太田述正コラム#4186(2010.8.11)
<買弁首相と無知蒙昧な御用学者達>(2010.9.11公開)

1 始めに

 宮里立士さんが、月刊『現代』2008年9月号掲載の前出論考(コラム#4182)を送ろうと思ったところ、同じ号にもう一つ面白い論考が載っていたことを思い出した、としてついでにコピーを送付してくれた、春名幹男「「偽りの平和主義者」佐藤栄作」(同58〜66頁)の紹介とそれへの私のコメントをお送りします。
 日本の非核三原則成立にあたっての日本政府の厚顔無恥ぶりについては、私自身は知っていましたが、改めて皆さんに知っていただくことも意義があると考えた、ということもあるけれど、私がショックを受けたのは、この論考を通じて浮かび上がってくるところの、戦後日本の著名・御用・国際政治学者達の無知蒙昧ぶりについてであり、この事実をぜひ皆さんにも分かっていただきたい、と考えた次第です。

2 日本の買弁首相

 「1964年10月16日に中国は初めて、原爆実験に成功し<たが、>・・・佐藤栄作前首相・・<は、>被爆国、日本の国民は大多数が「核アレルギー」を持ち、核兵器保有に反対しているが、「この点で国民を教育する必要があるし、実際若い世代には望ましい兆候が見られる」と・・・駐日米大使、エドウィン・ライシャワー・・・<に>説明した。・・・<そして、>「向こう数年間、日本は防衛全般にわたって根本的な見直しを行うべきだ」と述べた。そして、「まだ機は熟していないが、憲法は改正すべきだ」と繰り返し強調した・・・。・・・
 ・・・ライシャワーは「彼の率直さと熱意は新鮮だが、重大な危険もある」と本国への電報<で述べた>上でこう提唱した。「核に関して佐藤が示した見解のような危険なコースを避けるため、池田<勇人>・・・以上に、もっと指導と教育が必要だ」<と。>」(1964年12月29日、於首相官邸)

→日本は、核を云々する前に、再軍備を行い、米国から「独立」しなければならないはずです。
 佐藤は、「タカ」派ぶっているけれど、「独立」の気概はおろか、軍事についての知識も関心もないことをライシャワーは見抜いていたからこそ、「タカ」派ぶらなかった名実ともの吉田ドクトリン墨守者たる池田勇人以上に佐藤には「指導と教育が必要だ」、と彼は考えたのでしょう。
 それにしても、あの知日派ライシャワーにして、日本人は、歴代の日本の首相でさえ、無学な土人扱いですね。(太田)

 「<訪米した佐藤首相に対し、>「リンドン・ジョンソン・・・大統領は、米国が外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという安保条約に基づく誓約を遵守する決意であることを再確認する」」(1965年1月12日・日米首脳会談後の日米共同声明)

→日本は、当分の間、米国の核抑止力に依存しておればよろしい、現時点で核武装を口にするなどおこがましい限りであるぞよ、と佐藤は米国政府に軽くあしらわれたということです。(太田)

 「「インドや日本が核兵器の製造を決定すれば、パキスタンやイスラエルなどの諸国の連鎖反応を招く恐れがある」」(1965年1月21日米「核拡散に関する委員会」秘密報告書)

→この中でまだ核武装していない国は日本だけになりましたね。
 うたた隔世の感があります。(太田)

 「佐藤が非核三原則に最初に言及したのは、1967年12月11日の衆議院予算委員会での答弁<であり、>「本土としては、私どもは核の三原則、核を製造せず、核を持たない、持ち込みを許さない、これははっきり言っている」と明言した。
 さらに、翌1968年1月30日の衆院本会議。・・・佐藤は包括的に「核政策の四本柱」を公表した。四本柱とは、
一、核兵器の開発を行わない、核兵器の持ち込みを許さない、核兵器を保持しない、の非核三原則を守る
二、国際的に、核軍縮に力を注ぐ
三、通常兵器による侵略に対しては自主防衛の力を堅持する。核の脅威に対しては米国の核抑止力に依存する
四、核エネルギーの平和利用は、最重点国策として取り組む
から成っている。」

→吉田ドクトリンに毒されている日本世論にあえて迎合するという世紀の愚行を佐藤はやってのけたわけです。
 しかも、ご存じのように、「核兵器の持ち込みを許さない」は、ウソでした。(太田)

 「1969年1月14日付でアレクシス・ジョンソン駐日米大使が・・・国務長官宛に送った公電によると、佐藤は「非核三原則はナンセンスだ」と発言したこともあった。」

→宗主国にはホンネを語り、日本国民にはウソ混じりのタテマエ論を語る。
 これを買弁首相と呼ばずして何と呼びましょうや。(太田)

 「佐藤とニクソンは1969年11月19日、ホワイトハウスで首脳会談を行い、沖縄返還で合意した。その際、両首脳は大統領執務室わきの小部屋で密約文書を交わし・・・「緊急事態には、沖縄への核兵器の再持ち込み」を約束<し>た・・・。」

→上記、ウソ混じりのタテマエ論が語られた相手たる日本国民には外務官僚が含まれている場合があったことを今では我々は知っています。
 本当にひどい話です。(太田)

 「そして、非核三原則は「国是」になった。1971年11月24日、衆院本会議は沖縄返還協定承認案を可決したあと、付帯決議として非核三原則を決議したのである。」

→菅首相は、鳩山前首相に引き続いて、非核三原則の法制化を口にしましたね。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2010080900346
(8月9日アクセス)
 いくらなんでも、そんなこと、実行はしないでしょうが、佐藤の愚行は現在にまで尾を引いている、ということです。(太田)

3 日本の無知蒙昧な御用国際政治学者達

 さて、ここからがお立ち会いです。

 「沖縄返還協定交渉の裏ルートで密使を務め、キッシンジャーの友人でもあった若泉敬を伴っ<た>・・・佐藤<前首相>は、<1974年11月19日、東京の迎賓館で、キッシンジャ国務長官に対し、>「可能なら、<このたび受賞が決まった>ノーベル<平和>賞スピーチで提案したいと考えている」案<・・元首相首席秘書官で元産経新聞記者の楠田實、梅棹忠夫京都大学教授、高坂正尭京都大学教授が互いに相談しながら作成したもの・・><に>、「5つの核兵器保有国が会議を開き、核兵器の使用について論議し、第一使用を放棄する協定を話し合ってはどうか」<というくだりが盛り込まれている>と言った。・・・
 だがキッシンジャー<国務長官>は即座に提案を拒否し、「率直に言って、米国はこのような会議への参加を拒否する。われわれは過去にもソ連の同様の提案を拒否しなければならなかった。中国も同様の提案をした」と述べた。
 そしてキッシンジャーは、次のような反対理由を挙げた。
・ソ連の兵力は欧州諸国より大幅に優位で、中国も近隣諸国より優位に立つ。核兵器がなければ、ソ連は通常兵力で欧州を圧倒し、中国も同様の結果を得る。
・われわれが核兵器の第一使用を放棄すれば、日本に大きな危険をもたらす。
・均衡のとれた戦略軍事力の削減を交渉しながら、安定を維持するのが米国の政策だ。・・・
 結局、佐藤は提案を撤回するしかなかった。」

→事実上、自らが受賞に向けて運動をした(63〜64頁)のだから当然ではあるけれど、鉄面皮にもノーベル平和賞受賞を辞退しなかった佐藤は、自分の晩節も汚しに汚したわけですが、それにしても、高坂正尭(『防衛庁再生宣言』223〜225頁)と若泉敬という、当時の日本の「著名」な国際政治学者が二人も関与しながら、こんなくだりを含む受賞スピーチ案がキッシンジャーに打診されたなんて、到底信じられない思いです。
 この二人とも、冷戦時代の安全保障についてのイロハのイの初歩的素養すら身につけていなかったということであり、これでは、彼等は、無知蒙昧な御用国際政治学者であったと断ぜざるをえません。
 (「核兵器の第一使用を放棄すれば、日本に大きな危険をもたらす」のがどうしてかは、ここでは繰り返しません。)
 学者だなんてウソで、単にこの2人、自民党政治家相手の幇間だったんじゃないか、とさえ言いたくなるほどです。(太田)

4 終わりに

 10年以上、日本の論壇をフォローしてきていない私ですが、宮里さんのおかげで、比較的最近の日本の論壇の様子を垣間見させてもらい、貴重ないくつかの未見の史実と出会うことができました。
 ただ、今回の2篇の論考を通じ、過去の日本の論壇のレベルの低さを改めて実感させられるとともに、そのレベルに現在でも向上の兆しがないことが確認でき、私は、沈鬱な気持ちに陥っています。

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