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太田述正コラム#3830(2010.2.14)
<法の支配(その2)>(2010.3.18公開)

 (2)法の支配とそれをめぐって

 「一体、法の支配とは何か?・・・
 ・・・<ちなみに、>ビンガム自身にとっては、それは「普遍的な世俗的宗教に到達寸前のもの」なのだ。・・・
 <さて、>その第一は、法が全員に適用されなければならないことと、法ができうる限り、理解しやすく明確であることだ。・・・
 彼によれば、他の原則の一つは、法の前に全員が平等であることだ。・・・
 ここで重要なのは、ビンガムが基本的人権の保護も原則の一つだとしている点だ。
 中には、人権を法の支配の不可欠な要素と考えない人もいるが、ビンガムは、このような考え方は、彼ご推奨の、彼が呼ぶところの「厚い」定義と比較すると、貧しい、ないしは「痩せた」定義であると主張する。・・・
 ビンガムはまた、国内法だけに議論を狭く限定せず、国家は国際法上の義務についても従わなければならない、ということに固執する。・・・
 ・・・彼は、2003年のイラク侵攻の際に挙げられた理屈を検証し、それが法の支配を侵犯したと結論づける。

→書評子達による批判は後で取り上げますが、私に言わせれば、国際法、とりわけ武力行使の要件は、英米を中心とするアングロサクソン諸国の行政府が形成したものであるところ、かかる要件もまた、時代とともに変化してしかるべきです。いずれにせよ、かかる要件を含め、国際法を変化させるものもまた、その国際政策遂行能力(=軍事力や経済力や外交資源等)や国際司法裁判所の権限の現状に鑑みれば、もっぱらアングロサクソンの諸国の行政府であり、イラクに関して英米の行政府が行った判断に異論を唱えるビンガムには違和感を覚えます。(太田)

 彼はまた、今日における他の深刻な諸問題も取り上げる。
 テロの脅威に藉口して我々の市民的自由の侵害がどの程度まで許されるか、<という問題提起をした上で、具体的には、>「特例拘置引き渡し(extraordinary rendition)」(ないしは拉致)、拷問(ないしは「強化された尋問技術(enhanced interrogation techniques)」)、嫌疑なき拘束ないし裁判、そしてもちろんのことだが、監視<、が許されるのか、と問いかける>。
 何百もの公的機関による私的通信の広汎な傍受に加えて、「英国には400万を超える監視カメラがあり、また、世界の諸国中最大のDNAデータを保有している」。・・・
 そして最後にビンガムは、議会主権と法の支配との衝突(conflict)の可能性を議論し、政府が法的抑制なしに侵犯することが許されないいくつかの規範がある、と結論づける。・・・」(B)

→有事の際には人権保護規定はその全部または一部が停止される、というのがアングロサクソン諸国における法常識であると私は認識しており、有事であるかどうの判断は、行政府の裁量に委ねられているとも認識しています。従って、ここもビンガムには違和感を覚えます。(太田)

 「・・・<その上で、ビンガムは、英国でも、>法典化された硬性の憲法を<策定することを>考慮すべき時が来たのかもしれない<と指摘する>。・・・」(A)

→ビンガムは、英国では裁判官に与えられた権限の少ないことに、在職中、強いフラストレーションを抱いていたということなのでしょうか。英国をありふれた普通の国にして欲しくない、というのが私の切なる願いだというのに・・。(太田)

 (3)ビンガムへの批判

  ア ビンガムの主張の弱点

 「「悪しき法は最悪の種類の専制である」とエドマンド・バーク(Edmund Burke)はブリストルの選挙民達に語ったが、これは何と言っても<普通の>法の話だ。
 <ところが、ドイツ>第三帝国の最悪の<国際法違反的ないし人権侵害的>行状の幾ばくかは、どんなに嫌悪すべきものにせよ、ドイツ憲法に忠実に則って施行された諸法に厳格に拠って行われた。
 <つまり、憲法があれば国際法違反や人権侵害がなくなるというものでは決してないわけだ。>・・・
 イラク侵攻の合法性という今話題の問題について<思い起こせば、>裁判官として<在職当時>、ビンガムは、法的判断をすることを拒んだだけでなく、現在行われているような調査を<英国>政府に命ずることすら回避した。・・・
 そんなことを行う問題点は、彼の指摘によれば、<英国に>成文憲法が存在しないという状況下において、そんなことをすれば、それは、裁判官達を国家における権威の究極の源泉とすることを意味し、裁判官達がこれが憲法であると法的判断をしたものに、立法府が<英不文>憲法を修正する権力を超える力を与えてしまい、<英国の不文>憲法の民主主義的性格を堀崩してしまう、というところにある。
 裁判官達は、その本来の分野における主権国家の代表であって、彼等自身が主権者ではない、というわけだ。
 ・・・<以上は、>ビンガムが、司法機能の限界を細心の注意を払って尊重しており、裁判所の権限を超える作用<の存在>について理解していることを指し示している。・・・」(D)

 「・・・<英国政府の人権侵害に係る>不公正な裁判や<、その英国>政府が嬉々として<米国のような>拷問を行う国と協力する、といったことに対する彼の不快感にも関わらず、彼は英下院の主権性を認めている。・・・」(E)

→国家の代表かもしれないけれど国民の代表ではない裁判官に、国民の代表である国会議員を超える権力を与えるのはおかしいと思っているはずのビンガムが、突然、まさにそのような権力を裁判官に与えよと叫ぶのはいかがなものか、というわけです。(太田)

(続く)

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