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太田述正コラム#3389(2009.7.11)
<新疆ウイグル自治区での騒乱(続々)(その1)>(2009.8.11公開))
1 始めに
新疆ウイグル地区のウルムチ等でウイグル人の若者達が漢人を襲った理由については、、広東省の韶関のおもちゃ工場で漢人がウイグル人に乱暴狼藉を働いたことへの怒りということで説明がつきますが、そもそもどうして韶関でそんな事件が起こったのか、また、新疆ウイグル地区でのウイグル人の動きに、ほとんど即時に漢人の若者達が反撃した理由については、まだ十分な説明がなされていないように思われます。
コラム#3386で申し上げたように、漢人としては、自分達がウイグル人のためにもよかれと思って新疆ウイグル地区の発展に尽力してきた上に、逆差別の対象ともなってきたのに、ウイグル人が少しも漢人達と融和しようとせず、不平不満ばかり唱えていることで、ウイグル人に対して悪感情を抱いているらしいことは分かります。
しかし、はたしてそれだけだろうか、というのが私の問題意識です。
私は、「ナショナリズムの陥穽」という問題と、「女性優位時代の悲哀」という問題が背景としてある、という考えを抱くに至っています。
2 ナショナリズムの陥穽
「・・・昨年のチベットでの民族的暴動の際には外国の報道機関はこのヒマラヤ地区での取材を禁じられ、中共のメディアはチベット人による同地区の漢人襲撃の矮小化に努めた。
恐らく、<今回の暴動の際の対応との違いの>理由の一つは、漢人の間で、経済状況が次第に悪化するにつれてイライラ感が募っている、ということなのだろう。
仕事がなくなるにつれて抗議の声が高まってきている。
中国共産党は漢人が犠牲者たる光景<をTV等で見せつけること>でもって漢人達を統合しようと決心したのかもしれない。
多数派たる漢人を統合することは、同党が権力の座に座り続けるために決定的に重要だ。
支那の13億の人口の90%を占めるにもかかわらず、漢人は、自分達自身の中に著しい言語的かつ文化的差異を抱えている。
そして支那は、広東人と福建人といった様々な漢人集団の間の叛乱の長い歴史を持つ。
1949年の後、毛沢東が支那を支配した時、漢人は共産主義ないし「社会主義的労働」の下で統合された。
実のところ、毛は漢人の諸少数民族に対する排他的優越主義(chauvinism)を抑制しようと試みた。
しかし毛が1975年に死んだ後、共産主義はもはや社会的紐帯としては機能しなくなったので、共産党は、漢人の中での歴史的差異に注意を払い続けつつ、漢人ナショナリズムをその正統性の根拠にし始めた。
<しかし、これは>共産党自身が良く知っていることだが、支那のナショナリズムは、それが漢人のものであれチベット人のものであれウイグル人のものであれ、制御がきかなくなりがちだ。
最近、当局は、抗議活動が急速にエスカレートした時、これを奨励していたにもかかわらず、対日抗議活動を終らせなければならかった。
爾来、当局は、「理性的(rational)」ナショナリズムという分かったような分からないようなものを定義しようと努めてきた。
しかし、共産党は公衆の「他者」に対する憤怒がその政治的生存に役立つ場合はナショナリズムの火遊びを躊躇なく行う。
例えば、漢人ナショナリズムに燃料をくべることは、党がアジアの他の地域や北米の金持ちの漢人の支持や投資を得るのに役立つ。・・・
かくも文化的差異をたくさん抱える支那を統合することは、いかなる政府にとっても容易なことではない。
しかし、もはやそのイデオロギーが信憑性をなくし、その代わりナショナリズムという危険なゲームを行っている共産党にとって、その任務は更に困難になるだけのことだろう。
支那が、権利の平等、選挙で選ばれた多元主義的な政府、といった普遍的な諸原則の下で統治されるようにならない限り、どんな操作主義的アイデンティティー政治もうまくはいかないだろう。・・・」
http://www.csmonitor.com/2009/0709/p08s01-comv.html
(7月10日アクセス)
中共当局は、性懲りもなくマッチポンプを繰り返しているところ、今回、ウイグル人を標的にして漢人ナショナリズムに再び燃料をくべたけれど、再びその消火に乗り出している、というわけです。
ただし、この傳で行くと、韶関の事件の方は、漢人ナショナリズムが自然発火した、ということになりますね。
3 女性優位時代の悲哀
(1)序
ナショナリズムの陥穽の話は、現代支那、すなわち中共固有の問題・・もとより、ロシアやイランといったあらゆる非自由民主主義的国家についても多かれ少なかれあてはまる・・ですが、ある意味ではより深刻な、グローバルな話とも今回の漢人の激高は関わっているように思うのです。
それは、女性優位時代の悲哀、という皆さんがまだ聞き慣れないであろう話です。
まずは、一般論から始めることにしましょう。
(続く)
<新疆ウイグル自治区での騒乱(続々)(その1)>(2009.8.11公開))
1 始めに
新疆ウイグル地区のウルムチ等でウイグル人の若者達が漢人を襲った理由については、、広東省の韶関のおもちゃ工場で漢人がウイグル人に乱暴狼藉を働いたことへの怒りということで説明がつきますが、そもそもどうして韶関でそんな事件が起こったのか、また、新疆ウイグル地区でのウイグル人の動きに、ほとんど即時に漢人の若者達が反撃した理由については、まだ十分な説明がなされていないように思われます。
コラム#3386で申し上げたように、漢人としては、自分達がウイグル人のためにもよかれと思って新疆ウイグル地区の発展に尽力してきた上に、逆差別の対象ともなってきたのに、ウイグル人が少しも漢人達と融和しようとせず、不平不満ばかり唱えていることで、ウイグル人に対して悪感情を抱いているらしいことは分かります。
しかし、はたしてそれだけだろうか、というのが私の問題意識です。
私は、「ナショナリズムの陥穽」という問題と、「女性優位時代の悲哀」という問題が背景としてある、という考えを抱くに至っています。
2 ナショナリズムの陥穽
「・・・昨年のチベットでの民族的暴動の際には外国の報道機関はこのヒマラヤ地区での取材を禁じられ、中共のメディアはチベット人による同地区の漢人襲撃の矮小化に努めた。
恐らく、<今回の暴動の際の対応との違いの>理由の一つは、漢人の間で、経済状況が次第に悪化するにつれてイライラ感が募っている、ということなのだろう。
仕事がなくなるにつれて抗議の声が高まってきている。
中国共産党は漢人が犠牲者たる光景<をTV等で見せつけること>でもって漢人達を統合しようと決心したのかもしれない。
多数派たる漢人を統合することは、同党が権力の座に座り続けるために決定的に重要だ。
支那の13億の人口の90%を占めるにもかかわらず、漢人は、自分達自身の中に著しい言語的かつ文化的差異を抱えている。
そして支那は、広東人と福建人といった様々な漢人集団の間の叛乱の長い歴史を持つ。
1949年の後、毛沢東が支那を支配した時、漢人は共産主義ないし「社会主義的労働」の下で統合された。
実のところ、毛は漢人の諸少数民族に対する排他的優越主義(chauvinism)を抑制しようと試みた。
しかし毛が1975年に死んだ後、共産主義はもはや社会的紐帯としては機能しなくなったので、共産党は、漢人の中での歴史的差異に注意を払い続けつつ、漢人ナショナリズムをその正統性の根拠にし始めた。
<しかし、これは>共産党自身が良く知っていることだが、支那のナショナリズムは、それが漢人のものであれチベット人のものであれウイグル人のものであれ、制御がきかなくなりがちだ。
最近、当局は、抗議活動が急速にエスカレートした時、これを奨励していたにもかかわらず、対日抗議活動を終らせなければならかった。
爾来、当局は、「理性的(rational)」ナショナリズムという分かったような分からないようなものを定義しようと努めてきた。
しかし、共産党は公衆の「他者」に対する憤怒がその政治的生存に役立つ場合はナショナリズムの火遊びを躊躇なく行う。
例えば、漢人ナショナリズムに燃料をくべることは、党がアジアの他の地域や北米の金持ちの漢人の支持や投資を得るのに役立つ。・・・
かくも文化的差異をたくさん抱える支那を統合することは、いかなる政府にとっても容易なことではない。
しかし、もはやそのイデオロギーが信憑性をなくし、その代わりナショナリズムという危険なゲームを行っている共産党にとって、その任務は更に困難になるだけのことだろう。
支那が、権利の平等、選挙で選ばれた多元主義的な政府、といった普遍的な諸原則の下で統治されるようにならない限り、どんな操作主義的アイデンティティー政治もうまくはいかないだろう。・・・」
http://www.csmonitor.com/2009/0709/p08s01-comv.html
(7月10日アクセス)
中共当局は、性懲りもなくマッチポンプを繰り返しているところ、今回、ウイグル人を標的にして漢人ナショナリズムに再び燃料をくべたけれど、再びその消火に乗り出している、というわけです。
ただし、この傳で行くと、韶関の事件の方は、漢人ナショナリズムが自然発火した、ということになりますね。
3 女性優位時代の悲哀
(1)序
ナショナリズムの陥穽の話は、現代支那、すなわち中共固有の問題・・もとより、ロシアやイランといったあらゆる非自由民主主義的国家についても多かれ少なかれあてはまる・・ですが、ある意味ではより深刻な、グローバルな話とも今回の漢人の激高は関わっているように思うのです。
それは、女性優位時代の悲哀、という皆さんがまだ聞き慣れないであろう話です。
まずは、一般論から始めることにしましょう。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
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