太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/
太田述正コラム#4035(2010.5.28)
<皆さんとディスカッション(続x847)>
<蒲鉾>
<コラム#3782>「張鼓峰/ノモンハン事件(その5)」<を読み>ました。
≫「帝国は列国も亦帝国の意図を正確に認識し、東亜の新情勢に適応すべきを信じて疑はず」という、英米に向けての懇願に近い文言≪(コラム#3782。太田)
これに対するグルー大使の噴飯ものの回答があります。面白いので載せておきます。
グルーの見解(=当時のアメリカ人の主流的見解)に同意しちゃう日本人、結構多そうで笑えないですけど・・・・・・
【東亜新秩序の意味】
『最後に指摘しなければならない日本人の謬見は、合衆国政府と国民が“東亜新秩序”を理解しようとしないという考えです。
しかしわが政府と国民は“東亜新秩序”なる概念の意味を日本人と同じくよくわかっている。
ただアメリカとしては秩序・安定・進歩を世界のすべての国民とともに、すべての地域において追求しているので、日本人が言うように東アジアにおける権利と利益をもつアメリカ人を追放しようという点には同意するわけにはいきません。
アメリカ人は日本軍が中国で実施している空爆などによってアメリカ人の権利と利益が直接に脅かされていること、中国に関する国際条約や協定が侵害されていることに憤慨しています。
主権と経済的機会の平等にもとづくこれらの条約や協定は日本を含む国々によって合意されたものである。
(「・・・関係諸国が協力を目指した・・・ワシントン体制<は>、1925年から1929年の間に実施上廃絶状態になり、国際強調の根拠となるべき諸原則の形成が、必然的にその権威を失ってしまった<のであり>」(マクマリーのメモランダムp94)
その国際強調の根拠となる諸原則を喪失させたのは「条約の遵守という基本問題で、中国が横車を押したのに対し、アメリカ政府は日本にきびしく、中国に好意的な立場をとった」というようなアメリカの態度だろう(メモランダムp169)
以上の事を、アメリカ人は、日本の権利と利益(それも死活的な)が中国によって直接に脅かされている時、日本に関わる国際条約や協定が侵害されているときに、憤慨するどころか擁護したんじゃなかったっけ?)
そういうわけで、アメリカ人は日本の唱えている“東亜新秩序”とは日本がこの地域に排他的支配を及ぼすことであると理解している。
(中国との和解も、列国との協調による相互理解も不可能な状況に追い込まれたのだから、選択肢としては、権益を放棄するか単独で確保するかの二つしか無い訳だ、そもそも追い込んだのはアメリカだしマッチポンプ)
これに対してじっさいに東アジアの秩序と安全を実現するにはアメリカを除外すべきではないというのが私たちの意見です。』
(これに対してじっさいに東アジアの秩序と安全を実現する為には、日本を排除・駆逐するすべきではない、というのがマクマリーの見解)
阪東宏 『世界のなかの日本・ポーランド関係 1931-1945』 p130
おっとっと、背景を書くのを忘れてました。
以上はグルー大使による東京での演説の一部です。
<太田>
Chaseさん、グルーの演説部分は次著に使えそうですね。
こんな調子じゃ分量が多くなりすぎる?
だけど、電子出版の時代が到来したんだし、電子出版版は最大限太田過去コラムを盛り込み、紙出版版はそれをコンパクトにしたものにする、というスタンスでいかがでしょうか。
<太田>(ツイッターより)
一、(コラム#3778に関し、) 関東軍って、アタマも腕っぷしも帝国陸軍の精華でしたってオチでした。何でこんな当たり前のことからみんな目を背けてきたんだろうね。
二、(コラム#3780に関し、)帝国陸軍には批判されるべき点は山ほどあるけど、だからといって全面否定しちゃうと戦前史は理解不能になる。Got it?
三、(コラム#3786に関し、)帝国陸海軍は欧米の帝国主義・・欧州方式、英国方式、米国方式・・のすべてを崩壊させた。(プラス、米国に関しては、その人種主義に対し崩壊プロセスを始動させた。)残されたのは日本式の帝国主義のみであり、それを米国が継受して現在に至る。
四、(コラム#3782に関し、)日米安保を是認する、ということは、戦前の日本の大陸進出を是認する、つまりは、太田「史観」を是認する、ということに論理的にならざるをえないわけです。
五、(コラム#3779に関し、)明治時代以来、日本の、ひいては世界の自由主義勢力の安全保障にとっての朝鮮半島の重要性は変わらない。その北半分を反自由主義勢力にくれてやった米国の罪は重い。
<Tats_Gunso>
>三
というようなことを・・・人種主義戦争としての日米戦争(その2)
http://blog.ohtan.net/archives/51984913.html
の1,2を読んで再認識した。
<太田>
実は、「残されたのは日本式の帝国主義のみであり、それを米国が継受して現在に至る。」は、これまでの、米帝国主義が米西戦争に始まり、それが現在まで続いている、としてきた私の「史観」を、本日ただいま大幅に修正したんだけどね。
(べじたんさん、Chaseさん、注目!)
<植田信>(2010.5.27)http://8706.teacup.com/uedam/bbs
・・・アメリカ占領軍がなんだかんだと言う前に、日本軍がつぶれてよかった、と考えます。
これは、山本七平や司馬遼太郎などの軍隊体験から得た私の意見です。彼らは私の代わりに、日本軍の軍隊というものがいかなるものかを体験してくれました。
とはいえ、過去に実際に存在した「昭和日本軍」への忌避と、現代の国際社会がパワー・ポリティクスで動いていることから、主権国家には自己防衛するための軍事力が不可欠である、という点は区別する必要があります。
2010年の日本人は、新しい形の自己防衛の軍事力を公認する点では、まだ足踏みしています。それだけ、昭和日本軍の体験が重いのだろう、と私は考えています。
これからの日本人が軍事力の点で考える必要があるのは、皇軍から市民軍へ、の転換です。これが出来ない限り、安全保障のアメリカ依存は続く、と私は見ています。・・・
<以上は、>兵隊さんたちの体験談から見たわけですが、もう一つ重要な見方があります。
日本軍の性格が皇軍なのか、デモクラシー軍なのか、それともナチ軍なのか、という軍隊を構成する組織の内容のことは別にして、どれも主権国家軍であると見なした場合に、日本軍の戦争をどう見るか、です。
こちらの視点では、私のホームページにリンクしてある太田述正氏のサイトをお勧めします。
防衛庁出身の人なので、こちらの方面での見解は、実に面白いです。
http://www.ohtan.net/
戦前の日本軍は、その時代に戦争を行ったどの国とも同じく、「帝国主義」戦争に巻き込まれていたわけでした。
ちなみに、戦後の日本人の戦争観を形成した点では、敗戦体験よりも、アメリカ占領軍による「日本改造計画」の効果のほうが大きいと私は見ています。
西尾幹二の言葉では、「日本は戦後の戦争に負けたのだ」ということです。
思想戦争であり、心理戦争です。・・・
<太田>
>アメリカ占領軍がなんだかんだと言う前に、日本軍がつぶれてよかった、と考えます。
これは、山本七平や司馬遼太郎などの軍隊体験から得た私の意見です。彼らは私の代わりに、日本軍の軍隊というものがいかなるものかを体験してくれました。
>2010年の日本人は、新しい形の自己防衛の軍事力を公認する点では、まだ足踏みしています。それだけ、昭和日本軍の体験が重いのだろう、と私は考えています。
戦前と戦後の日本人大衆の戦争観や軍隊観は変わっていませんよ。
このことを、植田さんが言及されている司馬と山本の「軍隊経験」をもとに検証してみましょう。
まず、司馬遼太郎です。
「・・・司馬は戦車連隊に入隊し満州に出征する。しかし、その当時の日本軍の装備といえば、「日露戦争の骨董品」というほどに旧式のものであった。
そのような兵器で、世界に対抗しようとするばかげた行為、リアリズムの無さにあきれる。
「粛然とした自己認識、これだけが国家を運営する唯一の良心であり、精神なのです。しかしそういうものは皆目なかった。」(明治という国家117)と述べ、「いったいこういうばかなことをやる国は何なのだろう」(同4)と考え、昔はもっとましな国だったのでは、と考え始めることが、歴史を振り返るきっかけとなった様である。・・・」
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/ozaki.html
「・・・坂の上の雲を読むと、明治の軍人は、仲間同士で序列をつけるための喧嘩などはよくあったようですが、兵隊をシゴくような場面は書かれていません。後に軍神と崇められた広瀬武夫などは、部下が可愛くて仕方がないというような男として描かれています。・・・」
http://tea-time7.com/2010/03/post-35.html
→植田さんが余りお気に召しておられないご様子の、私の日本史における縄文モード・弥生モード交替仮説ですが、縄文モードの時代(現在のものを除く)においても、エリートの大部分は弥生人の子孫であり・・貴族も武士もそうだった・・、支配層は相対的に弥生人的気質を抱き続けた、とご理解下さい。
さて、明治は典型的な弥生モードの時代であり、日露戦争は、弥生人的エリート(旧武士)が縄文人的大衆をうまく手なずけて見事な形で遂行されます。
しかし、大正に入ると縄文人的大衆による軍の腐食が始まります。
大正デモクラシーの下、大衆は軍を白眼視し、軍縮を強いるのです。
http://sun.ap.teacup.com/souun/584.html
(↑余りぴったりした典拠ではないが・・)
その結果、軍は金欠病に苦しみ、装備が旧式化してしまうのです。
私的制裁が横行するようになったことは、そのもう一つの現れであると解することができます。
このことを、山本七平による旧軍私的制裁論もご紹介した上で説明しましょう。
彼の『私の中の日本軍』には、次のようにあります。
「・・・私が入営した当時、この私的制裁はすでに軍隊内で大きな問題となっており、「私的制裁は軍民離間の元凶」であるから、「絶対に根絶すべし」という強い命令が出されていた。この主唱者は、私の聞いたところでは東条氏であったそうである。だが命令は守られなかった。天皇の軍隊であるにもかかわらず、陛下の命令をもってしても、リンチ、すなわち私的制裁をやめさせることはできなかったのである。・・・
赤軍派<の>・・・山岳アジトで、真夜中の二時に、うすぐらいローソクの下で行われた「総括」と、古いすすけた木造兵舎の、暗い裸電球の光の下で行われたあのリンチ――当時の軍隊用語でいう「私的制裁」とは同じではなかったのだろうか。・・・」
http://mahagi0309.web.infoseek.co.jp/diary/yama213.htm (からの孫引き)
→これは、日本の暴力団(やくざ・博徒)の世界における私的制裁とパラレルで理解されるべきだと私は考えています。
暴力団の世界は、危険だらけの内外環境の下で暴力行使を旨とする弥生モード的世界であり、平和的な縄文モード的なシャバとは対蹠的、という意味で異常な世界です。
「暴力団社会では、こうした内外からの脅威を排除し、組織の団結と連帯を維持して行くために、暴力団の内部規律「掟」に背いた者に対して、一般社会では考えられない特別な制裁を加えることによって、組織の維持、統制を図っています。
その代表的なものとして、私刑(リンチ)<がありますが、それ>は、暴力団の「掟」に違反した者に対する私的制裁で、彼らは、この制裁を果すことを一言で「ヤキを入れる」という言い方をします。」
http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini11.htm
「暴力団」を「赤軍派」に、そして更に「軍隊」に読み替えても完全に意味が通じることをご確認下さい。
『私の中の日本軍』には次のような箇所もあります。
「天皇の命令が完全に無視されていたことが、もう一つある。それが何であったか、聞いた人がおそらく耳を疑うであろう。
鉄の軍紀の根幹であるはずの階級そのものが、少なくとも兵隊の社会では完全に無視されていた。兵隊は下からいえば、二等兵・一等兵・上等兵、兵長という階級であり、「下級の者は上級の者に従うべきもの」と定められていながら、兵隊の実際の階級秩序は、初年兵・二年兵、三年兵という一種のカーストで成り立っていた。これを「星の数よりメンコ(食器のこと)の数」といい、一種の動かすことのできぬ不文律で、この秩序には誰も手がつけられなかった。・・・
軍隊はヨーロッパの軍隊の模倣に過ぎない。従って将校だけはどうやら外形は整えていたものの、兵隊となると、どうしても、日本的な秩序づけでなければ秩序が保てなかったのであろう。
そして「メンコ」を「年功」と変えれば戦後の他の組織も同じことかもしれない。・・・」(典拠は上と同じ。そこから孫引き)
→これについては、山本自身が説明しているように、日本の縄文モード的シャバにおける年功序列制・・下克上と並ぶ、(日本の高度成長をもたらした)日本型経済体制の柱の一つ・・がそのまま弥生モードたるべき軍隊・・年の数ではなく腕っ節がモノを言う・・に持ち込まれた現象であるわけです。
で、私が言いたいのは、少なくとも日露戦争の時までは日本の軍隊は縄文モード的大衆によって腐食されていなかったのだから、再度、そのような軍隊を日本が再建することは可能だ、ということです。
ですから、
>これからの日本人が軍事力の点で考える必要があるのは、皇軍から市民軍へ、の転換です。
→とおっしゃいますが、「皇軍から市民軍への転換」が課題であろうはずがありません。
戦前の日本が自由民主主義国家であったという話はここでは繰り返しませんが、そもそも、「皇軍≒弥生的軍」から「市民軍≒縄文的軍」への腐食的転換こそが、植田さんがお嫌いな、(しかし、高度成長をもたらした組織原理を官庁や企業と共有していた)昭和の旧軍をもたらしたのですからね。
>戦前の日本軍は、その時代に戦争を行ったどの国とも同じく、「帝国主義」戦争に巻き込まれていたわけでした。
→私がツイッター上で記したように、帝国主義には、大きく分けて欧州型、英国型、米国型と日本型(戦後米国の帝国主義は日本型を継受)があり、一緒くたに論じない方がよろしいですよ。
<太田>
それでは、記事の紹介です。
日本の主要メディア、もっとこういう記事を電子版に載せてね。↓
「・・・ドイツは昨年、欧州評議会から「在独のロマは今も差別に直面している」との報告書を突き付けられた。欧州委員会の試算では、ロマの平均寿命は他の欧州の人々より10〜15年短い・・・」
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20100528k0000m070121000c.html
ウーム、こそばゆい限りである。↓
「・・・日本を抜き世界第2位の経済大国となった後、これらの問題の解決は容易ではない。中国が進むべき道のりは長い。中国は、日本を師として仰ぐことを心に留めておく必要がある。」
http://j.peopledaily.com.cn/94476/6997335.html
よちよち。↓
「・・・AP通信とロイター通信<は>・・・、クリントン長官の訪韓に同行した米政府高官らの話を引用、「中国は、北朝鮮が『天安』攻撃について、相応の責任を取らなければならないという韓国の立場に、慎重ながら同調するだろう」と報じた。・・・」
http://www.chosunonline.com/news/20100528000013
-------------------------------------------------------------------------------
6月5日の神戸で講演会(オフ会)、及び6月26日の東京での講演会(オフ会)の申込みは以下から!
http://www.ohtan.net/meeting/index3.html
--------------------------------------------------------------
太田述正コラム#4036(2010.5.28)
<米国の国民性(その3)>
→非公開
<皆さんとディスカッション(続x847)>
<蒲鉾>
<コラム#3782>「張鼓峰/ノモンハン事件(その5)」<を読み>ました。
≫「帝国は列国も亦帝国の意図を正確に認識し、東亜の新情勢に適応すべきを信じて疑はず」という、英米に向けての懇願に近い文言≪(コラム#3782。太田)
これに対するグルー大使の噴飯ものの回答があります。面白いので載せておきます。
グルーの見解(=当時のアメリカ人の主流的見解)に同意しちゃう日本人、結構多そうで笑えないですけど・・・・・・
【東亜新秩序の意味】
『最後に指摘しなければならない日本人の謬見は、合衆国政府と国民が“東亜新秩序”を理解しようとしないという考えです。
しかしわが政府と国民は“東亜新秩序”なる概念の意味を日本人と同じくよくわかっている。
ただアメリカとしては秩序・安定・進歩を世界のすべての国民とともに、すべての地域において追求しているので、日本人が言うように東アジアにおける権利と利益をもつアメリカ人を追放しようという点には同意するわけにはいきません。
アメリカ人は日本軍が中国で実施している空爆などによってアメリカ人の権利と利益が直接に脅かされていること、中国に関する国際条約や協定が侵害されていることに憤慨しています。
主権と経済的機会の平等にもとづくこれらの条約や協定は日本を含む国々によって合意されたものである。
(「・・・関係諸国が協力を目指した・・・ワシントン体制<は>、1925年から1929年の間に実施上廃絶状態になり、国際強調の根拠となるべき諸原則の形成が、必然的にその権威を失ってしまった<のであり>」(マクマリーのメモランダムp94)
その国際強調の根拠となる諸原則を喪失させたのは「条約の遵守という基本問題で、中国が横車を押したのに対し、アメリカ政府は日本にきびしく、中国に好意的な立場をとった」というようなアメリカの態度だろう(メモランダムp169)
以上の事を、アメリカ人は、日本の権利と利益(それも死活的な)が中国によって直接に脅かされている時、日本に関わる国際条約や協定が侵害されているときに、憤慨するどころか擁護したんじゃなかったっけ?)
そういうわけで、アメリカ人は日本の唱えている“東亜新秩序”とは日本がこの地域に排他的支配を及ぼすことであると理解している。
(中国との和解も、列国との協調による相互理解も不可能な状況に追い込まれたのだから、選択肢としては、権益を放棄するか単独で確保するかの二つしか無い訳だ、そもそも追い込んだのはアメリカだしマッチポンプ)
これに対してじっさいに東アジアの秩序と安全を実現するにはアメリカを除外すべきではないというのが私たちの意見です。』
(これに対してじっさいに東アジアの秩序と安全を実現する為には、日本を排除・駆逐するすべきではない、というのがマクマリーの見解)
阪東宏 『世界のなかの日本・ポーランド関係 1931-1945』 p130
おっとっと、背景を書くのを忘れてました。
以上はグルー大使による東京での演説の一部です。
<太田>
Chaseさん、グルーの演説部分は次著に使えそうですね。
こんな調子じゃ分量が多くなりすぎる?
だけど、電子出版の時代が到来したんだし、電子出版版は最大限太田過去コラムを盛り込み、紙出版版はそれをコンパクトにしたものにする、というスタンスでいかがでしょうか。
<太田>(ツイッターより)
一、(コラム#3778に関し、) 関東軍って、アタマも腕っぷしも帝国陸軍の精華でしたってオチでした。何でこんな当たり前のことからみんな目を背けてきたんだろうね。
二、(コラム#3780に関し、)帝国陸軍には批判されるべき点は山ほどあるけど、だからといって全面否定しちゃうと戦前史は理解不能になる。Got it?
三、(コラム#3786に関し、)帝国陸海軍は欧米の帝国主義・・欧州方式、英国方式、米国方式・・のすべてを崩壊させた。(プラス、米国に関しては、その人種主義に対し崩壊プロセスを始動させた。)残されたのは日本式の帝国主義のみであり、それを米国が継受して現在に至る。
四、(コラム#3782に関し、)日米安保を是認する、ということは、戦前の日本の大陸進出を是認する、つまりは、太田「史観」を是認する、ということに論理的にならざるをえないわけです。
五、(コラム#3779に関し、)明治時代以来、日本の、ひいては世界の自由主義勢力の安全保障にとっての朝鮮半島の重要性は変わらない。その北半分を反自由主義勢力にくれてやった米国の罪は重い。
<Tats_Gunso>
>三
というようなことを・・・人種主義戦争としての日米戦争(その2)
http://blog.ohtan.net/archives/51984913.html
の1,2を読んで再認識した。
<太田>
実は、「残されたのは日本式の帝国主義のみであり、それを米国が継受して現在に至る。」は、これまでの、米帝国主義が米西戦争に始まり、それが現在まで続いている、としてきた私の「史観」を、本日ただいま大幅に修正したんだけどね。
(べじたんさん、Chaseさん、注目!)
<植田信>(2010.5.27)http://8706.teacup.com/uedam/bbs
・・・アメリカ占領軍がなんだかんだと言う前に、日本軍がつぶれてよかった、と考えます。
これは、山本七平や司馬遼太郎などの軍隊体験から得た私の意見です。彼らは私の代わりに、日本軍の軍隊というものがいかなるものかを体験してくれました。
とはいえ、過去に実際に存在した「昭和日本軍」への忌避と、現代の国際社会がパワー・ポリティクスで動いていることから、主権国家には自己防衛するための軍事力が不可欠である、という点は区別する必要があります。
2010年の日本人は、新しい形の自己防衛の軍事力を公認する点では、まだ足踏みしています。それだけ、昭和日本軍の体験が重いのだろう、と私は考えています。
これからの日本人が軍事力の点で考える必要があるのは、皇軍から市民軍へ、の転換です。これが出来ない限り、安全保障のアメリカ依存は続く、と私は見ています。・・・
<以上は、>兵隊さんたちの体験談から見たわけですが、もう一つ重要な見方があります。
日本軍の性格が皇軍なのか、デモクラシー軍なのか、それともナチ軍なのか、という軍隊を構成する組織の内容のことは別にして、どれも主権国家軍であると見なした場合に、日本軍の戦争をどう見るか、です。
こちらの視点では、私のホームページにリンクしてある太田述正氏のサイトをお勧めします。
防衛庁出身の人なので、こちらの方面での見解は、実に面白いです。
http://www.ohtan.net/
戦前の日本軍は、その時代に戦争を行ったどの国とも同じく、「帝国主義」戦争に巻き込まれていたわけでした。
ちなみに、戦後の日本人の戦争観を形成した点では、敗戦体験よりも、アメリカ占領軍による「日本改造計画」の効果のほうが大きいと私は見ています。
西尾幹二の言葉では、「日本は戦後の戦争に負けたのだ」ということです。
思想戦争であり、心理戦争です。・・・
<太田>
>アメリカ占領軍がなんだかんだと言う前に、日本軍がつぶれてよかった、と考えます。
これは、山本七平や司馬遼太郎などの軍隊体験から得た私の意見です。彼らは私の代わりに、日本軍の軍隊というものがいかなるものかを体験してくれました。
>2010年の日本人は、新しい形の自己防衛の軍事力を公認する点では、まだ足踏みしています。それだけ、昭和日本軍の体験が重いのだろう、と私は考えています。
戦前と戦後の日本人大衆の戦争観や軍隊観は変わっていませんよ。
このことを、植田さんが言及されている司馬と山本の「軍隊経験」をもとに検証してみましょう。
まず、司馬遼太郎です。
「・・・司馬は戦車連隊に入隊し満州に出征する。しかし、その当時の日本軍の装備といえば、「日露戦争の骨董品」というほどに旧式のものであった。
そのような兵器で、世界に対抗しようとするばかげた行為、リアリズムの無さにあきれる。
「粛然とした自己認識、これだけが国家を運営する唯一の良心であり、精神なのです。しかしそういうものは皆目なかった。」(明治という国家117)と述べ、「いったいこういうばかなことをやる国は何なのだろう」(同4)と考え、昔はもっとましな国だったのでは、と考え始めることが、歴史を振り返るきっかけとなった様である。・・・」
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/ozaki.html
「・・・坂の上の雲を読むと、明治の軍人は、仲間同士で序列をつけるための喧嘩などはよくあったようですが、兵隊をシゴくような場面は書かれていません。後に軍神と崇められた広瀬武夫などは、部下が可愛くて仕方がないというような男として描かれています。・・・」
http://tea-time7.com/2010/03/post-35.html
→植田さんが余りお気に召しておられないご様子の、私の日本史における縄文モード・弥生モード交替仮説ですが、縄文モードの時代(現在のものを除く)においても、エリートの大部分は弥生人の子孫であり・・貴族も武士もそうだった・・、支配層は相対的に弥生人的気質を抱き続けた、とご理解下さい。
さて、明治は典型的な弥生モードの時代であり、日露戦争は、弥生人的エリート(旧武士)が縄文人的大衆をうまく手なずけて見事な形で遂行されます。
しかし、大正に入ると縄文人的大衆による軍の腐食が始まります。
大正デモクラシーの下、大衆は軍を白眼視し、軍縮を強いるのです。
http://sun.ap.teacup.com/souun/584.html
(↑余りぴったりした典拠ではないが・・)
その結果、軍は金欠病に苦しみ、装備が旧式化してしまうのです。
私的制裁が横行するようになったことは、そのもう一つの現れであると解することができます。
このことを、山本七平による旧軍私的制裁論もご紹介した上で説明しましょう。
彼の『私の中の日本軍』には、次のようにあります。
「・・・私が入営した当時、この私的制裁はすでに軍隊内で大きな問題となっており、「私的制裁は軍民離間の元凶」であるから、「絶対に根絶すべし」という強い命令が出されていた。この主唱者は、私の聞いたところでは東条氏であったそうである。だが命令は守られなかった。天皇の軍隊であるにもかかわらず、陛下の命令をもってしても、リンチ、すなわち私的制裁をやめさせることはできなかったのである。・・・
赤軍派<の>・・・山岳アジトで、真夜中の二時に、うすぐらいローソクの下で行われた「総括」と、古いすすけた木造兵舎の、暗い裸電球の光の下で行われたあのリンチ――当時の軍隊用語でいう「私的制裁」とは同じではなかったのだろうか。・・・」
http://mahagi0309.web.infoseek.co.jp/diary/yama213.htm (からの孫引き)
→これは、日本の暴力団(やくざ・博徒)の世界における私的制裁とパラレルで理解されるべきだと私は考えています。
暴力団の世界は、危険だらけの内外環境の下で暴力行使を旨とする弥生モード的世界であり、平和的な縄文モード的なシャバとは対蹠的、という意味で異常な世界です。
「暴力団社会では、こうした内外からの脅威を排除し、組織の団結と連帯を維持して行くために、暴力団の内部規律「掟」に背いた者に対して、一般社会では考えられない特別な制裁を加えることによって、組織の維持、統制を図っています。
その代表的なものとして、私刑(リンチ)<がありますが、それ>は、暴力団の「掟」に違反した者に対する私的制裁で、彼らは、この制裁を果すことを一言で「ヤキを入れる」という言い方をします。」
http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini11.htm
「暴力団」を「赤軍派」に、そして更に「軍隊」に読み替えても完全に意味が通じることをご確認下さい。
『私の中の日本軍』には次のような箇所もあります。
「天皇の命令が完全に無視されていたことが、もう一つある。それが何であったか、聞いた人がおそらく耳を疑うであろう。
鉄の軍紀の根幹であるはずの階級そのものが、少なくとも兵隊の社会では完全に無視されていた。兵隊は下からいえば、二等兵・一等兵・上等兵、兵長という階級であり、「下級の者は上級の者に従うべきもの」と定められていながら、兵隊の実際の階級秩序は、初年兵・二年兵、三年兵という一種のカーストで成り立っていた。これを「星の数よりメンコ(食器のこと)の数」といい、一種の動かすことのできぬ不文律で、この秩序には誰も手がつけられなかった。・・・
軍隊はヨーロッパの軍隊の模倣に過ぎない。従って将校だけはどうやら外形は整えていたものの、兵隊となると、どうしても、日本的な秩序づけでなければ秩序が保てなかったのであろう。
そして「メンコ」を「年功」と変えれば戦後の他の組織も同じことかもしれない。・・・」(典拠は上と同じ。そこから孫引き)
→これについては、山本自身が説明しているように、日本の縄文モード的シャバにおける年功序列制・・下克上と並ぶ、(日本の高度成長をもたらした)日本型経済体制の柱の一つ・・がそのまま弥生モードたるべき軍隊・・年の数ではなく腕っ節がモノを言う・・に持ち込まれた現象であるわけです。
で、私が言いたいのは、少なくとも日露戦争の時までは日本の軍隊は縄文モード的大衆によって腐食されていなかったのだから、再度、そのような軍隊を日本が再建することは可能だ、ということです。
ですから、
>これからの日本人が軍事力の点で考える必要があるのは、皇軍から市民軍へ、の転換です。
→とおっしゃいますが、「皇軍から市民軍への転換」が課題であろうはずがありません。
戦前の日本が自由民主主義国家であったという話はここでは繰り返しませんが、そもそも、「皇軍≒弥生的軍」から「市民軍≒縄文的軍」への腐食的転換こそが、植田さんがお嫌いな、(しかし、高度成長をもたらした組織原理を官庁や企業と共有していた)昭和の旧軍をもたらしたのですからね。
>戦前の日本軍は、その時代に戦争を行ったどの国とも同じく、「帝国主義」戦争に巻き込まれていたわけでした。
→私がツイッター上で記したように、帝国主義には、大きく分けて欧州型、英国型、米国型と日本型(戦後米国の帝国主義は日本型を継受)があり、一緒くたに論じない方がよろしいですよ。
<太田>
それでは、記事の紹介です。
日本の主要メディア、もっとこういう記事を電子版に載せてね。↓
「・・・ドイツは昨年、欧州評議会から「在独のロマは今も差別に直面している」との報告書を突き付けられた。欧州委員会の試算では、ロマの平均寿命は他の欧州の人々より10〜15年短い・・・」
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20100528k0000m070121000c.html
ウーム、こそばゆい限りである。↓
「・・・日本を抜き世界第2位の経済大国となった後、これらの問題の解決は容易ではない。中国が進むべき道のりは長い。中国は、日本を師として仰ぐことを心に留めておく必要がある。」
http://j.peopledaily.com.cn/94476/6997335.html
よちよち。↓
「・・・AP通信とロイター通信<は>・・・、クリントン長官の訪韓に同行した米政府高官らの話を引用、「中国は、北朝鮮が『天安』攻撃について、相応の責任を取らなければならないという韓国の立場に、慎重ながら同調するだろう」と報じた。・・・」
http://www.chosunonline.com/news/20100528000013
-------------------------------------------------------------------------------
6月5日の神戸で講演会(オフ会)、及び6月26日の東京での講演会(オフ会)の申込みは以下から!
http://www.ohtan.net/meeting/index3.html
--------------------------------------------------------------
太田述正コラム#4036(2010.5.28)
<米国の国民性(その3)>
→非公開
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/