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太田述正コラム#3642(2009.11.12)
<シンガポール・モデル(その2)>(2009.12.18公開)
(2)シンガポール
「・・・彼の、より無定型の標的は、彼の生誕地であるところの、自由が麻酔薬を嗅がされたところの、都市国家たるシンガポールであり、知らぬ間に進行している、リー・クワンユー(Lee Kuan Yew)のモデル民主主義の普及・・単にマレーシアにだけでなく、北京やそれ以遠への・・だ。・・・」(B)
「・・・シンガポールは、喧しいばかりの成功物語であり、かつては湿地であったところがわずか50年で経済的に強力な存在になったのであるからして、敬意を表されてしかるべきだ。
それはまた、民族的かつ政治的争いが日常的な場所において、雑多な人口集団・・支那人、マレー人、インド人、そして欧州人・・を成功裏に混合させた輝かしい国家の事例でもある。・・・」(F)
「・・・シンガポールは、狡猾にも、もう一つの選択を導入した。
すなわち、カンフナーが「協約」と呼ぶものをその市民達と取り交わしたのだ。
あなたは富と装飾品を自分の身に付けることができ、良い食物を食べることができ、素敵な家に住み、「良い」生活を享受することができる。ただし、ボートを揺らすなよ、という「協約」を・・。・・・
カンフナーがこのつぼに抜け目なくひょいと入れるもう一つの要素がある。
混沌の恐怖という、まことに単純なる恐れだ。
リー・クワンユーは、彼のクワラルンプールにおける使徒達同様、<市民達が抱く、>コミュニティー間の暴力への恐れにつけ込むのだ。・・・」(B)
(3)ペルシャ湾岸首長国
「・・・消費者天国である、<アラブ首長国連邦の>アブダビ、<カタールの>ドーハ、そしてとりわけ<アラブ首長国連邦の>ドバイは、同じような基盤に立脚して運営されている。
政治には近づくな、宗教と関わるな、そうすればあなたは好きなだけカネが稼げる、という基盤に・・。
メディアでさえ、アルジャジーラがその一例だが、自由だ。
ただし、それはその地方の支配者を批判しない限りにおける自由なのだ・・。
これらの首長国は、経済的コミュニティーなのであって政治的コミュニティーではないのだ。・・・
ハンフリー・ホークスレー(Humphrey Hawksley<。英国のジャーナリストで政治小説家>)は、 'Democracy Kills' が書いたが、彼の関心はこれとは正反対であり、民主主義への脅威ではなく、民主主義からの脅威だ。
この本のタイトルは、あるペルシャ湾岸の住民が、慈悲深い専制主義の長所を、もしあなたがアフリカ、イラク、あるいは東南アジアの民族的紛争地域を旅したならば、ペルシャ湾岸の制度はどちらかというと良く見えるはずだ、と指摘したことからつけたものだ。・・・」(C)
「・・・アラブ首長国連邦では、カンフナーが輪郭を描く協約の条項はもっと不透明であり、取引内容を見きわめることが、よりむつかしい。
ここでは、欧米人達とアラブ・エリート達の共生は、物質的便益の相互享受が存在している・・・。
<ここでは、>国家は、時々生じるところの、欧米の猥雑さの公的大流行について、それらがイスラム的な繊細な感受性を不当に犯さない限り、目をつぶる。
しかし、欧米人達が、真の民主主義的諸権利と彼等の居心地の良い生活様式とを交換しているのかどうかは、はっきりしない。
報道機関における表現の自由には様々な制限がある。
また、例えば、諮問に応じる権能しかない連邦国家評議会(Federal National Council)のメンバーは、王族達によって占められている(handpicked by the royal families)が、総人口の15%しか国民は占めていないのだ。
一番割を食っているのは他のアジア地域からやってきていて、明らかに厳しい諸条件の下で雇用されている客人たる労働者達なのだ。・・・」(D)
(4)中共とロシア
「・・・バリントン・ムーア(Barrington Moore<, Jr.。1913〜2005年。米国の政治社会学者>)・・・は、その諸独裁の起源に関する著書において、「ブルジョワがいなければ民主主義はない」という文句を創り出した。
中産階級が<存在することが>、投票といった、基盤的な民主主義的諸権利を確立するためには必要だ、というのは本当かもしれない。
しかし、過去20年間の様々な出来事を踏まえれば、一国の富裕化が自由の拡大への自動的な衝動をもたらすといういかなる観念も、もはや死んだと言ってよい。
ベルリンの壁が崩壊した後に行われたところの、自由市場の到来と手を携えて民主主義が到来しつつある、との議論を覚えているだろうか。
人々が経済的に安全になるにつれ、彼等はより良いガバナンス、より大きな自由を求めるだろうと・・。
しかし、ロシア、支那、及び中央アジアではそうはならなかった。・・・」(F)
「支那とロシアでは、ジャーナリスト達と活動家達が生計の手段とともに生命を危険に晒してきたかもしれないが、<この両国が>人民と結んだ協定は同じ<ようなもの>だ。
安定と富のため、開かれた社会<の実現>は一定程度犠牲にされたのだ。
過去100年間の歴史を踏まえれば、平均的支那人やロシア人にとって、これが魅力的であるのには夥しい理由がある。・・・
民主主義は時間がかかるし管理するのが困難だ。
一方、胡錦涛は毛沢東よりもマシだし、プーチンはスターリンよりマシだ。
そして、我々は継続的な経済成長に依存する指導者達は、全球化の金のガチョウを殺してしまうであろうところの深刻な紛争<を生起させること>には慎重であろう、と思うことで、我々自身、安心していることができる。・・・」(C)
「・・・諸政府とジャーナリスト達との関係は、男達と女達の関係と似ている、何となれば、政府の役割は前進をすることだがメディアの役割はそれに抵抗することだからだ、といったプーチンの非近代的な言明に対し<てだって、我々は、結構>好感を覚えているのだ。・・」(E)
(続く)
<シンガポール・モデル(その2)>(2009.12.18公開)
(2)シンガポール
「・・・彼の、より無定型の標的は、彼の生誕地であるところの、自由が麻酔薬を嗅がされたところの、都市国家たるシンガポールであり、知らぬ間に進行している、リー・クワンユー(Lee Kuan Yew)のモデル民主主義の普及・・単にマレーシアにだけでなく、北京やそれ以遠への・・だ。・・・」(B)
「・・・シンガポールは、喧しいばかりの成功物語であり、かつては湿地であったところがわずか50年で経済的に強力な存在になったのであるからして、敬意を表されてしかるべきだ。
それはまた、民族的かつ政治的争いが日常的な場所において、雑多な人口集団・・支那人、マレー人、インド人、そして欧州人・・を成功裏に混合させた輝かしい国家の事例でもある。・・・」(F)
「・・・シンガポールは、狡猾にも、もう一つの選択を導入した。
すなわち、カンフナーが「協約」と呼ぶものをその市民達と取り交わしたのだ。
あなたは富と装飾品を自分の身に付けることができ、良い食物を食べることができ、素敵な家に住み、「良い」生活を享受することができる。ただし、ボートを揺らすなよ、という「協約」を・・。・・・
カンフナーがこのつぼに抜け目なくひょいと入れるもう一つの要素がある。
混沌の恐怖という、まことに単純なる恐れだ。
リー・クワンユーは、彼のクワラルンプールにおける使徒達同様、<市民達が抱く、>コミュニティー間の暴力への恐れにつけ込むのだ。・・・」(B)
(3)ペルシャ湾岸首長国
「・・・消費者天国である、<アラブ首長国連邦の>アブダビ、<カタールの>ドーハ、そしてとりわけ<アラブ首長国連邦の>ドバイは、同じような基盤に立脚して運営されている。
政治には近づくな、宗教と関わるな、そうすればあなたは好きなだけカネが稼げる、という基盤に・・。
メディアでさえ、アルジャジーラがその一例だが、自由だ。
ただし、それはその地方の支配者を批判しない限りにおける自由なのだ・・。
これらの首長国は、経済的コミュニティーなのであって政治的コミュニティーではないのだ。・・・
ハンフリー・ホークスレー(Humphrey Hawksley<。英国のジャーナリストで政治小説家>)は、 'Democracy Kills' が書いたが、彼の関心はこれとは正反対であり、民主主義への脅威ではなく、民主主義からの脅威だ。
この本のタイトルは、あるペルシャ湾岸の住民が、慈悲深い専制主義の長所を、もしあなたがアフリカ、イラク、あるいは東南アジアの民族的紛争地域を旅したならば、ペルシャ湾岸の制度はどちらかというと良く見えるはずだ、と指摘したことからつけたものだ。・・・」(C)
「・・・アラブ首長国連邦では、カンフナーが輪郭を描く協約の条項はもっと不透明であり、取引内容を見きわめることが、よりむつかしい。
ここでは、欧米人達とアラブ・エリート達の共生は、物質的便益の相互享受が存在している・・・。
<ここでは、>国家は、時々生じるところの、欧米の猥雑さの公的大流行について、それらがイスラム的な繊細な感受性を不当に犯さない限り、目をつぶる。
しかし、欧米人達が、真の民主主義的諸権利と彼等の居心地の良い生活様式とを交換しているのかどうかは、はっきりしない。
報道機関における表現の自由には様々な制限がある。
また、例えば、諮問に応じる権能しかない連邦国家評議会(Federal National Council)のメンバーは、王族達によって占められている(handpicked by the royal families)が、総人口の15%しか国民は占めていないのだ。
一番割を食っているのは他のアジア地域からやってきていて、明らかに厳しい諸条件の下で雇用されている客人たる労働者達なのだ。・・・」(D)
(4)中共とロシア
「・・・バリントン・ムーア(Barrington Moore<, Jr.。1913〜2005年。米国の政治社会学者>)・・・は、その諸独裁の起源に関する著書において、「ブルジョワがいなければ民主主義はない」という文句を創り出した。
中産階級が<存在することが>、投票といった、基盤的な民主主義的諸権利を確立するためには必要だ、というのは本当かもしれない。
しかし、過去20年間の様々な出来事を踏まえれば、一国の富裕化が自由の拡大への自動的な衝動をもたらすといういかなる観念も、もはや死んだと言ってよい。
ベルリンの壁が崩壊した後に行われたところの、自由市場の到来と手を携えて民主主義が到来しつつある、との議論を覚えているだろうか。
人々が経済的に安全になるにつれ、彼等はより良いガバナンス、より大きな自由を求めるだろうと・・。
しかし、ロシア、支那、及び中央アジアではそうはならなかった。・・・」(F)
「支那とロシアでは、ジャーナリスト達と活動家達が生計の手段とともに生命を危険に晒してきたかもしれないが、<この両国が>人民と結んだ協定は同じ<ようなもの>だ。
安定と富のため、開かれた社会<の実現>は一定程度犠牲にされたのだ。
過去100年間の歴史を踏まえれば、平均的支那人やロシア人にとって、これが魅力的であるのには夥しい理由がある。・・・
民主主義は時間がかかるし管理するのが困難だ。
一方、胡錦涛は毛沢東よりもマシだし、プーチンはスターリンよりマシだ。
そして、我々は継続的な経済成長に依存する指導者達は、全球化の金のガチョウを殺してしまうであろうところの深刻な紛争<を生起させること>には慎重であろう、と思うことで、我々自身、安心していることができる。・・・」(C)
「・・・諸政府とジャーナリスト達との関係は、男達と女達の関係と似ている、何となれば、政府の役割は前進をすることだがメディアの役割はそれに抵抗することだからだ、といったプーチンの非近代的な言明に対し<てだって、我々は、結構>好感を覚えているのだ。・・」(E)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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