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太田述正コラム#3430(2009.8.1)
<私の防衛庁(内局)改革案(1987年)(その1)>

 以下にご披露するのは、私が英国に留学する直前、1987年に書いた防衛庁(内部部局)の改革案です。
 激しい危機意識と怒りを極力抑えて書いた記憶があります。
 これを持って、防衛庁キャリアの諸先輩のところを回ったのですが、皆さん、聞き置くだけって感じでしたね。
 英国留学から帰国後、相変わらずいつまで経っても改革機運が高まらない防衛庁に対し、私は次第に愛想を尽かしていくことになります。
 ((注)は今回付けたものです。)
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内局の活性化を目指して
                            
                                昭和62年11月9日
                            S.I.(注1)


1.内局(注2)の政策立案能力は、きわめて弱体である。そもそも、表見的に破綻の無い形で、業務が右から左へ流れていれば事足れりとし、その業務が効率的、効果的に行われているかどうかには無頓着な人が散見されるが、新規施策につながるような新しい事象、新しいものの考え方におよそ興味を示さないという人はそれ以上に多い。
この原因は、次の諸点にあると考えられる。

(1)内局では、各幕(注3)の要求(2幕以上に関わるものについては、そのコンセンサスに基づく要求)を待って初めて対応するという、受動的シビリアン・コントロ−ルの考え方のもと、大部分の業務が受動的に行われてきたこと。

 (2)また、自衛隊の能力を、総合的・統合的観点から、いかに最大限に発揮させるかということよりも、三自衛隊等を出来る限り分断し、相互に牽制させることに主眼を置いたコントロ−ルがなされてきたこと。

 (3)近年においては、米国より、自衛隊の能力の向上、及び能力の総合発揮につながる種々の期待表明、要求が直接、或は各幕を通してなされるようになったが、これがむしろ、(1)、(2)の姿勢を温存させることにつながったこと。   

 (4)予算関係業務を中心に、大蔵省の大きな影響力下で業務が行われてきたため、主計局の受動的な仕事のやり方を身につけてしまったとの見方も出来よう。
 (受動的に仕事をするというのは、主計局の身上。しかし主計局は一つあれば十分。)

 (5)防衛計画の大綱が策定されることによって、防衛力整備の規模的上限が設定されたため、防衛力整備担当部局の業務の矮小化(装備部局化、広報/国会対策部局化)が生じている。すなわち、少なくとも主要装備に関する限り、何のために、如何なる種類のものを、どれだけ整備するか、更には、整備するものが、全体としていかなる意味を持つか等を余り考えることなく、機種等の決定、装備等の整備のタイミングの決定、及びそれらについての対外説明振り作りを行うことが可能となった。現に、経理局は、(後年度負担(注4)化によって、正面(注5)が歳出予算に殆ど影響を及ぼさなくなったこともあるが、)正面についての論議に加わることをやめ、大蔵省もかってのように総合的な能力見積等に関心を示さなくなった。
 これらは、まさに、「大綱」が意図したとおりの結果が生じていると言うべきであるが、(それにもかかわらず、依然として防衛力整備フェティシズムともいうべき風潮が内局内にみられ、)このことによってできた余裕が必ずしもその他の業務の推進に向けられていないこと。

このため、自ら新規施策を企画立案するという習慣が基本的に形成されないまま現在に至っていること。

 (6)より根本的には、防衛行政の基幹部分が、行政需要(防衛所要)を自ら設定し、実施した施策の評価についても、(部分的には演習等を通じて検証が可能であるとしても、)自ら(机上において)秤量せざるを得ないという、高度に抽象的かつ思弁的な営みであり、政治家や民間の有識者に防衛政策に係るイニシアティブを事実上期待できないにもかかわらず、もっぱら「実務家」たることをもってよしとする不思議な風潮があることである。
(そもそも、「実務家」とは何であるかは難しい問題であるが、いずれにせよ、他省庁における行政とは異なり、防衛行政をめぐる「実務」状況は、国内外の利益集団の相関関係も比較的単純であるし、用いられる行政手段にも簡単なものが多く、「実務家」にとっては、さぞや退屈な行政環境であるように思われるがいかがであろうか。)

(7)また、わが国においては、防衛が一種のダ−ティ・ビジネスとみなされてきたこともあって、その中核的部分については、他省庁が比較的関心を示さず、防衛庁の聖域とされてきたきらいがある。その反面、防衛庁が新規の権限を持つことをタブ−視する風潮があった。この結果、防衛庁は、新規施策を掲げて権限争いをするような必要が無いまま現在に至っていることもあげられよう。(日米防衛協力のための指針及びこれに基づく共同作戦計画等の研究等をめぐって、外務省との間で確執があったことは事実であるが、経済外交をめぐる外務・通産間の争いや、情報産業をめぐる通産・郵政間の争いとは、比較にならないぐらい「穏やかな」ものであった。)

(なお、防衛庁の中でも、海上自衛隊は、発足以来、船団護衛(注6)という、海上自衛隊にとっての最重要任務につき、根本的疑問が投げかけられ続けてきたこともあり、自らの権限擁護に熱心であるが、新規施策等に対する関心が 極めて高い。但し、このことが、今や、皮肉にも、防衛庁としての総合的施策推進に当たっての阻害要因の一つとなっている。)

 この他、以下のような要因も考えられよう。

 (8)国の防衛という事柄の性格上、防衛庁において、秘密保全に強く留意すべきことは当然であるが、過度の秘密保全意識が、企画立案のために必要な情報の伝達まで妨げているきらいがあること。又、甚だしきに至っては、秘密保全が仕事を積極的にしない口実に使われる場合すらあること。
(わが国の防衛を考える上で不可欠な日米共同の実体についての知識の例で言えば、(共同訓練を所管している)訓練課、(共同作戦計画等を主管している)防衛課政策班、運用課、防衛課年度班、計画官室の順序で疎いのが実状。このため、各幕は、説明する部局、相手に応じて説明振りを使い分けることが往々にしてある。これでは、一体どちらが「分断」して「コントロ−ル」しているのかわからない。)

(9)内局にとっての伝統的業務である予算・国会関係業務がますます増大してきている一方で定員は増えておらず、新規施策等を考える時間的、物理的余裕が一層失われつつあり、これが若年層におけるほど甚だしいこと。しかも、このことに、防衛庁上層部の理解が乏しいこと。

(10)何よりも、内局ないし防衛庁という組織を構成する一員として、その組織のために物事を考えていこうという、共通意識(Esprit de corps)そのものが欠如していること。

しかし、もはやこのようなことでは、わが国防衛をとりまく激動する内外環境のもと、防衛庁の舵取を適切に行っていくことは困難である。(懸命になって政策官庁への脱皮を試みている運輸省、郵政省等、情報調査局を設置した外務省、及び金融財政研究所を本省に組み込んだ形で設立した大蔵省(通産省も同様の計画を持つと聞く)、を想起せよ。)しかも、円高のためもあって、わが国の防衛費の名目額が、ここ数年の内に、対ソ第一線に位置する西独、核装備をしているフランス、英国の国防費を凌駕する可能性すらある大きなものになりつつあること等に鑑み、国民の防衛庁を見る目が、(いい意味で)従来とは比較にならないぐらい厳しくなってきていることに思いを致すべきである。

(続く)

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(注1)それまで、「諸君」等に執筆する際に使っていたペンネーム、石垣成一を英語表示したもののイニシャル。「石垣」は私の亡くなった母親春子の旧姓。「成一」は、母親が敬慕して止まなかった彼女の長兄で、若くして結核で亡くなった生一(せいいち)にちなんだもの。
(注2)内部部局の略。要するに防衛庁(省)キャリアの巣窟だ。
(注3)陸海空幕僚監部の略。
(注4)頭金だけを支払って、最大5年間にわたり、残金を分割払いするやり方で装備や施設を調達する方式。
(注5)正面装備のこと。戦車、護衛艦、戦闘機等の武器システム。
(注6)有事において、国民生活を維持するために最低限必要な、石油や食糧等の輸入品を積載したタンカーや貨物船の船団ないし航路を守るという構想。

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