太田述正コラム#4002(2010.5.11)
<帝国陸軍の内蒙工作(その1)>(2010.9.5公開)

1 始めに

 表記について、森久男『日本陸軍と内蒙工作--関東軍はなぜ独走したか』(講談社選書メチエ)に主として依拠しつつ、論じたいと思います。(以下、頁数はこの本のもの。)
 既に(コラム#3991で)言及したように、典拠にロシア語や英語文献があげられていないという難点があるだけでなく、記述に繰り返しが多い・・要するに編集が十分行われていない・・上、裏表紙や帯上の文章・・「壮大かつ無謀な内蒙独立工作はなぜ立案されたのか?・・<その>必然の失敗に至る構造的欠陥を・・・分析する」、「エリート軍人はなぜ独走しかつ失敗するのか」・・が、この本の内容とややズレている、等、読後感がすっきりしませんでしたが、それはそれとして、先に進みましょう。

2 帝国陸軍の内蒙工作

 (1)帝国国防方針

 1907年(明治40年)に、陸海軍の調整に基づき、初めて帝国国防方針が策定されたのですが、これは、日露戦争終結直後の1905年に日英同盟の改訂が行われたことを受けて、英国とと露国(ロシア)との間で戦争が起こった場合の日本軍の対処方針について山縣有朋を中心に検討したことに始まるとされています。
 つまり、ロシアへの対処が、そのそもそものねらいであったということです。
 帝国国防方針は、1918年(大正7年)、1923年(同12年)、1936年(昭和11年)に改定されるのですが、内容に大きな変化はありませんでした。
 ただし仮想敵国は、露国、米国(比?)、仏国(仏印?)から始まり、第一回の改定では(支那における排日運動の高揚に直面して(20頁))、露国・米国・支那、そして、第ニ回の改訂では(ロシア革命後の混乱を踏まえ(20頁))、米国・支那・露国へ、更に第三回の改定では、(ロシアの国力充実を踏まえ(20頁))、再びロシアが(米国と並んでですが仮想敵国の第一に復帰して)、米国/露国・英国・支那へ、と順序を含め、微妙な変遷がありました。
 改定にあたっては閣議の同意を経ており、第三回の改定にあたっては、外務省との調整をも経ています。
 (以上、特に断っていない限り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E9%98%B2%E6%96%B9%E9%87%9D
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/11kokubou.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Kuomintang
による。5月11日アクセス(以下同じ))

 さて、この第三回の改定の2ヶ月後に、首相、外相、陸相、海相の四相会議で「帝国外交方針」が決定され、この改定を踏まえ、関係諸省間決定として、「対支実効策」が策定されます。
 それにいわく、「北支処理の主眼は、該地域を防共親日満の特殊地帯たらしめ、併せて国防資源の獲得並に交通施設の拡充に資し、一は以て蘇聯の侵冦に備え、他は以て日満支三国提携共助実現の基礎たらしむるに在り・・・<南京国民政府に対しては、>之が処理に当りては中央及び出先は一体とな<る>」ことを付言しています。(50頁)
 「帝国外交方針」の主旨を徹底させるために開かれた天津総領事官邸での北支主要公館長会議の場で、陸軍省から参加した影佐禎昭中佐(当時参謀本部支那課長。1893〜1948年。谷垣禎一自民党総裁の祖父)
(6頁)及び http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1%E4%BD%90%E7%A6%8E%E6%98%AD
は、「日本の国防国策と云う見地から云えば、露国の企図即同国の東亜進出を防ぐ事が喫緊事であるが、右目的達成の為には、第一に英米との関係を良好ならしめ、更に日満支関係を強固緊密にする事が肝要である」、「日本は露国より劣勢<であり、>物質的方面から見ても、戦闘方面から見ても、今の処では遺憾乍ら勝算がない」と答えています。(51頁)
 
 以上から、日支事変勃発直前の日本では、外務省と陸海軍省、更には陸軍参謀本部の間で、国家安全保障戦略に関するコンセンサスが存在していたことが分かります。
 それは、目新しいものでも何でもないのであって、横井小楠コンセンサス(コラム#1609、1610、1613)のコンファーメーションに他なりません。
 それは、ロシアの東アジア進出を防ぐというものであり、そのために富国強兵を図る、すなわち、軍備を整え、戦略的要衝を押さえ、経済力を強化し、資源と兵站路を確保する、という戦略です。
 しかし、上記影佐中佐の率直な発言からも伺えるように、当時、陸軍は焦燥感にかられていました。
 大正デモクラシーの風潮の中で、陸軍に十分な資源配分がなされなかった(21頁)過去の後遺症を引きずり、陸軍は、物質面(装備面)においても戦闘方面(運用面)においてもロシア(ソ連)に比して近代化が遅れていたからです。(265頁)
 しかも、このような日本の戦略を本来支援すべき米英が、支那において蒋介石ファシスト政権等に迎合して、日本の足を引っ張り続けていたからです。

(続く)

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