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太田述正コラム#3601(2009.10.23)
<除去主義(その2)>(2009.11.23公開)
今度は、ゴールドヘーゲンへのインタビューからです。
「・・・政治体制の本性、その指導者達自身の本性が、<除去主義への>潜在的能力が現実のジェノサイドへと転化するかどうかにとって絶対的臨界要件なのだ。・・・
独裁制においては、独裁者達が、人々の権利を尊重しないことから、常にあらゆる形で下からの脅威に晒されているため、彼等が感知する諸問題に対して政治的指導部がある種の除去主義的解決法をとるという、はるかに大きな危険性がある。・・・
・・・大量殺害の実行犯達は、20世紀の初めから、在来的な軍事諸作戦の帰結として死んだ人々よりももっと多くの人々・・1億人を超える・・を殺してきた。・・・
大量殺害は、現代世界におけるシステム的問題なのだ。・・・
・・・除去主義・・・<とは、>抑圧、強制的変態(transformation)、放逐(expulsion)、断種等による子孫をつくることの妨害、そして絶滅(extermination)<だ。>・・・
≪聞き手:あなたの本は、広島と長崎への原爆投下から始まる。普通この二つの出来事が大量殺害であると見なされないのはどうしてなのか。≫
それは、勝利者達が歴史を書くからだ。
それは大量殺害だった。
この二つの都市の人々の圧倒的多数は非戦闘員だった。
この爆弾投下は、戦争を終わらせるために必要なものではなかった。
日本人は降伏する用意があったし、ハリー・トルーマン大統領はそのことを知っていた。・・・
多かれ少なかれ他の国でも同じだが、米国の人々は、彼等の同国人達が他の人々に対して犯した違反や犯罪を直視することを欲しない。(注3)
(注3)まさに、母国の米国による日本への原爆投下の意味を正視したことこそ、ゴールドヘーゲンが新たな知の地平を切り開く契機になったことを示すくだりだ。(太田)
除去主義的攻撃を行った人々を抱える、ほとんどすべての国にそれが起こったことを否定する運動が存在する。
ご承知のように、「我々はやらなかった」あるいは「我々はそれをやらざるをえなかった」という具合に・・。
ジェノサイドについて衝撃的なことの一つは、殺害を実行している人々が、大きな人間諸集団を人間以下あるいは危険な存在であると見ていることだ。
彼等は、これらの人々を非人間化するか悪魔視する言い回しを使う。・・・
ホロコーストは、様々なジェノサイドの中で特異な明確な諸特徴を持っている。
だからといって、それが、当然より悪であり、より道徳的に身の毛がよだつ、ということにはならない<が・・>。・・・
<それは、>国家が多数の支持者とともに、自分達の国の中だけではなく、仮に彼等が戦争に勝利しておれば、欧州全域において、次いで、例外なく全世界において、他の集団の構成員達・・すべての男性、女性、そして子供・・を絶滅させようとした、唯一のケースなのだ。
また、それには特徴的な第二の特性がある。
それは、このジェノサイド事業が、実際には、異なった諸国、そして異なった諸政府、すなわち、国際的なジェノサイドに向けた連合によって遂行されたことだ。
≪あなたが 'Hitler's Willing Executioners' を1996年に出版した時、あなたは世界的に有名になったけれど、同時に強く批判もされたのでしたね。≫
・・・いかに普通のドイツ人達が嬉々として大量殺戮を遂行したかを知った多くのドイツ人達は衝撃を受けたわけだ。<しかし、>今ではこの事実はドイツで幅広く受け入れられていると思う。・・・
≪<しかし、>「ドイツ人達は」と言うのと「多くのドイツ人達は」というのとでは違いがありますよ。≫
・・・英語では、不特定複数である「ドイツ人達」が、集合達としてのドイツ人ではなく、多くのドイツ人たる人々について語っていることははっきりしている。
私は人生と世界に対する姿勢を学んだ。
それは、我々は常に真実を語る必要があるということだ。
それが個人的に、あるいは政治的に都合がいいからといって、世界についてどう言うかを変えてはならないのだ。・・・
≪でも、第二次世界大戦が始まった時点では、ホロコーストに向けての具体的計画はなかったんですよね。≫
だから、我々は、ジェノサイドの代わりに除去主義について語り始めなければならないのだ。
ユダヤ人の除去は、一貫して彼等の政策だった。
それはドイツで、1933年に、ユダヤ人をドイツ社会から排除する、異なった種類の諸法と諸措置<がつくられた時>から始まった。
その時点では、彼等はできるだけたくさんのユダヤ人をドイツの外に出そうと試みていた。
しかし、彼等が他の諸国を征服し始めると、彼等はゲットーに囲い込むといった他の除去主義的諸措置・・より「最終的な」解決方法が開始できるようになるまでの暫定的諸措置・・をただちにとるようになった。
だから、ユダヤ人に対する除去主義的攻撃をあの戦争の帰結だと言うのは、要するに事実に即していないのだ。
この除去主義的傾向、それと異なった時に用いられた多種の<そのための>諸手段、が常に存在していたところ、ソ連に対する攻撃と時を同じくして、1941年に<ユダヤ人を対象とする>全面的絶滅プログラムが始まるのだ。
≪あなたの同僚のクリストファー・ブラウニング(Christopher Browning)は、ナチが遂行した殺害の多くは、周りからの圧力(peer pressure)で説明できると指摘していますが・・。・・・≫
違う。彼は間違っている。
殺人者達が命じられたことよりはるかに多くのことを時としてやったことについて、<私は>山ほど証拠を出せる。
時には、人々は監督されてすらいないのに、殺害を行ったものだ。
子供達を殺戮した誰かさんが、それが良いことなのか悪いことなのか分かっていなかった、などということがありうるだろうか。
私にはその答えは否であるように見える。
そう考えざるをえないのだ。
大量殺害に次ぐ大量殺害が行われた際に、彼等がいかに子供達をひどい暴虐さで扱ったかを見る時、その下手人達が、現実にそれが正しいことだと信じていたことはどんどん明確になってくるのだ。
彼等を動かしたのは周りからの圧力ではなく、イデオロギーなのだ。
≪あなたは、50万人のドイツ人が大量殺害に参加し、ほとんど全ドイツ人が何が行われているかを知っていたと記しているが、そのどちらも真実ではありませんよ。≫
何だって?
もしあなたが、<ナチスの>体制が何を組織的に行っていたか・・そのすべてが今日のドイツ人なら犯罪と考えるであろうところの、ユダヤ人の絶滅、何百万人もの奴隷労働者達の使用、ロシア人・ポーランド人・ジプシー(Roma and Sinti)(注4)の殺戮、
(注4)ルーマニアのジプシーで、(メニューヒンが自分が聴いた世界最高のバイオリニストと賛辞を送った)、グリゴラス・ディニコ(Grigoraş Dinicu (1889〜1949年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Grigora%C5%9F_Dinicu (典型的なジプシーの顔つき)
による、自身が作曲したホラ・スタッカート(Hora Staccato)の名演奏をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=EHR1eZ23qCw&feature=related
セファラディンないしアシュケナージ・ユダヤ人同様、ジプシーもまた、欧州に多大な貢献をしている、欧州の一員なのだ。(太田)
及び、いわゆる安楽死プログラム・・を見れば、ナチの時代のドイツ人がその体制の巨大な犯罪性について知っていたことは明白だ。・・・
現在の状況は、何か根本的に間違っている部分がある。
欧米の誰もが大量殺戮に反対している。
<しかし、>世界では、比較的弱体で貧しく資源の余りない諸国で<その後も>大量殺戮が起こっている。
それがずっと繰り返されているのを、座視していて良いわけがない。
強力で豊かな諸国に、除去主義的攻撃に終止符を打ちたい決意が本当にあるのなら、それができないはずがない。・・・
<除去主義的攻撃を行う>下手人達は、それを戦争であると考えている。
・・・仮に彼等が戦争を行っているのだとすれば、戦争法が適用になる。
だから、我々はそれができる諸国に対し、彼等を殺すように促すべきなのだ。・・・」
http://www.spiegel.de/international/germany/0,1518,653938,00.html
(筆者のインタビュー)
3 終わりに
最後のシュピーゲル誌の編集部の聞き手は、ゴールドヘーゲンに対し、一般読者が聞きたいことを聞く、という埒を超えて、敵意をもって詰問している、という趣がありますね。
その気持ち、分からないでもありません。
「ナチスは完全に合法的に独裁的権力を掌握したわけではないけれど、当時のドイツ人の大部分は、少なくともナチスに消極的支持は与えていたのであり、そのナチスが行ったホロコースト等の蛮行については、その下手人は一握りであり、大部分のドイツ人はそんなことが行われていたことを知らなかったとはいえ、当時のドイツ人全体が責任を負わなければならない、だから戦後ドイツは、ユダヤ人等に対して謝罪と賠償を行ってきた」、という一見殊勝なようで、実はそれがウソで塗り固めた「事実」に立脚した神話であることを、ゴールドヘーゲンが一度ならず、二度にわたり、しかも二度目には完膚無きまでに立証したからです。
しかし、他方で、ドイツ人はゴールドヘーゲンに感謝すべきでしょう。
それは、ドイツ人を追い詰めるためにゴールドヘーゲンが創り出した「除去主義」という概念は、スターリン時代のソ連人=ヒットラー時代のドイツ人=原爆投下を行った当時の米国人=毛沢東時代の支那人=ピノチェト時代のチリ人=ルワンダ紛争(1994年)(注5)当時のフツ系=ダルフール紛争当時のエチオピア人=ボスニア/コソボ紛争当時のセルビア人=(アルカーイダ等の)イスラム聖戦主義の担い手・・、である、という結論を引き出すことによって、ヒットラー時代のドイツ人の悪さが、拡散して希釈された、とも言えるからです。
(注5)ドイツに代わってベルギーが1916年にルワンダの新たな宗主国となると、ベルギーは、少数派のツチ系の優越的地位を踏まえ、多数派のフツ系に対する差別的植民地統治を行った。
また、現在、ルワンダ人の過半は(ツチ系を中心に)カトリック教徒だが、カトリック教会がベルギーによるかかる差別的植民地統治に協力したこと、またルワンダ紛争当時に拱手傍観したことが批判されている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/1288230.stm
http://en.wikipedia.org/wiki/Rwanda
http://en.wikipedia.org/wiki/Rwandan_Genocide (太田)
ゴールドヘーゲンは、日本軍が引き起こした南京事件等を、必ずしも除去主義的行動であるとは見ていないようです。
同様、英国による先の大戦時のドイツ都市への絨毯爆撃等についても、必ずしも除去主義的行動であるとは見ていないようです。
ゴールドヘーゲンがあげているような、顕著な除去主義的行動を実行した集団に共通するものは、一体何なのでしょうか。
これらの集団は、欧州文明に属す集団、あるいは欧州文明を継受したかその強い影響を受けている集団である・・ことから、それは欧州文明的要素である、と私は考える次第です。
(完)
<除去主義(その2)>(2009.11.23公開)
今度は、ゴールドヘーゲンへのインタビューからです。
「・・・政治体制の本性、その指導者達自身の本性が、<除去主義への>潜在的能力が現実のジェノサイドへと転化するかどうかにとって絶対的臨界要件なのだ。・・・
独裁制においては、独裁者達が、人々の権利を尊重しないことから、常にあらゆる形で下からの脅威に晒されているため、彼等が感知する諸問題に対して政治的指導部がある種の除去主義的解決法をとるという、はるかに大きな危険性がある。・・・
・・・大量殺害の実行犯達は、20世紀の初めから、在来的な軍事諸作戦の帰結として死んだ人々よりももっと多くの人々・・1億人を超える・・を殺してきた。・・・
大量殺害は、現代世界におけるシステム的問題なのだ。・・・
・・・除去主義・・・<とは、>抑圧、強制的変態(transformation)、放逐(expulsion)、断種等による子孫をつくることの妨害、そして絶滅(extermination)<だ。>・・・
≪聞き手:あなたの本は、広島と長崎への原爆投下から始まる。普通この二つの出来事が大量殺害であると見なされないのはどうしてなのか。≫
それは、勝利者達が歴史を書くからだ。
それは大量殺害だった。
この二つの都市の人々の圧倒的多数は非戦闘員だった。
この爆弾投下は、戦争を終わらせるために必要なものではなかった。
日本人は降伏する用意があったし、ハリー・トルーマン大統領はそのことを知っていた。・・・
多かれ少なかれ他の国でも同じだが、米国の人々は、彼等の同国人達が他の人々に対して犯した違反や犯罪を直視することを欲しない。(注3)
(注3)まさに、母国の米国による日本への原爆投下の意味を正視したことこそ、ゴールドヘーゲンが新たな知の地平を切り開く契機になったことを示すくだりだ。(太田)
除去主義的攻撃を行った人々を抱える、ほとんどすべての国にそれが起こったことを否定する運動が存在する。
ご承知のように、「我々はやらなかった」あるいは「我々はそれをやらざるをえなかった」という具合に・・。
ジェノサイドについて衝撃的なことの一つは、殺害を実行している人々が、大きな人間諸集団を人間以下あるいは危険な存在であると見ていることだ。
彼等は、これらの人々を非人間化するか悪魔視する言い回しを使う。・・・
ホロコーストは、様々なジェノサイドの中で特異な明確な諸特徴を持っている。
だからといって、それが、当然より悪であり、より道徳的に身の毛がよだつ、ということにはならない<が・・>。・・・
<それは、>国家が多数の支持者とともに、自分達の国の中だけではなく、仮に彼等が戦争に勝利しておれば、欧州全域において、次いで、例外なく全世界において、他の集団の構成員達・・すべての男性、女性、そして子供・・を絶滅させようとした、唯一のケースなのだ。
また、それには特徴的な第二の特性がある。
それは、このジェノサイド事業が、実際には、異なった諸国、そして異なった諸政府、すなわち、国際的なジェノサイドに向けた連合によって遂行されたことだ。
≪あなたが 'Hitler's Willing Executioners' を1996年に出版した時、あなたは世界的に有名になったけれど、同時に強く批判もされたのでしたね。≫
・・・いかに普通のドイツ人達が嬉々として大量殺戮を遂行したかを知った多くのドイツ人達は衝撃を受けたわけだ。<しかし、>今ではこの事実はドイツで幅広く受け入れられていると思う。・・・
≪<しかし、>「ドイツ人達は」と言うのと「多くのドイツ人達は」というのとでは違いがありますよ。≫
・・・英語では、不特定複数である「ドイツ人達」が、集合達としてのドイツ人ではなく、多くのドイツ人たる人々について語っていることははっきりしている。
私は人生と世界に対する姿勢を学んだ。
それは、我々は常に真実を語る必要があるということだ。
それが個人的に、あるいは政治的に都合がいいからといって、世界についてどう言うかを変えてはならないのだ。・・・
≪でも、第二次世界大戦が始まった時点では、ホロコーストに向けての具体的計画はなかったんですよね。≫
だから、我々は、ジェノサイドの代わりに除去主義について語り始めなければならないのだ。
ユダヤ人の除去は、一貫して彼等の政策だった。
それはドイツで、1933年に、ユダヤ人をドイツ社会から排除する、異なった種類の諸法と諸措置<がつくられた時>から始まった。
その時点では、彼等はできるだけたくさんのユダヤ人をドイツの外に出そうと試みていた。
しかし、彼等が他の諸国を征服し始めると、彼等はゲットーに囲い込むといった他の除去主義的諸措置・・より「最終的な」解決方法が開始できるようになるまでの暫定的諸措置・・をただちにとるようになった。
だから、ユダヤ人に対する除去主義的攻撃をあの戦争の帰結だと言うのは、要するに事実に即していないのだ。
この除去主義的傾向、それと異なった時に用いられた多種の<そのための>諸手段、が常に存在していたところ、ソ連に対する攻撃と時を同じくして、1941年に<ユダヤ人を対象とする>全面的絶滅プログラムが始まるのだ。
≪あなたの同僚のクリストファー・ブラウニング(Christopher Browning)は、ナチが遂行した殺害の多くは、周りからの圧力(peer pressure)で説明できると指摘していますが・・。・・・≫
違う。彼は間違っている。
殺人者達が命じられたことよりはるかに多くのことを時としてやったことについて、<私は>山ほど証拠を出せる。
時には、人々は監督されてすらいないのに、殺害を行ったものだ。
子供達を殺戮した誰かさんが、それが良いことなのか悪いことなのか分かっていなかった、などということがありうるだろうか。
私にはその答えは否であるように見える。
そう考えざるをえないのだ。
大量殺害に次ぐ大量殺害が行われた際に、彼等がいかに子供達をひどい暴虐さで扱ったかを見る時、その下手人達が、現実にそれが正しいことだと信じていたことはどんどん明確になってくるのだ。
彼等を動かしたのは周りからの圧力ではなく、イデオロギーなのだ。
≪あなたは、50万人のドイツ人が大量殺害に参加し、ほとんど全ドイツ人が何が行われているかを知っていたと記しているが、そのどちらも真実ではありませんよ。≫
何だって?
もしあなたが、<ナチスの>体制が何を組織的に行っていたか・・そのすべてが今日のドイツ人なら犯罪と考えるであろうところの、ユダヤ人の絶滅、何百万人もの奴隷労働者達の使用、ロシア人・ポーランド人・ジプシー(Roma and Sinti)(注4)の殺戮、
(注4)ルーマニアのジプシーで、(メニューヒンが自分が聴いた世界最高のバイオリニストと賛辞を送った)、グリゴラス・ディニコ(Grigoraş Dinicu (1889〜1949年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Grigora%C5%9F_Dinicu (典型的なジプシーの顔つき)
による、自身が作曲したホラ・スタッカート(Hora Staccato)の名演奏をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=EHR1eZ23qCw&feature=related
セファラディンないしアシュケナージ・ユダヤ人同様、ジプシーもまた、欧州に多大な貢献をしている、欧州の一員なのだ。(太田)
及び、いわゆる安楽死プログラム・・を見れば、ナチの時代のドイツ人がその体制の巨大な犯罪性について知っていたことは明白だ。・・・
現在の状況は、何か根本的に間違っている部分がある。
欧米の誰もが大量殺戮に反対している。
<しかし、>世界では、比較的弱体で貧しく資源の余りない諸国で<その後も>大量殺戮が起こっている。
それがずっと繰り返されているのを、座視していて良いわけがない。
強力で豊かな諸国に、除去主義的攻撃に終止符を打ちたい決意が本当にあるのなら、それができないはずがない。・・・
<除去主義的攻撃を行う>下手人達は、それを戦争であると考えている。
・・・仮に彼等が戦争を行っているのだとすれば、戦争法が適用になる。
だから、我々はそれができる諸国に対し、彼等を殺すように促すべきなのだ。・・・」
http://www.spiegel.de/international/germany/0,1518,653938,00.html
(筆者のインタビュー)
3 終わりに
最後のシュピーゲル誌の編集部の聞き手は、ゴールドヘーゲンに対し、一般読者が聞きたいことを聞く、という埒を超えて、敵意をもって詰問している、という趣がありますね。
その気持ち、分からないでもありません。
「ナチスは完全に合法的に独裁的権力を掌握したわけではないけれど、当時のドイツ人の大部分は、少なくともナチスに消極的支持は与えていたのであり、そのナチスが行ったホロコースト等の蛮行については、その下手人は一握りであり、大部分のドイツ人はそんなことが行われていたことを知らなかったとはいえ、当時のドイツ人全体が責任を負わなければならない、だから戦後ドイツは、ユダヤ人等に対して謝罪と賠償を行ってきた」、という一見殊勝なようで、実はそれがウソで塗り固めた「事実」に立脚した神話であることを、ゴールドヘーゲンが一度ならず、二度にわたり、しかも二度目には完膚無きまでに立証したからです。
しかし、他方で、ドイツ人はゴールドヘーゲンに感謝すべきでしょう。
それは、ドイツ人を追い詰めるためにゴールドヘーゲンが創り出した「除去主義」という概念は、スターリン時代のソ連人=ヒットラー時代のドイツ人=原爆投下を行った当時の米国人=毛沢東時代の支那人=ピノチェト時代のチリ人=ルワンダ紛争(1994年)(注5)当時のフツ系=ダルフール紛争当時のエチオピア人=ボスニア/コソボ紛争当時のセルビア人=(アルカーイダ等の)イスラム聖戦主義の担い手・・、である、という結論を引き出すことによって、ヒットラー時代のドイツ人の悪さが、拡散して希釈された、とも言えるからです。
(注5)ドイツに代わってベルギーが1916年にルワンダの新たな宗主国となると、ベルギーは、少数派のツチ系の優越的地位を踏まえ、多数派のフツ系に対する差別的植民地統治を行った。
また、現在、ルワンダ人の過半は(ツチ系を中心に)カトリック教徒だが、カトリック教会がベルギーによるかかる差別的植民地統治に協力したこと、またルワンダ紛争当時に拱手傍観したことが批判されている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/1288230.stm
http://en.wikipedia.org/wiki/Rwanda
http://en.wikipedia.org/wiki/Rwandan_Genocide (太田)
ゴールドヘーゲンは、日本軍が引き起こした南京事件等を、必ずしも除去主義的行動であるとは見ていないようです。
同様、英国による先の大戦時のドイツ都市への絨毯爆撃等についても、必ずしも除去主義的行動であるとは見ていないようです。
ゴールドヘーゲンがあげているような、顕著な除去主義的行動を実行した集団に共通するものは、一体何なのでしょうか。
これらの集団は、欧州文明に属す集団、あるいは欧州文明を継受したかその強い影響を受けている集団である・・ことから、それは欧州文明的要素である、と私は考える次第です。
(完)
太田述正ブログは移転しました 。
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