太田述正コラム#3864(2010.3.3)
<日進月歩の人間科学(続X13)>(2010.4.3公開)

1 始めに

 鬱の効用については、コラム#3638で一度取り上げたことがありますが、ニューヨークタイムスに本件について詳細な記事
http://www.nytimes.com/2010/02/28/magazine/28depression-t.html?hpw=&pagewanted=print
(2月27日アクセス)が出たので、もう一度復習を兼ねて、前回と余り重ならないように注意しながら、その記事のさわりをご紹介することにしました。

2 記事のさわり

 「・・・鬱のミステリーは、それが存在することではない。
 頭も、皮膚と同じように、機能不全を起こすものだからだ。
 そうではなくて、鬱のパラドックスは、ずっとそれがいかによく起きるかにある。
 精神疾患の大部分は極めて希にしか起こらない。
 例えば、統合識失調症は、総人口の1%に満たない人にしか見られない。
 ところが、鬱はありふれており、風邪並みに誰でもが罹る。
 毎年、我々の約7%がある程度鬱になるのだ(注)。・・・

 (注)我らが親愛なる金正日首領サマについても鬱病説がある。
http://english.chosun.com/site/data/html_dir/2010/03/03/2010030300293.html
(3月3日アクセス) (太田)

 この病のしつこさ、及びそれが承継されるらしいこと、はダーウィンの新しい進化理論に対する深刻な挑戦を投げかけた。
 仮に鬱が障害であるとすれば、進化は悲劇的な間違いを犯したことになるのだ。
 というのは、<鬱は>生殖を妨げる病気であり、これに罹りやすいということは、人々にセックスをすることを止めさせ、自殺を考えるさせるといったことを、人々の間に遍く普及させるからだ。・・・
 ・・・<しかし、鬱の>これらのひどい症候群は、生産的な副作用を伴っている。
 というのは、それは、急迫している問題から気が逸れる可能性を減じさせるからだ。
 仮に鬱が存在しなかったとすれば、すなわち、我々がストレスとトラウマに対して終わりなき熟考で対応しなかったとすれば、我々は苦境を解決することがこれまでよりもできなくなるだろう。
 叡智は安いものではないのであって、我々はそれに到達するためには痛みを支払わなければならないのだ。・・・
 ・・・<これを、>分析的熟考仮説<という。>・・・
 <この仮説をも踏まえつつ、>最近のいくつかの研究は、抗鬱剤の効用を、少なくとも経度の鬱病の患者に関しては疑問視するに至っている。・・・
 ・・・抗鬱剤を用いた人々は、投薬を止めると一年以内に再発する可能性が76%ある。
 これとは対照的に、認知的会話療法(cognitive talk therapy)の一種を与えられた患者の再発率は31%だった。・・・
 <このほかの>いくつかの研究でも、<抗鬱剤を>投与された患者は、認知的行動療法(cognitive behavior therapy)で治療された患者に比べ、再発率が約2倍という結果が出ている。・・・
 ・・・悲しみは、「より困難な状況に対処するのに最も適切な情報処理戦略」を促進する。
 このことが、何故に陰鬱な被験者達・・・が噂の信憑性を判断したり過去の出来事を思いだしたりするのにより長けているかを説明する。
 <また、>彼等は、見知らぬ人をステレオタイプ視する傾向がより少ない。・・・
 ・・・<更に、>「沈んだムード」の買い物客は、<そうでない者に比べて>4倍もちょっとしたものを記憶していた。
 雨の日は彼等を悲しくし、彼等の悲しさは彼等をより鋭敏にかつ注意深くした。・・・
 作家達の80%は、なんらかの形の鬱の公式の診断基準に合致していた。・・・
 ・・・成功を収めた人々は、一般の人々に比べて深刻な鬱病に苦しめられている割合が8倍も多かった。・・・
 ・・・少なくとも被験者達が痛みから解放されている場合には、人々の鬱の程度と知力テストの成績との間には顕著な相関関係がある。
 ムードが沈んでいればいるほど点数が高くなるということだ。・・・」

3 終わりに

 こうなってくると、鬱を経験したことのない人は、ノーテンキのアッパラパーということになり、肩身の狭い思いをしなければならないのかもしれませんね。
 私は、2年前の春に軽い鬱になって以来、鬱とはご縁がありません。
 ひょっとして最近の私のコラムの質が下がってきていやしないか、と心配すべきかも・・。