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太田述正コラム#3656(2009.11.19)
<陽気な米国人は今いずこ>(2010.1.1公開)


1 始めに

 コラム#3651で、「オバマ大統領の誕生は、米国の再生をもたらす可能性がある一方で、米国を一層デラシネにし、現在の不況状況ともあいまって、米市民の自信喪失と不安の増幅をもたらし、いささかオーバーに言えば、米国の瓦解をもたらす、という可能性だってあるな、と心配し始めている今日この頃です。」と申し上げたところです。
 このことに関連する記事を三つご紹介しておきましょう。

2 陽気な米国人は今いずこ

「米国で、100万人を超える子供達が継続的に空腹を抱えたまま就寝している・・・
 全人口の6人に1人、5,000万人もの人々が、多くは失業率の向上や低給与のため、昨年のどこかの時点で、健康を維持できるだけの十分な食物を買うことができなかった。
 これは、一昨年に比べて三分の一の増加であり、この調査が始まった1995年以来で最も高い数字だ。・・・
 これらの新たな数字は仰天するようなものだが、忘れてはならないのは、これらの数字は、米国の一年前、2008年の状況を反映しているということだ。
 それ以来、経済は顕著に弱化しており、この報告書が述べているよりももっと多くの人々が飢えに苦しんでいる可能性が高い。・・・」
http://www.taipeitimes.com/News/world/archives/2009/11/19/2003458794
(11月19日アクセス)

→今や、米国は、ラテンアメリカ化しつつある、いや、失礼、かつてのラテンアメリカのようになりつつある、という観があります。(太田)

 「・・・支那人達は、今や仰天するほど楽観的な人々となった。
 86%もの支那人達が自分達の国は正しい方向に向かっていると信じているが、そう信じている米国人は37%に過ぎない。
 支那人達は、今や彼等の科学的及び技術的潜在力について、有り余るような信条を抱いている。
 ニューズウィークとインテルは、彼等の全球的技術革新調査(Global Innovation Survey)の結果を報じたばかりだ。
 <それによれば、>支那人のわずか22%しか自分達の国が技術革新の指導者的存在であると信じていないが、63%が彼等の国が30年以内に全球的な技術面での指導者的存在になるだろうと確信している。
 <また、>過半の支那人が、支那が次の社会変化を起こす技術革新を生み出すだろうと信じているが、次の技術的突破が米国で起きるだろうと信じている米国人達は三分の一しかいない。・・・
 米国は、過剰なる消費、債務、輸入、そして過小なる生産、技術革新、輸出に偏向してしまった経済を持っている。
 米国は山のような連邦債務を持っており、これが現在の放縦(indulgence)と未来の艱難を創り出しているのだ。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/11/17/opinion/17brooks.html?ref=opinion&pagewanted=print
(11月18日アクセス)

→完全に、GDPより先に、まずムードにおいて、米中が完全に逆転したってことですね。(太田)

 「・・・新著 'Bright-Sided: How the Relentless Promotion of Positive Thinking Has Undermined America' の中で、リベラルなエッセイストであるバーバラ・エーレンライシュ(Barbara Ehrenreich)は、「前向き思考(Positive thinking)」は、個人的及び国家的成功に共に関係しているけれども、ひどい不安感(insecurity)に突き動かされているところの、米国人の典型的な活動であると記している。
 ・・・我々の不安感と我々の前向き志向は19世紀中頃に生まれたわけではない。
 逆説的に言えば、それらは、陰鬱な清教徒的カルヴィニズムそれ自体の産物なのだ。
 至福千年を信じる人(millenarian)としてのマサチューセッツ植民地人たるジョン・ウィンスロップ(John Winthrop)の、「丘の上の都市(city upon a hill)」をつくり、世界の模範(example)となれ、さもなくば、この土地からたたき出されるであろう、という高い期待、は、我々を最初から呪い祝福したところの、失敗へのひどい恐怖を創り出した。
 歴史家のジョージ・マッケンナ(George McKenna)が記したように、ニューイングランドの清教徒の修辞の遺産には二面があった。
 「一方では、「選民性」の確かな感覚であり、他方では、…神がいつ何時我々を不快に思われて捨て去り、荒野に追いやってしまわれるかもしれない、という恐怖(dread)」という二面が・・。
 <米国の>建国の父達は、清教徒達の、自分達は聖書の使いであるという感覚(我々の「例外主義(exceptionalism)」)を世俗化し、それを我々のイデオロギーへと仕立て上げた。
 これに、米国社会における根本的な根無し草性への抗い(及び根無し草性による失敗への恐れ)を加えれば、個人的心配性(anxiety)<の出現へ>の完全な処方箋(recipe)が得られるというものだ。
 19世紀に一人の英国人が、米国社会は、「帆だけで碇がない」との感想を記している。・・・」
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-rodriguez16-2009nov16,0,3581720,print.column
(11月17日アクセス)

3 終わりに

 前向き思考ができない状況の下、悲観的たらざるをえなくなった結果、否応なしに自分達が、最初から抱えてきた実存的不安感と向き合わさせられている、というのが現在の米国人の哀れな姿であるようです。
 そんな米国に、日本はいつまで属国としておんぶにだっこの状態を続けるのでしょうか。
 米国が疲労困憊していることを、日本人は自覚しなければなりません。

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