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太田述正コラム#3292(2009.5.24)
<皆さんとディスカッション(続x495)>

<ワンダフル>

≫社会にとって自分がよかれと思うことの実現にむけて、払える範囲の犠牲を払って、一歩踏み出す人が次々に出こなきゃ、いつまで経っても何も変わらないさ。≪(コラム#3290。太田)

 そうです。全くその通りです。
 しかしながら社会のために一歩を踏み出す人は激減していると思います。
 なぜなのでしょうか。
 国内外のさまざまな分野で、ボランティア精神をもって尽力されている方々もおられるのですけど・・・。
 日本では一歩を踏み出そうとすると、必ずといっていいほど足を引っ張ったり、誹謗中傷をされる方々が待ち構えているようですね。
 教育の現場で「ゆとり」と「平等」が叫ばれるようになった頃から、ますます一歩を踏み出せない(出させない)ような風潮が顕著になったように思います。

ゆとり教育
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2
運動会、学芸会、学級委員などが関係した「平等教育」 (典拠省略)

<ΑεΑε>(「たった一人の反乱」より)

 ノ・ムヒョンは韓国人に殺されたと言っても過言ではないでしょう。
 大統領、つまり国家元首としての器量もカリスマも持っていなかった男に、無理矢理大統領をやらせてしまう。
 しかも、ただの感情で。
 当時の駐韓米軍の女子中学生轢死事件がなければノ・ムヒョンは大統領になっていないはずだったのです。
 韓国の大統領というものは、少なくとも韓国において無限といっていい権力を所持しています。賄賂大国である韓国においてそれほどの権力を持っている国家元首、およびその親族に蠅がたかるようにやってきても当然の話。
 無為無能ならまだしも、それ以下の人間を国家元首にしてしまい、さらに賄賂を取ったからといって責め立てる韓国人の良識自体を疑います。
 そもそも、ノ・ムヒョンというものは韓国人を写す鏡そのものなのです。
 あんなのを一時期の感情だけで大統領に仕立て上げ、しかも弾劾の機会もあったのに強力なまでに支持をしてしまって5年間を勤め上げさせてしまった。
 ノ・ムヒョンは大統領にさえならなければ、まだ国会議員をやっていたか大統領選敗退で議員を引退して地元でのんびりと弁護士業でもやっていたでしょう。
 最期まで韓国人として韓国人に踊らされ、ネタを供給し続けてきてくれたノ・ムヒョンに哀悼の意を表します。

<太田>

 産経新聞の黒田ソウル支局長が、「・・・今回のような退任後の自殺は初めてだが、初代の李承晩大統領は海外亡命、長期政権だった朴正煕大統領は暗殺、全斗煥、盧泰愚大統領は逮捕・投獄、金泳三、金大中大統領は息子の逮捕・投獄…。
 この背景には、南北分断が続くなかで対立が激しい政治状況などのほか、強力な大統領中心制からくる権力の集中度の高さや、相変わらずの血縁を中心にした家族主義・縁故主義などがあるように思える。・・・」
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090523/kor0905232108017-n1.htm
と書いています。
 私は、どうして日本、韓国、台湾のいずれの国でも、韓国のノ・ムヒョン前大統領の不祥事疑惑と台湾の陳水扁前総統の不祥事疑惑
http://www.taipeitimes.com/News/front/archives/2009/05/22/2003444231
を一対のものとして論じる報道がないのが不思議です。
 辞めたばかりの最高権力者(どころか、在任中の最高権力者でさえ)が捜査の対象となるのは、日本による統治を通じて自由民主主義、就中法の支配の観念を韓国と台湾が継受したおかげです。
 しかし、いかんせん朝鮮半島にも台湾(及び支那本土)にも日本のような権威と権力を分離する伝統がありません。
 このことと、韓国・台湾とも一貫して軍事的「脅威」に晒されてきたこととがあいまって議院内閣制ではなく、大統領制を採用し、権力が大統領/総統に集中していることが第一点。
 また、朝鮮半島にも台湾(及び支那本土)にも、日本のような血縁・縁故を超越した実力主義の伝統がありません。
 このため、たとえ本人の意思が堅固でも、近親者やとりまきが金銭的不祥事を引きおこしがちである、ということが第二点で、ノ・ムヒョンと陳水扁が捜査対象となった、というわけです。
 以上の議論を補強する根拠として、韓国では朴正煕までの大統領に金銭的不祥事話がなく、台湾では李登輝総統には金銭的不祥事がなかったことがあげられます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%99%BB%E8%BC%9D
 要するに、日本帝国臣民として高等教育までを受けた大統領や総統は金銭的不祥事を起こしていないけれど、そうでなくなった瞬間から、メッキがはげて、それぞれ、朝鮮半島的、台湾的(支那本土的)伝統が析出してしまった、と言えるのではないでしょうか。
 しかし、ノ・ムヒョンが自決した・・日本帝国臣民的な潔さ・・のに対し、陳水扁は徹底した検察/裁判所批判を行い、抵抗を続けています(台北タイムス上掲)。
 ノ・ムヒョンは5年間だが、陳水扁は8年間も検察/裁判所をも監督する立場にあったのですから、検察/裁判所批判はとりもなおさず自らの治世批判を意味するというのにね・・。
 台湾の将来は韓国の将来より危うい、という気がしてきました。

<globalyst> 

 --「匂い」について--

≫女性が男性をにおいでかぎ分ける能力は、女性をかぎ分ける能力よりも、そして、男性が女性をにおいでかぎ分ける能力より、はるかに高いことが明らかになりました。≪(#3290。太田)

 これは、先日(5/19)ディスカバリーチャンネルの「セックスと人体機能」という番組で言っていた「人間の女性は男性とは異なり、長期間の妊娠と出産そして子育てをすることから、女性は男性よりもパートナーの選択に慎重である」ということと関連しているように思えます。
 つまり、パートナーの選択に慎重な女性は、異性に関連した情報処理能力が男性よりも高いということなのでしょう。
 また、「匂い」は脳内の大脳辺縁系で処理されていることが知られており、大脳辺縁系には、ホルモンの産生と放出により自律神経機能を調節し血圧、心拍数、空腹、口渇、性的興奮、そして睡眠・覚醒のサイクルなどに関与している視床下部が含まれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%84%B3%E8%BE%BA%E7%B8%81%E7%B3%BB

 そして、
「…大脳辺縁系は脳の最も古い部位の一つであり…動物が高等になるほど新皮質の占める割合が大きくなるのに対して、辺縁系の発達にはあまり差がなくなる。これは辺縁系が動物に共通な機能に関係して…」(上同wikipedia)
いること、そして、多くの哺乳類では、雌が妊娠、出産、子育てをすることから、「女性が男性をにおいでかぎ分ける能力」は、人間としての女性ではなく、動物、特に哺乳類としての雌に備わったパートナー選択能力なのかもしれません。

 ところで、
「ヒトは外界からの情報を得るために80% 以上を視覚に依存している」
(例えば「聴覚障害における視覚情報処理特性」)
http://www.tsukuba-tech.ac.jp/repo/dspace/bitstream/10460/151/1/Tec14_0_27.pdf
と言われており、そして、
「視覚は、主に新皮質と呼ばれる脳の中でも比較的、後に発達した部位で支配されて」
http://www.athome-academy.jp/archive/medicine/0000000203_all.html
います。
 つまり、人間は外部情報の殆どを新皮質で処理していますが、「匂い」は新皮質とは異なる大脳辺縁系で処理しています。更に、大脳辺縁系は、上述のように視床下部を含んでおり、
「内分泌系と自律神経系に影響」(上同wikipedia)
することから、リラクゼーションにアロマテラピーが効果的なのでしょう。
 アロマテラピーに際しては、目を閉じたり暗くしたりして新皮質への情報量を絞ることによって、その効果を高めることができるでしょう。

<太田>

 ホント、ぜひコラム書いてくださいよ。

<コバ>

 --金太郎飴的メディア--

 最近ずっと自民党やメディア周辺で民主党の政権担当能力に疑問を呈する論調(安全保障や財源論など)が目立ちます。
 鳩山は昔レーザー防衛を提唱していたことがあるようです。
http://critic5.exblog.jp/9590497/
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/entry-10216804609.html
http://www.interq.or.jp/uranus/ask/naplo/npl0503.html

 素人なのでよくわかりませんが、レーザー防衛は当面は無理でしょうけども、民主党が政権を奪取すれば米軍に依存しない安全保障政策を自ら考えるようになる、日本の独立の達成に近づけるはずなのですが、メディアはみな金太郎飴のような意見ばかりで、よほど自民党公明党政権に田沼に住むがま蛙のように喜んで安住したいようです。
 鳩山民主党がこれからどんな突破力を発揮するのか、日刊ゲンダイとともに見守りたいと思います。
http://news.livedoor.com/article/detail/4165381/

<太田>

 民主党の政権担当能力を云々する輩は、厚顔無恥か無知蒙昧か、その双方であると言ってよいでしょう。

 では、記事の紹介です。

 人民網に二つ、大いに考えさせられる記事が出ていました。

 まず、文芸評論家・藤井省三東大教授の村上春樹論です。

 「・・・村上春樹<の>・・・『中国行きのスロウ・ボート』・・・中国に対する背信と原罪がこの3つの版における共通のテーマとしてつきまとっているのを発見できます。この点について、村上作品の英訳者であるジェイ・ルービン教授も近い観点を持っています。彼は、この小説は中国に対する村上の一貫した関心と継続的な反省を暗示しており、その中から日本人にとっての中国が痛みを伴う追憶であることを見て取ることができる、としています。
 日中戦争を知れば知るほど、日本という国家システムの怖さを感じる・・・
 村上の後期の創作はますます社会にコミットメントしてきており、もはや、初めのころにみなが認めた「軽いタッチのモダンな」ものではありません。村上にとって、戦争と中国は歴史の問題である一方、日本社会を理解するカギなのです。・・・
 村上は、日本社会のある種の深層構造は少しも変わっていないと見ています。このような考え方や憂慮は『羊をめぐる冒険』や『ねじまき鳥クロニクル』の中にも続いています。・・・
 村上は『ねじまき鳥クロニクル』で『羊をめぐる冒険』のエピソードをもう1度語るのですが、紙幅は3倍増え、しかも中国東北とモンゴル国境における交戦を正面から論じた。これで村上の意図がより明らかになりました。つまり、現代日本の過去の暴力行為を探究することです。たとえ主人公が戦後生まれの日本人青年であっても、たとえ「僕」の生活が室内楽やスパゲティ、猫から成り立っているものであっても、歴史と正義は依然として最後に直面する問題なのです。この小説の中で、かつて「妻」は「僕」が自ら手を下していろいろなものを抹殺する必要はないのだと責め、問題を回避した結果を暗示する。小説は、このくだりの話から出発していると言ってもよく、同時に当時の日本の対中侵略と現代の平和憲法のもとで進む国家の暴力的システムが交錯して描かれる。こうした考え方は彼の旅行記『辺境・近境』(中国旅行記を含む)や『遠い太鼓』の中でも語られています。・・・
 村上は話をするのが好きではないが、いったん舞台に押し出されれば、やはり自分の考え方を率直に語るはずだと思う。最近、彼がエルサレムで行った講演もその1つの例です。中国に対して村上は今のところまだこのような状況は避けたい、だから来ないことを選択しているのです。・・・」
http://j.peopledaily.com.cn/94473/6662609.html

 このような村上の「変身」はどうして起こったのでしょうか。
 一昨年11月に、ウェッブ上の議論で、ある村上の読者(ハンドルネーム:URARIA)は次のように指摘しています。
 「・・・「ねじまき鳥クロニクル」以降、積極的に「ノーベル賞」をとりに行っている…(ノモンハンなど歴史エピをとりいれたり、それまで「売り」であった一人称を一度やめてみたり、隠された野心やマラソンで培った体力がものすごい)・・・」
http://q.hatena.ne.jp/1194439976

 私は、これまで漠然と、「純文学者=芥川賞追求者(ノーベル文学賞追求者)=自分が書きたい小説を書く人」と、「大衆文学者=直木賞追求者=売れる小説を書きたい人」とに仕分けしてきたのですが、どうやら村上は、「売れる小説を書きたい」けど「純文学者」を装っているというけったいな作家であられるらしい。
 そんな村上だからこそ、彼が本格的にノーベル賞を意識し始めた頃から、世界の村上文学愛好家達の世論や文学賞選考委員会の親欧州文明的スタンスに気付き、それに迎合すべく、反米、反イスラエル的スタンスを鮮明に、そして親中/反日的スタンスを慎重に作品の中に投影し始めた、ということなのでしょう。
 なぜ、後者については慎重たらざるをえないのでしょうか?
 へたをすると、肝心の日本において、村上文学愛好家達から総スカンをくいかねないからです。

 (こんなこと言うと、オマエの「コラム」は、できるだけ多くの人に読んでもらうことを目指さず、単に自分が関心を持ったことを書き散らしているだけだから、言葉の本来の意味におけるブログ(ウェブ上に開陳した私的日記)に過ぎない、と茶々を入れられそうですね。)

 もう一つの人民網記事は、岡崎久彦の発言を紹介した記事です↓。
 かねてから私は、岡崎は、吉田ドクトリンの有力イデオローグの一人であると申し上げてきましたが、岡崎が強い者には抗うな的卑屈さを、外国人に対し、ここまで恥ずかしげもなく開陳するとはね。 

 「・・・もし中国が長期的和平を望むのであれば、結論はただ1つ--台湾を放棄することだ。過去500年間、英国や米国と戦って勝利した国は1つもない。中国が台湾を占領すれば、アジア地域はバランスを失い米国もアジアにおいて威信を失うことになる。その後、米国は間違いなく対中国戦争を始め、中国は米国に負けるだろう。これにより、中国はチベット、新疆、さらに内モンゴルさえも失い、漢民族はこれら3地区から逃れる結果となる。我々日本には深い教訓がある。日本は米国に戦いを挑んだが、結果的に敗北し、台湾、朝鮮、満州を失った。中国は米国に敗北した時、ようやく台湾を早目に放棄すべきだったと気づくだろう。日本も同じ後悔をしており、満州占領後その歩みを止め太平洋戦争を起こさなければ、台湾、朝鮮、満州を失うことはなかったと考えられる・・・」
http://j.peopledaily.com.cn/94473/6663563.html

 ノーベル文学賞作家T.S.エリオット(T. S. Eliot。1888〜1965年。米国生まれで英国に帰化)(コラム#213、338、410、475、2828、2830、2850)の(精神疾患持ちの女性との)不幸な最初の結婚と69歳の時の幸せな二度目の結婚(彼の秘書で38歳差!)が描かれた記事は、文学好き、あるいはミュージカル(Cats)好きには必読です。
http://www.guardian.co.uk/culture/2009/may/24/ts-eliot-valerie-fletcher-scrapbooks

 このエリオットとは血のつながりのない英国人で、(醜女の)女性小説家のジョージ・エリオット(George Eliot。1819〜80年)(コラム#474、3038)のセックス・ライフが、たまたま同じガーディアンに載っています。
 60歳で亡くなる半年前に初めて正式の結婚を20歳下の男性としたんですね。
http://www.guardian.co.uk/books/2009/may/24/george-eliot-biography-brenda-maddox
 時間切れなので、今日はこれくらいにしておきます。
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太田述正コラム#3293(2009.5.24)
<日進月歩の人間科学(続x5)(その1)>

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