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太田述正コラム#3569(2009.10.7)
<イギリス女性のフランス論(その3)>(2009.11.7公開)
(3)理論篇
「個人達からなるフランスという国で、<人々が、>個々人がみんな同じことをするよう固執するのはどうしてか。
どうしてフランス人は、10代のような関係を国家と持っているのか。彼等は、絶え間なく叛乱しつつ、その一方で国家に体を洗ってもらうことをいまだに期待している。
どうしてフランス人は、我々<イギリス人>よりも良いセックスをより高い頻度でやっているくせに、我々よりたくさん精神安定剤を飲み、(英国に比べて2倍以上にのぼる、)欧州中で最も高い自殺率の一つをたたき出しているのか。
ワダムは、<イギリスに比べて、>生活の質がより高く、出生率と平均寿命と読み書き能力がより高く、犯罪率はより低く、十代の妊娠率もより低い社会において、かくも多くの人々が自殺したいというのはどうしてか、と問うてもよい」と記す。・・・
彼女の結論は、初歩的な悲劇・・これ自体極めてフランス的な観念だが・・がフランス人の生活の核心部分にある、というものだ。
フランス人を惨めな思いにするものは同時に彼等をフランス人にしているものでもあるのだ。
フランス人は、快楽と美と高貴さ(nobility)によって突き動かされていることをワダムは示唆する。
フランス人は抽象化に関して恐るべき能力を持っている。
<また、>彼等は理念と機知(wit)が大好きだが、自らを嘲るユーモアは嫌いだ。
<彼等にとっては、>理念は常に現実よりも重要なのだ。
更に、<彼等にとっては、>美は真実よりも重要なのだ。
これらはフランス人の生の芸術(art de vivre)を創造する能力<を示すもの>なのだ。
<しかし、>その同じ能力が彼等の生の喜び(joie de vivre)を破壊してしまう。
フランス人が固執するほど生が完全なものとなることはありえない。しかし、<フランス人にしてみれば、>理論上、それは完全なものであるべきなのだ。・・・
<フランス国籍をとろうと訪れた>国籍係のデスクの女性の冷酷さ(bloody-mindedness)と怠惰さに悩まされた後、ワダムは、「あなたのふるまい、あなたの一種の粗野さによって、私はフランス人になる気持ちが失せてしまったわ」と言った。
すると、「よろしい。それじゃ書類をファンファーレ付きで持ち帰ったら」とその女性は答えた。・・・」(E)
「・・・ワダムは、ガリア人<(=フランス人)>とアングロサクソンの考え(minds)は決して合致しない運命なのである、と結論づける。
フランス人は、抽象、理論、そして大きな観念を好む。
他方、イギリス人は、具体的なもの、自己卑下的挿話、そして控えめさ(the understated)を好む。・・・
アングロサクソンの女性にかくも愛されている姉妹道(sisterhood)なる神話は、フランス人が大嫌いなもの(anathema)だ。
<フランスの女性にとっては、>愛が戦場であって、愛が個々の女性それぞれの努力にかかっていることは自明の理なのだ。
<イギリス人のフランスの女性についての>ステレオタイプにもかかわらず、フランスの女性は実はロマンチックではない。
アイルランド、英国、及び米国の少女達は、正義の紳士(Mr Right)の出現を待ちわびているのに対し、フランスの少女達は、今すぐやってくれる男(Mr He'll Do For Now)と飛び跳ねながらベッドに赴くのだ。・・・」(F)
(4)批判
「<ワダムの書いていることは>ナンセンスだ。
(私は7年住んだわけだが、)フランスに数年以上住んだ者なら誰でも最近のイギリスのフランスについての本がフランスを正しくとらえていないことを知っている。
パリやアヴィニョン(Avignon)のような旅行客向けの村々の外では、砂だらけの、荒れ果てた、貧乏で枯れたようなフランスが、錆び付いた車、面白くも何ともない巨大スーパー、不安げで労働過重で体重オーバーの人々が目に見えぬ経済の様々な力と抗っているフランスが広がっているのだ。・・・」(A)
3 終わりに
「パリの南西かピエ・ダ・テール(pied a terre)」の第一のフランス、(これまで説明を省いたが、)ワダムが住んできたパリの地域、及びアヴィニョンのような「真の「秘密の」フランス」たる第二のフランス(以上、コラム#2565)、それに更に、以上の「旅行客向け」以外の第三のフランスがある(上出)、ということのようですが、フランスに土地勘がほとんどない私には、具体的イメージが湧きません。
フランスに土地勘のある読者の方にぜひ教えていただきたいものです。
とはいえ、フランスの隣国のイギリス人のワダムですら、滞仏5年でようやくフランスが「修得」できたというのですから、日本人の場合、それ以上の年季をかけなければ「修得」、すなわち土地勘の獲得は覚束なさそうですが・・。
より根本的なことで、今一つ私がよく分からないのは、ワダム自身による問いかけともオーバーラップしているのですが、あれほど理念、美、抽象といったもの、すなわち形而上的なものが好きなフランス人が、どうしてその一方で、順応性が高い上、セックス等の即物的な快楽を追求するのか、すなわち、「現実的」であって、形而下的なものが好きなのか・・という点です。
精神のバランスをとるためだ、というのがとりあえずの私の仮説であり、そう考えれば、フランス人の自殺がイギリスに比べると多いことの説明もつくような気がします。
鷲田清一の『モードの迷宮』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480082442/
あたりを読むともう少しマシな説明ができるようになるのかもしれません。
ここも、フランスの現代哲学、思想に詳しい読者の方にご教示いただきたいところです。
いずれにせよ、フランス人が、少なくともイギリス人とは似てもにつかないような生き物であることだけは間違いないようです。
(完)
<イギリス女性のフランス論(その3)>(2009.11.7公開)
(3)理論篇
「個人達からなるフランスという国で、<人々が、>個々人がみんな同じことをするよう固執するのはどうしてか。
どうしてフランス人は、10代のような関係を国家と持っているのか。彼等は、絶え間なく叛乱しつつ、その一方で国家に体を洗ってもらうことをいまだに期待している。
どうしてフランス人は、我々<イギリス人>よりも良いセックスをより高い頻度でやっているくせに、我々よりたくさん精神安定剤を飲み、(英国に比べて2倍以上にのぼる、)欧州中で最も高い自殺率の一つをたたき出しているのか。
ワダムは、<イギリスに比べて、>生活の質がより高く、出生率と平均寿命と読み書き能力がより高く、犯罪率はより低く、十代の妊娠率もより低い社会において、かくも多くの人々が自殺したいというのはどうしてか、と問うてもよい」と記す。・・・
彼女の結論は、初歩的な悲劇・・これ自体極めてフランス的な観念だが・・がフランス人の生活の核心部分にある、というものだ。
フランス人を惨めな思いにするものは同時に彼等をフランス人にしているものでもあるのだ。
フランス人は、快楽と美と高貴さ(nobility)によって突き動かされていることをワダムは示唆する。
フランス人は抽象化に関して恐るべき能力を持っている。
<また、>彼等は理念と機知(wit)が大好きだが、自らを嘲るユーモアは嫌いだ。
<彼等にとっては、>理念は常に現実よりも重要なのだ。
更に、<彼等にとっては、>美は真実よりも重要なのだ。
これらはフランス人の生の芸術(art de vivre)を創造する能力<を示すもの>なのだ。
<しかし、>その同じ能力が彼等の生の喜び(joie de vivre)を破壊してしまう。
フランス人が固執するほど生が完全なものとなることはありえない。しかし、<フランス人にしてみれば、>理論上、それは完全なものであるべきなのだ。・・・
<フランス国籍をとろうと訪れた>国籍係のデスクの女性の冷酷さ(bloody-mindedness)と怠惰さに悩まされた後、ワダムは、「あなたのふるまい、あなたの一種の粗野さによって、私はフランス人になる気持ちが失せてしまったわ」と言った。
すると、「よろしい。それじゃ書類をファンファーレ付きで持ち帰ったら」とその女性は答えた。・・・」(E)
「・・・ワダムは、ガリア人<(=フランス人)>とアングロサクソンの考え(minds)は決して合致しない運命なのである、と結論づける。
フランス人は、抽象、理論、そして大きな観念を好む。
他方、イギリス人は、具体的なもの、自己卑下的挿話、そして控えめさ(the understated)を好む。・・・
アングロサクソンの女性にかくも愛されている姉妹道(sisterhood)なる神話は、フランス人が大嫌いなもの(anathema)だ。
<フランスの女性にとっては、>愛が戦場であって、愛が個々の女性それぞれの努力にかかっていることは自明の理なのだ。
<イギリス人のフランスの女性についての>ステレオタイプにもかかわらず、フランスの女性は実はロマンチックではない。
アイルランド、英国、及び米国の少女達は、正義の紳士(Mr Right)の出現を待ちわびているのに対し、フランスの少女達は、今すぐやってくれる男(Mr He'll Do For Now)と飛び跳ねながらベッドに赴くのだ。・・・」(F)
(4)批判
「<ワダムの書いていることは>ナンセンスだ。
(私は7年住んだわけだが、)フランスに数年以上住んだ者なら誰でも最近のイギリスのフランスについての本がフランスを正しくとらえていないことを知っている。
パリやアヴィニョン(Avignon)のような旅行客向けの村々の外では、砂だらけの、荒れ果てた、貧乏で枯れたようなフランスが、錆び付いた車、面白くも何ともない巨大スーパー、不安げで労働過重で体重オーバーの人々が目に見えぬ経済の様々な力と抗っているフランスが広がっているのだ。・・・」(A)
3 終わりに
「パリの南西かピエ・ダ・テール(pied a terre)」の第一のフランス、(これまで説明を省いたが、)ワダムが住んできたパリの地域、及びアヴィニョンのような「真の「秘密の」フランス」たる第二のフランス(以上、コラム#2565)、それに更に、以上の「旅行客向け」以外の第三のフランスがある(上出)、ということのようですが、フランスに土地勘がほとんどない私には、具体的イメージが湧きません。
フランスに土地勘のある読者の方にぜひ教えていただきたいものです。
とはいえ、フランスの隣国のイギリス人のワダムですら、滞仏5年でようやくフランスが「修得」できたというのですから、日本人の場合、それ以上の年季をかけなければ「修得」、すなわち土地勘の獲得は覚束なさそうですが・・。
より根本的なことで、今一つ私がよく分からないのは、ワダム自身による問いかけともオーバーラップしているのですが、あれほど理念、美、抽象といったもの、すなわち形而上的なものが好きなフランス人が、どうしてその一方で、順応性が高い上、セックス等の即物的な快楽を追求するのか、すなわち、「現実的」であって、形而下的なものが好きなのか・・という点です。
精神のバランスをとるためだ、というのがとりあえずの私の仮説であり、そう考えれば、フランス人の自殺がイギリスに比べると多いことの説明もつくような気がします。
鷲田清一の『モードの迷宮』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480082442/
あたりを読むともう少しマシな説明ができるようになるのかもしれません。
ここも、フランスの現代哲学、思想に詳しい読者の方にご教示いただきたいところです。
いずれにせよ、フランス人が、少なくともイギリス人とは似てもにつかないような生き物であることだけは間違いないようです。
(完)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/