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太田述正コラム#2840(2008.10.9)
<ロアルド・ダールの半生(その2)>(2009.4.15公開)

 ダールはこのような面白いものを書く、背が高く、ハンサムで頭が良い男で、「戦闘」で負傷した勇敢な士官で、しかも制服が似合うときていたため、誰にも好かれました。
 他方で彼は、傲慢で、風変わりで手に負えない男であることから、秘密任務に就いているとは誰も思いませんでした。
 こんな男が、ゴシップを仕入れてはおもしろおかしく語るのですから、米国人の権力者や大金持ちの奥さんにもてないわけはありません。
 ダールが年間収入が50,000ドル以上の米国の家庭のすべての女性と寝たという伝説すら伝わっています。
 ダールはギャンブラーでもあり、彼はハリー・トルーマン(Harry Truman。後出のヘンリー・ウォレスの後を襲って1945年1月から副大統領。ローズベルト死去に伴い、同年4月からは大統領)に賭で900ドル(ダールが初めてもらった印税全額)とられた逸話が残っています。
 彼はまた、フェンシングの達人でもありました。

 ところで、ダールが所属していたスパイ組織は、英国安全保障調整機関(British Security Coordination =BSC)と称されており、彼の同僚には、ジェームス・ボンド・シリーズで有名になるイアン・フレミング(Ian Fleming)、俳優にして劇作家にしてポピュラー音楽の作曲家として有名になるノエル・カワード(Noel Coward)、英国初の本格的な広告会社をつくることになるデーヴィッド・オグリヴィー(David Ogilvy)らがいて、彼らはシャーロック・ホームズ物に登場する、街の探偵団をもじってベーカー街非正規軍(Baker Street Irregulars)と呼ばれていました。
 ダールもそうでしたが、彼らはその魅力と悪知恵を駆使して米国上層部が何を考えているかを探る一方で英国が米国にやって欲しいことを吹き込むことに努めたのです。

 とりわけダールの活躍は際だっていました。
 彼は連日連夜、パーティー、レセプション、公式晩餐会に出没し、友人の輪を広げて行きました。
 こうして彼は、コラムニストのウォルター・リップマン(Walter Lippman)やドゥルー・ピアソン(Drew Pearson)、副大統領のヘンリー・ウォレス(Henry Wallace)、更にローズベルト夫人のエレアノア(Eleanor Roosevelt)と親しくなります。
 ピアソンは、ダールに米国の各省の動向や閣議の模様を詳しく教えるようになります。
 エレアノアはダールが1943年に米国で処女出版した児童文学書に感銘を受けて孫達に読んでやるようになり、それをきっかけに彼をホワイトハウスや私邸に何度も招待することとなったのですが、そのおかげでダールはローズベルト大統領自身にも近づくことに成功します。
 初対面の時、私邸でカクテルをつくっていた大統領はダールが英国の諜報機関員であることを見抜いたようであり、そのことをダールに示唆したといいます。
 それでも、ダールは爾後、ローズベルト自身から、その健康状態、再選の可能性や共和党の大統領候補についてのローズベルト自身の見方等を聞き出すことに成功します。
 またダールは、タイム社のオーナーのヘンリー・ルース(Henry Luce)の夫人で劇作家でコネチカット州選出の下院議員でもあったクレア・ブース・ルース(Clare Booth Luce)が反英であったことから彼女に近づき、友人となっただけでなく愛人関係になりました。
 彼女の3日連続の激しい性的要求に音を上げたダールは、英国大使のサー・ハリファックスに彼女との関係終了を申し出るのですが、同大使は、ヘンリー8世が好きになれなかったクリーヴスのアン(Anne of Cleves。ドイツの公国出身のヘンリー8世の4番目のお后)と「お国のためだ」と自分に言い聞かせて寝室を共にした映画シーンに言及し、彼女との関係の継続を厳命したのです。
 このほか、ダールは文豪のアーネスト・ヘミングウェーとも関わりができ、1944年には英空軍機で彼に付き添ってロンドン旅行に行ったりします。
 ダールは本来のスパイらしい仕事もやってのけています。
 当時パン・アメリカン航空は、レンド・リース法の一環として欧州中に空軍基地を建設する軍事契約を米国政府との間で結んでいましたが、この関連で米国の航空権とその交渉状況を把握していました。
 ダールは同航空からこの情報を取ったのです。

 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/08/28/AR2008082802911_pf.html前掲、
http://www.newsweek.com/id/156340
http://www.washingtontimes.com/livechat/2008/sep/29/author-jennet-conant/
http://www.onthemedia.org/transcripts/2008/09/12/05
(いずれも10月8日アクセス)による。)

4 終わりに

 当時の英国の首相はチャーチルでしたが、彼は諜報工作大好き人間でした。
 彼の下で、英国政府がいかに多士済々の人物達を的確にリクルートし、諜報活動に従事させていたかがお分かりいただけたでしょうか。
 チャーチルは、第二次世界大戦が始まる直前まで、上層部は英国にコンプレックス的憧憬を抱きつつも英国を敵視していて、一般大衆には孤立主義的ムードが蔓延していた米国を、英国が苦戦していた対ドイツ戦に引きずり込むために、ありとあらゆる策略を重ね、米国のために諜報機関までつくってやった挙げ句、日本の真珠湾攻撃もあってようやくそれに成功します。
 そして、その後も、米国の上層部に対するスパイ活動を続けることで、米国に基本的に英国の望むような軍事作戦をとらせることにも成功するのです。
 歴史の皮肉は、チャーチルが全精力を傾けて守ろうとした大英帝国が、第二次世界大戦終了とともに、音を立てて瓦解を始め、英国が米国によって世界覇権を奪われてしまうことです。
 とまれ、ダールは、BSCによってその文才を見いだされ、米国で児童文学者としてデビューを果たし、英国帰国後は花形児童文学者として大活躍することになるのです。

(完)

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