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太田述正コラム#3808(2010.2.3)
<北朝鮮論をめぐって(その2)>(2010.3.4公開)
(3)マイヤーズの説
「・・・我々は、その代わり、金正日のシステムを、極端かつ病理的な右翼の現象と見なさなければならない。
それは、全体主義的な「先軍(military first)」的動員に立脚しており、奴隷労働によって維持されており、かつ、最も鉄面皮な人種主義と排外主義のイデオロギーを<人々に>注入している。・・・」(A)
「・・・様々な形態の共産主義は、現実(とりわけ経済的現実)の前で空虚な貝のように見えるに至ったけれど、人種的優位(とそれを維持する必要性)の観念は、飢饉や朝鮮人が北においてより南においてはるかによりよい生活をしているように見えるという事実に直面してさえ、維持することが可能だ。・・・
<韓国では国際結婚等で雑種化が進展している上、米国文化の影響等に染まってしまっている、というわけだ。>」(B)
「・・・この地<(=北朝鮮)>は、スターリニズムの砦でもなければ儒教的家父長制の砦でもない。それは、偏執狂的ナショナリズムの砦なのだ。・・・」(D)
「・・・マイヤーズは、この体制は、・・・1930年代の日本のファシズムの影響下で形成された極端なナショナリズムであると信じている。
北朝鮮の人々は、自分達自身を、比類なき精神的純粋性を与えられたユニークな人種であると見るよう教えられている。
これは、邪悪で本来的に非道徳的な部外者達と彼等を区別するものだが、それは同時に、部外の世界とのあらゆる接触を危険なものにしてしまう。
ユニークに純粋で、自然で(spontaneous)でナイーブなまま大きくなり過ぎた子供であるところの本来的朝鮮人達は、一人の指導者によって導かれ保護されなければならないのだ。・・・」(C)
「マイヤーズは、北朝鮮国家によって用いられ展示されるところのスローガンの多くは、・・実際のところ、一種の皮肉としか言いようがないが・・日本帝国主義のカミカゼ・イデオロギーから直接借用されたものであることについても、指摘する。・・・
この体制は、恐怖(terror)だけで統治することはできないのであって、今やこの体制にとって残されたのは、人種に立脚した軍事的イデオロギーだけなのだ。・・・」(A)
「・・・この先軍体制は、太平洋戦争の時に帝国日本が使ったカミカゼ・スローガンを援用し続けて来た。・・・
・・・<とにかく、>これがどれだけ共産主義、儒教、そしてショーウィンドウ的教義であるところの主体思想からかけ離れたものであることか。
これは、極めて単純であって、一つの文に要約することができる。
・・・朝鮮人は、余りにその血が純潔であるため、一人の偉大なる家族的指導者なくして生存していくには余りに徳が高い、と。・・・
・・・これについては、極左というよりは極右と措定する方がしっくりくる。
実際、この世界観のファシスムの日本の世界観との類似性は衝撃的だ。
とはいえ、私は北朝鮮をファシズムであるとレッテル貼りをするつもりはない。
・・・<私が言いたいのは、>それがずっと、そして最低限、共産主義支那や共産主義東欧よりも第二次世界大戦の時の米国の敵国群の方にイデオロギー的に近い、ということなのだ。・・・」(E)
「・・・<それは、>戦前の日本を支配し、北朝鮮の建国の父達に影響を与えたところの熱烈なるナショナリズムのイデオロギーこそ、それに最も近いものとして喩えられるということなのだ。
植民地時代の朝鮮で育つことで、彼等は、1948年に権力を掌握してから日本のプロパガンダ手法を取り入れた。
朝鮮民主主義人民共和国の創建者である金日成・・・は、裕仁のように、白馬にまたがった自分を写真にしたくらいだ。・・・」(F)
→これが、マイヤーズの北朝鮮論の核心部分ですが、まことにもってお粗末な代物です。
確かに、金親子のご真影を尊ぶといった部分で、戦前の日本で天皇のご真影を尊んだことを彷彿とさせる、といった部分はあります。
しかし、「日本人は・・・自分たちのことを他の人々より「純粋」な存在・・・である」(コラム#3786)といった表現が先の大戦中の日本の公文書的なものに出てくるからと言って、それは人種的優越性ではなく、文明的優越性の表明であったと申し上げた(コラム#3786)ところであり、人種的優越性という趣旨で「純粋」という言葉を用いている北朝鮮と戦前の日本とを同一視はできません。
そもそも、言葉で実態が規定されるというのであれば、「朝鮮「民主主義」「人民共和国」」は、「民主主義」で「共和国」だということになってしまいます。
ところが、その北朝鮮の実態は、「朝鮮「独裁」「王国」」であることはご存じの通りですし、戦前の日本は、現在の日本同様、「民主主義」「立憲君主国」でした。
そして、ここから、戦前の日本をファシズムとするマイヤーズの俗説的日本観もまた誤りである、ということになるのは、あえて申し上げるまでもないことでしょう。
なお、マイヤーズ自身、北朝鮮をファシズムとは呼べないとしているところです。
戦前の日本はもとより、歴としたファシズムの国であった戦前のイタリアとドイツは、いずれも市場を主とするという意味で資本主義的な国家であったのに対し、北朝鮮は計画経済を主とする国家なのですから、当たり前です。
つまり、北朝鮮は、日本のみならず、戦前のイタリアやドイツとも全く似ていないのです。
結局、イデオロギーを含め、北朝鮮の体制に最も類似している体制は、スターリン時代のソ連、毛沢東時代の中共、チャウシェスク時代のルーマニア等冷戦下の東欧のいくつかの体制、ホーチミン時代の北ベトナム、そして兄弟間で最高指導者の地位が継承されたカストロ家のキューバである、ということになるわけです。
これらの体制の中で、人種的優越性を掲げた点だけが、北朝鮮のユニークさなのです。
この北朝鮮が掲げる人種的優越性に注目すべきであると主張したことぐらいがマイヤーズの功績と言えば功績と言えるでしょう。
(続く)
<北朝鮮論をめぐって(その2)>(2010.3.4公開)
(3)マイヤーズの説
「・・・我々は、その代わり、金正日のシステムを、極端かつ病理的な右翼の現象と見なさなければならない。
それは、全体主義的な「先軍(military first)」的動員に立脚しており、奴隷労働によって維持されており、かつ、最も鉄面皮な人種主義と排外主義のイデオロギーを<人々に>注入している。・・・」(A)
「・・・様々な形態の共産主義は、現実(とりわけ経済的現実)の前で空虚な貝のように見えるに至ったけれど、人種的優位(とそれを維持する必要性)の観念は、飢饉や朝鮮人が北においてより南においてはるかによりよい生活をしているように見えるという事実に直面してさえ、維持することが可能だ。・・・
<韓国では国際結婚等で雑種化が進展している上、米国文化の影響等に染まってしまっている、というわけだ。>」(B)
「・・・この地<(=北朝鮮)>は、スターリニズムの砦でもなければ儒教的家父長制の砦でもない。それは、偏執狂的ナショナリズムの砦なのだ。・・・」(D)
「・・・マイヤーズは、この体制は、・・・1930年代の日本のファシズムの影響下で形成された極端なナショナリズムであると信じている。
北朝鮮の人々は、自分達自身を、比類なき精神的純粋性を与えられたユニークな人種であると見るよう教えられている。
これは、邪悪で本来的に非道徳的な部外者達と彼等を区別するものだが、それは同時に、部外の世界とのあらゆる接触を危険なものにしてしまう。
ユニークに純粋で、自然で(spontaneous)でナイーブなまま大きくなり過ぎた子供であるところの本来的朝鮮人達は、一人の指導者によって導かれ保護されなければならないのだ。・・・」(C)
「マイヤーズは、北朝鮮国家によって用いられ展示されるところのスローガンの多くは、・・実際のところ、一種の皮肉としか言いようがないが・・日本帝国主義のカミカゼ・イデオロギーから直接借用されたものであることについても、指摘する。・・・
この体制は、恐怖(terror)だけで統治することはできないのであって、今やこの体制にとって残されたのは、人種に立脚した軍事的イデオロギーだけなのだ。・・・」(A)
「・・・この先軍体制は、太平洋戦争の時に帝国日本が使ったカミカゼ・スローガンを援用し続けて来た。・・・
・・・<とにかく、>これがどれだけ共産主義、儒教、そしてショーウィンドウ的教義であるところの主体思想からかけ離れたものであることか。
これは、極めて単純であって、一つの文に要約することができる。
・・・朝鮮人は、余りにその血が純潔であるため、一人の偉大なる家族的指導者なくして生存していくには余りに徳が高い、と。・・・
・・・これについては、極左というよりは極右と措定する方がしっくりくる。
実際、この世界観のファシスムの日本の世界観との類似性は衝撃的だ。
とはいえ、私は北朝鮮をファシズムであるとレッテル貼りをするつもりはない。
・・・<私が言いたいのは、>それがずっと、そして最低限、共産主義支那や共産主義東欧よりも第二次世界大戦の時の米国の敵国群の方にイデオロギー的に近い、ということなのだ。・・・」(E)
「・・・<それは、>戦前の日本を支配し、北朝鮮の建国の父達に影響を与えたところの熱烈なるナショナリズムのイデオロギーこそ、それに最も近いものとして喩えられるということなのだ。
植民地時代の朝鮮で育つことで、彼等は、1948年に権力を掌握してから日本のプロパガンダ手法を取り入れた。
朝鮮民主主義人民共和国の創建者である金日成・・・は、裕仁のように、白馬にまたがった自分を写真にしたくらいだ。・・・」(F)
→これが、マイヤーズの北朝鮮論の核心部分ですが、まことにもってお粗末な代物です。
確かに、金親子のご真影を尊ぶといった部分で、戦前の日本で天皇のご真影を尊んだことを彷彿とさせる、といった部分はあります。
しかし、「日本人は・・・自分たちのことを他の人々より「純粋」な存在・・・である」(コラム#3786)といった表現が先の大戦中の日本の公文書的なものに出てくるからと言って、それは人種的優越性ではなく、文明的優越性の表明であったと申し上げた(コラム#3786)ところであり、人種的優越性という趣旨で「純粋」という言葉を用いている北朝鮮と戦前の日本とを同一視はできません。
そもそも、言葉で実態が規定されるというのであれば、「朝鮮「民主主義」「人民共和国」」は、「民主主義」で「共和国」だということになってしまいます。
ところが、その北朝鮮の実態は、「朝鮮「独裁」「王国」」であることはご存じの通りですし、戦前の日本は、現在の日本同様、「民主主義」「立憲君主国」でした。
そして、ここから、戦前の日本をファシズムとするマイヤーズの俗説的日本観もまた誤りである、ということになるのは、あえて申し上げるまでもないことでしょう。
なお、マイヤーズ自身、北朝鮮をファシズムとは呼べないとしているところです。
戦前の日本はもとより、歴としたファシズムの国であった戦前のイタリアとドイツは、いずれも市場を主とするという意味で資本主義的な国家であったのに対し、北朝鮮は計画経済を主とする国家なのですから、当たり前です。
つまり、北朝鮮は、日本のみならず、戦前のイタリアやドイツとも全く似ていないのです。
結局、イデオロギーを含め、北朝鮮の体制に最も類似している体制は、スターリン時代のソ連、毛沢東時代の中共、チャウシェスク時代のルーマニア等冷戦下の東欧のいくつかの体制、ホーチミン時代の北ベトナム、そして兄弟間で最高指導者の地位が継承されたカストロ家のキューバである、ということになるわけです。
これらの体制の中で、人種的優越性を掲げた点だけが、北朝鮮のユニークさなのです。
この北朝鮮が掲げる人種的優越性に注目すべきであると主張したことぐらいがマイヤーズの功績と言えば功績と言えるでしょう。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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