太田述正コラム#3902(2010.3.22)
<カフカス小史>(2010.4.23公開)

 本日、私のインタビューのTV放映はありません。(太田)
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1 始めに

 最近までガーディアンのモスクワ特派員をしていたオリヴァー・バロー(Oliver Bullough)が、'Let Our Fame Be Great: Struggle and Survival in the Caucasus' を上梓したので、書評2篇をもとに、その内容のさわりのさわりをご紹介したいと思います。

A:http://www.ft.com/cms/s/2/7d398246-2d4f-11df-9c5b-00144feabdc0.html
(3月16日アクセス)
B:http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/book_reviews/article7059348.ece
(3月21日アクセス)

2 カフカス地方

 「・・・チャーチルは1937年に・・・「飼い葉桶(manger)の中にいる犬が、仮に長い間そこに横たわっていたとしても、この飼い葉桶に対する最終的権利を持っているとは思わない。私はそんな権利は認めない。私は、アメリカの赤顔のインディアンやオーストラリアの黒人に対して大きな過ちがなされたとは認めない。」と語った。
 「より強い人種、より等級の高い人種、より世故に長けた人種がやってきて彼等の場所をとってしまったからと言って、これらの人々に対して何か悪いことがなされたとは認めない。」と。

→チャーチルはきわどい言い方をしていますが、これはアングロサクソンの人種的優位の言明ではなく、文明的優位の言明である、と解すべきでしょう。(太田)

 土着のアメリカ人、アボリジニやパレスティナ人を、ロシア人拡張主義的力によって席巻されるカフカス(コーカサス)人で置き換えてみよ。・・・
 1783年7月の重大な出来事、・・・それは、南西ロシアのアゾフ海の沼地だらけの東海岸のに沿ってノガイ遊牧民群(Nogai horde)の遊牧騎馬隊を打ち負かして南への道を初めて切り開いた時だ。
 それが、この地域全体を服属させることにつながった。
 1世紀経たないうちに、著者が「欧州の地における最初の近代的ジェノサイド」と呼ぶところのものが、ロシア人の手によって遂行された。
 1864年には、チェルケス人(Circassians<≒北カフカス人>)<(コラム#3628、3630)>が、30万人が殺されて最終的に打ち負かされた。・・・
 1721年には、ロシア人とチェチェン(Chechnya)、ダゲスタン(Dagestan)の人々との最初の接触があった。
 それは、皇帝ピョートル1世の騎兵分遣隊が弱ったペルシャからカスピ海の南東沿岸を奪おうとした時にこれら山の民によって全滅させられたものだ。・・・
 ダゲスタンの200万人の人々は40の言語をしゃべる。
 これに対して、EU全体で65の言語しかないというのに。・・・」(A)

 「・・・バローは、チェルケス人の悲劇的な物語をつなぎ合わせるところから始める。
 チェルケス人は、ピョートル大帝から始まり、19世紀後半に亡命へと追い込まれるまでロシア人と戦い続ける。
 トルコ東部に彼等の多くが逃亡するのだが、バローは、砂浜にいまだに彼等の骨が散らばっていることを発見する。
 イスラエルのチェルケス人の村で、彼は、彼等の高原の民の名誉の掟の剛勇なる教義(spartan tenets)・・流血の確執と歓待・・を推し量り始める。
 そして彼は、ヨルダンにいるチェルケス人に会う。
 そこで、彼等は、武勇の評判により、今でも<ヨルダン>王室の護衛の中核を占めている。
 私の知る限り、これは失われたチェルケス人の歴史をつなぎあわせる最初の試みだ。
 チェルケス人の悲劇は、沢山の<同様の悲劇の>うちの一つだ。
 帝政ロシアは、19世紀の間にこの誇り高き高原の民達を隷従させた。
 しかし、もう一つの世代に相当する深い恨みの種を蒔いたのは、第二次世界大戦中のスターリン主義に基づく強制移住だ。
 バローは、1942年から44年にかけての、チェチェン人、イングーシ人(Ingush)、カラチャイ人(Karachais)、カルミク人(Kalmyks)、バルカル人(Balkars)の過酷なアジア・ステップ地帯への強制移住がもたらした塗炭の苦しみの後を改めて追う。・・・」(B)

3 チェルケス人について・・補論

 北カフカスの故地に残っているごく少数のチェルケス人の遺伝子を調べたところ、中央/南アジアと欧州の血が混じっていることが分かっています。
 ちなみに、日本人に知られているチェルケス人ないしチェルケス系の有名人は、皆無と言ってもいいですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Circassians
(3月22日アクセス)

 「・・・<チェルケス人の故地は>黒海沿岸であり、ソチ(Sochi)<等の>重要な港があったことから、<この地に住んでいた頃、>彼等は活発に交易に従事しており、初期の欧州の奴隷の多くはチェルケス人だった。
 (これに加えて、エジプトのマムルーク<(コラム#3628、3800)>、オスマントルコのジャニサリー<(コラム#3741)>におけるチェルケス人の存在感は大きかった。)・・・
 <ロシアに対するチェルケス人の怨念は大きいが、>とりわけ、<2014年の>ソチでの冬季五輪の開催時期とその開催場所は侮辱的だと<世界各地の>チェルケス人を怒らせている。
 というのは、ソチは、ロシア・チェルケス戦争後のチェルケス人の虐殺のうち最大級のものが起こった場所であり、(チェルケス人活動家達が主張しているところの)チェルケス人ジェノサイドの公式記念日と時期が重なっているからだ。・・・」
http://en.wikipedia.org/wiki/Circassian_nationalism
(3月22日アクセス)

4 終わりに

 チェルケス人がソチ五輪に向けて、故地復帰、故地独立運動を盛り上げることに成功した暁には、これに刺激されて小康状態を保っているチェチェン情勢が再び悪化する可能性がなきにしもあらずですね。