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太田述正コラム#3599(2009.10.22)
<除去主義(その1)>(2009.11.22公開)
1 始めに
上梓されたばかりのダニエル・ジョナ・ゴールドヘーゲン(Daniel Jonah Goldhagen)の 'WORSE THAN WAR Genocide, Eliminationism, and the Ongoing Assault on Humanity' で打ち出されている考え方は、私自身全く同感であり、極めて注目されます。
まだあまり書評類が出ていないのですが、さっそくこの本を紹介しようと思い立ちました。
ゴールドヘーゲン(1959年〜)は、学部の学生時代から通算して20年間を過ごしたハーバード大学を、政治学の准教授の時の2003年に去って、現在著述に専念しています。
彼の父親もハーバード大学の教授でしたが、この父親は、ルーマニア出身で、ユダヤ人として強制収容所入りをした人物であり、ゴールドヘーゲンは、その強い知的影響を受けて育ちました。
1996年にゴールドヘーゲンが上梓した、'the Holocaust, Hitler's Willing Executioners' で、彼は、ホロコーストについて、当時の一般のドイツ人はそれを知っていただけでなく、支持していた、と記して大きな話題を呼びました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Goldhagen
2 除去主義について
「・・・ゴールドヘーゲンは、最悪の残虐行為でさえ、それは指導者達だけでなく服従者達(followers)の一連の極めて意識的な計算によって始まり、次いで推進されるものであると唱える。・・・
「貧困と不平等、人口増加、そして「若者の膨れあがり」、民族的(ethnic)ナショナリズム、そして気候変動」が主たる「致死的暴力の推進者(drivers)」であるという。・・・
ゴールドヘーゲンが議論するところの、ジェノサイド的除去主義(eliminationism)は、最近の諸世代においては戦争それ自体よりも多くの人々を殺した。・・・
・・・独裁制は、その本性からして「プロト除去主義的」なのであり、その大量暴力を惹き起こす潜在的能力はほとんど際限がない。
彼は、「政治的イスラム」、すなわちイスラム聖戦主義(Jihadism)は、「ナチズム以来の、最も首尾一貫した致死的な大量殺害的イデオロギーである」、とも指摘する。・・・
諸国家は、国益の論理を放棄しなければならないだけでなく、除去主義を終焉に至らしめるという目標を中心に、全球的構造(architecture)を再形成しなければならない<と彼は説く>。
彼は、国連に侮蔑の念を投げかける。
というのは、国連の創設諸原理は主権の尊重と内政不干渉であるところ、それら<の原理>は、自分自身の人々を殺戮する傾向がある、スーダン等の指導者達を守る盾として用いられてきたからだ。・・・
2005年に国連総会は保護する責任(responsibility to protect)<(コラム#140、2541、2565)>として知られる原理を採択した。
それは、諸国家は、自分達の人々を大量残虐行為から守る義務があり、国際コミュニティーは、諸国家が行動しない時は介入しなければならないと定めたのだ。
<しかし、>これまでのところ、国連はこれらの結構な諸原理を行動に移すことを事実上何もやってこなかった。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/10/18/books/review/Traub-t.html?ref=world&pagewanted=print
(10月19日アクセス。以下同じ)
「<上掲のNYタイムスの書評を書いた>トローブ(<James >Traub)は、ゴールドヘーゲンの主要テーマは、我々が、(アフリカ、東欧、支那、ロシア、ラテンアメリカ、ボスニア、コソボ、ダルフール、あるいは広島と長崎のどこであろうと(注1)、これらの)政治的大量殺害が、戦争、貧困、あるいは民族紛争の帰結である、という誤った思い込みを是正することである、と受け止める。
(注1)米国人たるゴールドヘーゲンが、「東欧」、すなわちホロコーストや「支那、ロシア」すなわちスターリン主義がもたらした大量死と、とりわけ「広島と長崎」、すなわち原爆の投下、を一括りにしたことに、心から敬意を表したい。彼の除去主義という新概念は、まさにこれらを一括りにするために創り出された新概念であるとも言えそうだ。(太田)
実際、(ゴールドヘーゲンの指摘によれば、)人々群集団を殺害する政治的衝動は、経済的利得への衝動ないしは民族的競争相手達と戦闘する衝動よりも、それ自体がより強い力を持っているのだ。・・・
ゴールドヘーゲンの米国における知的反対者達は、歴史的諸ジェノサイドが意図せざる恐ろしい出来事であったかのように説明しようと奮闘するハンナ・アーレント(Hannah Arendt<。1906〜1975年。ユダヤ系ドイツ人で米国の政治哲学者>)・・『エルサレムのアイヒマン--悪の陳腐さについての報告』の著者・・のような著述家達だ。
アーレント同様、私自身も、一般的に戦争がジェノサイドの最大の原因(enabler)であると信じてきた。
ゴールドヘーゲンは、これを逆転させ、現実には、諸国が時に大きな人々群集団を殺害するという、公言された目的のために戦争を行うことがある、ということを証明する。
この二つには、微妙だが重要な違いがある。・・・(注2)」
http://www.litkicks.com/NYTBR20091018/
(注2)同じユダヤ系とは言っても、戦前に米国に自ら亡命したアーレントは、米国を批判する視点を潜在意識下において封殺せざるをえなかったということだろう。他方、ゴールドヘーゲンは、2世であり、生まれつきの米国市民だ。また、時代も違う。ゴールドヘーゲンは、オバマとほぼ同世代であり、同世代の覚醒したインテリの一人として、(恐らくオバマ同様、)広島・長崎への原爆投下の背後にある、先の大戦当時の米国の有色人種差別意識を痛切に自覚している、ということだろう。(太田)
(続く)
<除去主義(その1)>(2009.11.22公開)
1 始めに
上梓されたばかりのダニエル・ジョナ・ゴールドヘーゲン(Daniel Jonah Goldhagen)の 'WORSE THAN WAR Genocide, Eliminationism, and the Ongoing Assault on Humanity' で打ち出されている考え方は、私自身全く同感であり、極めて注目されます。
まだあまり書評類が出ていないのですが、さっそくこの本を紹介しようと思い立ちました。
ゴールドヘーゲン(1959年〜)は、学部の学生時代から通算して20年間を過ごしたハーバード大学を、政治学の准教授の時の2003年に去って、現在著述に専念しています。
彼の父親もハーバード大学の教授でしたが、この父親は、ルーマニア出身で、ユダヤ人として強制収容所入りをした人物であり、ゴールドヘーゲンは、その強い知的影響を受けて育ちました。
1996年にゴールドヘーゲンが上梓した、'the Holocaust, Hitler's Willing Executioners' で、彼は、ホロコーストについて、当時の一般のドイツ人はそれを知っていただけでなく、支持していた、と記して大きな話題を呼びました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Goldhagen
2 除去主義について
「・・・ゴールドヘーゲンは、最悪の残虐行為でさえ、それは指導者達だけでなく服従者達(followers)の一連の極めて意識的な計算によって始まり、次いで推進されるものであると唱える。・・・
「貧困と不平等、人口増加、そして「若者の膨れあがり」、民族的(ethnic)ナショナリズム、そして気候変動」が主たる「致死的暴力の推進者(drivers)」であるという。・・・
ゴールドヘーゲンが議論するところの、ジェノサイド的除去主義(eliminationism)は、最近の諸世代においては戦争それ自体よりも多くの人々を殺した。・・・
・・・独裁制は、その本性からして「プロト除去主義的」なのであり、その大量暴力を惹き起こす潜在的能力はほとんど際限がない。
彼は、「政治的イスラム」、すなわちイスラム聖戦主義(Jihadism)は、「ナチズム以来の、最も首尾一貫した致死的な大量殺害的イデオロギーである」、とも指摘する。・・・
諸国家は、国益の論理を放棄しなければならないだけでなく、除去主義を終焉に至らしめるという目標を中心に、全球的構造(architecture)を再形成しなければならない<と彼は説く>。
彼は、国連に侮蔑の念を投げかける。
というのは、国連の創設諸原理は主権の尊重と内政不干渉であるところ、それら<の原理>は、自分自身の人々を殺戮する傾向がある、スーダン等の指導者達を守る盾として用いられてきたからだ。・・・
2005年に国連総会は保護する責任(responsibility to protect)<(コラム#140、2541、2565)>として知られる原理を採択した。
それは、諸国家は、自分達の人々を大量残虐行為から守る義務があり、国際コミュニティーは、諸国家が行動しない時は介入しなければならないと定めたのだ。
<しかし、>これまでのところ、国連はこれらの結構な諸原理を行動に移すことを事実上何もやってこなかった。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/10/18/books/review/Traub-t.html?ref=world&pagewanted=print
(10月19日アクセス。以下同じ)
「<上掲のNYタイムスの書評を書いた>トローブ(<James >Traub)は、ゴールドヘーゲンの主要テーマは、我々が、(アフリカ、東欧、支那、ロシア、ラテンアメリカ、ボスニア、コソボ、ダルフール、あるいは広島と長崎のどこであろうと(注1)、これらの)政治的大量殺害が、戦争、貧困、あるいは民族紛争の帰結である、という誤った思い込みを是正することである、と受け止める。
(注1)米国人たるゴールドヘーゲンが、「東欧」、すなわちホロコーストや「支那、ロシア」すなわちスターリン主義がもたらした大量死と、とりわけ「広島と長崎」、すなわち原爆の投下、を一括りにしたことに、心から敬意を表したい。彼の除去主義という新概念は、まさにこれらを一括りにするために創り出された新概念であるとも言えそうだ。(太田)
実際、(ゴールドヘーゲンの指摘によれば、)人々群集団を殺害する政治的衝動は、経済的利得への衝動ないしは民族的競争相手達と戦闘する衝動よりも、それ自体がより強い力を持っているのだ。・・・
ゴールドヘーゲンの米国における知的反対者達は、歴史的諸ジェノサイドが意図せざる恐ろしい出来事であったかのように説明しようと奮闘するハンナ・アーレント(Hannah Arendt<。1906〜1975年。ユダヤ系ドイツ人で米国の政治哲学者>)・・『エルサレムのアイヒマン--悪の陳腐さについての報告』の著者・・のような著述家達だ。
アーレント同様、私自身も、一般的に戦争がジェノサイドの最大の原因(enabler)であると信じてきた。
ゴールドヘーゲンは、これを逆転させ、現実には、諸国が時に大きな人々群集団を殺害するという、公言された目的のために戦争を行うことがある、ということを証明する。
この二つには、微妙だが重要な違いがある。・・・(注2)」
http://www.litkicks.com/NYTBR20091018/
(注2)同じユダヤ系とは言っても、戦前に米国に自ら亡命したアーレントは、米国を批判する視点を潜在意識下において封殺せざるをえなかったということだろう。他方、ゴールドヘーゲンは、2世であり、生まれつきの米国市民だ。また、時代も違う。ゴールドヘーゲンは、オバマとほぼ同世代であり、同世代の覚醒したインテリの一人として、(恐らくオバマ同様、)広島・長崎への原爆投下の背後にある、先の大戦当時の米国の有色人種差別意識を痛切に自覚している、ということだろう。(太田)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/