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太田述正コラム#3664(2009.11.23)
<再び人間主義について(その2)>(2010.1.3公開)

 (3)結論

 「・・・
・アジア人達は、雑多な部分ではなく絵の全体を見がちである。
・欧米人達は、より形式(formal)論理に固執しがちであるのに対し、アジア人達はより多くの矛盾とともに生きてもよいと考えている。
・アジアの諸言語は、動詞が豊富であるのに対し、欧米の諸言語は名詞が豊富であり、このことが子供達が世界とどう関わるかに影響している。
・欧米のスタイルは、物事を明確かつ直接的に述べることで誤解が全く生じないようにするが、アジア人のコミュニケーションのスタイルは、より間接的(で欧米人達に比べて不明確)だ。・・・」(F)

 「・・・欧米人達は、諸対象(object)と論理(logic)でもって考えるのに対し、アジア人達は諸実体(substance)と諸関係(relationship)によって考える。・・・」(E)

 「・・・その結果として・・・極めて異なった世界観がもたらされる。
 アジア人達にとって、世界は複雑な場所であり、連続的諸実体によって構成されており、諸部分の見地からではなく全体の見地から、そして、個人的にコントロールされるものというより集団的にコントロールされるもの(subject to)として理解されるべきものなのだ。
 欧米人達にとっては、世界は、不連続な(discrete)諸対象によって構成されているところの、相対的に単純な場所であり、個人的にコントロールされるものとして、甚だしく文脈に言及することなく理解できるものなのだ。
 両者にとって世界はかくも異なったものなのだ。
 これは、極めて興味深い話でもある。・・・」(E)

 「・・・「東アジア人達の思考はより全体論的だ」とニスベットは言う。・・・
 「全体論的諸アプローチは、場の全体に注意し、諸範疇や形式論理は相対的にほとんど用いない。
 彼等は変化を強調し、彼等は矛盾と複数の観点の必要性を認識し、反対する諸命題の間の「中間的な道」を探求する。
 <これに対し、>欧米人達は、より分析的で、主として対象とそれが所属している諸範疇に関心を払い、形式論理を含む諸ルールを用いてそのふるまいを説明し予測しようとする。・・・」(B)

 「・・・ある章で、ニスベットはアジア人達の自身(self)についての諸観念と欧米人達の自身についての諸観念とを比較する。
 彼は、一般的に、アジア人達は彼等の集団内の緊密な友人達や家族に埋め込まれている(embedded in)と感じ、集団外の知人達とは距離を置く。
 これと比較すると、欧米人達は、集団内と集団外とを大きくは区別せず、自分達自身を、より個々人であると見ている。・・・
 アジア系米国人達は、認識(perception)と思考において、アジア人達と欧米人達との間のどこかにおおむね位置づけられる。・・・」(G)

 (4)ニスベットの方法論への批判

 「・・・一方の支那、韓国、及び日本は、もう一方の米国人達<と対置されるが、>どちらの集団も「アジア人達」または「欧米人達」の十分なる代表であるようには思えない。
 ・・・全体として言うと、この本の副題として「いかにアジア人達と欧米人達は違った風に考えるか、そしてそれはなぜなのか」を捧げたのは、ちょっと野心的すぎた。・・・ この本の「心理学の終わりとハンチントンの物の見方の間の衝突」と題するエピローグにおいて、東対西の様々な違いについてのより広汎な理論を構築しようと試みたニスベットのねらいの数々は大き過ぎた。
 ここでの10頁で、世界の将来についてのフクヤマとハンチントンの諸主題を和解させようとする試みは、余りに過度に単純化し過ぎでかつ皮相的であるため、<彼は、それに>ほとんど成功していない。・・・」(C)

 「・・・一体この全て<の違い>はどれだけ深くかつ不変なのだろうか。
 人々が他の諸言語を学ぶことができるように、アジア人達は欧米の環境に置かれた時はより欧米人達のように考えることができるし、その逆も成り立つように見える。
 こういったことの幾ばくかは自然に起きるし、それを促がしたり訓練することによって速度を増すことができる。・・・
 <だから、>どうして、アジア人達、あるいは支那人達が一般的に特定の異った思考をすることを示さなければならないのか。
 多分、これらの相違は、黒や白が死の色であると連想させるような文化の他の諸属性とは無関係に出来したのだろう。・・・
 ニスベットは、彼が発見した異なった一連の諸思考過程は、究極的には支那人達が農業者達であったのに対し、ギリシャ人達が商業者達や海賊達であったことに由来する、と主張しているように見える。
 この相違は、究極的には、当時からの全ての歴史と世界のかたちに影響を与えてきた環境に由来すると・・。
 ニスベットは危険なほど文化的ステレオタイプ化に接近していると実際のところ考えたくなる。
 彼は、「出る杭は打たれる」というアジアの表現を、個人性に関するアジア人達と欧米人達の思考方法の深い相違の証拠として引用する。
 しかし、ちょっとでも支那を訪問すれば、とてつもない顕示的消費のたくさんの例に遭遇することだろう。
 こんなことは、多くの欧米人は、富の周りへの誇示とみなされ、品のないことだするはずだ。
 <つまり、>支那人達は、自分達がそうしても咎められないと考えれば、欧米人達同様、「目立つ(stand out)」用意があるように見えるのだ。
 (もちろん、環境は思考に影響を与えることができる。問題は、2000年あるいはそれ以上前の環境が今日の思考パターンになお影響を与えているかどうかなのだ。)・・・」(E)

 「・・・私は、ニスベットは「なぜ」よりも「いかに」の方についてうまく説明しているように思う。(だから、「なぜ」の方は題名に入れない方がよかった。)・・・」(F)

 「・・・彼は、大まじめに、古典ギリシャ人達の中の多くは、(例えば、自営のオリーブ栽培者達全員のように)余り他の人々に依存することなく生計を立てることができたと言う。
 これはばかげた<主張だ>。
 彼は、ギリシャに見られる欧米の医学は、全体性よりも部分に焦点をあてたとも言う。
 確かに現在ではそうだが、彼はギリシャについてそう言うことで2000年近くの間違いを犯している。
 <なぜなら、>古典ギリシャ当時の体液性(humoral)医学は、支那の医学が全体論的であるのと全く同様に全体論的だったからだ。
 最後に、彼は、欧米の思想史を描くにあたって、暗黒時代<たる中世>全体を無視してしまっている。
 ギリシャ人達の民主主義的諸伝統は、直接的に欧州と米国における近代的民主主義的諸制度を育てたということになっている。
 しかし、実際には、欧米の哲学と法を形成するにあたって決定的に重要だったのは、欧州中、更にイギリスまでも席巻したバイキング等の「野蛮な」諸部族の影響なのだ。
 しかしながら、一つの歴史上の特異性(distinction)が決定的に重要であり注目されてしかるべきだ。
 それは、この<古典ギリシャにおける>公論(public debate)の概念であり、その系であるところの、自分達の友人達や家族達のそれとは異なっていることが可能な個人的諸意見を個々人が持つことだ。
 古典ギリシャの公開討論会(forum)(及び、同様に注目すべき、北部欧州における諸部族の間での類似の諸伝統)は、アジアにおいては全く確立することがなかった。
 この手段(medium)が我々の最も深遠なる法や政府組織に遍く見られるのに対し、アジアでは見られないことは、明白なる一つの重要な相違だ。
 しかし、私は、アジア人達と欧米人達が異なった考え方をどうしてするのかについて、大きな絵を描くニスベットの営みが説得力があったと言うことはできない。
 彼は、儒教と道教(そして後には仏教)について、そして、これらがいかに欧米の一神教的諸伝統とは異なっているかについて、言及する。
 だが、ここでも、ギリシャ人達が一神教的ではなかった<ことが思い起こされる。>
 彼は、生活諸様式と言語についても若干言及しており、興味をそそるけれど、きちんと肉付けがなされてはいない。・・・」(F)

 「ニスベットは、古典ギリシャと支那の科学について議論する際にも過失を犯している。
 彼は、支那人は、好奇心が欠如していたために科学を発展させることに失敗したという仮説を提示するが、この大胆な命題を更に究明することをしていない。
 びっくりしてしまうが、ニスベットは、支那人達による科学的技術革新を無視し、羅針盤、火薬、製紙、印刷といった、欧米における技術革新に匹敵ないし上回ることが確かな超重要な諸発明に言及しないですませているのだ。・・・
 ニスベットは、昔の支那社会が農業を基盤としていたため社会的責任と相互依存を必要としたと強調する。
 これと比較すると、ギリシャが交易の中心であり文化的な十字路であったことが、ユニークにも、個人性と独立に焦点をあてる姿勢を生み出したというのだ。
 彼は、それぞれの社会の焦点のあて方のユニークさが、異なった世界観を、そしてそれが更に異なった社会的諸慣行(practice)と認識を創りだしたという仮説を提示する。
 彼は、このモデルを、欧米が農業社会となったことに伴う、中世における欧米文化の変化を議論することで弁護する。
 、<欧米の中世における>個人性の衰退と知的かつ文化的業績の欠如に留意するニスベットによれば、これは昔の支那の文化と同様<の現象>なのだ。・・・」(G)

(続く)

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