太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#3597(2009.10.21)
<ウェードの本をめぐって(その6)>(2009.11.21公開)

3 人間の家畜化補論

 「・・・私は古代神話を研究しているのだが、<ウェードによる>人間の自己家畜化は、15000年前に始まった定住(sedentary)生活の必須条件であるという議論は、最も古い叙事詩である、5000年前にできた、もともとはシュメールのギルガメシュ叙事詩(Epic of Gilgamesh)
http://en.wikipedia.org/wiki/Epic_of_Gilgamesh (太田)
・・文明化され、都市に住む小さな人物が、野性的で毛深いエンキドゥ(Enkidu)から多くを学びつつも、最終的に彼を打ち負かす・・を思い起こさせる。
 ギルガメシュは、彼が選ぶいかなる都市の女性達とも・・・寝る。
 エンキドゥは単一の女性と野原の中でまぐわう・・・。
 恐らく「ギルガメシュ叙事詩」は、ウェードが書いている、人間の長期にわたる自己家畜化の記憶を結晶化させたものなのだろうが、この変化を単に思い出しているというよりは、これやこれと同類の諸神話が自己家畜化に貢献した可能性に同時に興味を覚える。
 もし、このような文学作品が、至高の真実として称えられつつ繰り返し語られ、若者に教え込まれ、それが何世紀にもわたって繰り返されたならば、要するに、もし、それが聖なる教典となったならば、それは社会的圧力を、そして更にふるまいの変化を、そして最終的には十分に長い期間を経れば、遺伝的な変化をさえ、生み出さなかっただろうか。
 そして、華奢化はさておき、後の西アジアの教典類・・ユダヤ教徒とキリスト教の聖書にコーラン・・は、人間の家畜化、すなわち、時間が経つにつれて人類がおとなしく優しくなってきた、のプロセスの記録として読まれるべきではないのか。・・・」
http://www.latimes.com/entertainment/news/arts/la-ca-karen-armstrong11-2009oct11,0,2218013,print.story
(上掲)

4 終わりに

 (1)戦争の頻度・規模と儒教

 英語ウィキペディアの戦争の周期(War cycles)の項
http://en.wikipedia.org/wiki/War_cycles
(10月14日アクセス)は、読み応えがあります。
 ここに転載されている、欧州と支那の戦争の頻度と規模の推移の比較表(Krus, D.J., Nelsen, E.A. & Webb, J.M. (1998) "Recurrence of war in classical East and West civilizations". Psychological Reports より)を見ると、前者に比べて後者の頻度が少なく規模も小さいことが分かります。
 その上で、本項には、? Richardson, L.F. (1960) "Statistics of deadly quarrels". Pacific Grove, CA: Boxwood Press. に拠って、以下のように記されています。

 「・・・ルイス・フライ・リチャードソン(Lewis Fry Richardson)・・・は次のような結論を導き出した。
 「支那の儒教・道教・仏教という宗教は、それ自体が平和化作用があるか、さもなくば平和と関連があるということが明白であって、1911年までの支那が<欧州と比較して>平和であったことは、教え、とりわけ儒教の教えの結果である蓋然性が高いように見える。」・・・
 <ちなみに、>220年から618年の間<は支那でも比較的に戦争の頻度が高く規模が大きいが、>これは・・・儒教の教えが放棄された時期だ。・・・
 欧米の文明の平和倫理は、一定の度合い、一神教の諸宗教の倫理的教えを基盤としている。
 これらの宗教の様々な規範は、個々人による暴力を防止するには極めて効果的だが、集団的暴力を防止することには余り成功したとは言えない。・・・」

 さて、後漢が滅亡した220年から唐が建国した618年までを一つの時代として劃する考え方は珍しいのであって、最近では一般に、184年の後漢末期の黄巾の乱から、589年に隋が中国を再び統一するまでを魏晋南北朝時代と称するようです。(なお、長江中下流域(江南)における、三国時代の呉と東晋から宋・斉・梁・陳までの六朝時代がほぼこの時期と対応しています。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%99%8B%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%99%82%E4%BB%A3

 いずれにせよ、以下の記述からもうかがえるように、

 「・・・494年6代孝文帝のとき、洛陽に都が移され、儒教による漢化政策が推し進められ、胡族と漢族の別を超えた普遍国家がめざされた。・・・
 儒教では漢代の経学を集大成した鄭玄(じょうげん)に対抗し、王粛(おうしゅく)は自らの体系を打ち立てた。以後、この二つの流派が経学の世界を二分した。
 南北朝後半には仏教の義疏(ぎしょ)の学に触発され、経学を詳細に解釈していく義疏(ぎそ)の学が発展した。それはやがて唐初の『五経正義』によって集大成されることとなる。」
http://kyotoinfo.jp/china08.html

この頃、「儒教の教えが放棄され<てい>た」とは言えませんし、リチャードソンによれば、儒教と同様に平和化作用があるはずである、道教と仏教についても、

 「・・・439年3代太武帝のとき華北は統一され、ここに北朝が始まった。太武帝は道教教団の寇謙之の新天師道を国教化し、従来の胡族君主としての立場を超えた中華皇帝になることをめざした。・・・
 北朝仏教は五胡十六国代を継承し大きく発展した。とくに北魏の太祖道武帝代は最も隆盛であった。しかし一方で、北魏の太武帝、北周の武帝のときには廃仏があり弾圧を受けた。ただ全体的には敦煌、雲岡、竜門の三大石窟に見られるように、国家の保護下で発展した。・・・南朝仏教もまた東晋代を継承し発展した。とくに多くの外国僧が渡来し、翻訳された漢訳仏典に対して本格的な研究が加えられた。梁の武帝代は最も隆盛<であった。>」(同上)

というのですからむしろ隆盛期であったわけです。
 従って、この時期に支那の「戦争の頻度が高く規模が大き」かったことについてのリチャードソンの説明は、説明になっていません。

 それはともかく、「儒教<も一応宗教であるとして、その儒教と>・道教・仏教という<、いずれも非一神教的な>宗教は、それ自体が平和化作用があるか、さもなくば平和と関連がある」というリチャードソンの直感は正しいのではないでしょうか。

 キリスト教は、7世紀の唐にネストリウス派が、そして13世紀の元にカトリックが布教されましたが、その都度さほどの弾圧があったわけでもないのに自然消滅しており、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99
支那においては、キリスト教は、16世紀にカトリックが布教された当時の日本よりもはるかに肌に合わなかったようです。
 イスラム教についても、唐末の9世紀までに数万人の外国人たるイスラム教徒が広東や泉州に住むに至っていた
http://www.travel-silkroad.com/Japanese/silkroad/yslj.htm
ところ、これが漢人にも普及したという話は聞こえてきません。

 すなわち、(戦国時代の日本や、キリスト教の流れを汲む共産主義で一旦洗脳された現在の漢人や、日本による植民地支配によってアノミー状態に陥った朝鮮人らはともかくとして、)黄色人種は、基本的に一神教を受け付けない、と言ってよいのではないでしょうか。
 
 そして、更に踏み込んで申し上げれば、もともと黄色人種は、家畜化が進んでいて、集団的な相互殺戮を行うことが白色人種(セム・ハム人種を含む)に比べて少なかったので、集団的な相互殺戮を行うことへの誘因となりがちであるところの、一神教は受け付けなかった、ということではなかったのでしょうか。
 (毛沢東時代の支那における、度重なる積極的・消極的な集団的相互殺戮は共産主義に洗脳されたことに伴う病理現象である、ということになります。)

 (2)触発的なウェードの本

 ウェードのこの本は、色々な意味で触発的(thought provoking)です。

 仏教はどうして西漸せずに東漸したのか、
 どうして、漢人は、圧倒的に人口や富おいて上回っていたにもかかわらず、しかも、漢人というのは、定着民と遊牧民の混淆であったというのに、(一神教を信奉していたわけでもない)遊牧民族ないし半遊牧民に何度も領土を切り取られたり征服されたりしてきたのか、漢人王朝においておおむね一貫して文官の優位が維持されてきたのはなぜか、どうして漢人が積極的に領土を拡大して大帝国を築くことがなかったのか、どうして明の時代の大航海が交易だけに終わり植民地の獲得に結びつかなかったのか、どうして清末に支那が軍事力を十分強化できず欧米列強の半植民地となってしまったのか、
 日本人ないし日本文明はどうしてかくもユニークなのか、日本はどうして儒教の影響を余り受けなかったのか、
 等の疑問を解く鍵がウェードの本には散りばめられている、と思われませんでしたか。
 皆さんの感想をお待ちしています。

(完)

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/