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太田述正コラム#3689(2009.12.6)
<皆さんとディスカッション(続x676)>

<Tsuzu>

昨日は<オフ会で>長時間にわたってお付き合いくださり、ありがとうございました。
3次会の中で私が話題に出した話のネタは下記シリーズです。

脱常識の世界史
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090901/203916/

 インフルエンザ休暇中にまとめて読んだのですが、 太田コラムを読んでいるような既視感がありました。
お暇なときにでもご一読ください。

<太田>

 オフ会、ご参加、ありがとうございました。

 オフ会に参加されたChaseさんから、植田信さんが、随分太田さんのことを書いてますよ、とご教示がありました。
 そこで、久しぶりに植田さんのサイト
http://8706.teacup.com/uedam/bbs
を覗かせてもらい、太田のコラム等がらみの箇所を以下にまとめさせていただきました。

<植田>(2009.10.24)

 --天皇と近代--

 ・・・アメリカ人から見れば、天皇を利用するという作戦を立てることは容易でした。彼らには、天皇に魔力はまったくありません。福沢諭吉がイギリスの帝国支配の方法を述べて、原住民の酋長を管理することで、一国を支配する、と評しました。インド支配(植民地)がそうだ、と。他国の国民の全体を管理するのではなく、その国民が服従している自分たちの長を管理することで、国民の全体を支配するという方法です。占領軍の「天皇利用計画」はそのものです。

 さて、そうすると、現在の私たちの課題が何であるか、わかります。
 天皇というシンボルに依存する形ではない、新しい独立の概念を見つけることです。
 吉田茂など、戦前に育った日本人は、占領軍の「天皇利用計画」にすっかり洗脳されて、独立思想を腐食されてしまいました。すなわち国体は護持された、と。
 では、天皇に代わって、私たちはいかなる独立・自立思想を持ち得るか。

 これが「近代」の問題となります。・・・

<太田>

 植田さんが言及された福澤諭吉の文章は、私自身、例えばコラム#3445で引用しているところですが、私は、戦時中に日本人がその護持こだわった国体を、福澤ばりの「酋長」、すなわち「昭和天皇」と矮小化する必要も、それより若干広く「天皇制」と矮小化する必要もない、と考えるに至っています。
 このことは、以前にも記したことがあるけれど、要するに、「国体」を守るとは、「国家体制のあり方を日本人自身が決定する権利」を守るということであったととらえるべきである、と私は考えているのです。
 そして、このことにこだわったおかげで、日本はかろうじて無条件降伏には至らず、その結果、占領下に「押しつけられた」日本国憲法の文言すら、文言ではなく実態としての明治憲法における、権力ではなく権威の元首たる天皇を戴く天皇制、及び、(大正/昭和戦前期の)自由民主主義制を単に文言化したものに他ならなかったことから、「国体」がほぼ(注)維持できていた上に、主権回復にあたって、その日本国憲法の改正に関し、つまりは、「国体」に関し、何の条件もつけられなかった、という意味では、戦時中の日本人の国体護持へのこだわりは、完全に報われた、と考えています。

 (注)なぜ、「ほぼ」かと言うと、第9条が日本国憲法に存在していたからです。もとより、主権回復後、日本が第9条を改正するなり、その政府解釈を変更するなりすれば、何の問題もないわけです。

<植田>(2009.10.24)

 --米軍駐留はなぜ日本人に歓迎されるか--

 ・・・日本人が日米安保に依存して満足しているのは、ある意味では、けっこうなことです。ホッブスが述べたような人間観を共有していないということです。
 それよりも、戦前の日本軍の悪のほうが圧倒的に大きい犯罪経験として今も日本人を拘束しているのだろうと考えられます。ゆえに、アメリカ軍の駐留は日本軍に比べたら、たいしたことではない、と。

 アメリカ軍が駐留しているという事実は、過去、日本人はいかに自国の軍隊にひどい目にあわされたかということを実証しているのだ、と考えられます。
 アメリカ軍が日本軍と同じほどの圧政を行わない限り、日本人はアメリカ軍の駐留を歓迎し続けるでしょう。つまり、これが日本人の経験則である、ということになります。・・・
  アメリカ軍が駐留するほうがいいか、日本軍が再現されたほうがいいか、現実の米軍駐留が日本人の答えを示しています。 ・・・

<太田>

 そうおっしゃりたい気持ちは痛いほど分かるけど、次のように考えていただきたいと思います。

 軍隊も企業も欧米型の組織であった明治/大正期を経て、昭和戦前期に日本型経済体制が岸信介らの尽力もあり、成立します。
 これにより、組織内/組織間情報共有とボトムアップを旨とする日本型経済体制的なものに軍隊も企業も変容するのです。
 ところが、企業の方は大成功を収めたけれど、軍隊の方は大チョンボを繰り返し、周辺諸国と日本人は多大なコストを支払わされることになります。
 しかし、旧軍がいかなる「犯罪」を行おうと「圧政」を行おうと、それは日本国民が自ら好んでやったことなのです。
 なぜなら、旧軍の予算も旧軍に係る法律も、帝国議会の衆議院の普通選挙で国民から選ばれた議員の協賛を得たものですし、旧軍の若手幹部達は、ほとんど学業成績だけで日本国民の中から選抜された人々であって、彼等が行った下克上は、当時の国民の意向を踏まえた直接民主主義的行動であったからです。
 つまり、旧軍を忌み嫌う、ということは、自らを忌み嫌う、ということとほぼ同値である、ということです。
 ですから、そんな非生産的、いや病的な後ろ向きの思い込みはあっさりと捨て去り、明治/大正期的な、グローバルスタンダードに合致した軍隊をつくればよい、というだけのことであり、かつてそれが可能であったのですから、もちろんそれは可能なのです。

 ついでに申し上げれば、米軍にせよ、米国政府にせよ、つい最近まで、人種主義的帝国主義なるイデオロギーの権化というおぞましい存在であり、いまだにその痕跡を引きずっていると考えるべきであり、そんなものに日本の安全保障をゆだねるなど、狂人に用心棒を頼むよりもアブナイことだと、日本国民は、一刻も早く悟るべきだ、と言いたいですね。
 
<植田>(2009.10.25)
 
 --戦後日本人の思考停止は、何かへの抗議なのか--

 ・・・安全保障問題での日本人の思考停止状態というのは、何なんでしょうか?
 戦後の日本人は、意図的に、この問題だけは考えるのをやめる、と決意したかのようです。すべてアメリカにお任せする、と。
 だったら、普天間基地の移転をアメリカが求めてきたら、さっさと対応すればいいものを、と思うのですが、ここでもだんまり戦法を取っているようです。
 安全保障問題では、戦後の日本には政府に「最終責任者」はいないかのようです。

 で、この問題は、アメリカが強圧的に出てくるのを待つしかない、ということになります。そうでなければ、何も進展しないのですから、どうしてもそうなります。
 このことの実例が、太田氏の『防衛庁再生宣言』に出ています。アメリカ軍の夜間発着訓練です。日本側の無策に我慢の限界を超えたアメリカ側が、本来は事前に日本側の了解を得てからでないと使用できない場所で訓練を強行しました。太田氏が辞職を決めた事件です。
 このまま民主党政権の無策が続けば、アメリカ側は何らかの強行策に出てくると予想されます。
 そうなればそうなったで、日本国内から、またまた反米の言論が出てくるでしょう。
 やれやれ、です。
 最初のきっかけを作っているのは誰なのか。
 戦後日本人の安全保障問題への思考停止です。
 アメリカ側の勝手な行動に我慢できないなら、安保を解約すればいいのに、それもできない戦後の日本人です。
 なんてだらしのない日本人になってしまったのか。
 と、司馬遼太郎氏は、このように感じたので、明治日本人を賛美する小説を書いたのでしょう。もっとも司馬氏の場合は、昭和の日本軍の愚かしさに対する反発からでした。

<太田>

 ここは、おおむねそのとおりです。

<植田>(2009.10.26)

 --中曽根政権時代、国防費1%を突破させたのは誰か--

 ・・・太田述正氏の『実名告発・防衛省』の最後に「池田さんとの〈1%突破〉の思いで」なる思い出話があります。
 この本を買ったとき、私はここを興味深く拝見しました。
 中曽根首相の時代、この「1%」問題に私は実に印象を受けた覚えがあります。
 ノー・モア・ウォーの声が圧倒的に強い戦後の日本において、このような勇敢な仕事を推進したのは誰なのか、と。戦後の日本において画期的な仕事ではないか。

 で、驚いたのは、防衛庁においてこれを推進した原動力の一人が、まさに太田氏でした。

 で、またまた、まったく偶然に、当時の最高責任者が誰だったか、わかりました。当時の中曽根政権で、誰が最終的に政治的に判断をしたのか。
 いや、もっとも「最終的に」と言えば、中曽根首相に決まっていますが、首相がゴー・サインを出す直前の段階で、1%枠の突破にゴーと口にしたのは誰か、です。
 後藤田正晴氏でした。

 順番に見てみます。
 まず、太田氏のほうから。

 「防衛費をGNPの1%の枠内にとどめるとの1976年度の閣議決定以降、初めて防衛費(当初予算)がGNP1%を突破したのが1987年度防衛費だ。翌1988度防衛費も1%を突破したが、爾来、防衛費は二度とGNP(後にGDP)比1%を突破することなく現在に至っている。
 残念ながら、GNP比1%突破の経緯をきちんと描いた論文も本もまだ出ていないし、私自身それを行うつもりもない。ただ一つ言えるのは、一部に流布しているところの、自由民主党の椎名素夫議員にその〈功績〉を帰する説は恐らく間違いであろうということだ。」『実名告発防衛省』P.229,230

このあと太田氏がいかにこの問題で活躍したのかが続きますが、そこは省略させてもらって、次に後藤田氏です。

 「昭和62度の予算では、防衛費がGNP比で1.004%となり、三木内閣の閣議で決定した〈GNP比1%枠〉を超える結果になってしまった。このことで、中曽根内閣は軍事大国への道を踏み出した、という批判がなされた。
 しかし、この批判は大きな間違いである。ここで、1%枠というものの性格について考えてみたい。
 当時の予算編成では、防衛費のほか整備新幹線、戦後処理問題といったことが政治折衝の最後まで残り、これを大蔵大臣、官房長官、党三役のほか関係大臣が、官邸地下の小食堂と呼ばれる小部屋で始めた。実は、このとき小食堂での協議の途中、大蔵大臣と防衛長官に二階の官房長官室に来てもらい、そこで妥協案を提示するなど、私が議論をリードした。
 したがって、1%枠を超えたのは、私の考えによる。
 なぜ、こうなったか。
 私は、政治折衝に入る前の段階で、党内の各方面の意見を聴取し、さらに防衛庁や大蔵省の意見などをすべて聞いてみた。そして、〈だいたいこのあたりだな〉という私なりの見定めをした。それが、結果的にGNP1%枠を超えるものになった。」『政と官』講談社P.1994P.205

 というわけで、当時、いかにして1%枠の突破という快挙がなされたのか、私にはこうして疑問が解けました。

 後藤田正晴という政治家のことは、私はあまり興味がなかったのですが、『政と官』という本があることを知り、読んでみました。非常に面白く、この人に対する見方が変わりました。

<太田>

 故後藤田正晴氏と私を並べてお褒めいただくとは面はゆい限りです。
 ただし、(読んだことはありませんが、)この本で後藤田氏が述べておられるらしいことを、一部推測を交えつつ、勝手にカギ括弧書きで補足させていただけば、下掲のようになります。

 「このとき小食堂での協議の途中、大蔵大臣と防衛長官に二階の官房長官室に来てもらい、そこで妥協案を提示するなど、<かねてより伝えられていた中曽根総理のご意向を受け、>私が議論をリードした。
 <ただし、これもまた、中曽根総理のご意向により、「>したがって、1%枠を超えたのは、私の考えによる<」ということにした>。
 「私は、政治折衝に入る前の段階で、党内の各方面の意見を聴取し<・・とは言っても、私自身も小耳に挟んでいたが、防衛庁の池田経理局長からの根回しが徹底的に行われていた模様で、党内の大部分が1%枠突破が必要不可欠であるという認識を抱くに至っていた・・>、さらに防衛庁や大蔵省の意見などをすべて聞いてみた。」

 もちろん、カギ括弧内を実現したのは、すべて池田久克経理局長(当時)の功績であり、私は、当時の防衛庁予算決算班長として、本件で池田さんを補佐した、ただし唯一人補佐した、だけの存在です。

<植田信>(2009.11.1)

 ・・・<11>月の最初の話題は、太田述正氏が予定している新著です。
 どういうわけか、この制作の作業の様子が福岡国際問題研究所のサイトで詳しく紹介されています。
 http://blog.zaq.ne.jp/fifa/1

 細かなことはそちらをご覧になってもらうとして、私の目に映るペリー・グッドな点を書いてみます。

 「なお、第一章の「日本はみずから望んで米国の属国になっているだけ」のテーゼは数ある太田テーゼの中でも個人的には最高峰に位置するものと思う。このテーゼが日本国民に普及すれば、関岡英之氏が著した『拒否できない日本』(文春新書、2004年)なんかに浮かれている左右の米国批判者は、その基盤を丸ごと失うことになる。このような言説は吉田ドクトリンの系に過ぎない。」

 まったくその通り。
 日本国の安全保障問題については、朝鮮戦争の時点で、アメリカ占領軍はその政策を完全に反転させました。先頭に立ったのが、よく知られているようにマッカーサーです。日本は再軍備してくれ、と。これに対して、マッカーサーがつくった憲法9条を楯にして断固拒否したのが吉田茂でした。
 戦後日本の安全保障問題がアメリカ属国になったのは、ここに起源を発します。
 つまり、日本が属国になったのは、アメリカが強要したのではなく、日本人のほうがそれを望んだということです。

 とはいえ、この起源の問題を忘却すれば、関岡氏のような発想が成り立ちます。戦後の日本はアメリカの要求を飲むだけ、と。ノーと言えない日本、と。

 ここで肝心なことは、今の日本が置かれた状況を私たちはどうするか、です。
 ということは、今も日本人が占領軍が日本を統治した時代とまったく変っていない状況にいるとすれば、−たとえば、憲法をたった一行も改正していませんー、それは日本人自身が望んでいることではないか。

 太田氏の先月28日のディスカスに、この点についての読者の投稿があります。<コラム#>3610・・・です。

 「<ωΑωΑ>(同上)
 属国の国民が奴隷とは限らないじゃん!
 マゾで別にいいじゃん!
 なんて言われた日には・・・

 <ωΑΑω>(同上)
 というか、太田定義では今の我々を指して奴隷状態なわけだが、現状の生活でまったく困っていないという実感の人は多いだろう。
 そういう満ち足りた人たちにお前は奴隷だマゾだと言ってみたところで、「そう呼びたければご勝手に」と反論されて終わりだろう。
 そういう人たちの心にはさざ波一つ立たないだろうな。

 <太田>
 それでも懲りずに奴隷だって伝え続けりゃいいの。
 ある日、突然膝を打ったり、回心したりする可能性あんだから・・。
 民主党が政権とるまでだって、何年かかったと思う?」
http://blog.ohtan.net/?p=3


 これは、どちらもその通りでしょう。
 しかし、読者さんの問題は、日本が属国なのかどうか、自分で確信しているかどうか、でしょう。
 私の感じでは確信していないでしょう。体験がないからでしょう。いや、これはいいことです。自分を自由と感じて<(=勘違いして(太田))>いることですから。・・・

 なぜ民主党が「脱官僚」のスローガンを掲げたか<ですが、>政治家が、実質的に官僚王国の属国におかれていたからでした。鳩山首相にせよ、管直人・福首相にせよ、自分の国会議員の体験を通してそのことを痛感したのでした。

 国内では、とりあえず民主党が官僚属国ぶりを解き放ちました。あくまでも、とりあえず、ですが。
 次は、アメリカ属国問題をどうするか、です。

 現状の日本が天国であり、地上の楽園であると考える人<が大部分です>。・・・
 それが当たり前の状態で<あると思い込んでいるからで>す。
 さりとして、今の日本が属国であると強調するだけでは、何も変わらないでしょう。というか、効果が薄いでしょう。それが日本人の自然の状態ですから。
 もちろん、現状が属国であることを説明することは必要です。
 その次に必要なのは、対策です。

 太田氏のように、御自分の体験から日本が属国であることを痛感している人は、どうしても立ち上がらざるを得ないでしょう。
 そこで、私の場合は、思想的応援団です。

 ここにきて必要なのは、「自由」とは何か、です。
 ・・・日本人が現状で満足しているのは、要するに、「自由」を知らないからです。ゆえに、属国人の満足です。・・・

<太田>

 「政<界>が官僚王国の属国」であったという点を除き・・政界と官界が、前者の優位の下に癒着していただけだという話は以前にも申し上げたことがあると思います・・全面的にご指摘のとおりです。

<植田信>(2009.11.13)

 ・・・太田述正氏の『防衛庁再生宣言』にありますが、自衛隊は日本国民を敵と見なしているということです。なぜなら、憲法9条により、戦後の日本にあっては軍隊もどきの自衛隊は国民から違法な存在であると見なされているため、と。
 国民が自衛隊を違法の存在と考えるなら、自衛隊のほうとしても、組織を守るためには、国民を敵と見なすしかないではないか。

 というわけで、このような理由から、日本側からは絶対に<普天間基地移転に係るこれまでの経緯についての本当の>情報は出てこない、と私は予想していました。出てくるとしても、アメリカ側に追随する形だろう、と。
 なんとも情けない戦後の日本国です。
 情報属国です。・・・

<太田>

 そうですね。

<植田信>(2009.12.4)

 ・・・太田述正氏のサイトを時々訪問するのですが、その際に、しばし不思議に思えることがあります。
 どうも同じ立場にある人のように私には思えるのに、言論上では対立している点です。
 最新のディスカスにもありました。<コラム#>3683。
 http://blog.ohtan.net/

 「通りすがり」の読者が言うには、

 「本当に、太田さんは戦後日本の申し子ですね(笑)
 国防を真摯に考えるなら、内局を廃止するのは不可欠でしょう。
 <後略>」

 これに対して太田氏、

 「<略>」


 以上のやりとりですが、異論点よりも共通点のほうが多いではないか、と私は思います 。
 「通りすがり」さんも自衛官だったようで、そうすると、戦後の9条憲法のなかで日本国の安全保障の職業に従事されたわけです。太田氏と同じです。

 で、内局と自衛隊の対立、という問題は私にはよく分かりませんが、自衛隊なしの内局だけの日本国の安全保障体制、というのは考えられるでしょうか。
 どうやら想像するだに、ばかげた事態が想起されますが、しかし、憲法9条下ではこれが法的実相でしょう。そしてこの事態が、「通りすがり」さんと太田氏の対立を引き起こすのだろう、と私は思います。
 いや、話は飛びますが、正式に「軍隊」が認知されていた戦前の日本でさえ、陸軍と海軍の対立があったようですから、「対立」問題はさほどのチェックポイントではないのか、とも考えられます。

 戦後の自衛隊問題の本質は、日本人自身がこの組織を自発的に立ち上げたのではない、という点がすべてではないかと私は思います。
 アメリカの立案であり、吉田茂がいやいやながら受け入れたところからスタートしています。
 だとすると、いつ、日本人は自発的に自衛隊という国防軍もどきの組織を公認したのか。

 ここを考えると、驚くことに、いまだに公認していない、ということになります。自衛隊の存在は違憲であり、存在そのものが違法組織である、と。

 私は、公認せよ、という立場です。
 その上で、現状のままでいいのか、つまりアメリカ軍の下請けでいいのか。
 アメリカに帰ってもらうのか。その場合の日本軍の規模はどのくらいか。費用はどのくらいか。
 などと、国民的議論にする必要があります。

 まあ、それはそれとして、太田氏が指摘する、官僚は本音を言えないので、プレゼンがしどろもどろになる、というところは面白いです。
 その通り、さすがにそこは言えないでしょう。そこは将来の天下り先の確保のための予算計上です、などと。
 せっかくの優秀な知力が、退職が近づくにつれて、日本国の安全保障や、制度設計・政策のために使われず、自分や身内の生活安全保障のために使われるというわけですから、、・・・。

 問題は、官僚主導がすっかり退場してしまったとき、政治家主導が機能するか、です。そこまで政治家は育ったか。

 民主党はオンザジョブで特訓中です。

 安全保障問題では、どうしたら戦後の日本人は自分で自国を守るのだ、という発想ができるようになるか、というところがポイントでしょう。
 そうならない限りは、「アメリカ丸投げ」が続きます。
・・・

<太田>

 いかなる組織も金太郎飴であってはならず、氏素性やものの考え方が異なるグループが、良い言い方をすれば切磋琢磨し、悪い言い方をすれば対立している方が、健全であり、活性化するのです。
 ですから、軍事機構、とりわけその内局が制服だけの組織であることは、極めて望ましくないことなのです。
 ではどうして、制服の方が優位であったり、文官と制服が対等であったりではなく、文官の方が優位であることが望ましいのか?
 どちらもあくまで相対的な話ですが、第一に、文官キャリアの方がよりジェネラリストとしての幅広いキャリアパスを経てきていること・・アングロサクソン系諸国では文官キャリアは各種省庁を渡り歩きます・・、それと第二に、おおむねどこの国でも、とりわけアングロサクソン系社会では、軍人の精神や行動が、「娑婆」の人々の精神や行動とは異なっている部分があるところ、文官キャリアは「娑婆」の人々の精神や行動を体現しているのが通例だからです。

 なお、事業仕分けにおいて、官僚のプレゼンがしどろもどろになるのは、天下りに係るホンネが言えない、ということも、もちろんあるけれど、私が言いたかったのは、政府(行政府)部内で予算案を編成する作業は、政治そのものであり、露骨な言い方をすれば、政権与党の政治家達が、選挙の論功行賞を行うとともに、次の選挙のための布石を打つ場だということです。
 例えば、計数的評価等の結果大差ない事業AとBがあったとして、どうして予算案に計上されたのは事業Aでなく、事業Bなのか?
 事業Bが予算化された時に裨益する個人、団体、地域等が、政権与党の権力奪取、あるいは政権与党の特定の政治家の当選に寄与したし、次の選挙でも寄与することが期待できるから、ということの積み上げが予算編成である、ということです。
 だから、予算編成作業は、密室で行われるべき筋合いのものなのです。
 (英国では、各省庁の概算要求に含まれる主要な事業どころか、概算要求総額すら公表されないと承知しています。)
 その代わり、こうして編成された予算案は、国会で野党の政治家達からの、基本的に公開での厳しい質疑に晒され、いかに(ホンネ・ベースではなく)タテマエ・ベースでこれら質疑にもっともらしく答弁するかに与党政治家達は腐心することになります。
 タテマエ・ベースであるという制約を勘案したとしても、余りにも怪しげな答弁しかできないようなら、有権者は次の選挙で当該政治家、ひいては時の与党を敗北させる、ということになるわけです。
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太田述正コラム#3690(2009.12.6)
<米国とは何か(続x5)(その2)>

→非公開

<植田信>(2009.12.4)

 --太田氏のパワー思考--

 ・・・太田述正氏の最近のサイトは、話題がワイドで、いろいろと参考になる点もある反面、基本的にこの人は何をベースに思考を展開しているのか、ここが私にはいまいちわからないところがあります。

 吉田ドクトリン、集団安全保障などの国防問題については、共感するところが多々あるわけですが、そこから外に出ると、なんだかわからなくなります。

 で、最新のディスカス675を拝見していて、やっとなんとか見えました。
 パワー思考である、と。
 そう思ったのは、韓国と日本の競争問題です。

 「<太田>
 小せえ、小せえ。
 韓国のメーカーが世界で健闘していることを、旧日本帝国の本土の住民として、素直にこれを喜び、自慢すればいいのです。
 <中略>
 幸い、このどちらの課題も、日本が人的開国を行えば、基本的に解消できるでしょう。」
http://blog.ohtan.net/


 うーむ。なるほど。
 宗主国と被宗主国ですか。
 パワー・ポリティクスですねえ。
 いや、グッド。
 戦後の日本語の言論が避けているのが、このように明確にパワー言論を語らないことです。

 「近代化」とか、「宗教」問題を3世紀前に解決してしまったアングロ・サクソンと、それを踏襲しているアングロ・アメリカンには「パワー」問題しかありません。学問がこの一点に収斂しています。
 いかにアメリカの優位を保つか。
 いかにイギリスの優位を保つか。

 これが戦後の日本人の場合は、いかに戦前の日本軍の悪を謝罪するか、でした。
 戦前といえば、いかに皇国を拡張するか、でした。つまり、パワー思考は、皇国思考に従属していました。

 そうとわかれば、太田氏の思考がすがすがしいではないか、となります。
 パワー思考、けっこうなことです。

 名実ともに、民主党政権によって戦後の日本がデモクラシー国家を名乗れるようになりました。
 太田氏のパワー思考を大いに楽しみましょう。

 どうだ、日本はこんなにすごいのだぞ。
 あるいは、日本はこんなところで弱点をさらけだしているのだぞ。

 政権交代が起こって律令システムの基本的な問題が終わったことは、素晴らしいことです。
 官僚主導か、政治家主導か、なんて問題で、もう悩む必要はありません。
 これからは、ひたすらパワー思考です。
 日本を強くするにはどうしたらいいか。

 同じ問題でもこのようになります。
 日本を強くするには、これから5年は官僚主導でいくべきか、それとも政治家主導でいくべきか。すなわち、選択ができます。
 これまでは、日本の国際的位置がどうであろうと、官僚主導の中でだけ、解を見つけねばなりませんでした。

 8.30革命は、したがって、巨大な前進です。

<太田>

 激励を賜りありがとうございます。
 パワー思考なのかどうか、よく分かりませんが、日本帝国を担った我々の先輩達の夢、東アジアの後進地方の発展を図るとともにこれら地方と共存共栄関係を築く、が実現していることを素直に喜びましょう、と申し上げているつもりです。

<べじたん>

 --米国は何万人のアジア人を殺したか?--

≫米国は1,000万人のアジア人を殺害しました。(これ、腰ダメの数字です。誰か、計算してくれないかなあ。)≪(コラム#3683。太田)

 これが太田さんの腰ダメの数字よね?↓
 『米比戦争・太平洋戦争・ベトナム戦争・・における、フィリピン・日本・ベトナム側の死者の数は、それぞれ、25〜100万人、300万人(注3)、200〜400万人、計525〜800万人です。他方、米国側の死者の数は、4,324人、10万6,207人、5万8,209人(このほか、韓国軍5,000人、豪州軍520人)、計15万8,740人です(http://en.wikipedia.org/wiki/Philippine-American_War
http://en.wikipedia.org/wiki/World_War_II_casualties#fn_AtlasHol(*1)、
http://en.wikipedia.org/wiki/Vietnam_War
(いずれも9月1日アクセス))から、この三つの戦争は、いずれも米国による黄色人種の一方的屠殺であったと総括してもよいでしょう。
 (注3)概数なので、英豪軍やソ連軍や1945年以降の支那軍による死者を含むと考えても含まないと考えてもよい。』
http://blog.ohtan.net/archives/50954439.html

*

 (*1)のウィキペディアに、R.J.ラムル・ハワイ大学名誉教授(コラム#144とコラム#2610)の
http://www.hawaii.edu/powerkills/20TH.HTM
が外部リンクされてました。
 米国での通説は知らないですし、英ウィキペディアの典拠(Notes)は表になってなく、読み解くのが難しそうだったので、ラムルによる複数典拠からの推定値と、日本での通説(ヤフー百科事典)を書き比べてみました。

*

 ラムルの結論的には↓で、米国よりも日本の方が10倍の虐殺国家だった、ということになります。
http://www.hawaii.edu/powerkills/20TH_C_MORTACRACIES.GIF

<米国による今世紀の他国人デモサイド推定数>
 【57.3万人】(28.1万〜163万人)
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.TAB13.1.GIF(347行目)

<日本による今世紀の他国人デモサイド推定数>
 【596.4万人】(305.6万〜1059.5万人)
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.TAB3.1.GIF(387行目)

<デモサイド(Democide、ラムルの造語)の定義>
 デモサイド=ジェノサイド・ポリティサイド・大量虐殺を含む、政府による虐殺
 ・ジェノサイド=特に人種・民族性・宗教・言語的集団帰属性のための政府による殺人
 ・ポリティサイド(Politicide)=政策/政治目的のための政府による虐殺
 ・大量虐殺=政府による無差別殺人
http://www.hawaii.edu/powerkills/DBG.CHAP2.HTM

*

 太田さんが「米国は何万人のアジア人を殺したか?」を知りたいのは、米国が人種主義的帝国主義国家であったことの学術的典拠が欲しい、ということですよね? 「米国は何万人のアジア人を殺したか?」について、他の学者による推定値が見つかれば・・、英ウィキペディアが読み解ければ・・、つづく、ということで。

*

(注1) ラムルは LOW/MID/HIGH の値を様々な資料から推定し、MIDを代表値としています。以下では、【MID】(LOW/下限〜HIGH/上限)のように書いてます。
(注2) (3−1)と(3−2)のラムルによる下限値と代表値の差が大きい理由・・解説と資料の読み方の違いは分かりませんでした。
(注3) レイプ・オブ・南京は、【20万人】なのか、「DEATH BY GOVERNMENT」なのか、見解が分かれるところだと思いますが、ラムルがそう書いてただけですので。

----------------------------------------

(1)米比戦争死者数
 【51万人】(25万人〜97.3万人)
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.CHAP13.HTM
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.TAB13.1.GIF(83行目)

(2)太平洋戦争・日本人死者数
 【250万人】(175万人〜316.6万人)
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.CHAP3.HTM
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.TAB3.1.GIF(40行目)

  #「太平洋戦争の人的被害についての正確な数字はわからない。
   日本側では一般国民を含め【250万人前後】が死亡または行方不明になったと考えられている。」
  http://tinyurl.com/ya7f5n5

(3−1)米国による日本民間人死者数
 【67.2万人】(50万人〜100万人)
 「Of this number, 672,000 probably were civilians (line 32), virtually all killed in American air raids (including the two atomic bombs).」
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.CHAP3.HTM
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.TAB3.1.GIF(32行目)

(3−2)米国の無差別爆撃・原爆による日本人死者数
 【37.4万人】(26.5万人〜90万人)
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.CHAP13.HTM
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.TAB13.1.GIF(147行目)

  #広島【10.5万人】(6.5万人〜20万人)(同上113行目)
  #長崎【6万人】(3万人〜14万人)(同上127行目)
  #東京大空襲【9.7万人】(8.4万人〜10万人)(同上137行目)

  #1950年(昭和25)10月までの原爆による死亡者数は、
  【広島約20万、長崎約14万】と推計されている。
  http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B/
  #東京大空襲の死者は警視庁調査では【8万3793人】、負傷者は同じく4万0918人となっている。
   資料によって差異が大きいが、「東京空襲を記録する会」は死者数を10万人としている。
  http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2/

(4)日本による太平洋戦争死者数(捕虜/民間人捕虜、強制労働、占領国/占領地域での虐殺/残虐行為、飢饉、支那)
 【596.4万人】(305.6万人〜1059.5万人)
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.CHAP3.HTM
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.TAB3.1.GIF(387行目)

  #レイプ・オブ・南京【20万人】
  http://www.hawaii.edu/powerkills/NOTE1.HTM(DEATH BY GOVERNMENT)
  http://www.hawaii.edu/powerkills/DBG.TAB1.5.GIF

  #日本の侵略を受けた【アジア諸国での死者は1800万人】に上り、
   日本でもアジア諸国でも死者の比率はおおよそ30人に1人と考えられる。
   最大の被害を受けた中国では軍人・ゲリラの死者321万人、
   一般市民の死者1000万人以上とされている。
  http://tinyurl.com/ya7f5n5
   (日本が1800万人殺した、とは書いていませんが、参考数値です)

(5)ベトナム戦争死者数
 【174.7万人】(93.3万人〜252.2万人)
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.CHAP6.HTM(The Vietnamese War State)
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.TAB6.1A.GIF(211行目)

  #戦争の犠牲者は【アメリカ陣営が戦死者22万5000】(推定。アメリカ軍の戦死者は5万7939)、負傷者75万2000(推定)、
  【北ベトナム・解放戦線側が戦死者97万6700】(推定)、負傷者130万(推定)だった。
  http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89/

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加筆修正です↓

(注1)デモサイド推定数=死者数、ではありません。デモサイド推定数⊂死者数、です。
 ラムルは複数の資料から、まず死者数を LOW(下限)/MID(代表値)/HIGH(上限) と算出/検討し、その死者数をもとにデモサイド数を推定していました。
 【MID】(LOW〜HIGH)、という書き方で、以下では「死者数」を書き起こしました。
(注2)(3−1)と(3−2)の死者数の下限値と代表値の差が大きい理由は、本文と表から読み取れませんでした。
(注3)レイプ・オブ・南京は、【20万人】なのか、「DEATH BY GOVERNMENT」なのか、見解が分かれるところだと思いますが、ラムルがそう書いてただけですので。

*

 ところで、

≫米比戦争・太平洋戦争・ベトナム戦争・・における、フィリピン・日本・ベトナム側の死者の数は・・・≪

に朝鮮戦争が入っていないのは、何か理由があるのですか? かなりの民間人が死にましたが。

 「この戦争での交戦双方の被害は甚大で、国連・韓国軍側の戦死者は韓国軍約42万人、米軍約5万人、その他の国連軍約3000人、ほかに韓国民間人106万余人といわれ、朝・中側は軍要員の死傷者だけで200万人以上と推定された。」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89/

<太田>

 さっそく対応していただき、感謝申し上げます。

 うーん、だけど、昨日のオフ会疲れで頭が働きません。
 乗りかかった船で、もう少し整理していただけるとありがたいですが・・。
 なお、私が言及している場合とそうでない場合とがあるようですが、当然、常に朝鮮戦争も含めて考えるべきでしょう。
 また、ラウルのデモサイドなる概念、「正規」の交戦による戦死が入ってないんじゃなですか。
 米軍による戦死者数もカウントに入れて下さいね。


 それでは、記事の紹介です。

 いよいよ事態は深刻になってきました。
 少なくとも、早く、私生児を尊重するフランス型の社会に日本も切り替えて行かなくっちゃ。↓

 「「結婚は個人の自由だから、結婚してもしなくてもどちらでもいい」と考える人が70%に上ることが、内閣府が5日発表した「男女共同参画社会に関する世論調査」でわかった。07年の前回調査より4.9ポイント増えた。
 年代別でみると、若くなるほど「どちらでもいい」が多かった。70歳以上は47%だったが、60歳代で60.8%になり、50歳代で72.3%。40歳代以下ではいずれも8割を超え、20歳代では87.8%を占めた。
 「結婚しても、必ずしも子どもをもつ必要はない」との問いには42.8%が賛成と答え、前回より6ポイント増えた。これも若くなるほど賛成が多く、70歳以上の賛成が22.8%なのに対し、20歳代の賛成は63%に上った。・・・」
http://www.asahi.com/national/update/1205/TKY200912050427.html

 ジョン・ブラウンに関するコラム(#3683)に係る投稿(米国の某教授によるもの)中に以下の一節がありました。
 そうだ、そうだ、全くだ。↓

 ・・・Until we fully confront our nation’s historical willingness ? before, and long after, 1865 ? to devalue the lives and shed the blood of peoples of color in pursuit of our economic and geopolitical interests, we need John Brown more as national irritant than as domesticated hero.・・・
http://www.nytimes.com/2009/12/05/opinion/l05brown.html?ref=opinion&pagewanted=print

 トヨタのアクセルの問題、引き続き米国のメディアで追及されています。↓
http://www.time.com/time/business/article/0,8599,1945393,00.html
http://www.latimes.com/news/opinion/editorials/la-ed-toyota5-2009dec05,0,2545849,print.story

太田述正ブログは移転しました 。
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