱら日本語と漢語の典拠に拠っている森教授とは(どちらも漢語の典拠に拠っている点はともかく)対象的ですが、例えば、西安事件に係る英語ウィキペディアに、
・・・Japan was hoping to conquer China in its entirety(=日本は、支那全体を征服しようと欲していた)・・・
という記述が、何の典拠も示されずして、当たり前のように出てくること一つとっても、漢人の認識はむろんのこと、英米人の認識を改めさせることの困難さが推し量れます。
2 戦前の日本の安全保障目的での東アジア進出は国民の総意だった
シリーズの中でも諸処で森教授が戦前の日本の安全保障目的での東アジア進出は国民の総意であったことを示唆していることにお気づきだと思います。
この点も、加藤教授は同じです。(コラム#4007)
加藤教授は、
「福沢諭吉が日清戦争を正当化し、吉野作造が日露戦争を正当化する、まさにベスト・アンド・ブライテストが正当化の論理を手にして束にしてかかって来るのが近代の戦争だった。」加藤陽子「冷戦終結後に求められる歴史とは」(学士会会報No882 2010-?44頁)
とも言っています。
これは、加藤教授も示唆しているように、大正デモクラシー以降にもあてはまるのであり、明治日本同様、民主主義日本も、エリート達と一般大衆が、ほぼ一丸となって、日本の安全保障目的での東アジア進出を推進して行った、ということです。
このような日本国民の総意があったことと、これに関連して戦前の日本が1925年以降は民主主義・・正確には自由民主主義・・国家であり、民主主義は先の大戦中も機能していた、という認識についても、日本人にはもとより、漢人や英米人の間に普及させる必要があります。
3 戦前の日本が責められる点はあったのか
それでは、戦前の日本に責められる点はなかったのでしょうか。
もちろんありました。
私見によれば、戦前の日本が責められる点は以下のようにたくさんあります。
一、日本政府のエリート達が、米国が、人種主義的帝国主義の国であることは認識しつつも、だから非合理的行動をとる可能性が大いにある、ということまで、計算には入れていなかった。
二、日本政府のエリート達が、第二次世界大戦が欧州で勃発した後、首相となったチャーチルが、大英帝国の墓穴を自ら掘るような愚昧な行動をとる可能性があることまで、計算には入れていなかった。
三、一と二の結果、日本政府は、少なくとも二度・・内蒙工作と対英開戦時期・・、日本の軍事行動に係る戦略判断において、致命的な過ちを犯した。
四、帝国陸軍のエリート達が、陸軍内での規律の弛緩を許してしまった。
その結果、勝手に部隊が動いたり、部隊や兵士が非違行為を行ったりすることが頻発した。
三や四により、支那や東南アジアの住民、そして連合国の兵士等に多数の不必要な犠牲者を輩出させ、その結果、日本や日本人に対するうらみを買うこととなったこともあり、我々は、これらの点について更に掘り下げた分析を行った上で、世界の関係各方面に対し、改めて遺憾の意を表することが望ましいと思います。
3 最後に
両教授は私から見ると互いに同志であっても不思議ではないのに、森教授が、
「加藤陽子氏は、自著・・・『満州事変から日中戦争』・・・の中で該博な知識を披瀝しているが、・・・なにを伝えたいのかよく分からない』(17頁)
と記しているのはいただけません。
加藤教授自身が、
「歴史とは、内気で控えめでちょうどよい」(アマゾン前掲)
と記しているところから、彼女側にも責めはありそうですが、歴史のプロのお二人が相互に意思疎通を図って共同戦線を張り、私などの歴史のアマチュアが微力ながらそれに協力するという形で、1と2の認識について、まず日本人の間に浸透を図ることができればいいな、と考えている次第です。
どしどしご意見を。
<帝国陸軍の内蒙工作(後書き)>(2010.9.23公開)
1 戦前の日本の東アジア進出は侵略目的ではなく安全保障目的だった
表記のシリーズを読み終えた読者の皆さんは、私が森久男教授を評価していないように思われたかもしれませんが、決してそんなことはありません。
森教授は、「中国の抗日戦争史研究者の多くは、日本陸軍の長期間におよぶ中国侵略の大量の証拠から、その背後に日本軍による中国侵略計画、陸軍軍人の中国侵略思想があったとみなしている。
15年戦争論を信奉する日本の進歩的歴史学者も、こうした問題意識を共有している。」(18頁)
と記した上で、
「陸軍軍人の思想と行動を外部的尺度で「客観的」に評価すれば、・・・彼らがひたすら中国侵略を目的として軍人としての生涯を送った・・・<という>ような意味づけも可能であるが、それでは彼らの思想と行動の軌跡を全面的に理解することはできない。
当然のことを確認するようであるが、陸軍軍人の最大の関心事は、日本の国防体制をいかにして万全なものとするかにあった。」(19頁)
としています。
要するに、教授は、帝国陸軍は、あくまでも、満州や支那本体で安全保障のために必要であると考えられた行動をとった、あるいはとろうとしただけなのであって、結果だけを見て、帝国陸軍が領土拡大的、侵略的意図を持っていたとみなしてはならない、と言っているわけです。
一方、東大の加藤陽子教授(コラム#4007)は、
「日本が獲得した植民地を考えてみると、ほぼすべて安全保障上の利益に合致する場所といえる」
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%82%82%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%80%8C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%80%8D%E3%82%92%E9%81%B8%E3%82%93%E3%81%A0-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E9%99%BD%E5%AD%90/dp/4255004854
と記しています。
彼女は、森教授と基本的に同じ認識を、帝国陸軍ならぬ、戦前の日本そのものについて抱いている、と私は受け止めました。
私は、お二人のこのような認識が、日本、そして英米の人々の共通認識にならなければならないし、それに向けて我々は努力しなければならないと思います。
しかし、それは、極東裁判史観を根本的なところで克服することを意味するのであって、容易なことではありません。
私が本シリーズで典拠として使用した英語ウィキペディアは、いずれも、もっぱら英語と漢語の典拠に拠っており、もっぱら日本語と漢語の典拠に拠っている森教授とは(どちらも漢語の典拠に拠っている点はともかく)対象的ですが、例えば、西安事件に係る英語ウィキペディアに、
・・・Japan was hoping to conquer China in its entirety(=日本は、支那全体を征服しようと欲していた)・・・
という記述が、何の典拠も示されずして、当たり前のように出てくること一つとっても、漢人の認識はむろんのこと、英米人の認識を改めさせることの困難さが推し量れます。
2 戦前の日本の安全保障目的での東アジア進出は国民の総意だった
シリーズの中でも諸処で森教授が戦前の日本の安全保障目的での東アジア進出は国民の総意であったことを示唆していることにお気づきだと思います。
この点も、加藤教授は同じです。(コラム#4007)
加藤教授は、
「福沢諭吉が日清戦争を正当化し、吉野作造が日露戦争を正当化する、まさにベスト・アンド・ブライテストが正当化の論理を手にして束にしてかかって来るのが近代の戦争だった。」加藤陽子「冷戦終結後に求められる歴史とは」(学士会会報No882 2010-?44頁)
とも言っています。
これは、加藤教授も示唆しているように、大正デモクラシー以降にもあてはまるのであり、明治日本同様、民主主義日本も、エリート達と一般大衆が、ほぼ一丸となって、日本の安全保障目的での東アジア進出を推進して行った、ということです。
このような日本国民の総意があったことと、これに関連して戦前の日本が1925年以降は民主主義・・正確には自由民主主義・・国家であり、民主主義は先の大戦中も機能していた、という認識についても、日本人にはもとより、漢人や英米人の間に普及させる必要があります。
3 戦前の日本が責められる点はあったのか
それでは、戦前の日本に責められる点はなかったのでしょうか。
もちろんありました。
私見によれば、戦前の日本が責められる点は以下のようにたくさんあります。
一、日本政府のエリート達が、米国が、人種主義的帝国主義の国であることは認識しつつも、だから非合理的行動をとる可能性が大いにある、ということまで、計算には入れていなかった。
二、日本政府のエリート達が、第二次世界大戦が欧州で勃発した後、首相となったチャーチルが、大英帝国の墓穴を自ら掘るような愚昧な行動をとる可能性があることまで、計算には入れていなかった。
三、一と二の結果、日本政府は、少なくとも二度・・内蒙工作と対英開戦時期・・、日本の軍事行動に係る戦略判断において、致命的な過ちを犯した。
四、帝国陸軍のエリート達が、陸軍内での規律の弛緩を許してしまった。
その結果、勝手に部隊が動いたり、部隊や兵士が非違行為を行ったりすることが頻発した。
三や四により、支那や東南アジアの住民、そして連合国の兵士等に多数の不必要な犠牲者を輩出させ、その結果、日本や日本人に対するうらみを買うこととなったこともあり、我々は、これらの点について更に掘り下げた分析を行った上で、世界の関係各方面に対し、改めて遺憾の意を表することが望ましいと思います。
3 最後に
両教授は私から見ると互いに同志であっても不思議ではないのに、森教授が、
「加藤陽子氏は、自著・・・『満州事変から日中戦争』・・・の中で該博な知識を披瀝しているが、・・・なにを伝えたいのかよく分からない』(17頁)
と記しているのはいただけません。
加藤教授自身が、
「歴史とは、内気で控えめでちょうどよい」(アマゾン前掲)
と記しているところから、彼女側にも責めはありそうですが、歴史のプロのお二人が相互に意思疎通を図って共同戦線を張り、私などの歴史のアマチュアが微力ながらそれに協力するという形で、1と2の認識について、まず日本人の間に浸透を図ることができればいいな、と考えている次第です。
どしどしご意見を。
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/